夜 警

The Majestic Tumult Era "Karsurard Kcellks the 4th "the NIGHT-WATCH"

 魔法で拡声された警報音が寮内に響き渡った。

『厳重警戒、戦闘結界解除!不審人物を急捕せよ!!』

 深夜寝静まった頃に闇を引き裂いたその音に、騎帝軍下士官寮は騒然となった。兵士達は皆緊張した面もちで床から跳ね起き、着る物もそのままに武器を片手に自室をくまなく調べてから廊下へと散らばってゆく。抜き打ちの訓練でもよくあることだが、だからといって気を抜くことは許されない。
 だがどこかで響いてきた閃光と爆音に、これが訓練じゃないことを気付かされた。寝ぼけから覚醒した脳がまず思い出したのは『戦闘結界解除』だった。戦闘結界とは、主要建築や主要区画全体にかけられた結界魔法であり、人の扱える戦闘魔術を遮蔽するものである(例外は除く)。それが解除されたと言うことはすなわち、戦闘魔術を使用してでも捕らえなければいけない『何か』がある――または、いる――ことを現していた。

 ヴァリアンテが警報を聞いたとき、彼は未だ終わらぬ仕事を切り上げて、寮の客室で一人シャワーを浴びていた。豊富な水源、水道技術と魔術の融合で、カーマは類い希な水力技術を誇っているその恩恵を受けたものだ。
 下士官寮の客室なのでお世辞にも豪華な作りとは言えないが、一等地の建築物は彼の自宅より細々とした配慮が行き届いてる。
 デスクワークの疲れを癒すように頭から熱めのお湯を浴びて、ヴァリアンテは深い疲労の溜息をもらした。丁度その時だったのだ。侵入者の気配を捉えたのと警報音を聞いたのは。

 マインドセットを戦闘使用に切り替えて、自衛の為に風呂場に持ち込んだ愛剣パイモンの赤い『ラバル』を左手で握った。殺気を殺して腰にタオルを巻き、呼吸とともに室内の気配を探る。二つの気配が俊敏に動き、一方は窓へもう一方は風呂場へと近づいてきた。
 シャワーの流水音でその居場所がばれているから、不自然に気配を殺すことはせず、相手の出方を窺った。そのまま去るかに思えたが、侵入者は見逃すことはなかった。警報音を聞いて出てこないのは、怯えているか忍んでいるかのどちらかだ。どちらにしても見逃すよりは殺してしまった方が侵入者にとって安心する要素だったからだ。

 ノックもせず声もかけない侵入者は恐らく敵だろうと検討をつけていたが、もし味方だった場合を考えて最初の一撃は手加減しよう。そう考えてヴァリアンテはにやりと笑った。
 魔力でともされていた明かりを消して、一呼吸後に扉が勢いよく開けられた。浴室が暗かったことに相手が一瞬怯んだ隙をついて、ヴァリアンテは室内に滑るように駆け込んだ。横目で見た侵入者は黒ずくめに覆面。彼は容赦なくその背中に一太刀浴びせ、相手が倒れる姿も確認せずにもう一人に近づいた。
 二人目の侵入者が言葉を発する直前、その口からは断末魔のうめき声が漏れた。血糊一つついていない赤のラバルを振り、鞘に収める。他に殺気は感じない。ベットに放ってあったズボンをはいて、剣帯を巻き愛剣を吊る。椅子にかけてあった上着は返り血がべっとりとこびりつき、腕を通したいと思える代物ではなくなっていた。
 ヴァリアンテは短く悪態を付いて侵入者の髪を両手に掴んで引きずっていった。

