ヴァリアンテ

The Majestic Tumult Era "Valiante Xefon Kcellks "the DIAMOND"fencer [age 18]"

 リリリリリ………―――――――

 その音は、体中の血管を這うような、身体の奥に呼びかけるような音だった。それでいて凛とした清々しさと、硬質な気高さを持っていた。

 リリリ……リリ…………

 この音は、いつでも彼を呼んでいた。

***

 “金剛”剣士イラーブルブ・ゼフォンは、自分の剣が放つ振動で侵入者を知った。そこは朽ち果てたあばら屋の風体を露わにした石の家で、伸び放題の蔦と建物よりも強固な結界柵が周りをぐるりと囲んでいた。
 屋敷には遠い昔、偉大な刀匠が住んでいた。刀匠ギュスタロッサ。刀匠は愛する血筋へ、世にも奇妙な、だが並大抵ではない強力な力を持った剣を数々残した。剣は主を選ぶ。物言わぬ刀剣達は、自分を扱うに相応しい技量を兼ね備えていなければ、持ち運ぶことは愚か触ることさえ叶わない高潔な主張を吹き込まれていた。
 イラーブルブはカーマ王国で定められた剣位の中の最高位“金剛”を授けられた人物である。カーマ赤闇騎帝軍の最高顧問を務める傍ら、最高指南者の称号を持っている。その彼はもちろん剣に選ばれ、懐には常にギュスタロッサの刀がおさめられていた。
 ギュスタロッサの屋敷を知る者は、その剣の所有者だけだ。例外はあり得ない。一国の王でさえ、剣に選ばれなければ所在地を掴むことはできなかった。にもかかわらず、その屋敷の近くに誰かが近づいている。イラーブルブは訝しんで、屋敷へと足を向けた。もし一般人が迷い込んだのなら、その人物を安全に連れ帰るか二度と呼吸をさせないかだ。
 鍛えられた鋼の肉体を今でも衰えさせない中年のイラーブルブは、数百メートル手前からその気配を察知していた。
 音も立てずに剣を鞘から引き抜き、素早くその人物を観察した。甘栗色の髪に華奢な身体、後ろ姿では男女の見分けがつかなかった。
「何をしている」
 問いかけた太い声にびくりと肩を揺らし、その人物は振り返った。
「あ……。…え?…あれ?………イラーブルブ様ですか?」
 辺りを見回す姿は、まだ青年だった。赤茶けた瞳と尖った耳で、イラーブルブは青年がカーマ人の血を引いていることを知った。耳の長さがカーマのそれより幾分ながいが、血は濃くないようだ。
「此処で何をしている」
「い、いえ…何も、していません」
 怒気を孕んだ声に戸惑った青年が言葉を返した。
 正午を過ぎてなお暗いこの屋敷の門の前で、イラーブルブは青年に微かな違和感を覚えた。
「どうやって此処へ来た」
 詰問に近い言葉に困ったような顔をしながら、青年は後ろの屋敷を顧みる。不用意に動かず、イラーブルブの間合いに決して入ろうとしないところが、イラーブルブをいっそう苛立たせる。
「わ…解りません。気付いたらここに…」
「どうして来たのだ」
「どうして、と言われましても…。音を頼りに……」
 煮え切らない返事を返す青年は、心底困惑していた。
「鋼を打つような、澄んだ高音の……なんて言ったらいいのか…」
 やはり身動きをしないままで、青年は真っ直ぐにイラーブルブを見つめた。
「名前は?」
「ヴァリアンテと言います」
「姓は?孤児か?」
「両親は健在ですが、ちょっと事情が……。まあ、孤児と変わりません」
 根掘り葉掘り聞かれながらも嫌な顔一つしない。金剛位の剣士は愛剣を鞘に戻し、ヴァリアンテに近づいていった。抜刀術を疑うヴァリアンテの鋭さを認めながら、イラーブルブは殺気を解いた。甘栗色の髪の青年は、やっと緊張をほぐした。
「国立学校に通っているのか?」
「はい。魔術と剣術を専攻しています。……実は“金剛”剣士イラーブルブ様に会えるなんて、光栄です」
「そうか。表通りまで案内する間、少し話をしようか」
 二人は不気味な屋敷を後に、日の光の元へ戻っていった。

