- Knight of Mercenary -

Koerakoonlased

 自室へ戻ったミラビリスは、待ち構えていた男の満面の笑みを直視し、硬直した。
 酒気が一気に抜けていくのが自分でもわかる。これでも精一杯早く帰ってきたつもりだ。職柄や貴族として、叙任式後の付き合いが色々と長引いた。フォローもあった。色々と弁解したい言い訳はあるのだが、ミラビリスはぐっと押し黙った。
 男――ユージーンは、怒ると笑う。純粋な笑顔との差は、最近漸く判別が付くようになったのだが、恐らく他人が見ても分からないだろう。
「おかえり、ミラ」
 穏やかなバリトンに騙されてはいけない。放って置くと手酷いしっぺ返しを食うだろう。ミラビリスは小さく「ただいま」と答えた。
 外套を脱いで椅子の背にかけながら、雪のような白髪の美丈夫を見つめる。ソファに座るユージーンは、いつもの民族衣装風ではなく、この国の煌びやかな衣装を纏っていた。狼の毛皮で縁取られたコートはどことなく軍式ではあるのだが、彼は軍人では無かった。むしろ地位は国王に次ぐと言って過言ではない。
 世界の強国に名を連ねるカーマ王国、魔と剣技で馳せる国民の中で飛びぬけて異能を持った者が居る。魔具に選ばれし者は特別な階級でもって騎士位を授かる。その中でも剣術に特化し、使い手として最高最強の地位にあるのが、騎士位金剛、『剣聖』という。
 剣聖は国王を除いて最も誉れ高く、また畏怖すべき存在だ。国と王家と民を護り、軍と政と場合によっては司法にまで介入出来る権限を持っている。
 カーマ王国はしばらく剣聖が出現しなかった。しかし数百年ぶりに現れた剣聖は、その忠誠をひとりの人物に捧げていた。血に流れる魔の本能を簡単に無視してのけた姿勢は国にとっては青天の霹靂で、国家上層部は未だに頭を抱えている。国王の暗黙の了解があるので大事に至っていないが、忠誠を誓われた人物に近しい者達は既に諦めていた。
 剣聖ユージーン・ウルフは、ミラビリス・マクミラン個人に忠誠を捧げた。
 そのミラビリスは、ばつの悪い表情で小さく呟いた。
「悪かったな…」
 何に対しての謝罪なのか、そもそも謝罪であるのかすら微妙な呟きは、下がった柳眉のお陰で愁傷に見えた。
 ユージーンは面白そうに口角を上げる。
「自覚あるんだ?」
「学んだ」
 そう、学んだ。色々と。
 赤く光る黒髪と、赤紫の瞳。顔の左半分を飾る霊印は高位魔力保持者の証。第三分家マクミラン家の長子ミラビリスは、自分の持つ王族としての力などこの男の前では意味が無いことを知っていた。
「ミラにお願いされたから、見世物になってきたのに。傷ついたな」
 ユージーンは傭兵だ。元々はマクミラン家に居たのだが、子供時代にミラビリスと別れて国外を旅していた。その所為でカーマでは当然と言えることに疎い。
 見た目も、そうだ。カーマ人らしい黒髪だったのだが、悪魔の呪いを受けて体毛が正反対の白に染まっていた。
「見世物…。剣聖叙任式だぞ。市民向けの簡易版には違いないが、皆ずっと期待していた」
「他人はどうでもいいよ」
 笑っているけれど笑っていない。
 ミラビリスは学んだ。
 最近になって漸く、この年上で幼なじみであまつさえ剣聖にまでなってしまった男の扱い方を。手探り状態ではあるが、有る程度のパターンを掴んだ。
「俺が見たかったんだ。お前の叙任式だぞ。何度見ても誇らしいことに変わりない」
「ミラの騎士として誓わせてくれたのなら、文句なかったのに」
 ユージーンは矛盾している。こういうときミラビリスは思うのだ。
 彼は大勢の上に立つことも従わせることも嫌いで、その逆なんてまっぴらだと思っている。王侯貴族はクソ食らえまでは行かないが、その程度のことは平気で思っているし口に出す。
 けれど彼はただミラビリスの為ならば、その膝を易々と折るし、心底敬って指先に口付け、自分が得たくもないと思っていた地位と権力でもって、ミラビリスを護るのだ。
 王に次ぐと讃えられ、その畏怖なる力は他国にすら謳われる剣聖が。今生カーマでは尊ばれるべき剣の使い手が、王族とは言えたかだか分家の長子に縛り付けてくれと願っている。
 ミラビリスは学んだ。
 誰よりも自由を願う筈の狼は、その実、飼い犬の首輪を願っていると。
「あまり俺を困らせるな、ジーン」
 少し強めの口調で言ってやれば、ユージーンの眉が下がった。
「戦時中ならいいのにね」
「ジーン」
「ミラに命令されて戦場を駆けるんだ。君の牙として。震えるほどの快感に違いない」
