わがまま王子と親衛騎士 5

The Majestic Tumult Era "Spoilt Prince and Palace Knight"

 ニーヴェナルが休暇を終えて王城に戻り、親衛隊宿舎での引継ぎも済ませて漸く王子の部屋へ訪れたとき、部屋の主は不機嫌全開でブランチを取っている最中だった。
  けれど清々しい朝にもかかわらず、室内の温度は何となく低い。ニーヴェナルの出鼻はいきなり挫かれる。
「おはようござ…いま、す?」
  挨拶にはにらみつける厳しい視線が返された。理由はまったく解らなくて、とりあえずニーヴェナルは会釈を返しながら他の親衛隊員の元へ並ぶ。
  王子は最近食欲が増えた。親衛隊に配属された当初は、ブランチの時間など無かったのだ。もともと食は細い方だったので、それを見て安堵したことを思い出す。同時期に魔導と武術の訓練時間も増やしているので、その所為かもしれない。
  自分は王子と同じ頃は一日五食でもバテるくらい燃費が悪かったな、と懐かしい思いで過去を振り返ってみる。士官学校でまわりに置いていかれないよう、必死で剣に打ち込んでいた時期だった。ほんとうに懐かしい。次の休みには同期に連絡でもつけてみようか。
「充実した休日だったようだな、サリカ」
「え、あ、お早うございます、レオナ先輩。いつもどおり家族サービスでへとへとですよ」
  一日半の休みに、自分の時間など全く無かった。それでも不満は無いので、ニーヴェナルは声をかけたきた男に対して爽やかに答えた。
「両手に美女を侍らせていれば、そりゃあへとへとになるな。まったく羨ましいかぎりだ」
「は?」
  同じ親衛隊のレオナは、ニーヴェナルと同じような経緯で親衛隊に入隊している。任務の種類は少し違うが元は近衛兵だった。それもあるせいか、随分年の離れた兄のような気安さが好ましい先輩だ。
  耳元でささやかれた言葉に身に覚えが無かったので、不躾に聞き返してしまう。
「夕刻前、大通りをうろついてただろう?栗色の巻き毛。見事な美女と美少女だ」
「栗色の巻き毛…」
  男女問わず友人が多いけれど、昨日はその誰とも会っていない。記憶を巻き戻すニーヴェナルの耳に、カップをソーサーに戻す乱暴な音が聞こえた。王子だ。
  私語は慎めということだろうか。ニーヴェナルは背筋を伸ばすが、対するレオナは肩を竦めただけだった。
「丁度国立図書館へ王子の共をしていた。馬車からお前が見えたぞ」
  馬車。
「ああ、あの時か!」
  ニーヴェナルは漸く合点がいった。確かに大通りに居たし、両手は女性に塞がれていた。美女と美少女、他人から言われると嬉しくなる。思わず微笑が零れてしまった。
『ねえ、ニール。もしかしたらあの馬車に王子様が乗ってるかもしれないのね』
『ニールが親衛隊だなんて、ほんとうに夢みたい』
  付き合わされていた買い物の最中、王族専用の馬車が遠く走り去った。両腕を塞がれてしまっていたニーヴェナルではなく、彼女たちがいち早く気付いて羨望の眼差しを向けていたことを思い出す。
  あの馬車にはダヴィディアート様が乗っていらっしゃったのか。王族専用の馬車は幾重にも防御術が施されているので、そう簡単に魔力を察知することは出来ない。
「レオナ、例の原義を借りて来い」
「おや。興味が無かったのではございませんか?」
「いいから行け」
  ブランチを終えた王子は、乱暴な口調で命令を下した。対するレオナは敬礼を返す。王子の親衛隊になってから長いので、扱い方を良く知っていた。
「しっかりご機嫌をとっておけよ?」
