別離方異域 1

The Majestic Tumult Era "If it separates here..."

もし捕まえておけなかったら
もしここで離してしまったら
もし、貴方を愛していなければ…

***


 王立士官学校は、国立の学校と違って制服があった。
 無事卒業が出来れば赤天か黒天の二師団のどちらかに入軍が決まる。赤天は赤、黒天は黒を基調とした軍服で、それの中間に当たる臙脂が指南役及び師団長以上が纏うことが出来る色だった。赤闇は王家の色。
 軍人としても武人としても未熟な学生は、濃いめの茶色い制服だった。
 将来軍人となるので、着崩しは許されていない。白いシャツに深緑のネクタイ。膝丈まであるジャケットに同色のズボンとベスト。簡易的なフロックコートのようなデザインのそれは、この国の学生達が羨むデザインだった。
「珍しっ、カーシュが学校来てるよ」
「どういう意味だそれは」
「お前、前期ほとんど来てなかっただろ」
 教室につくなり、幼なじみで親友と言っても過言ではないラージャ・タンジェリンが笑いながら近付いてきた。
 カーシュラードは第四王家クセルクス家次男であり、正当王家との婚姻権を持った立派な王族だ。王家の者が多く通う王立学校とはいえ、民間人が入学できないわけではない。ラージャは商人の息子である。同じく次男坊であり、家督相続からのがれる為に軍人になった。
 尖った耳と、細長い瞳孔というカーマ人特有の特徴を兼ね備えてはいるが、その色合いは赤や黒ではなくて焦げ茶に近い。対するカーシュラードはやはり王家の者であり、深紅の髪に黒曜石の瞳という配色だった。正当王家の人間は赤闇の髪と瞳が多く、分家であるクセルクス家も例外ではないのだが、カーシュラードの場合少し特殊だった。
 父親は現頭首カラケルサス。カーシュラードと同じ深紅の髪に赤闇の瞳を持っている。兄はカレンツィード、父から譲り受けた赤闇の瞳と、母から受け継いだ黒い髪。次男であるカーシュラードの母親は、カレンツィードの母親とは別人だった。
 不慮の事故で亡くなった義母の後妻に入ったのは、人間ではなくダークエルフだった。甘栗色の髪と黒曜石の瞳。その小麦色の肌は紛れもないダークエルフ。魔神の血を引いているカーマ人は他の人間より魔力が高い傾向にあるが、それを遙かに凌駕する魔力と戦闘能力を持った長寿種。それがカーシュラードの実母だった。
 普通より少し長めの耳と黒曜石の瞳が、母から受け継いだ身体特徴だった。
 自分が生まれて16年。昔は色々と囁かれた母親の話だが、その噂は日々下火になっていて、今では詮索されることもない。もちろん王家の噂が民間人に触れるわけもなく、ラージャはカーシュラードがハーフエルフであることを知らなかった。教える必要もなかった。いい加減長い付き合いなので、今更カーシュラードがエルフの血を引いていようとラージャにとっては関係ないが、カーシュラードはあえてそれを蒸し返すことはしなかった。
「家庭教師に言われたんだ…」
 ばつの悪そうな顔で言うと、ラージャが吹きだした。
「うわっ、家庭教師!お前見てると王族って感じしなかったけど、やっぱなにげに王子サマなんだな、お前」
「王子サマ…?気持ち悪いこと言うなよ、鳥肌が立つ」