***

 それは王立士官学校の廊下を通りかかった時の事だった。
「また、剣を折ったって?」
 イラーブルブは士官見習である学生達の中傷を耳にした。
「ああ、国立から編入してきた奴。おれたち相手にやったって勝てないってこと、そろそろ気付けばいいのによ」
「国立の主席だから、魔術知識は認めてやるけど、あれでよく剣術の免許皆伝なんてできたよな。ま、国立の実力ってのはそんなもんだろうけどさ」
 国立とは、カーマ王国が運営する学校のことである。高い識字率を誇るカーマ王国では、国の運営する学校の費用は大変安く、また奨学の制度もしっかりしている。国民で有れば誰であろうと入学することができる学校であった。
 対する王立とは、その名の通りカーマ王家が管理している学校である。主に上流階級の者や王家出身者が通っており、国立と比べると学費も高い。だが一般人が入学できないほどではない。転入や編入も認められていて、国立よりは高レベルの授業が開かれていた。
「おまけに血も薄い。親も誰だか解らない。はなっから勝負はついちまってるよ」
「剣を持ってなきゃ、人懐っこい性格してるんだ。ありゃあ、講師を誘わなきゃ単位は取れないだろうな」
 生徒に誘われた程度で、誇り高き講師陣が口説き落とされるものか。イラーブルブは皮肉げにほくそ笑んだ。王立学校の講師は主に、現役の軍人である。それぞれの技術の指南役は、剣聖から授けられる『位』を持っているほどだ。実力に誇りを持った者だからこそ、生徒からの誘いに乗ろうとも、技術の採点は甘くはならない。
 最高指南役でもあるイラーブルブは、学生達が口にした『また剣を折った』という言葉に引っかかりを覚えた。練習用の剣とはいえ、そう易々と折れるほどに耐久性が悪いわけではない。量産型だが立派に戦場でも活躍するのだ。
 胸のしこりのようなもやもやした感覚を払拭すべく、イラーブルブは訓練場へと足を向けた。
 金属の発する悲鳴と怒号と汗が濃密に混ざり合った広場に、二人一組で剣を交わらせる幾つかのペアが素早い動きを見せていた。
 授業ではなく自主訓練の類だが、真剣さはどちらも変わりない。儀礼用の練習ではなく、破壊と殺しの為、もしくは何かを守る為に剣を振るう方法を学んでいる。
 訓練場を眺められるテラスには、赤闇騎帝軍赤天師団長、“青玉”剣士クリストローゼ・オクサイドが座っていた。
「イラー様、珍しいところに御出で」
「気になることがあってな。お主こそ、師団を放って此処で何をしている?」
 黒髪の二人の剣士はお互いに訓練場の一点を見つめている。後ろ髪を長く伸ばした甘栗色の髪の青年が、人一倍素早く立ち回っている。無駄な動きは一切無い。あしらうような余裕が感じられるその青年は、戦士にしては華奢な身体を技術でカバーしていた。見習い生徒達にはさぞ奇妙な戦い方だろうが、見る者が見れば彼がどれほどの実力を持っているか一目で分かった。
「困ったなぁ。私が“青玉”を授かったのは22歳の時だったのに、あの子にはもうその実力があるんだから。最年少を盗られたね」
「……そのようだ。不思議な青年だな。あの外見の何処にあんな力が眠っているのか」
 イラーブルブは顎髭をなでながら、目を細めた。
 このカーマ王国では、血統が地位すら左右しているといって過言ではない。カーマの民は『紅蓮の魔神』の血を引いている。カーマ直系王家カルマヴィア家は正当な血を持つとしても、他の21王家や国民にも少なからずその血が眠っていた。赤と黒が混ざったような、血のような深い臙脂色の髪と瞳。尖った耳に、角や、身体を覆う聖印。これらの何らかの特徴が現れている。昔に比べ薄まった血でさえ、赤または黒のどちらかを継いでいた。
 クリストローゼはカルマヴィア第八王家オクサイド家の第二継承権を持った者だ。深紅の瞳と黒髪を持った正当なカーマ人である。
 一方イラーブルブは元は平民の出身で、先祖返りによってその血の濃さが現れていた。
「私も気になりましてね。クセルクス家が隠密に後見していたので調べてみました。ちょっとばかり王家の機密が入り 込みますが、イラー様にはお伝えしておきます。彼の名前はヴァリアンテ…」
 その名を聞いて、イラーブルブはクリストローゼに向き直った。二年前あの屋敷で出会った少年と同名だったからだ。
「御存知でした?じゃあ、これは知ってるかな…。彼はクセルクス家の長男です。ですが彼は公式には赤の他人」
「カルマヴィア第四王家クセルクス家、カラケルサス公の実子、それも長子なら後継ではないか」
「ええ。カラケルサス公の戸籍上の長男カレンツィードは、十五王家ワルシュール家の次女今は亡きリリディアナ王女との由緒ある血筋。次男のカーシュラードは腹違いですが。一時期王家間で話題になったでしょ?カラケルサスの後妻、ダークエルフの花嫁の話。王族並の魔力を持ったダークエルフが妻でも、正式なカーマの血統でなくなった以上カーシュラードに継承権はありません。ヴァリアンテはそのダークエルフとの最初の息子らしいです」