「…ユージーン」
 剣聖になる前はそうだった。自由に戦場を駆けていた。それを奪ったのは紛れもない自分だ。幼い別れと共に負い目だと感じているミラビリスは、ユージーンの名を呼ぶ以上の咎めは出来なかった。
 ミラビリスは、学んだ。
 彼を飼い殺しにしたのは、自分だ、と。
 唇を噛んでそれ以上を語らないミラビリスに、上から見つめていたユージーンは怒りの笑みを解いた。儀礼で学ばされた正式の礼ではなく、マントを翻してただ片足を跪く。彼にとっては国民の前でやらされた式典など、取るに足らない事だった。これから誓う事こそ真実だ。
 いつも見下ろしている漆黒の瞳が、今は真下から射抜くほどの強さでミラビリスを見つめていた。
「俺の血も肉も魔も魂も、君に出会った時から君だけに捧げると決めてきた」
 左手の人差し指、誓いを表す場所に輝く金剛石を戴いて、ユージーンはミラビリスの指先を取った。傭兵の忠誠は金で買える。しかし彼は今、傭兵ではなくただひとりの騎士だった。
「俺が持つものは全て君のために。親兄弟王族だろうと殺してみせる覚悟は嘘じゃない。俺の、忠誠と愛を、剣に誓って捧げる」
 ユージーンの自由を奪った罪に対する罰は、彼の人生そのものを背負うことだ。
 剣を扱うことを知らず、絶大な魔力をその身に宿したミラビリスの、細く優美な指を握り込んで、生きとし生ける何者より尊い代物だと口付けた。
 この指先一つで縛り付けて欲しい。ただその歓びだけで、主を喰らう我慢が出来る。愛おしすぎて狂いそうな激情は、巧妙に隠し通してあげるから。
「いつも側にいる。いつまでも君を護る」
「…見返りは」
 ミラビリスは震えそうになる声を何とか押さえつけた。剣士に忠誠を誓われる機会など皆無だ。対処方法は全く解らないけれど、魔力か本能かそれともただの感情からか、体の芯が痺れるような感覚を味わっていた。
「君を貪りたい」
 意味を計りかねた。危険さは変わらないが、どう解釈すべきか。眉根を顰めたミラビリスを射殺しそうな微笑で見上げたユージーンは、彼の指先にもう一度軽く口付けて、今度は力任せに手首を引いた。
「…ッ」
 倒れ込んでくる細い体を抱きしめて、その背を折れそうなほど抱きしめる。驚愕に開かれた唇を奪い、逃げを許さずに舌を差し込んだ。抵抗など易々と押さえ込める。飢える心を見せつけるような激しく淫蕩な動きで口腔を犯し、ミラビリスが握りしめた指の力が抜けるまで繰り返した。
 漸く解放しても離れがたく、濡れた唇を何度も舐め取った。顔の半分を彩る霊印にも愛おしさを込めて触れる。
「好きだよ、ミラビリス」
 混乱と驚愕から立ち直ったミラビリスは、凶暴な動物に懐かれたような気分になった。きっとこの獣は自分が裏切らない限り絶対に牙を剥かない。
「…お前の忠誠を受けよう」
「忠誠だけ?」
「……それ以外も、全て」
 照れ隠しに顰め面をしたミラビリスが愛おしい。五つも年下の男に骨抜きにされているなど、昔の傭兵仲間が知ったらなんて罵りと笑いを受けるだろう。捧ぐべき主が居ない者の戯れ言など歯牙にもかけないけれど、ほくそ笑まずにはいられない。
「ユージーン、そろそろ離せ」
「ご褒美くらい欲しいな」
「……」
 ミラビリスは天を仰いだ。
 どうか行く先が波乱に見舞われませんように。

 

***

 

 同時刻。カーマ国王私室にて。

「あの青年の眼を見たかい?クラマス」
「黒天師団最高騎士でもある私は、儀典で憤死しそうになったわ」
「そうかい。私は苦笑を漏らさないようにするので必死だったよ」
「貴方っていつもそう。楽しければいいんだもの」
「楽しく生活出来るに越した事はないよ。国も、民も。……あれは血を求める狂犬だ。制御できるのならば、主導権が私に無くても構いはしないさ」
「M2が手綱を引き間違えることがあったらどう責任を取るつもり」
「マクミランはそれほど誇りが低くはない。あの子は狂気の血を受け継いでいるけれど、虚勢で正気を保っている。いい飼い主になれるだろうさ」
「そう願うわ。この私を負かしたんですもの。野放しにされたら誰もあいつを殺せない」
「怖いね」
「私は貴方の妻である前に、この国の騎士ですもの」

 国王と王妃は、テラスの眼下に広がる、明かりが灯り始めた城下をひたと見つめていた。

  

飼い主の手を噛むんじゃなくて、甘噛みして舐めるタイプ。
2008/10/08

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