[ Harry... ]

Amadiciena Chronicle

私には、眼も、耳も、口も無いけれど。
この心と力だけで、貴方を取り戻してあげる。
何度愛してると囁いて、何度側にいてと願っても、
貴方は決して触れては来ないのね。
解っているわ。恥ずかしいのでしょう?
ここはとても明るくて、何もなくて寂しいの。

ねえ、早く来て


「……………っ!!」
 目が覚めた。唐突に。
 身体が熱い。そう感じたことは嘘ではなく、じっとりと夜着に染み込むような湿り気を帯びた肌に吐き気を覚えた。
 熱いのに、震える身体。
 起き上がり、嫌悪感を払拭するようにてのひらで顔を拭い、そのままうつむいた。息をすることを忘れていた。息苦しさに身体が呼吸を再開する。溜息。

 真っ赤な唇で、恐ろしいことを言われた。そんな夢だった。いや、唇があったのかはわからない。そう感じただけだ。例えるなら、この世で一番美しい者が、一番愛しい者が、いつもより数段優しく微笑んでいるのに、「早く死んで」と願うような。それだけでは足りない。絶対的な恐怖が足りない。思い出すだけでも無意識に身体が震える。
 汗の冷えた肌が、ぴりりと痛んだ。
 部屋の窓は全て閉じられているにも関わらず、濁った空気は軽やかだった。元々天空に近い場所にあるこの部屋の気温は低い。だがそれに負けないような、詩の旋律に似た空気。ぴりぴりと、一息一息に致命的な殺意が籠もったような空気。月がないくせに妙に明るい夜。深夜でも早朝でもない曖昧な時間。

 そっ、と肩に手が置かれて、びくりと身体を揺らした。
 いたわるような冷たい手の持ち主を振り返って、恐怖の混じった溜息をついた。
「……索冥」
「悪い夢でも?」
 ランドールを気遣うような態度で接する索冥。しかし、ランドールは下僕の琥珀色の瞳の中に、悪夢を見た。
「お前……」
 痛いほど解る殺気。突き刺すような。
「『早く、来て』?」
 索冥の言葉に、ランドールは息を呑んだ。紅い唇を思い出した。
 夢で見たものと同じ恐怖。魂に爪を立てるような凶暴な愛憎に体温が下がった。
「お前が見せたのか……?」
 覡魁の能力を思い出して、ランドールは身震いを隠せなかった。よりにもよってあんなものを見せるとは、相当に憎まれている。だとしたら、純粋に怖ろしい。
「まさか……。主上の夢を操作することだけはできません」
 負の感情がこもった瞳が告げる言葉は、はたして真実だろうか虚無だろうか。
 ランドールはそれ以上索冥を見ていられなくて、視線を正面へ戻した。
「彼奴のためだけには、絶対に……死なん」
 震える言葉で紡いだのは、憎しみに燃えた『鳥』の言葉。
 痛みに耐えるように肩を抱く王の背中を見つめ、索冥は眼を細めた。苦しいのなら、私を殺してしまえばいいのに。幾度も思った。決して伝えたことはないけれど。かわりに誘う。
「一時でも忘れたいのなら付き合いましょう」
 ランドールの身体は、索冥にとって遅効性の毒だ。触れるだけでも蓄積されていく。蝕まれていることさえ、心地よいと感じるのは、きっとすでに重傷なのだ。それを望む『意志』に操られている。抗えない。
 だからせめて、自分を哀れむために、乱暴に抱き伏せる。私の許可がなければ、解放さえ許されないのだと教えるように。

 


どれだけ問いかけても、答えは返してくれない。
私がどんな思いか、解っているでしょう?
隠れてないで出てきてちょうだい。
そうしたら、全て許してあげるから。
貴方の癇癪には、耐えられそうにないの。
だから。
貴方より先に壊すわ。貴方より早く壊すわ。
何処へ逃げても、私を思い出すでしょう?
逃げられないわ、決して。
抗えないのよ。

決して。

 


 たまに、本当に極たまにだが、流されてしまえ、と思うことがある。
 こういう行為を望んでいたのは、自分ではないとはっきり断言できないが。しかしきっかけは、自分に溶け込んだ悪魔の囁きだ。
 吐息混じりの甘い喘ぎを冷静に聞きながら、ランドールはぼんやり考えた。口から漏れるこの声は確かに自分のものだが、まるで他人のように聞こえる。
 そのうち、快楽を追うことだけに支配される意識。それまで感傷的に考える。

 鴻嵐鵠の声が聞こえることは無い。あれと出会う前の自分と、融合した後の自分では何一つ変わりないが、それでも決定的に違っている。
 自分でも解るほど、魂に何かが混ざっている。あまりに深く混ぜたので、元が何であったのか解らないほどに。

 覡魁が嫌いだった。この国に必要ないと思っていた。だが、嫌いきれなかった。王である自分は、索冥個人を嫌いではない。でも、鴻嵐鵠と融合した自分は、覡魁である索冥が憎くて仕方がなかった。
 彼はエルシノアの分身だ。そう思うと、引き裂いて殺したい衝動にいつも悩まされた。原始的な希望だ。それに逆らって情を交わすことは、ひとえに殺しても飽き足らないまでの憎悪があるからだ。
 苦しみながら、逝け。唯一の願い。

「……ぃ……っ……!!」

 純粋な痛みが背中を駆け抜けた。
 眉根を寄せたランドールは、涙を流すことはしなかったが、それでも苦しげに唇を引き結んだ。
 索冥はそれを鼻で笑い、強引に腰を進める。
 征服は欲望、支配は誘惑。自分は既に、狂っているのかもしれない。索冥はそんなことを考えて王を見下した。

 理不尽だ。

 何故自分の意志で動くことができないのか。
 それでは『私』は何のために必要なのか。傀儡になるのならば自我など必要ないではないか。哀れだ。あまりに哀れだ。
 索冥が王を護るのは、索冥の意志か天の意志か。指を動かしたのは、腕を振り上げたのは、歩むために足を動かすことは、言葉を発するのは、一体どちらの意志なのだ。

 まるで、拷問だ。

 終わりのない、導き出す答えもない、ただ永遠に速度の変わらない責め苦。
 もう、いいかげん、終わりにしたい。

 それが願い。

  

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