カーミラさんというお嬢様が一昔前に居たそうです。

学園物パロディ

 待ち合わせ場所はいつの間にか放課後の図書室になっていたので、カラスはいつものように校内の奥にあるそこへ向かった。待ち合わせ場所なのだ。
 扉のガラス窓には『閉館』の看板がぶら下げられていたが、カラスは気にせず中に侵入した。基本的に他の生徒が居る時間に図書室へ来る事など無かったし、それは今回も同じだ。
 同じだ、と思っていた。
「おいこら『閉館』の札見えねぇのかよ」
 カウンターの内側からかかった声は、司書のもの。職員と生徒という関係以上、ほとんど友達のようになってしまっている。苦笑混じりのそれは、咎めているものではなかった。
 カラスはいつも通り、司書であるカグリエルマの例外的許可を貰おうと振り返って、動きを止めた。
「!?」
 美女が、居た。
 言葉が出なかった。高校生が大凡対面することが無いだろう、それ以上に学校という場に相応しくない人物だ。その美貌で国すら堕とせそうだ。心臓が止まったと思った。鳥肌が立った。イブニングドレスの美しいひと。
「だ…れ」
「俺だっつの」
 陶器のような肌に映える、紫がかった桃色の潤んだ唇から紡がれた声に聞き覚えがある。
「おーい。カラス?」
 美しい流線を描いた眉が顰められ、きらきらと光を放つアイシャドウと豊かな睫毛に彩られた瞳は漆黒に縁取られたプラチナ。
 細いスパイラルでボリュームを出したオレンジ色の髪が、蛍光灯の下でも輝いていた。首に巻かれたチョーカーはドレスに繋がっている。極端な露出は控えているが、黒のベルベッドが肢体を覆っていても、その形の良い胸と細腰を強調していた。
 小首を傾げて近寄ってこられ、カラスは思い切り後退った。青少年らしい、純粋な照れだ。
「うわ、ひっでぇ」
 魅惑的な微笑が不機嫌そうになる。見た目はどこを切り取っても美女であるのに、その声は男のように低かった。聞き覚えのある、声。
「げっ!!」
 困惑するカラスの背後から、今度は聞き間違える筈のない声が聞こえた。カエルを踏みつぶしたような声だったのは、このさい横に置いておく。それでも助けを求めるように縋り付く。待ち合わせの相手だ。居候先の主で、教師。魅朧だった。
 追い詰められていたわけでもないのに、カラスは心底助かったと安堵した。
「何やってんだよカグラ、気でも狂ったか」
 帰り支度をすませた魅朧は、ヴィンテージジーンズと革ジャンにシルバーアクセサリーをいくつか身に付けていた。何処をとっても教師に見えないが、この学園の体育教師だ。
 半眼で顰め面を浮かべた魅朧には、この美女の威力は効かないらしい。
「カ、カグラ!?」
 叫んだのはカラスだった。カグラとは司書の名前ではないか。改めて目の前の人物を凝視すれば、色彩は件の司書と同じだった。そういえばどことなく面影がある。
「…カグラ、さん…?」
 じっくり見つめたら本人だとわかったけれど、疑問系になってしまうのは仕方ないだろう。カグリエルマは男だった筈だ。目の前の人物は、カグリエルマ似の女にしか見えない。
「今はカーミラさんって呼んでくれ」
 ふふん、と胸を張ったカグリエルマは、手袋に覆われた拳を腰に当てた。
「…カーミラ?『ソロモンの姫君』の?」
 いち早く反応したのは魅朧だった。カラスは聞き慣れない単語にきょとんと魅朧を見つめ、カグリエルマはうっすらと瞳を細めた。
「姫?なんだよそれ」
「一昔前にな、鬼のように容赦ないソロモンって刑事がいたんだ。そいつが晩餐会に連れてくる娘ってのが、えらい美少女でな。野郎共は全員虜になったんだが、指一本触らせてくれなかった」
「へぇ…。ていうか、中身ホントにカグラさんなのか…」
「当時はマジで少女で通ったもんな」
「深窓のお姫様。一目見たい、一言でも言葉をかけてほしい。全財産なげうってもいいんだ!っつー男共が殺到してたのに、彼女はソロモンの側を離れなかった。その娘の名前が、カーミラ。ソロモンと一緒に消えたと思ってたんだが」
「一般人じゃソロモンに同伴すると、やっかいごとに巻き込まれる危険性があったんだよ」