  男らしく逞しい親衛隊員は、背筋を伸ばしたままのニーヴェナルの耳元でからかいまじりに囁く。
「はい?」
「レオナ」
「行ってまいります、殿下」
  唇に笑みを浮かべたままレオナが退出してしまえば、残ったのは不機嫌な王子と、状況が殆ど解っていないニーヴェナルの二人だけ。新米親衛隊員は非常に居心地が悪かった。
  気まずい沈黙を破ったのは、ダヴィディアート王子だ。
「お前はもう近衛兵ではない。親衛隊らしい行動をとれ。休日だからと言って、複数人の女と関係を持つなど、恥を知れ」
  殆ど喧嘩腰の口調は、王子の感情をそのまま表しているようだった。ここまできて原因が自分だと解ったニーヴェナルだが、彼にはまったく身に覚えがない。何故買い物に出たくらいで悪し様に言われなければならないのだろう。プライベートの外出さえ見張られているとでも言うのか。自分は平民で、貴族などではない。
「関係って…、僕は恥ずべき行いはしていません」
  いつも穏やかな彼らしくない固い口調で返せば、王子は苛立ちの視線を真っ向からぶつけてきた。
「ならばその女達の尻が軽いのか」
「何を…、突然。あの子たちのことを悪く言われる覚えは、これっぽちもない」
「お前は俺のものだろう?」
「そうです。ですが、あの子達を侮辱するなんて、いくら殿下でも許せません」
  ダヴィディアート王子の機嫌は悪化するばかり。ニーヴェナルはまだ王子の扱い方を解っては居なかった。正式に引き合わされて数ヶ月。親衛隊生活に慣れることに必死で、主のご機嫌伺いなど出来るはずもない。
「そんなにあの女達がいいか。親衛隊の名に引き寄せられただけではないのか?」
  その言葉に、必死に押さえ込んでいた訳のわからない苛立ちが爆発した。いくら王子が十も歳が下だろうと、我慢の限界がある。ニーヴェナルは大股で距離を縮めた。
  この出来事は色々とタイミングが悪かった。
  王子は時間に厳しいわけではないが、だらしない生活時間をおくって居ない。ブランチを終える時間は大体同じで、メイドが食器を下げに来るタイミングは日常の一部に過ぎなかった。
  数回のノックの後扉を開いたメイドは、人生の中で初めてに近いような驚愕に身動きが出来なくなってしまった。
  彼女の目の前で、親衛隊員が王子の頬を打った。
  乾いた音が、虚しく響く。
  彼女から見ればそれは、カーマ王国で最も尊い血を受け継いでいる正当王家の人物に、護るべきである親衛隊のひとりが暴行を働いたようにしか思えなかった。
  メイドは武人ではない、彼女に出来ることと言えば悲鳴を上げるくらいのものだ。
  それからの出来事は、まるで嵐が直撃したようだった。
  悲鳴を聞きつけた他の親衛隊員が素早くダヴィディアート王子の私室にやって来て、何事かとニーヴェナルに尋ねる。だが彼は何も言わず口を固く引き結んだまま。仕方なく王子に状況を窺っても同じだった。だが、王子の白皙の頬が片方、不自然に赤くなっている。
  埒があかないとメイドに詰問する親衛隊は、驚愕の事実を知らされた。
  今まで親衛隊が王族に暴力を振るったことなどあっただろうか。彼らは兵士の中でも能力や力が強い。だからこそみだりにそれを振るわないことを誇りとしている。
  ニーヴェナル・サリカは、武器を取り上げられ、素早く連行された。すぐにダヴィディアート王子付きの親衛隊員が招集されるだろう。それまで代わりの隊員が王子の傍に付き、同時に医者が呼ばれた。
  これは親衛隊にとって青天の霹靂に近い事件となった。