「感想に尽きる話だな」
 イラーブルブはため息を付いた。王家の人間はその血を保つために、王家間との結婚しかしないのが事実上の決まりである(平民の妾は数多く存在する)。それは国王の血統であるカルマヴィア家との婚姻者は濁り無きカーマの血統ののみとする、という厳重なる制約からきていた。
「カラケルサス公もヴァリアンテの存在は知らなかったみたいですよ。カーシュラードをつくった時に知らされたみたいで…、なんだかエルフの奥方が変わった人物のようでしてね。戸籍を入れ替えるにもどうしようもない時期だったみたいです。幸いヴァリアンテに王位簒奪の意志さえなかったらしく、ごたごたは起きてません。と言っても、カレンツとカーシュはヴァリアンテのことを今だ知りもしませんけど」
「よく調べ上げたな、クリスト。たいしたものだ」
「お褒めにあずかり光栄ですが、何のことはない、カラケルサス公に直接聞きに行ったんですよ」
 溜息の変わりに呆れた表情を残し、イラーブルブはもう一度ヴァリアンテを眺めた。丁度そのとき、つんざくような鋼の悲鳴が辺りに響き渡った。
「あ〜あ…、また折った」
 にやりと笑うクリストローゼ。ヴァリアンテは長さ半分で折れた剣を悔しそうに眺めながら、周囲の視線に耐えていた。
「剣が技量に追いつかないのだ。最後の一手で付加に耐えきれなくて折れる」
「ええ。制御の仕方を誰かが教えないといけませんね、最高指南役殿」
「その前に、未来の“金剛”剣士へ手始めに“玉”を授けなければならないだろう」
 マントをはずしたイラーブルブは、生徒達が唖然とする中ヴァリアンテの元へ歩みを向けた。騎帝軍最高顧問の登場に、ヴァリアンテは驚きを隠せずにいた。
「二年ぶりだなヴァリアンテ。わしと一勝負する気にはならんか?」
「こ、金剛様とですか…!?」
 慌てるヴァリアンテは、隠すように折れた剣を後ろにやった。
「殺したりはせんが、殺す気でかかって来なさい。情け容赦が命取りになることは、軍人見習いのお前でも重々承知しているだろう」
 カーマ最高の剣士からの誘いに、周りの生徒からの嫉妬やねたみの視線を感じながら、ヴァリアンテはおずおずとイラーブルブにひとつ尋ねた。
「剣を二本使わせてくださいませんか」
「好きにしてよろしい」
 練習用の剣を構えた二人は、生徒達が見守る中で体勢を整えた。ギュスタロッサの剣を使えば勝負も何もなくなるので、イラーブルブは練習用のバスターソードを構えている。「では、行くぞ」
 にやっと口ひげを歪ませ、イラーブルブは一気に間合いを詰め込んだ。剣がヴァリアンテに振り下ろされる直前、二本の剣をクロスさせたヴァリアンテは滑らせるようにイラーブルブの大剣を受け流し、そのまま胴を薙いだ。
「お見事。だが…『残像』だと気付くかな」
 テラスから眺めるクリストローゼは呟いた。
 ヴァリアンテは、まさか本当に胴に決めたとは思えなかった。案の定イラーブルブはがら空きになった背中めがけて一太刀あびせた。一瞬の殺気を読んで、ヴァリアンテは転がるように剣をかわして立ち上がり、イラーブルブの大剣を受けた。
 唖然としたのは、周りの生徒達である。剣が折れるのは自分たちの技量がヴァリアンテより上だと思いこんでいた。パワー型ではないヴァリアンテは、自分に足りないものを有り余るスキルで埋めている。そのことに気付けた生徒は、この中には誰一人存在しなかった。
 二本の剣から弾き出される残撃は、見事としか言いようがなかった。イラーブルブの大剣をそよ風のように疾風のように受け流している。学生にはあるまじき剣術。これにダークエルフから引き継いでいる、類い希な魔力をプラスすれば、将来どんな化け物に取って代わるかクリストローゼは胸を躍らせた。
 きぃん、と音を響かせて、ヴァリアンテの剣が一本折れた。その隙を逃す“金剛”剣士ではない。すくい上げる要領で切り込んだ。だが、斬りつけられる直前に、ヴァリアンテは大きく後退して間合いをあけた。
「見事なものだ…」
 納得したように微笑むイラーブルブは、剣を収めてヴァリアンテに近づいた。
「だが“金剛”を得るには、その剣でも最後まで戦わなければならない。今のお前はまだ未熟。よって第二位“紅玉”をお前にやろう」
 イラーブルブの大言に、生徒達はおろかクリストローゼでさえ度肝を抜いた。自分の持っている“青玉”より高位な位を、あの若さでさらい盗られてしまったのだ。
「まだ、お前を呼ぶ音が聞こえるか?二刀流の若き“紅玉”剣士よ」
「日に日に強く、僕を呼びます…」
「よろしい。ではお前にギュスタロッサを授けよう。カーマ最高の刀匠が鍛えし最強の刀剣を受け取るがいい!!」
 この日、カーマ王国赤闇騎帝軍に新しい剣豪が生まれた。

