教頭と司書のはなし 1

学園物パロディ

 ああ、また来てる。
 カウンター越しにちらりと窺えば、入り口から死角になるような場所にひっそりと人が居た。黒スーツだが決して喪服に見えないのが、すごいと感心する。
 いつも授業中に現れるので、俺としては仕事をさぼれなくて不満だったりもするが、最近はそうでもなくなった。
 視線に気が付いたのか、顔を上げたその人物と目があった。深紅の瞳が何処か優しそうだと思う。闇より深い漆黒の長髪の、それはそれは整った容姿を持った男だ。
「お茶でも飲みます?」
 そう問えば。
「いただこう」
 簡潔だけれど、嫌味はなかった。立ち上がる姿を視界に捉えながら、カウンターの奥にある休憩室の扉を開けた。貰い物だがなかなか高級な紅茶の缶をあけて、ポットに入れ、お湯をそそいで蒸らす。その間にカップを用意した。
 もう習慣みたいになった、午前11時のお茶。
 生徒の声も聞こえない図書室の、そのまた休憩室でのちょっとした時間。
「カグリエルマ」
 名前を呼ばれて振り向けば、長身の彼は書庫を覗いていた。ドアには鍵がかかっているので閉まっている。
「なんですか、教頭」
 俺といくつも歳が違いそうもないこの男は、紛れもなくこの学園の教頭だった。名は、メリアドラス。校長と瓜二つの姿を持った、だが校長とは正反対の性格をした彼は、仕事の間にはいつも図書室に姿を現した。
「次来た時は、書庫に入ってもいいか?」
「案内しますよ―――と、言いたいところですが、俺もまだ全て把握できてないんですよね」
「…人員を増やしてやろうか?」
「いえ、気儘な方がしょうに合っているので、このままでいいです」
 もしかして仕事が遅いと遠回しに非難されていたのかも知れないと気が付いたが、気が付かなかったことにした。教頭は吐息だけで笑うと、ゆっくりと傍まで寄ってくる。
 少々古いカウチに腰掛けて。低いテーブルに、紅茶のセットを並べた。入れ立てのお茶からはふんわりと湯気が立っている。
「お茶請けとか、気の利いた物はありませんけど」
「…いや、気にするな」
 代々議会議員の家系に育った俺は、一族のはみ出し物だった。物心ついたときには同じく家名を棄てた叔父と暮らしていて、今ではしがない司書職なんかについている。
 まあ、わりとこの職場が気に入っているから文句はないが。
 特に取り柄もなかったが、紅茶の入れ方だけは自慢できると思っていた。実際かなり評判がいい。だが、教頭だけは俺の煎れた紅茶を旨いとも不味いとも言わなかった。ただ黙って、上品に飲んでいた。
 こっそり横顔を盗み見ながら、小さな溜息をつく。怖ろしいほど美形だな、と。
 髪と同じ色の、長い睫毛。精密に創られたような鼻梁に、少し薄い唇。女性的かと言えばそうではない、確かに男性だと感じさせるどこか野性味のようなものがあった。これで華奢なら笑うのだが、平均身長を上回る長身と、着痩せしているがなかなか逞しいだろうと窺える胸板。スーツ映えする身体だと思った。
「…なんだ?」
 そんなに凝視していただろうか。焦っておかしな事を言う前に、俺は正直に答えていた。
「いえ、よく見たらものすごい美形だなぁと思いまして…」
「同じ顔なら、もう一つ転がっているだろう」
 どこか皮肉げに唇を歪めながらメリアドラス。
「同じって…、ああ、校長ですか」
「そうだ」
「いや、違うんじゃないですか?瞳の色が同じでも、見分けられる自信ありますよ俺」
 それは自信を持って、見分けられるだろう。纏う雰囲気が違うのもそうだが、黙って立っていても多分見分けられる。何故と説明はできないけれど。
 何やらメリアドラスはその答えに驚いたらしい。深紅の瞳が一瞬見開いて、次には細められた。
「……そう言えるのは、多くはない」
「そうですか?絶対違うと思うんですけど」
「そうか」
 短い答えは、しかし嬉しそうだった。小さく微笑んだような気がするが、残念ながら突然鳴った内線に気を取られてしまった。
 受話器をとれば、自分に用事ではなくて、教頭はそこにいないかという内容だった。要件を言付かって受話器を置けば、メリアドラスはカップを置いて立ち上がっていた。
「職員室からです。呼んでますよ」
「残念だな」
「仕事なんですから」
「いや、お前と別れることが」
 何、と聞き返そうとした唇は、近付いてきたメリアドラスに塞がれていた。
 パニックに陥る前の、呆然が脳を白くしていた。忘れた抵抗の間に、舌が入り込んでくる。
「…っん…!」
 生々しい感触に、我に返った。
 待て、何故キスしてるんだ!叫びたいが、出来るはずもなかった。背中は壁で、逃げることも出来ない。押し退けようとした手の平は、メリアドラスの腕に縋る形になってしまった。
 膝の力を奪う、情熱的な口付けだ。普段の彼からは想像もできないような激情が混じっていて、ただ受け入れるしかできない自分が居た。どれくらいそうしていたのか、実際にはほんの短い時間なのだろうが、とてつもなく長く感じる。舌を絡める音が室内に響いていて、自分が何をしているのか思い知らされた。
「は……、…ふ」
 ちゅ、と名残を舐め取られ解放された時には、ずるずると床に崩れ落ちていた。あまりのことに、理解が追い付かなくて泣きそうだ。
 去り際のメリアドラスが掠れた低音で「また来る」とだけ残していった。
 たった独りになった室内で、カグリエルマはらしくもなく赤面しつつ、それを隠すように頭を抱えてパニックと戦わなければいけなくなった。

  

20041022

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