 

***

 

 ニーヴェナル・サリカは、親衛隊詰め所の反省室に放り込まれていた。窓のない部屋だ。簡素な寝台と手洗いがあるだけで、両手を伸ばせば壁に届いてしまう。魔力も封じられ、天井近くの明かり取りから、辛うじて光が差し込んでいるだけ。そんな中に二日だ。
  ベッドの上で膝を抱えた彼は、考えることだけは無限に出来そうな時間の中、ひとり落ち込んでいた。
  一度だけ、親衛隊長であるヴァリアンテが直々に聴取にやって来ていた。それ以外何もない。食事は二度出たが、手を出す気分にはなれなかった。
「父さん、母さん、ルクレツィア、ミリアンヌ、フェリシティ、アルフレド、アルフィレナ…」
  小さな呟きは誰も聞き取らない。悲壮な声は、彼にしか聞こえないような儚さだ。
「ごめんな」
  けれど彼はまだ泣いたりはしなかった。
  この手で、王子の頬を打ってしまった。
  薄暗い室内で己の手のひらを見つめ、柳眉が歪む。その手はまだ、痛みを覚えている。ならば王子はどれ程の痛みを感じただろう。痛い。手のひらだけではない。心も、痛い。
  何故自分を抑えられなかった。彼のために生きると誓ったのに、何て愚かな事をしてしまったのだろう。
  ニーヴェナルは、これから自分がどんな罪で裁かれるのだろう等よりも、王子の身を案じていた。もし叶えられることならば、一言でいい、彼に謝りたい。謝罪を受け入れて貰えなくても構わない。その場で殺されてしまってもいい。
  まだ少年の面影を残す気むずかし屋の王子に、嫌われたくはないと願った優しい王子に、自分の愚かさを詫びたいとひたすら願った。
「ダヴィッド様…」
  彼は悲痛な囁きを零し、ひとり項垂れた。

 

***

 

「少し甘やかし過ぎたかしらね、ヴァリアンテ」
「そうかもしれませんが、いくら殿下が子供だとはいえ、手をあげてしまったサリカには十分反省してもらわなければ」
「よくよく聞けば、あの坊やに悪い所は無いのじゃなくて?」
「いいえ。仮にも親衛隊。護るべき主に対して暴力はいけません」
「でも貴方だって、カーシュラードが侮辱されたら怒るのでしょう?」
「それはそうですけれど、私は直接手を出したりしませんよ。きちんと反省して貰えるよう、影ながら努力するだけです」
  優雅な微笑を浮かべたヴァリアンテを見て、その場にいたダヴィディアートは背筋を凍らせた。この親衛隊長はどう見繕っても二十代の容姿をしているが、齢七十を超えている祖母王よりさらに歳を重ねている。怒らせては駄目だ。
  ここはダヴィディアート王子の私室。椅子に座らせられた部屋の主は無言で、目の前の実母と親衛隊長の遣り取りを聞いていた。
  元より王配である祖父ですらヴァリアンテに一目を置いている。さらに実母を教育していた事すらあるこの親衛隊長に対して、一体誰が逆らえようか。十六の王子など指先一つであしらわれるだろう。
「ねえ、ダヴィッド。あなた、ちゃんと反省していて?」
