カーシュラード

The Majestic Tumult Era "Karsurard Kcellks the 4th "the DIAMOND"warrior [age 16]"

「口先だけのガキが。俺に勝とうなんざ十年早いッ!」
 きぃん…。
 手にしていた長剣が弾き飛ばされる音を、カーシュラード・クセルクスは唖然として眺めた。
 腰にさした二本の剣のうち、黒い方の剣を鞘に収め、カーシュラードを見下ろす甘栗色の髪の剣士は冷酷そうに髪を掻き上げた。

***

 夜闇に紛れながら、ヴァリアンテは屋敷を後にした。

 カーマ王国首都、王族の屋敷が数多く建つ城下の一角に、第四王家クセルクス王家の分邸があった。クセルクス家は本来首都カーマの南側に位置するクセルクス領に、本宅である城がある。クセルクスの現領主はカラケルサス。カルマヴィア家と婚姻するための地位は第四番目。だが、カラケルサスは既に他の王家から妻をめとり、二人の息子が王都で暮らしていた。
 
カラケルサスは王家筋にしては地位に無頓着だったが、忠誠心だけは厚かった。一人息子であるにもかかわらず、若い頃に無謀ともとれる旅をして、生涯愛を貫く女性と出会ったのだ。
 彼女が王族であれば何の問題もなかったのだが、彼女は人間ではなかった。ダークエルフ、ギラーメイア。甘栗色の髪、黒曜石の瞳と輝くばかりの小麦色の肌、人にはない絶世の美しさと強大な魔力とを持ち合わせた聡明な美女であった。二人は激しい恋に落ちたが、ギラーメイアはカラケルサスを人の都市に帰してしまう。『紅蓮の魔神』を崇拝するダークエルフは、その血を持った人間の血統を絶やすことがどんな惨事を招くか良く知っていた。
 泣く泣く都市に帰ったカラケルサスだが、ギラーメイアを心に留めながらも新しい恋を見つけ、長男であるカレンツィードが生まれた。カレンツィードが物心つく前に、妻である十五王家の王女リリディアナが事故死してしまい、悲しみに暮れたカラケルサスはギラーメイアを探すことを決意した。
 運命に引き合わされたかの如くカラケルサスはギラーメイアと再会し、今度はギラーメイアを王都へと連れ帰り後妻として迎えたのだった。そのときの子供が次男カーシュラードである。カーシュラードが生まれた喜びも束の間、ギラーメイアは重大なことを人間の夫に告白した。初めて出会い恋に落ちたとき、カラケルサスが王都に帰って身籠もった子供がいることを。その子はダークエルフの仲間達から反発され、仕方なく王都の孤児院に置いてきてしまったことを。

 ヴァリアンテと名付けられた子供は、王都の孤児院で程なく見つかったが、戸籍を書き換えるにはいささか遅すぎた。七歳のヴァリアンテは初めて父と対面し、たいそう喜びはしたが自分が王族になることは拒んだ。カラケルサスはしつこくヴァリアンテに援助を申し込んだが、妻にそっくりな自分の長男は頑として首を縦に振らなかった。
 輪をかけて悲しむべき事に、ギラーメイアはやはり人間の暮らしが性に合わず、息子と夫を置いて自分の住処に戻ってしまった。どちらも会いたくなれば会いに行けるとはいえ、三人の息子達は母親の性格をろくに知りもしないままその絶世の美しさだけを脳裏に焼き付けるのだった。

 カーシュラードが16歳になった初夏のことだ。自分の血にダークエルフのそれが混じっているせいで、王位継承とはなんの関係もなく自由奔放に親に甘やかされるままに育ったカーシュラードは、いつものように酒場街から分邸に帰るところだった。
 王立士官学校の一年に入学したのは春のことだが、授業にはまともに出席してはいなかった。他人に、親兄弟に誉められる程に魔力と剣術が巧みであることは、実はカーシュラード本人が一番良く知っていた。文官として魔術師として優秀な実兄カレンツィードは、王立大学を好成績で卒業している。優秀な兄に比べ文学より武学に秀でた弟は、武系の士官学校を選んだがそれとて兄の影がちらついて、ぷつりと何かが切れたように冷めてしまった。放校にならないのはひとえに家名と寄付金のお陰だろう。実の父であるカラケルサスは怒りたいのもやまやまだが、自分と全く似たような行動をする次男を責めることはできなかった。