 王家との婚姻資格は家柄だけではない。その血が濃いほど優遇される。その点でカーシュラードは継承権が無かった。家督は兄が継ぐだろう。束縛されず気儘なほうが自分の性に合っている。
「つうか、お前成績いいくせに、なんで家庭教師?」
「あの人に言わせたら、僕はまだ未熟なんだそうだ」
 自負していた魔力も剣技も何一つ勝てなかった。それが悔しいことに代わりはないが、あの笑顔を見てしまうと、負けても良いと思えるのは何故だろう。
「……お前が未熟なら、俺は何だ。マジへこむなそれ…」
「いや、あの人が強いだけだ。ギュスタロッサの剣を持ってるから」
「は!?なっ…ちょっと待て!」
 大声を出してしまったラージャは、慌てて声を潜めた。
「ギュスタロッサの剣を持ってるッてことは、少なくともなんかの『位』にいるんだろ?」
「本人は言わないけど、多分な…」
「ちなみに名前はなんつーんだよ。俺、詳しいぜ」
 真面目腐って尋ねてくるラージャは、本当にこういうことに詳しい。歴代の剣豪や現代の剣位者のマニアといっても良いだろう。ちなみに、民間人と王族の間には身分という壁がああって、カーシュラードとラージャのような気さくな関係を気付いていることは殆どない。本来なら何らかの敬意を示そうものだが、ラージャは下心を込めてカーシュラードに親しく接している。
 カーシュラードは将来、絶対に名だたる剣豪になるだろうと、確信しているからだ。そんな剣豪が親友だと、将来自分の子供達に威張るのが目下の所の夢だった。
 カーシュラードはそのことに薄く気付いているが、血筋ではなく実力に惚れ込んでいることを理解しているので、余計にラージャが嫌えなかった。王族に親友ができることは希だ。親友というより悪友に近いこの関係が心地よかった。
 家庭教師がただ者ではないと知ったラージャは、焦げ茶色の瞳を輝かせながらカーシュラードの言葉を待つ。
「ヴァリアンテ・ゼフォン」
 告げられた名前に、ラージャはあんぐりと口を開いた。
「アホ面さらすなよ、ラージャ」
「うるせえなッ!ヴァリアンテ!?本当にヴァリアンテっつったか?!俺の聞き間違いじゃないよな!?」
 周りに聞こえない程度に声は抑えているのだが、如何せん興奮は隠しきれない。
「あの最年少“紅玉位”のか!?今一番“金剛”に近い人じゃねぇかッ」
「ああ、そうだったのか。通りで勝てない」
「勝てるわきゃないだろ今のお前にゃッ!ああッくそッ!王族が憎い!どうしてお前があの人に会えるんだ!!俺達なんか授業じゃなきゃ会えないんだぜ!?」
 半ば本気でカーシュラードの胸ぐらを掴んで悔しがっていた。
「そういえば、ゼフォンって今の金剛位と同じ名字かと聞いたら、養子だとかなんとか答えてたな」
「何呑気に話してやがるッ!いいか、カーシュ!今度絶対に俺を連れて行け!あの人と話させろ!!」
 血走った目で告げてくる親友をなだめることすら忘れて、カーシュラードはヴァリアンテのことを思い出した。
『基礎が身に付いていないと、応用したときにボロが出やすい。せめて学校くらいは真面目に通いなさい』
 父に言われても了承しなかったのに、何故かあの人に言われて素直に登校している自分がいる。
 思い出すと、あの小綺麗な顔が見たくなった。学校の帰りにでも会いに行こうと決めた。