  赤闇色の髪を柔らかく結い上げたジューヌベリア王女は、自分の息子に対して鋭く尋ねた。力強い魔力が顕れた容姿は、二児の母だとはとても思えない。
「反省は、している。少し言い過ぎた」
  二日前の事件を思い出して、ダヴィディアートはばつが悪そうに答える。苛立ちをそのままぶつけてしまったと、冷静になった今は後悔している。頬の腫れはとっくに引いていた。
「別にね、わたくしは貴方が誰のことを好きになっても構わないのよ?」
「……」
「けれどそんな相手を傷付けてはいけないわ。親衛隊というのは、貴方のために魂を捧げた者達なのだから、敬意を払いなさい。彼らは決して奴隷ではないの」
「それは、知っています…」
  そんな事は知っている。生まれたときから彼らは傍に仕えてくれている。王族を護るために命を散らせた親衛隊が居ることも、知っている。
「彼らは国民を護る大儀ではなく、ただわたくし達を守るために身を削ってくれているのよ。だからわたくしたちは、彼らが恥じるような行いをしてはならないの。それがわかって?」
  ジューヌベリアは、実に女王と似ていた。きっと次のカーマ王は彼女になるだろう。けれどまた、彼女は母でもあった。
  育児は乳母に任せるけれど、王族としての教育はその手で行う。だからこそ、ダヴィディアートは母に対しても敬意を持っていた。激昂されるのではなく、懇々と諭されてしまえば、ただ恥じ入るしかない。
  連れて行かれたままのニーヴェナルはどうしているだろうか。王子はずっとそんなことを考えていた。まさか、ここまで大事になるとは思っていなかったのだ。つまらない嫉妬心だと誰一人言わないが、それは一人で気付く事ができた。
  だが。
「別に、親衛隊がプライベートで何をしていたっていいじゃない」
「……」
  それにはどうしても頷けなかった。
  馬車からほんの少しだけ垣間見た彼は、彼に勝るとも劣らない絶世の美女を両腕に侍らせて微笑んでいたのだ。自分に忠誠を誓っておいて、城から一歩でればもう彼は自分の物ではないのだと突き付けられた気分になった。
「仕方のない子ね」
  ジューヌベリアは何処か楽しそうな吐息混じりの溜め息をついて、すぐ傍に佇むヴァリアンテに視線を向けた。
「彼らの嘆願を受け入れてあげて、ヴァリアンテ」
「承知いたしました」
  すっと礼を返すヴァリアンテに頷いて、ジューヌベリアは静かに立ち上がった。
「後のことは貴方にまかせるわ。カルマヴィア王家はこんな些末事に介入いたしません」
  部屋の扉を開けると、そこにはジューヌベリア王女付きの親衛隊が待っていた。彼女は彼らを従えて、本来の場所へと去っていった。
  残ったヴァリアンテは扉を閉めて、どこか不満げな王子の背中を見つめる。お説教に来た事が本題ではない。
「ダヴィディアート殿下、ぜひ貴方に会わせたい者達がいるのですが」
「ニールか?」
  弾かれた様に顔を上げる王子に、親衛隊長はやんわり首を横に振る。
「会えばお解りになるかと」
  どこか含みのある微笑に警戒心を覚えた王子は、けれど大人しく彼に従う事にした。