 丁度良く酒が回り、他人を抱いた後の倦怠な充足した身体。治安の悪い酒場街でごろつくガラの悪い者達は、年若いカーシュラードを見ても絡むことはない。カーシュラードがどれだけ強いのか、この辺で遊んでいる者達は身に染みて知っていた。
 治安の良すぎる自分の家まではかなり歩かなければならない。闇夜にさえ映える深紅の髪と漆黒の瞳で真上に小さく輝く月を眺めながら、満足しきった気持ちで歩いていたカーシュラードは、数人の男達の卑猥なかけ声を聞いた。
 自分の力に自信のあるクセルクス家の次男坊は、迷うことなく声のする方へと足を向けた。
「二千でどうだ?四人がかりで満足させてやっからよ」
 歯軋りするようなざらついた声に、酒の混ざった笑い声がする。四人の達悪い男達の真ん中には、闇夜に紛れるような漆黒のマントを目深にかぶっている小柄な人物がいた。
「怪我をする前に、その手を退けなさい」
 アルトの音質は断固とした口調だった。
「いきがって可愛いねぇ。俺達が笑顔の内にその綺麗な顔を縦に振らなきゃ、二千で足りない身体にしちまうぜ?」
 下卑たセリフは漆黒のマントの人物以外にカーシュラードの気分さえ害した。カーシュラードが声をかける一瞬前、マントの人物が身を引くのがわかったが、それが戦闘体勢にはいるのだとはその人物以外把握した者はいなかった。
「何やってる?」
 男達はカーシュラードの知らない人物だった。絵に描いたようにガンをつけてくる四人は、懐からナイフを取り出してカーシュラードに凄んだ。
「てめえこそこんな夜中に何やってんだ?お子さまは早く帰ってくそして寝ろ」
 脅しにしてはちゃちなセリフを吐いて、マントの人物の方に腕を回した。
 男達が次の行動に移る前に、カーシュラードはたった一歩の間合いの詰めで二人の男を弾き飛ばした。高位魔力を保有している剣士だけができる抜刀術。カーシュラードは剣を使わずにそれをやってのけたのだった。
 瞬間呆けた残りの男は、倒れた仲間の姿をちらりと見ると、仲間を置き去りに一目散に闇に消えていった。
「大丈夫ですか?」
 マントの人物に近づくと、深く被ったフードからカーマにしては珍しい淡い茶色の髪が覗いていた。
「ご親切にどうも」
 ばさりとフードを後ろにやった人物は、恩人ににこりと微笑んだ。それは自宅に帰る途中のヴァリアンテだった。限りなく“金剛”に近い“紅玉”位の剣士であるヴァリアンテにとって、先程の輩を殺す権利があった。非有効下で剣を抜くことは、剣士にとって勝負を挑まれたに等しい。だがどれだけ隈俗で自分に無関係であろうとも守るべき自国の民を傷つけるようなことはしたくないのがヴァリアンテの心情だ。
「こんな夜中に一人で歩いていたら、さっきのようなゴロツキに絡まれますよ。送っていきましょうか?」
 月光に照らされる美しい顔は、性別を判断する要素を殺していた。欲目半々に、カーシュラードはマントの人物に尋ねたのだが、
「君こそ早く帰った方がいいよ?もう深夜を過ぎてるから」
 闇に溶ける微笑を残してヴァリアンテは隙無く去っていった。
 それがエルフ族特有の蠱惑的な笑みだと知らないカーシュラードは、ぽかんと口を開けてただ後ろ姿を見送ることしかできなかった。
 ヴァリアンテが実の兄だと知らないカーシュラードは、行ってしまった人物の姿を反芻しながら帰路に就いた。
 一方初めて間近で実弟を見たヴァリアンテは、その成長ぶりと偶然に、漏れる笑いを隠せずに自宅へと急いだ。