***

 城下町の一角。商店の多い大通りの雑貨屋の二階がヴァリアンテの自宅だった。王立士官学校の制服を着たまま商店街を歩くのはいささか目立つが、自宅に帰る時間が惜しい。
 扉に付いた金具を三度叩くと、中から声が帰ってきた。
「どちらさ…ああ、君か」
 カーシュラードをみとめた途端、優しげな笑みを浮かべたヴァリアンテは、そのまま扉を開いて中に迎え入れた。
「懐かしいなぁ、その制服。ちゃんと学校通ってるんだ、えらいね」
 ポットでお茶を沸かしながら。
「アンタも王立通ってたんですか」
 どこか不遜な丁寧語。本当はこっちのほうが話しやすい。『友達に気兼ねすんなよ』と親友が嫌そうな顔をするので、ラージャの前だけは幾分それは崩れているが。
「国立通ってたんだけどね、先生が編入を進めてくれてさ。出世払いじゃなかったら通えなかったろうけど」
「出世払い…」
「うん。お陰で未だに家計は火の車」
 まったく気負いなく笑う。
「紅玉位なのに?」
「あははは。位があったほうが稼ぎが少ないんじゃないかなぁ?どこに言っても仕事断られちゃうし。正直、君のお父さんがこの話を持ってきてくれて助かったんだ」
 マグカップにミルクティを入れて。
 湯気起つそれを受け取って、カーシュラードはネクタイを緩めた。
「指南役見習いって給料低いんですか?」
 尋ねながら、もう癖になった煙草を銜える。16歳の少年が持つにしては高級なジッポーで火を付けて、ゆっくりと吐き出した。
「うちに灰皿ないんだから、遠慮しなさいよ」
 苦笑しながらも、ヴァリアンテは小皿をだした。ヴァリアンテは、許してくれる。匙を投げたような甘やかし方ではなく、ちゃんとカーシュラード自身を見て甘やかしてくれた。それがどんなに嬉しかったか、この人は気付いているだろうか。
「アンタの実力なら、見習いなんてすぐやめれるでしょうに」
「…そういう訳にもいかないんだよ。私は軍人であって軍人じゃないからね、いろいろ複雑なんだ」
 マグカップをすすって、ヴァリアンテは珍しそうにカーシュラードを見つめた。
「どうしたの。いつも私のことなんか聞かないのに」
 どこか嬉しそうに。後ろの襟足だけ長い甘栗色の髪が揺れ、赤闇の瞳に優しさが広がっている。
「別に。友達にアンタのこと言ったら、異様にはしゃがれたんで興味が出ただけです」
「同級生?」
 ええ、と曖昧に答えると、ヴァリアンテは苦笑した。
 嫌われているのかな、と思う。初対面が悪かったわけでもない。どちらかといえば、カーシュラードが一方的にヴァリアンテを煙たがっているように見えた。
 しかしそのわりに、カーシュラードはヴァリアンテの話をよく聞く。反抗、というわけではないのだが、気を許しているわけでもない。嫌いではないだろう、だからといって好かれているとも思えなかった。
 できれば、仲良くしたいのだけれど…。
 ヴァリアンテは聞こえないように溜息を付く。
「今日は勉強する日じゃないけど、どうする?図書館にでも行こうか?」
 夕暮れには幾分時間が早いから、きっとまだ開館しているだろう。
「古文書が読みたかったら、私がいれば読むことができるよ?それとも、剣の手合わせでもしようか」
「アンタ、非番なんじゃないですか?」
「まぁね」
「時間外労働なんて割に合いませんよ」
 カーシュラードは年の割に口が達者だった。すぐ上の兄と歳が離れていることもあって、その環境からか同年代の子供達よりはかわいげがない。
「別にいいんだよ。好きでやってるんだから」
 わざわざ気を使ったのか、それとも学業に従事したくなかったのか定かではないが、ヴァリアンテは努めて優しい笑みを浮かべた。
 その微笑を眺めながら、カーシュラードは胸中で舌打ちする。
 非常勤講師として教壇に立つときも、彼は生徒へ優しい笑みを浮かべていた。自分はその他大勢となんら変わることがない。そう思うとカーシュラードは面白くなかった。
「やっぱり、帰ります」
「……は?」
「お茶をごちそうさま。それじゃ、また来週よろしくお願いします、先生」
「え…ちょっと、カーシュっ!」
 混乱混じりに引き止めるヴァリアンテを無視して、カーシュラードは部屋から抜け出した。
 訳も分からないイライラを抱えながら帰宅し、捨てるように制服を着替えて、その足でまた街に出た。行き慣れた花街に近付く頃には、少し気持ちは晴れていた。