 王城の大広間から少し外れた謁見の間に、男女七人が身を寄せ合って居た。
  平民にしては精一杯の礼服で、彼らがそれ程裕福ではないと解る。だが皆それぞれ目を疑わんばかりの美しさに、衣服など気に留める者は誰一人いないだろう。
「ニールは…、ニールは大丈夫かな…」
  涙を堪えながら囁いたのは、柔らかな栗色の髪をした美少年。
「泣いちゃだめよ、アルフレド。私まで涙が出ちゃう」
  美少年の肩を抱いたのは、彼とそっくり同じような顔をした美少女だ。
「謁見の間に通されたのだから、きっと偉い方が我らの声を聞いてくださるさ」
  少年少女を両腕で抱き留めた、これも美しい中年男性が難しそうに呟く。
「ニール、殺されたりはしないわよね…?」
「なんて事を言うの、ミリアンヌ!」
「だって、ルクレツィア!ニールが懲罰を受けるなんて、アタシには信じられないもの!」
「二人とも、声を荒げてはいけないわ」
  栗色の巻き毛と赤銅色の艶やかな髪をした女性達を宥めたのは、赤毛も豊かな美しい女性だった。
  七人はそれはそれは美しい姿をしていた。どこかそれぞれ似た部分があり、彼らの血のつながりを想像するのは簡単だ。
  ひっそりと身を寄せ合った彼らは、扉の開く音にそれぞれ顔を上げた。現れたのは、飾りの多い洗練された親衛隊服に身を包んだヴァリアンテだった。
「大変お待たせしました。私はヴァリアンテ・ゼフォン。カルマヴィア王家親衛隊の隊長です」
  柔らかく微笑んだ青年に、彼らは一様に頭を垂れた。まさか王族に深く関わる親衛隊でも最高位の相手が来ようとは思っていない。希望と絶望、どちらを叶えてくれるのだろうと、戦々恐々になる。
「あなた方の嘆願を聞き入れ、カルマヴィア王家第五位継承者ダヴィディアート殿下がお会いになります。私的な謁見ですので、どうか無礼の無いように」
  彼らは言葉を失った。呼吸さえ忘れてしまう。親衛隊長だけでも驚きなのに、まさか。嘆願は確かに王子に宛てたものだが、本人が現れるとは夢にも思っていなかった。恐ろしいとさえ、平民である彼らには感じる。
  椅子に座ったままというのは不敬になるのではないか。中年男性が真っ先に席を立ってその場に膝を突けば、周りにいた者達もそれに倣う。足音と気配がする。雲の上の人物が、すぐ傍に居るのだ。平伏したまま、声をかけられることをひたすら待った。
  ダヴィディアートは、これまでの生活でこれほど私的な謁見の場を得たことは殆ど無かった。だから室内に跪く男女の姿を確認して、思わずといったように凝視してしまう。そんな王子を促して椅子に座らせ、ヴァリアンテは微笑んだ。
「殿下、お声を」
「…顔を上げろ」
  第一声は固い物だった。王子は意地悪いヴァリアンテに何一つ相手の事を知らされず、状態を一切把握出来ていなかった。彼らが何を求めてこんな時に現れたのか。更迭されてしまった己の親衛隊員の事で頭がいっぱいなのに。
「これは私的な場なのだろう?それ程畏まらなくても俺は気にしないが」
  声をかけても身動きすらできない彼らに、王子はもう一度言葉をかけた。ちらほら面を上げた彼らを見やり、王子は息を呑んだ。
  七人、十四の瞳が、王子に縋り付くような視線を向けている。だがそんなことよりも、はっとするような彼らの容姿に引き込まれてしまった。
  この感覚は、覚えがある。
  ニーヴェナルを初めて見た時と同じだ。
  王城に住んでいれば、美しいと表現される男女は数多く見てきた。祖母も祖父も、親族は血の現れもあるのか、皆それぞれ美しかったし、傍にいるこの親衛隊長ですら整った容姿だと認めていた。
  だが目の前に居る七人は、そんな王族にも勝る美貌を備えていた。壮観だ。これは驚かずには居られないだろう。
「椅子にかけるといい」
  殆ど呆然としたままそれだけ呟いたダヴィディアートは、彼らの瞳の殆どが黄味の強い銅色であることに気付いた。