***

「カーシュの家庭教師をしてもらえないか?」
 深紅の髪に白いものが混じっているカラケルサスは、軍服を着込んだ実の長男を上目遣いで見やった。
「クセルクス卿ともあろう方が、そんな情けないしゃべり方をしないでくださいよ」
 父の困り果てた表情に苦笑するヴァリアンテ。
「父上と呼んでくれていいのだぞ?一体いつになったら私を後継人にさせてくれるのだ」
「後継人はイラー様がなさってくださいましたのでご安心を。それより、カーシュラードにどうして家庭教師が必要なんですか?」
 父親の嘆願をさらりとかわすヴァリアンテは、クセルクス分邸の主賓室で暮れかかる夕日を眺めていた。
 本来自領にいるはずのカラケルサスは、折を見てちょくちょく王都へと帰ってくる。戸籍上の長男である後継者カレンツィードが補佐をしていることもあるが、領主の部下達がそろいもそろって切れ者揃いなのも大きな要因だ。
「あの馬鹿息子、学校も行かずに日々遊びほうけて、何も学ぼうとしないのだ。ギラーメイアに似てきたお前と違って、姿と性格が次第に私に似てきてぞっとするわ。私でさえありありと解る魔力を持っていながら、あれでは宝の持ち腐れ。継承権が無いとはいえ、何とか開花させて城に召し上げさせたい」
 がっくりと肩を落としてカラケルサスは重い溜息を吐いた。
「貴方が甘やかすからですよ。私としても、いくら才能があるからと言って向学心のない者を教える気にはなれない」
「……給料は一月20銀貨。紙幣じゃないぞ。確かお前、指南役見習いの安月給で奨学金の支払いが滞ってい――――」
「わかりました」
 頬を引きつらせながら、ヴァリアンテは手帳をめくる実父を睨み付けた。
「たぁだぁし、本人にその意思がない場合は契約破棄ということで。いくら私でも、可愛い弟に無理強いはさせたくないですから」 
「うんうん。お前が見てくれるなら安心だ。これで心おきなくギラーメイアに会いに行けるわ」
 このくそ親父…。喉まででかかった言葉を飲み込み、ヴァリアンテは肩を落とした。
 実際、“紅玉”剣士としての地位は周囲から賞賛されているが、カーマの誇る剣豪“金剛”位のイラーブルブ・ゼフォンの師事を受けて指南役見習いに就職してみれば、一士官より劣る給料に本気で泣きたい懐事情なのだ。兵士と違い、寮でも半額の家賃を払わなければならない。その寮は王城の付近にあり、学費返済を考えると城下町の安い部屋で暮らした方がいくらもましな生活ができた。下町の剣豪として巷ではさりげなく有名になれたが、だからといって家賃も学費も安くなるわけはなく、その称号の所為で小さな副職もままならない何とも慎ましい生活を送っていた。
「明日、お前の仕事明けにでもカーシュに会ってやってくれ。家庭教師のこともお前のことも言っていないから安心しろ。特にお前のことはアイツが成人するまでは証さない約束だからな」
 どこか悲しげな口調でカラケルサスは夕日を眺めた。

 つい先程あったことを思い出して、ヴァリアンテはくすりと笑んだ。
 七つ年下の実の弟は、甘えているが将来輝く原石だった。弟たちは可愛いが、ヴァリアンテは本来エルフの性格に近く酷く利己的な性格を持っていた。エルフの部分で拒否していた家庭教師の話も、自分と何ら劣らない力を秘めたカーシュラードに俄然興味が出てきた。
 明日仕事が終わったら早速見に行こう。
 漏れる笑みを隠しもせずに、見知った帰路を急ぐのだった。