***

「自己流の型を身につけるのは悪い事ではない。でも、基本を全く知らないのに我流だけで成長できるとは思わない方がいい。本を読むためには言葉を知っていなくてはならない。それと一緒だよ」
 剣技訓練の休憩時間に、ヴァリアンテは語った。
「それに、武器の大きさや重さが強さを決めるのではないことも覚えた方がいいね。大事なのは、自分の能力を一番生かせる武器だ。君たちは格好良く見せるために剣を振るうのではなく、効率よくそして迅速に敵を殺す為に剣を振るう。
 ダガーを使う者がバスタードソードを使う者に勝てないという事は決してない。その武器をどうやって使うかが大切なんだ。最後に立ち上がるのが自分でなくてはいけないからね」
 静かに耳を傾ける生徒達をぐるりと見渡して。
「今はまだ厳しいことは言わないよ。どれが自分の性に合うのか、じっくり確かめればいい。しかし武器を決めてしまったら、そこからが大変だ。
 私は主にブロードソードを使っているけど、レイピアやカットラスやサーベルが使えないってわけじゃない。さすがにバスタードソードやトゥハンドソードは体格的に使わないけれど。それでも、戦場で武器が折れてしまったらそれを使う。使えない、ということは許されないんだ。必ず使いこなさなければ、君たちは士官には成らない方がいいだろう」
 優しい笑みを浮かべてはいるが、その言葉の内容に生徒達は唾を飲み込んだ。
 どこか蠱惑的な指南役はまだ休憩時間が余っていることを告げると、途端に生徒達は口を開いた。自分はどの武器が得意だとか、この武器は使いにくいとか、いろいろな武器を手に取りながら。
 それを遠くで眺めながら、ヴァリアンテは薄くほくそ笑んだ。
 あと二ヶ月もすれば、きっと生徒達は笑えなくなるだろう。
「…………悪趣味ですね、アンタ」
 出会った頃より少し身長の伸びたカーシュラードが、ヴァリアンテを見下げていた。
「嘘は言ってないつもりだけどね」
「ああやって笑顔で笑いかけておいて、そのうち絶対突き落とすんでしょう?生徒を虐めるのは止めなさい」
「おいっ!カーシュ!先生になんて口の利き方してるんだ!!」
 剣豪フェチのラージャが、親友の背中を力一杯どつく。
「私は上官じゃないから、気にしなくていいよ、タンジェリン君」
「うわっ俺の名前覚えてくれたんスか!?ラージャです!ラージャでいいっす!」
 そばかすの残る顔を朱に染めて、ラージャがはしゃいだ。
 その様子を眺めながら、カーシュラードは呆れてしまう。べつにそこまで緊張する相手でもないだろうに、と。
「先生、ブロードソード得意なんですか?」
「そうだね、どちらかと言えばコリシュマルドなんだけど、元を正せば同じだからね」
 剣帯に下げられている二本の剣を軽く叩いて、ヴァリアンテは頷いた。この二本の剣こそが、カーマ史上最高の刀匠が鍛え上げた剱の一つである。
「ギュスタロッサの剣っスね。うお、初めて見た…」
 まじまじと赤と黒の配色を戴いたその二本のコリシュマルドを見つめている。
 ギュスタロッサの剣。遙か昔に鍛えられた、莫大な力を秘めたそれは、なかなかに高潔な剱だった。鋼達は主を呼ぶ。自らを使うに相応しい人間を、呼ぶのだ。ヴァリアンテは18歳のとき、“紅玉”位とともにギュスタロッサの剣を手に入れた。二刀流の彼に相応しい、赤と黒を帯びた二本のコリシュマルド。銘はパイモン。
「滅多に使わないのに、それ下げて訓練なんて邪魔じゃないですか」
 短剣の類とは違う、両側に一本ずつ下げていたらさぞ邪魔だろう。
「手足みたいな物だからね。それに大事な相棒だし。滅多なことが無い限り私はいつも側に置いておく。まぁ………君もその内わかるだろうけど」
 最後の言葉だけ聞こえないようにぼそりと呟いて。
「それに、滅多に使わない訳じゃないよ。イラーブルブ様と鍛錬しているときは、この剣じゃないと話にならない」
 ヴァリアンテの実力は、5年で飛躍的に伸びた。既に“金剛”位イラーブルブと対等に戦い、時にうち負かすことが出来る程だ。“金剛”を得るのは、時間の問題だろう。
「どうせならこの授業でもそれを使えばいいのに」
「あのねカーシュ君、君たちが使っている剣は確かに量産品だけど、軍備の一部なんだから耐久性はかなりいいんだ。それでも、ギュスタロッサを使ってしまえば練習なんかじゃなくなる。君たちが使っている剣を粉々に粉砕できるだけの力があるからね」
「ああ、それで抜かなかったんですか」
「そう。さて、そろそろ休憩時間が終わるかな」
 優雅に立ち上がったヴァリアンテに、ラージャがにじり寄ってきた。
「先生っ!最後に質問いいっスか?」
「どうぞ、ラージャ」
「俺に合う武器って何だと思います?!」
 焦げ茶色の瞳を輝かせて。
「一つづつ自分で確かめていくのがいいけれど、ヒントくらいはあげられるね。君はなかなか俊敏に動けるんだから、わざと長い剱を使わないで、試しにバゼラードとかペシュカドなんかを使ってごらん」
「はいっ!」
 勢いよく返事を返したラージャは、本当に嬉しそうだった。その様子を後目に見ながらヴァリアンテはどこかつまらなそうなカーシュラードに声をかけた。
「カーシュ、君はカタナだ。騙されたと思っていいから、ロングソードを手放してカタナを握ってみなさい」
「ロングソードが一番使いやすいですが」
「いいから。私の目に狂いは無いよ。君の技はカタナを使えば確実に生きてくる」
 優しそうなことには変わらないのに、ヴァリアンテの瞳は真剣だった。 
「………気が、向いたらね」
 くるりと背を向けたカーシュラードは、生徒の輪に戻る直前につまらなそうに呟いた。戸惑うラージャも両方の顔を見比べながら戻っていく。
 ちっ、と舌打ちしたヴァリアンテは、滅多に見せないしかめ面を浮かべた。
 これは一筋縄ではいかなそうだ。

  

カーシュの親友ラージャ氏の口調が非常によく解らないです(笑)。今時っぽい(?)話し方をめざせ。
カーシュは本来、かなり砕けた丁寧語。でも不良(笑)。
ちなみに題名の読みは「べつりまさにいいき」。意味は最終回にでも。
2003/12/20

copyright(C)2003-2008 3a.m.AtomicBird/KISAICHI All Rights Reserved.