「あの、ニールを…、ニールを許してやってください…!」
  後ろの方にいた少女が立ち上がって、今にも泣きそうな表情で訴える。傍に駆け寄らぬようその体を抱いた女性は、必死に押さえ込んではいるものの、同じような瞳で王子を見つめた。
  見覚えが、あった。確かに。
「お前達は…」
  ダヴィディアートは確信めいた物の真実を早く知りたくて、知らず身を乗り出す。肩に触れて諫めたヴァリアンテが一歩前に出た。
「貴方たちの名を。名乗った方から、どうぞ席へお戻りください。王子は貴方たちを処罰しに来たわけではありませんよ」
  柔らかな微笑に促され、中年男性が女性に手を貸しながら立ち上がった。
「ヴォルフ・サリカと申します。お時間をいただき、大変嬉しく思います」
「妻のティファニーでございます」
  一礼して、心配そうな表情を貼り付けたままおずおずと席へ戻る。
  それから順に、
「私は長女のルクレツィアと申します」
「次女、ミリアンヌです」
「フェリシティとお呼びください。三女です」
「僕はアルフレドといいます」
「双子の妹で、アルフィレナです」
  ぎこちない礼をして、それぞれ椅子に座った。
「サリカ」
  ひとりひとりの顔を見つめた王子は、漸く理解できた。
「殿下の親衛隊であるニーヴェナル・サリカのご両親に兄弟姉妹ですよ」
「ああ…、そうか」
  見覚えがあったのだ。つい三日も前のことだ。馬車の窓から、ちらりとしか見ていなくても強烈に覚えていた。それは、ルクレツィアという美女に、アルフィレナという美少女のではないか。
  ニールが怒って当然のことを、俺は言ってしまった。
  王子は彼ら親兄弟に申し訳ないとすら思う。
「息子を正しく育てたつもりでいました。しかし不敬な行いをしてしまうなど、我々が詫びて済むことでないと解っております」
「けれどどうか、どうかあの子にほんの少しでも温情をいただけませんでしょうか」
  お互いの手を握り合ったサリカ夫妻が、今にも地に額ずきそうな声色で懇願する。
「弟は、ニールは本当に優しい子です」
「兄は貴方様のことをとても誇りに思っています」
「帰宅しても城での出来事ばかり、それは嬉しそうに教えてくれるのです」
「兄さんが親衛隊になって喜ぶ姿を、僕は間近でみました」
「あたしも。そんなニール兄さんが酷いことをしたなんて、きっと何かの誤解です」
  そうだろう。想像するのは簡単だ。こんな身内に囲まれて育ったニーヴェナルだ。彼は何も間違ったことをしていない。
「そうだな」
  ダヴィディアートは肩の力を抜いて微苦笑を見せた。
「些細な誤解だ。ニールはすぐに解放されるだろう。だから安心していい」
  これ以上彼らに辛い表情をさせておくなど、いくら何でも自分には出来ない。彼らはニーヴェナルと共に生きてきた者達だ。彼を好む自分が、彼らを嫌える筈はない。
  王子の言葉に、夫妻と兄弟姉妹達に笑顔が戻った。手を取り合い、互いに抱き合う。夫人は涙を見せて夫に寄り添った。
「よろしいですか、殿下」
  さすがのヴァリアンテも毒気を抜かれている。事前に聞いた時には感心すらしていたが、色々な意味で素晴らしいものを見てしまった。長生きはするものだ。
「ああ。彼らを丁寧に送ってくれ。俺の名を好きに使うといい」
「そのように」
  略礼を返したヴァリアンテは、王子の退席を手伝った。
「ありがとうございます!殿下!」
  一番元気の良い少女が、目尻に涙を浮かべながら叫んだ。つられるように彼らが口々に礼を告げてくる。
  恐らく一番自分が悪いと理解しているので、ダヴィディアートはこの場にいることがいっそ恥ずかしくなって来た。
「ニールを俺に与えてくれて感謝する」
  それだけはしっかりと言い残し、彼は謁見の間を後にした。

