わがまま王子と親衛騎士 9

The Majestic Tumult Era "Spoilt Prince and Palace Knight"

「辞退します」
  特に顔色を変えるでもなく、王族もかくやという美貌を持った青年が、殆ど即答で答えた。
  ここは親衛隊詰め所の隊長執務室だ。各師団の役職者が持つような広いものではなく、机と椅子が置いてあるだけのこぢんまりとした個室である。もちろん、並べられた家具の類は、親衛隊に相応しく品のあるものではあったが。
  そんな狭い室内に、親衛隊長と新米親衛隊員がふたりきり。
「…ちなみに、理由を聞いても?」
「僕は主ただひとりに、忠誠を誓っているので」
「君が殿下に告げなければ、誰一人として知るところじゃなくても?」
「それでもです」
「……」
  揺るぎのない意志のような物を黄味の強い銅色の瞳に宿らせた青年を見つめ、ヴァリアンテはこめかみを解す。
  目の前の青年、ニーヴェナルには、王族から夜伽指南の依頼を受けているという旨だけを伝えた。答えは殆ど解りきっていた。
  ニーヴェナルは己の容姿を知っている。驕り高ぶる事も、気障ったらしく見せびらかすことも、ましてや容姿を武器に使うなんてことは以ての外だが、平均的美形よりは賞賛されるものである、ということは事実として知っていた。もっとも、同レベルの顔が大所帯の家族なので、自分が美しいなどとは他人に言われるまで気づいてもいなかったが。
  顔の善し悪しなど、ただの個性だと思っている。勝手に付加されていく下世話な噂があるぶん、面倒だなと感じることもしばしば。
  見習いからフリーの期間も無く、殿下付きの親衛隊員に就任したので、夜伽指南の申し出は多くない。基本的に主のない親衛隊員にお鉢が回されるのが通例だからだ。そのかわり、火遊びをしないか、という打診は多い。身持ち云々以前に、性格からか遊ぶことをこのまないニーヴェナルは、誘いの全てを丁寧に断っていた。
  ヴァリアンテも、それは知っている。だからこそ、彼の答えは予想の範囲内だった。
「サリカ、君は男相手の経験ってある?」
「……僕は辞退するって言ったんですが」
  世間話のような口調で尋ねてみたヴァリアンテに、ニーヴェナルは延長線上の何かだと敏感に察知して顔を歪める。
「わかってる。一応聞いておこうかなと思って」
  裏は何もないんだよ、と子供に言い聞かせるような微笑は、付き合いの浅いニーヴェナルが騙されるには十分なものだ。青年は仕方なく口を開く。
「偶然現場を目撃したことがあるくらいです。やり方は知ってますけど、経験はありません」
「抱くのも、抱かれるのも?」
「はい」
「異性愛者だっけ?」
「深く考えた事はありません。付き合ったことのある相手が女性だっただけで」
「そう」
  カーマ王国は基本的に両性愛の傾向がある。子孫繁栄には男女間でなくては機能的に無理だが、恋愛に関しては差別という概念が殆どなかった。それは、始祖が魔族であることも所以のひとつだろう。異性しか愛せなかったとしても問題ない。ただ単にそれらは個人の嗜好に過ぎないとされている。
「例えばの話だけれど、指南の打診をしてきた相手がダヴィディアート殿下だったら、君はどうするかな」
「……………は?」
  頬杖をついて悪戯っ子のような表情を浮かべたヴァリアンテが落とした爆弾発言に、当のニーヴェナルは固まった。それはヴァリアンテが件の王子から打診を受けた時に晒した、間抜けとも呼べる顔つきに酷似していた。開いた口が塞がらないとは、まさしく今のニーヴェナルの顔だろう。
「男を抱く練習がしたいって言われたら、どうする?」
「え…?ええ?」
  澄んだ瞳を白黒させながら、ニーヴェナルは狼狽える。
  例えばの話。本当に例えばなのだろうか。にっこりと笑う親衛隊長からは、言葉の陰に潜む何かを探すことも出来ない。
  主であるダヴィディアート殿下は、そんな下世話な物に興味を持っている筈がない。そんな狭量とも言える偏見や願望を抱いている訳ではない。王子も思春期だ。一番興味を持つ年頃と言ってもいいだろう。
  自分が考えもしなかっただけで、もしかしたら一通りの夜伽指南は受けているのだろうか。いや、いくら何でも護るべき王族のプライベートを仄めかすようなことを、纏め役で ある親衛隊長自らが口にする筈はないだろう。
  だが、だったら、微妙な機微を知っていそうな王子の態度は納得できる。かもしれない。口付けには未経験者のあどけなさなど無かった。
  実際己の身で経験してしまっているニーヴェナルは、王子の数々の行動を思い出してしまった。混乱に輪をかけるようなものだ。
「それでも君は、辞退を即答するのかな」
「え、ええと…。すみません…。例えばの、話なんですよね?」
「まあね」
  その、まあね、はどちらに捉えていいのだろう。
  身に覚えが有りすぎた。正攻法では崩せないからと、権利を主張してまで手に入れたいほど好かれているのだろうか。それとも、心が手に入らないことに苛立ち、身体だけでも奪おうと言うのだろうか。
  忠誠という名の愛は、剣に誓って捧げている。偽りなど無い。
  好きだと、何度となくアプローチを受けている。言葉と、幾つかの強引な行動で。正統王家の何たるかと一番知っている王子本人が、その親衛隊に愛を囁く。一時の気の迷い、若気の至りに留めておけない程、なのだろうか。
「直ぐに答えが出そうにない?」
「…はい」
  可哀想なほど眉を下げて狼狽えるニーヴェナルに、ヴァリアンテは苦笑した。背筋を解すよう椅子に深く座り込む。困っているのはお互い様だが、実情を告げてやる気はない。
「主としては愛していても、ひとりの男として愛せないっていうなら、それでいいんだけどね」
  正直にそう告げたとして、誰に後ろ指をさされるものではない。
  だがニーヴェナルは、親衛隊長の呟きに同意することは出来なかった。
  十も年下の王子は、将来どんな成長を遂げるか楽しみな人物だ。会話し、共に行動していれば、人柄だとて好ましく思える。男だから愛せない訳ではない。むしろ、尊むべき王族だからこそ、簡単に恋愛対象になどできないのだ。
  だからこそ、アプローチから必死に逃げて誤魔化していた。王子の気持ちに対して不誠実に逃げていたのか、自分の心を誤魔化していたのか、それすら考えないようにしていた。
「まあ、とりあえず宿題ってことで」
「……」
  反応を返せないニーヴェナルは、今が勤務明けで良かったと他人事のように思う。もしこれから王子の傍に従わなければならなかったとしても、まともに警護出来そうにない。あの顔を直視出来るかも怪しい。
  明日の朝まで考える時間はあるけれど、誰にも相談出来ないような宿題は、とても荷が重いもので。全て忘れて眠ってしまいたい。けれど、どうやら眠れそうになどなさそうだった。

  

葛藤する27歳。
2010/09/18

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