***

 リリリリリ………―――――――

 その音は、主を呼ぶ音。

 リリリ……リリ…………
 
 どんなに熱い炎にさえ、どんなに冷たい氷にさえ、壊れることはない。主が与える魔力で、より高潔に輝く剱。


 朝の日や夜の月光など、この屋敷には関係なかった。古の刀匠ギュスタロッサの屋敷は、しんとした静けさと、ぴりりとした魔力の渦が凝っていた。
「わしも此処で愛剣『フィニクス』を手にした」
 イラーブルブは屋敷の入り口で、背中にしょったバスターソードをがちゃりと揺らした。
「行って来い」
 “金剛”剣士に促され、ヴァリアンテは暗い深淵の入り口をくぐった。室内を照らす明かりは何一つ無い。だが、刀から発せられる淡い燐光が室内を不気味に照らしていた。
 壁に掛かった剣、卓上に置かれた杖。形も様々な武器が室内の至る所に置いてあった。ヴァリアンテは音を頼りに室内を進んで行き、くるりと辺りを見渡した。
「………君?」
 壁に立てかけられた、飾り用の剱に見えた。だがそれは紛れもなく異質なオーラを放ってヴァリアンテを呼んでいた。刃に触れると、共鳴するような刀の声はその音とともにヴァリアンテの体内を駆けめぐった。それはブロードソードを改良したコリシュマルドで、二本の剣が柄の部分から十字型にクロスしていた。刃渡り1メートル程の二本一組の美しい剣。
「パイモン…、アバリム・ラバル」
 剣が肌を通して伝えてきた名前だ。柄を手に取り、ヴァリアンテはその二本をベルトに差し込んで屋敷の入り口に戻った。今まで主を呼んでいた音は、今は主の元で余韻を鳴らしていた。
「紹介してくれ」
 イラーブルブは、ヴァリアンテの腰を新たに飾る二本のコリシュマルドを顎で指した。
「ギュスタロッサ卿の遺作、『パイモン』です。右手にアバリム、左手にラバル。この二本で『パイモン』」
「いい剣だ。その剣が示す道を違えぬよう心に刻め、ヴァリアンテ」

 ヴァリアンテ・ゼフォン・クセルクス。
 後のカーマ王国ヴァマカーラ女王の近衛親衛隊長、“金剛”剣士。エルフの血と王家の血を引いた彼は、人よりも長い命と持久力を持って王家に仕えることとなる。

  

 

copyright(C)2003-2008 3a.m.AtomicBird/KISAICHI All Rights Reserved.