 

***

 

「知っていますか?言葉は命を奪うことができる。もっとも救うことも出来ますが」

 殆ど捨て台詞に近い言葉を残していったヴァリアンテの後ろ姿を見送り、ダヴィディアート王子は舌打ちした。
  そんなもの、王族だと自覚してから嫌でも教え込まれている。
  目の前の、あまりにも簡素すぎる扉を凝視して息を吐き出した。王城内にある親衛隊の詰め所に、こんな部屋があるとは知らなかった。そもそも王族自らが訪れる場所でもない。
  結果的に王子が行った事は、親衛隊であるニーヴェナル・サリカの親族を侮辱して彼を怒らせ、そして彼に暴力を『振るわせた』ことだ。決して褒められた行いではない。
  ニーヴェナルに対して執着と恋心を抱いている。誤解と嫉妬の挙げ句、事態をややこしくしてしまった。
  彼は不当にこんな場所に押し込まれ、怒っているだろう。見限られてしまったら、立ち直れそうに無い。
「甘えのツケは、しっかり回ってくるものだな」
  ダヴィディアートはそう呟いて、覚悟を決めた。
  己の親衛隊の扱いは、責任を持って自ら決着をつけろ。それが母と親衛隊長の結論だ。
  ドアノブの施錠はヴァリアンテが解除していった。意を決して、ノブを回した。
「ニール」
  薄暗い室内に体を滑り込ませば、あまりの狭さに息が詰まった。罪人が入れられる牢を見たことはないが、きっとこんな感じに違いない。酷い場所においやってしまったものだ。
「お…、うじ?」
  彼は寝台の隅で膝を抱えていた。弾かれたように顔を上げ、黄味の強い瞳が限界まで開かれる。
「お前を迎えに来た」
  僅か二日で随分やつれてしまった。見下ろすダヴィディアートの胸が痛む。
「殿下、どうして…」
  ニーヴェナルはまさか当の王子本人が訪れるとは予想もしていなかったので、もしかして幻覚でも見ているのかと考えてしまうほど混乱した。
  震える指を寝台に這わせて、何とか立ち上がろうとする。けれどこの狭い反省室で二人並ぶ事もできず仕方なくそのまま膝を起こした。身長差が埋まって、二人の目線が殆ど同じ位置になった。
  自分が打ってしまった頬に、傷でも残っていないだろうか。確かめたくて手を伸ばしたが、それほど簡単に触れて良い身ではない。寸前でなんとかひっこめて、顔を伏せた。
「申し訳ございませんでした。謝って許されるものだとは思っていません」
「ニール」
「何を言われようと、僕は貴方に手を上げてはならなかったのに。本当に…、本当に」
「…ニール」
「けれど、最後の引導を殿下にお渡しいただけるのなら、本望で――」
「ニーヴェナル」
  想像とは違う方にいってしまった親衛隊を王子は遮った。怒っていてくれた方が、まだ良かったかもしれない。
「お前の家族と会った」
「え?」
「全ては俺の誤解から始まってしまった。あの言葉は撤回する。謝罪するべきは俺だろう。まだ俺に仕えてくれるのならば、どうか許して欲しい」
  今できる限りの誠心誠意でダヴィディアートは告げた。公式の場では謝罪するという行為自体が皆無の王族が、己の親衛隊にかけた言葉にニーヴェナルが絶句する。
「王子が謝罪など…、僕が王子に」
「受け入れておけ。俺の気が済まない」
「ですが…」
「くどいぞ、ニール」
  強引に言われてしまっては、二の句がつげない。
  王子は先程触れようとしてやめてしまったニーヴェナルの代わりに、自らが手を伸ばした。頬に触れると、大仰なまでに肩が跳ねる。
「お前は誰の親衛隊だ?」
  ゆっくりと頬を撫でてやれば、ニーヴェナルは今にも泣きそうに眉根を寄せた。
  まだ自分を親衛隊としておいてくれるのか。王子の強引な言葉にすら感動を覚える。震える指で、手を重ねた。
「ダヴィディアート殿下の親衛隊です」
「固いな。いつものように呼んではくれないのか」
  本当はきっと、王族に対して愛称で呼ぶなど恐れ多いことに違いない。けれどいつのまにかそれを許されていたのだ。
「ダヴィッド様…」
「ああ。それでいい」
  そう呼ばれるのが好きだ。王族に対してあまりに固まりすぎた態度ではなく、そうやって呼ばれるとぐっと垣根が低くなるように感じる。もっとも彼以外に呼ばれても嬉しいとは思わないだろうが。
  王子は頬に触れていた指を滑らせて青年の顎を捉えた。
「ダヴィッド…様?」
  この期に及んで展開が読めていなかったニーヴェナルは、己の唇を塞がれて頭の中が真っ白になった。
  自分は尊いカルマヴィアの直系王子に手を上げ、あまつさえその本人から謝罪までされてしまった。温情と配慮に深く感激し、親衛隊として剣が持てなくなるまで彼に仕えようと心も新たに決意したというのに。