***

 会わせたい人物がいるから、とカーシュラードはその日一日外出を禁止された。それを素直に聞く程可愛げはなかったが、学校に行けとも言わない父が珍しく命令したことと、その内やってくるだろう人物に興味がわいて、その日は一日自宅にいることにしたのだった。
 午後近くに目が覚めて、遅いブランチか早めのランチかをたいらげ、暇つぶしのように魔術書を持って庭に出た。魔術書は、どんな漫画や小説よりも面白いと思う。カーシュラードはまともに学校で習いはしなかったが、独学でそれ以上の知識を身につけていた。
 護身用だが名のある鋼で作られている剣を横に置き、緑薫る新しい芝生に腰を下ろした。物心ついた時には既にここにあった枝の広がった大木が、カーシュラードの指定席だった。
 手持ちぶさたで、吸い慣れた煙草に火をつけた。そのまま午後の心地よい日差しを眺めてぼうっとしていると、見慣れない白い手がひょい、と煙草をかすめ取った。
 気配もなくいつの間にか近づいてきた人物は、カーシュラードが銜えていた煙草を慣れた手つきで口へと持っていく。長い紫煙を吐いて感想を述べた声は、心地よいアルトだった。
「さすが。プルヤルピナ産でしょ、これ。お金持ちはこんな物まで高級だね」
 にっこりと微笑む人物は、昨晩カーシュラードが助けた人物だった。甘栗色の髪は日に透けてきらきら光っている。赤闇の瞳が面白そうに輝き、ヴァリアンテは弟の横に腰掛けた。
「昨日、会ったよね?私はヴァリアンテ。よろしく、カーシュ君」
 昨日のことは、いい夢を見たことにしていたカーシュラードは、父親の指図でやってきた人物がヴァリアンテでがっかりした。
「アンタ…、親父のおもちゃか、カレンツの新しい『女』か何か?」
 差し出された手を勢いよく引いて、倒れ込んできたヴァリアンテの唇を塞いだ。
 全く予測していなかった行動に、ヴァリアンテは自分の状況を理解できなかった。他人の舌が口腔を蹂躙していると気づいた時には、慌てるよりも困るよりもまず呆れてしまった。


「ジョーゼフ…、カーシュはあんな子だったかな……?」
 窓から眺めていたカラケルサスは、分邸付きの執事長ジョーゼフに問うた。
「旦那様の若い頃にそっくりで」
「………そ、そっか…」
 年甲斐もなく肩を落として溜息をつくのだった。