***


 下士官寮、士官寮に繋がる居住寮ホールでは、部隊長以上師団長までが部下の報告を聞いていた。
「宝石商セヴァジル卿の自宅に押し入った強盗で、自警団の手を逃れて下士官寮に侵入、数は五名。内二名は確保済み、一名は死亡。残り二名の行方は捜索中です」
「騎帝軍の寮に侵入しておいて生存反応無いのは、もう死んでるんでショ?」
 赤天師団部隊長ドナ・デヴァナが部下の鼻先を赤い爪で弾きながら、フンと鼻で笑った。
「着替え中だったのか詳しくは聞かないが、せめてガウンぐらい羽織ったらどうだい?」
 ドナの身体をぴったりと覆う黒の編み上げた下着は、彼女の豊満な体つきを想像以上に引き立てていた。深紅の髪が白い肌を飾り、自分たちの上官だとわかっていながらちらりちらりと横目で覗く兵士達が生唾を飲む。所々見え隠れする太股に描かれる霊印が彼女の強さを物語っていた。
 夜着の上にしっかりガウンまで着込んだ赤天師団長クリストローゼ・オクサイドは、周りを顧みない部下の肩に自分のガウンを掛けてやった。
「あら有難う師団長。でも、あたくしは隠さなきゃいけない身体は持っていないのヨ」
「私たちの為に隠してくれると有難たいんだ、ドナ。その下着と中身はベットの中でじっくりと拝みたいよ…」
「マ!上官が部下に公然とセクハラだワ!」
 赤天師団の緊張感がない会話に笑みを漏らし、カーシュラードは下士官寮通路を眺めた。ドナの身体はかなり魅力的だったが、黒天師団部隊長は実の兄が心配だった。
 彼の兄は最年少で『金剛』位を承けた剣士であり魔術師であることは知っているし、永久代謝細胞のお陰でちょっとした傷には強いことも知っているが、やはり心配であることは偽れない。
 その身体を抱くようになってさらに執着が増した実兄を思い、管理職である自分を呪った。一兵士ならすぐさま兄の元に行けるのに、と。
 もとより兄はこの寮にいるはずでは無い。未だに城下に家を借りて自由気ままな宮廷魔剣指南役である。兵士再編成の手伝いにかり出され、仕事の片が付かなかったので、自宅に帰る時間を考えたら寮の客間に泊まった方が早かった、それだけの理由でこの寮館に偶然泊まっていただけなのだ。同じ理由で寮の客室に泊まる者が出て、剣さえ持たなければ謙虚で人のいいヴァリアンテは士官寮客室や貴賓室を、身分や地位や年齢の高い者達に譲っていた。
 夜着のズボンと軍服の上着という情けない取り合わせのカーシュラードはイライラと腕を組んだ。
 下士官寮からざわめきが広がり兵士達が廊下の奥を気味悪そうに見つめていた。
「何かしらン?」
 カーシュラード達がそちらに向き直って少ししてから、ずるずると何かを引きずる音が聞こえてきた。
「手伝う気はないのかな、君たちは」
 あからさまに機嫌が悪そうなヴァリアンテの声が静寂を破った。すかさず声のする方へかけだしたカーシュラードは、ヴァリアンテの数歩手前で思わず足を止めた。
「やあ、カーシュ。警報の不審人物ってコイツ等?」
 しかめっ面を浮かべたヴァリアンテは、黒ずくめの死体を廊下に放り投げた。途端に兵士達が騒ぎ出し、死体を軽く調べて奥へと連れて行った。
「どうしたんですか」
 間抜けな問いにヴァリアンテはあくびをかみ殺した。
「侵入者を撃退しただけ。とりあえず引きずってきたけど」
「そ、それはご苦労様でした。怪我はありませんか?」
「私にそれを聞くの?…………何?」
 不満そうに聞き返すヴァリアンテは、溜息とともに腰に手を当てた。濡れた後ろ髪が腰近くに流れ、透けた茶髪が背中を飾る霊印に張り付いている。背中全面を覆う幾何学模様。魔神の血を引いた高位の魔術師にまれに顕れる霊印は、魔力が高くなるほどにその大きさや数も変わってくる。ヴァリアンテの霊印はこの場の誰よりも威圧的だ。
「血まみれですけど……」
 右半身の至る所に返り血がはね、白い肌に相まって猟奇的な美しさを醸し出していた。
「いつ見てもすごい霊印ネ、ヴァル。今度じっくり見せてくれなぁい?」
「ドナの霊印も見れるならいいよ。でも、今日は勘弁して。眠い」
 女性と仲のよいヴァリアンテは、ちょくちょく知り合いと姿を消す事が多かった。何をやっているのか聞きたがる男は多いが、実際に何をしていたのか知る者はほとんどいない。
「私がいた部屋と上着が血まみれだと思うから、掃除しておくように言っておいて。カーシュ、君の部屋に行くよ。あの部屋じゃ寝れない」
「ええ、どうぞ。風呂は適当に使ってください。後で僕も行きますよ」
 ヴァリアンテは片手で手を振って将官寮へと歩いていった。何度も見ているとは言っても、背中の霊印の見事さにカーシュラードは羨望の眼差しを向けた。カーシュラード自身は両肩から手首まで覆うように霊印が顕れている。
「死体に口は無いんだけど、とりあえず強盗が見つかった。後は君たちに任せるよ」
 お休み、とあくびをかみ殺してクリストローゼも自室へと戻る。兵士達は通常勤務で規則正しいが、管理職の地位にいる者は殆どが再編成の処理に追われているお陰で寝不足だった。
「僕たちも寝ましょう、ドナ。不審者の引き渡しは僕たちじゃなくてもいい。大した被害もないですから、あとは夜勤の者に任せます」
「そーネ。寝不足はお肌の敵だわヨ」
 部下に一通りの指示を出した後、ピンヒールを響かせながらドナも自室へ戻っていった。
カーシュラードは副官に警戒態勢を解くように指示し、自らもあくびを殺しながら自室へと歩みを向けた。

  

寮は、下級士官寮、上級士官寮、一般兵寮の三つです。妻帯者は自宅から通ってきます。
ヴァリアンテは軍人ではないので自宅組。下町の商店街の雑貨屋の二階が自宅。
カーシュもクセルクス邸に住んでもいいけど、今のところ寮組。

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