  そもそも、そうだった。王子は隙があれば寝台へ引きずり込もうとしていたではないか。今更気が付いても遅いが、まさかこの場で思い出すとは。
「…王、子っ…!」
  深くなる口付けの合間に咎めても、放してくれる筈はない。だからといって突き飛ばす事など、もっと出来るはずはない。せめてもの主張に、その背中に縋った。まだ大人になりきっていない体だ、と、何処か冷静に考えてしまうことがいっそ可笑しかった。
「ニール…」
  濡れた音を立てて唇を離したダヴィディアートは、目尻を染めたニーヴェナルの白皙の美貌に酔った。縋り付くとは、なんて可愛らしいことをする。あの清純な家族を間近で見てしまえば、もしかしたら彼に関する様々な噂は殆ど嘘なのではないかと思った。
  抵抗がないのをいいことに、お誂え向きな寝台に彼を押し倒す。ベッドの上では身長差など気にならないなと微笑んだ。
「やはり、お前は可愛いな」
  きっちりと襟を詰めていた親衛隊の上着ではなくシャツ一枚。開いた首筋に齧り付いた。舐めて強く吸い、跡を付ける。自分の物だという、証だ。
「う、わ…!王子!ダヴィッド様!止めてください!」
「往生際が悪い」
「そうじゃなくて!僕は二日もここに居たんです!」
「そうだな。俺が連れ出しに来た。もう自由だ」
「ありがとうございます!…って、だから!顔くらいしか洗えてないんです!あんまり触らない――」
「俺は気にしない。お前がその気なら、逃すか」
「そもそも僕は、…っ、あ、…ちょっ、本当に待って!ストップ!王子!」
  制止するのが先だった。自分が風呂に入れていないとか、それ以前に止めなければならなかったはずだ。今更後悔しても後の祭りで、ニーヴェナルはやはりまだ自分は混乱していると納得せずには居られない。
  何故兵卒の自分を押さえ込める力が王族にあるのだ。体格も自分の方が一回り大きい。これが魔力の差か。そんなまさか。若干プライドも傷付いた。
「色々手順が違うでしょう!」
  叫んでから、それもどうなんだと気付いた。やはり後悔しても遅いのだが。
  きょとんとした顔でニーヴェナルを見下ろしたダヴィディアートは、次の瞬間物凄く嬉しそうに微笑んだ。
  しまった。本気でやぶ蛇だ。
「好きだ、ニール。お前を抱きた――」
「はい、その辺で勘弁してください」
  王子の告白は最後まで言い終われなかった。乱暴に扉を開いた親衛隊長が、鬼の形相で二人を見下ろしている。
「ニーヴェナル・サリカ。君の剣を返そう。さっさと身支度に戻って、業務に就きなさい」
「た、隊長…!」
  何故か一緒に怒られていると感じながらも、今ほど親衛隊長の存在に感謝したことはないとニーヴェナルは本気で思った。
「おのれ、ヴァリアンテめ。話が違うぞ」
「うちの詰め所は連れ込み宿じゃございませんよ、殿下。やるならご自身の部屋へお戻りください」
「ああ、なるほど」
「た、た、隊長!?」
  立った今感謝した気持ちは、親衛隊長本人が切り捨ててくれた。ニーヴェナルは泣きたくなった。
  先程までの力は何だったのか、さっさと退いてくれた王子は足取りも軽く部屋を出て行く。後が怖すぎる。父さん、母さん、ルクレツィア、ミリアンヌ、フェリシティ、アルフレド、アルフィレナ、お願い助けて。
  だが、うちひしがれたニーヴェナルを横目に捉えたままのヴァリアンテは、部下を売ったというわけでもなかった。
「あんまりお痛がすぎると、陛下に告げ口いたしますからね、ダヴィッド様」
「………」
  ぴたりと動きを止めたダヴィディアートは、忌々しそうに親衛隊長を睨み付ける。お祖母様にはお爺様でさえ勝てない。ならば王子はといえば、右に同じだ。
  わがままな王子が引き起こした事件は、こうやって幕を下ろした。

  

脅威のサリカ一家。みんな素で清らか。あんまり白すぎて王子もどん引いた。
父ヴォルフ(48)美中年、母ティファニー(50)美中年、長女ルクレツィア(28)既婚美女、長男ニーヴェナル(26)王子様系美形、次女ミリアンヌ(24)既婚美少女、
三女フェリシティ(20)美女、次男アルフレド(15)美少年双子兄、四女アルフィレナ(15)美少女双子妹。脅威の八人家族。ロリから美女まで。
父とニールが稼ぎ頭だがわりと貧乏。下町の聖域。近隣でも有名。
2010/01/10

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