 性的な官能を呼び覚ます口付け、というよりただ乱暴な激しさだけを持った口付けだった。ヴァリアンテは取り立てて抵抗もせず、弟の好きなようにさせていた。怒るよりも呆れるばかりであり、思春期真っ最中の弟がこれだけ巧みな舌使いができることに感心してさえいた。
 気が済んだのかカーシュが唇を離すと、激しさの名残の如く、つと唾液が線を描いた。
「本当に甘やかされて育ったんだな、お坊ちゃん?気は済んだかな?」
 罵られるとばかり思っていたカーシュラードには、ヴァリアンテの余裕ある態度に苛立った。
「今日から君に、魔術と剣技を教える家庭教師だ。改めてよろしく。性教育の手ほどきはいらないみたいだね」
「家庭教師だって?僕にはそんなもの必要ありませんよ」
 本と剣を持って立ち上がり、カーシュラードは自称教師を見下ろした。
「どうして必要ないの?」
 エルフの微笑を浮かべるヴァリアンテは穏やかに、弟をなるべく挑発させないように質問を返す。
「僕の成績を見ていないのなら、早めに見た方がいい。アンタは必要ないことが十分解るから」
「成績がいいことは知ってるよ。でも、それじゃ勿体ないでしょ?君はまだ知らないことがたくさんある。私はそれを教えられる。自分より弱い者の上で威張ってるようじゃ、君は最低な奴のままだ。素直に甘えてごらん、カーシュ君」
「………誰が『弱い者の上で威張ってる』って?」
 暗く低い声で、カーシュラードは日光を背にした。笑みを絶やさないヴァリアンテだが、言葉の内容には棘が含まれている。
「君。事実でしょ?」
 まだ売られた喧嘩を口先で負かすことができないカーシュラードは、魔術書を地面に放って剣を抜いた。
「弱いかどうか、戦ってから決めていただきましょうか」
 16歳にしては高い身長に見合ったロングソードを隙無く構え、カーシュラードは兄を睨み付ける。
 その愚かな行為に溜息をついたヴァリアンテは、尻に付いたほこりを払いながら立ち上がって、呆れながら腰に手をかけた。
「剣士に剣を向けるという行為の意味、知ってるよね?」
「あんまり僕を侮辱すると、後で泣きを見ますよ。せっかくの綺麗な顔に傷を付けたくはないでしょう?」
 相手の技量をはかれていないカーシュラードは、深紅の髪を風になびかせて目の前の人物を挑発した。
「……だからまだ君は未熟なんだよ」
 やれやれ、と首を横に振って、ヴァリアンテは左腰から黒のコリシュマルドを抜いた。『パイモン』の右手、アバリムである。黒曜石を打ち付けたような漆黒の刃は光すら吸収するようだ。柄にはめ込まれたレッドダイヤが実用の剣というより、装飾品のように見せていた。
 自分となんら背の変わらないヴァリアンテを冷静に見つめ、そのゆっくりとした動きと型のない構え方にカーシュラードは内心ほくそ笑んだ。クセルクス家の次男坊は、実は本当に剣技の才に秀でていた。天才的と思えるその斬撃は、講師ですら舌を巻くほどだ。だが、それはヴァリアンテも同じ。むしろ日々鍛錬を欠かさなかったヴァリアンテの方が同じ16歳の時では上だっただろう。加えて魔力はヴァリアンテが上である。
「かかっておいで」
 にっこりと微笑んだヴァリアンテは、挑発するように空いた左手で手招いた。剣は一本で十分だった。
 高をくくったカーシュラードが、一打で勝負を決めようと一撃必殺の素早さで一気に間合いを詰めて襲いかかった。
 以前なら、息を飲んで気を引き締めただろう。だが毎日のように“金剛”位と剣を交わすヴァリアンテにとって、それは子供の遊びと同じに思える。さらりと剣を滑らせて、黒の剣はロングソードを受け流した。磨きがかかったその技は、ヴァリアンテ特有の技だ。突き、払う剣の動きを、流れる川のように緩やかにだが隙無く軌道を反らして受け流す。相手にとって苛立ちを募らせるようなかわし方は、元々力の弱いヴァリアンテの専売特許のようなもの。
「ほらほら、俺を泣かせて見ろよ」
 剣を持っていなかったときとは別人のような口調で、“紅玉”剣士は愉悦に笑った。
 何度素早く剣を打ち付けても、ヴァリアンテは悠々とあしらっていく。戦いは焦った方が負ける。焦れたカーシュラードが本気でヴァリアンテを殺そうと振るったその剣は、重い振動とともにカーシュラードの手から離れた。
「口先だけのガキが。俺に勝とうなんざ十年早いッ!」
 きぃん…。
 手にしていた長剣が弾き飛ばされる音を、カーシュラードは唖然として眺めた。その意外なまでの衝撃の重さに、尻餅を付いて両手を眺める。
 アバリムを鞘に収め、カーシュラードを見下ろす甘栗色の髪の剣士は冷酷そうに髪を掻き上げた。
 屈辱を感じるその前に歴然とした力の差に素直に驚き、ヴァリアンテの汗一つかかない整った顔を見上げた。剣を構えていたときとは別人のような穏やかな表情がそこにあった。
「勿体ないよ、君。磨けば絶対私を越えられるのに…。その能力を潰してしまうのは、私が許さないよ」
 美しい弧を描く眉を悲しそうに寄せて、倒れた弟に手を差し出す。無骨さのない優美な白い手をじっと眺め、カーシュラードは決まり悪げにうつむいた。
「あれ……?ごめん!どっか怪我した?ごめん。大丈夫、カーシュ君?」
 膝を突いて慌ててカーシュラードの顔を覗き込む“紅玉”位の兄は、自分の正体を知らない実の弟に過保護だった。狂戦士ように剣を振るっていた姿とは別人の、その脆く儚い姿にカーシュラードは吹き出して笑う。
 こんな天然ボケた人物は、彼の周りにいない人種だった。
「アンタ、面白いですね。負けました」
 あきらかに喜びの微笑をたたえるヴァリアンテに興味がわいてしまった。差し出された手を取って立ち上がり、さっそく授業のために飛んでいった剣を拾いに行くのだった。

  

「ヴァリアンテ」から5年後の出来事でした。

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