 三者三様の反応が、一瞬止まる。
「………」
 遠い目のカラスをよそに、魅朧とカグリエルマはお互いに顔を見合わせた。
「お前がカーミラか!?」
「なんで魅朧がカーミラ知ってんだよ」
 魅朧が後退った。一緒にくっついていたカラスは転けそうになったが、無事だったのは後ろから力強い腕が抱きかかえていたからだ。
「あまり騒ぐな。化粧が崩れるぞ」
「う」
 カウンターの内側から出てきたメリアドラスが呆れた声をかけてきた。黒のケープコートを、カグリエルマの剥き出しの肩に羽織らせる。
 この学園の教頭であるメリアドラスは常日頃スーツで過ごしていたが、今はタキシード姿だった。どう見ても夜会に出席するのだろう。しかしカラスには非現実過ぎて、目を白黒させるだけだった。
「わらわの傑作を台無しにしたら、ただじゃすまさんぞ!」
 メリアドラスの背後からひょっこり出てきたのは、家庭科教師のメフィストだ。化粧箱やらヘアセットの道具やらが背後に散らばっているので、一大変身を遂げたカグリエルマはメフィストの手によるものにちがいない。
「大口開けて笑ったりしねぇから大丈夫。ありがとな、メフィ」
「地声で喋るなよ夢が壊れる。気持ち悪ぃな。見ろこの鳥肌!」
「うるせぇよ魅朧。カラス捕まえて早く帰れっつーの!」
「注意したそばから騒ぐでないわっ!」
 ブラシでぽこぽことカグリエルマを殴るメフィストを微笑ましいな、なんて現実逃避したカラスは、ここで漸く、そもそもなぜ司書であるカグリエルマが女装なんてしているのか気になった。一昔前もやっていたということは、趣味なんだろうか。そんな、まさか。見た目はどうあれ中身は大変男らしくてサバサバしていたと思ったのに。
 恐る恐る申し訳なさそうに聞いてみれば、カグリエルマがハンドバッグの中身を点検しながら唇を開いた。
「メリーが呼ばれてる晩餐会が女性同伴なんだよ。こいつの横に見ず知らずの女を置いとくくらいなら、俺が出た方が理にかなってんじゃねぇか」
「男らしいんだか女々しいんだかわかんねぇなお前は…」
「寄ってくる女を堂々と蹴散らせて、ついでにメリーの株も上げれるんなら問題ねぇもん」
「そのために女装もすんのか…。容赦ねぇな」
「抵抗感押し殺すだけの価値はあんだろうと判断したんだ。とことんやってやるぜ」
 どうも女装が趣味なわけではないようだが、本人は大変乗り気だった。カグリエルマらしいと言えばらしい。カラスは乾いた笑い声しかでてこなかった。
「結果がどうなったか、来週おしえてください…」
「来週と言わず俺は見に行きてぇくらいだ」
「魅朧…」
 完全に怖い物見たさだ。招待客がどんな反応をするのか楽しみでしょうがない。カーミラの名とその美貌に、きっと混乱を招くだろう。
 にやにや笑う魅朧に、シルクハット片手に白手袋をはめるメリアドラスが呟いた。
「『レヴィヤタン』の代表者としてなら歓迎されると思うが」
 何かを企んでいるような紅瞳を、魅朧の金瞳が射抜く。
「話が見えねぇなぁ」
「それは残念」
 冬でもないのに、体感気温がぐっと下がっているように感じた。不穏な雰囲気に、助けを求めようとカグリエルマを見つめたカラスは、しかし諦めるしかなかった。興味なさげに微笑んだカグリエルマが、美しすぎて思わず目を反らしてしまう。駄目だ、知り合いだと解っているのに照れてしまう。どうしたらいいんだ。カラスは頭を抱えたくなった。 
「早くいかんと、リムジンのウィラメットが帰ってしまうぞ」
 場を破ったのはメフィストだった。
「化かし合いは夜会でやればよろしかろ」
「そうそ。目の前の美女ほっとくなんて罪深いぜ」
 腕を絡められたメリアドラスが、カグリエルマを見つめてそのこめかみに口付けた。魅朧に対する興味は一気に無くなったらしい。

 カラスが正気に戻ったのは、魅朧のバイクに乗る為のヘルメットを渡されてからだった。

  

学園物の枠がだんだん邪魔になってきた(笑)。カグラはすっかり女装キャラになったな…。
2008/08/28

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