わがまま王子と親衛騎士 11

The Majestic Tumult Era "Spoilt Prince and Palace Knight"

 何度目かのノックをしたニーヴェナルは、出直した方がいいのかと肩を落とした。
 ここは本来の職務では殆ど立ち入る必要のない場所だ。師団寮の、それも将軍や隊長クラスが仮住まいにしている一室の前。しかも部屋の主はあの黒天師団長だ。親衛隊章を持っていなければ、絶対に近寄る事など出来ないだろう。
 だが、居ても立っても居られなかったのだ。今打ち明けてしまわなければ、もう誰にも言えない気がする。一晩眠ってからなんて、眠れないとは思うけれど、絶対に無理だ。夜道を歩いて酒気が抜けた頃には決意していたのだ。
 ニーヴェナルは、黒天師団長に用があるわけではなかった。何故こんな場所に居るかと言えば、殆ど伝言ゲームに近い。私服のまま、彼は王城へ戻った。向かったのは数時間前に退出した親衛隊詰め所だ。
 夜勤ではない隊長は不在だった。その詰め所で休憩中の隊員を捕まえた。非番の親衛隊長が何処にいるか尋ねてみる。正確な場所は誰も知らなかったが、自宅に帰る旨は報告されていない。暫く思案していた隊員のひとりが、黒天師団副官のひとりである事務官長に聞いてみろと言った。
 仕方なく黒天師団に向かい、兵士に取り次いで貰って事務官長が居るか尋ねれば、幸運なことにこんな時間でも副官はまだ師団に居た。私服の親衛隊員を見て訝しげな視線だったが、何とか堪えた。親衛隊長の居場所を問えば、思案の後、今度は宿舎の黒天師団長室へ行ってみろと言われた。何故か苦笑付きだった。
 宿舎の前で衛兵に親衛隊章を見せ、黒天師団長の部屋を尋ねた。正式な訪問申請は受けていないが相手は親衛隊員だ。衛兵には責任が回らないと判断したのか、彼らのひとりが途中まで案内してくれて、今に至る。
 親衛隊長は、黒天師団長と仲が良い。かつての弟子だったとかで、彼らが自分と同じ歳の頃から既に親しかったと聞いている。気心の知れた親友同士、と言うにはもっと親しそうだが、年齢を考えてそういう物かと思っていた。
 だが、気の良い親衛隊長と言え、友人の部屋に深夜まで居座っているという行動がどうも結びつかなかった。王城の中で見る親衛隊長の姿しか、ニーヴェナルは知らない。
「…何だ」
 もう諦めて帰ろうかとした時、漸く重い扉が開いた。はっとなり、顔を上げる。
「あ!…ええと、すみません。親衛隊のサリカと申します。こちらに親衛隊長が居るのではないかと聞いて来たのですが」
 顔が見えるぎりぎりの隙間から、暗い室内に廊下の光が差し込んで、見事な赤毛が現れた。黒天師団長だ。顔つきは自分より少し年上に見えるが、実際の年齢が実父と同じか上であるとは思えない。魔力の表れは凄い物だと、彼ら強者を見る度いつも思う。
「あの…、……!!」
 居ませんか、と再度尋ねようとしたニーヴェナルが、途中で固まる。
 黒天師団長は、上半身が裸だった。就寝中だったのだろうかと、申し訳なく思った次の瞬間、何かとてつもなく不味い現場に出くわしてしまったと後悔する。
 黒衣の所為で着痩せして見えると評判だが、やはり見事な筋肉が乗っている。男として一瞬憧れた。扉にかけた手のひらから伸びる腕には、他者を威圧する霊印が鮮やかだ。カーマ男性の平均身長を上回る黒天師団長は、気怠そうな、それでいて淫靡な気配を漂わせている。間近で見てしまえば、うっすらと汗をかいているようだ。これは、もしかしなくてももしかするのか。
「ヴァリアンテに何か?」
 冷たく光る黒眼で見下ろし、擦れた低音で尋ねる。
 咄嗟に視線をそらせたニーヴェナルは、どうしようか本気で迷っていた。何だこれはどうしたらいいのだ。黒天師団長が誰か連れ込んでナニかしているとして、それが誰かなんて興味はない。だが、彼は親衛隊長の名を出した。居るから尋ねたのか、それとも、居ないけれど気になるから尋ねたのかどっちだ!
「用が無いなら、閉めますが」
「えええええと、ですね、し、親衛隊長はそちらにいらっしゃるんでしょう、か…?お話したい、ことが…ありまして」
 居たら居たで不味い気がするのに、ニーヴェナルは上手いかわし方など出来ずに正直に言ってしまった。
 不躾すぎると気付いたって遅い。黒い瞳がじっと、ニーヴェナルを見つめている。居たたまれない。もう居てもいいから逃げ出したいとすら思う。
 だが、ひとりで大袈裟に慌てているニーヴェナルを尻目に、黒天師団長であるカーシュラードは一度顔を奥の方へと向けた。それからゆっくりと首を戻して、盛大な溜め息を吐く。なんだか舌打ちも聞こえた気がする。
「…どうぞ」
「え、ええ?はい?」
「さっさと入りなさい」
 そのまま部屋の奥へ引っ込んでしまった黒天師団長を追って、ニーヴェナルは慌てて扉をすり抜けた。明かりが灯され、その瞬間岩のように動けなくなる。後退ったお陰で扉は閉まった。
 小卓の元、背を向けたままのカーシュラードは、手慣れた仕草で煙草を取り出して咥え、火を付けてから深く吸い込んだ。指先に持ち替え、紫煙を吐き出しながら振り返る。
 扉にみっともなく張り付いている新人親衛隊員の姿に、殆ど呆れてしまった。行儀悪くも卓に軽めに腰を下ろし、ソファへ行けと顎で指示する。
 なんだかとても不良のようだと馬鹿みたいに思いながら、それでもニーヴェナルは一瞬前に見た物が忘れられなかった。
 背中の肉体も、ほれぼれする鍛えられ方だ。しかし感心するより、その背に走る数本のひっかき傷が生々しく焼き付いていた。背中の傷は剣士の恥だ、などとは言わない。この黒天師団長は、恥を恐れて死ぬようなひとじゃ無かったと思う。いや、そんな事ではない。ようするにあれは、ベッドの中で付けてくる男の勲章の類だろう。絶対そうだ。
 半眼で睨まれて――いるように感じた――漸く動き出したニーヴェナルは、右手と右足が一緒にでそうなほど焦ってギクシャクしながらソファへ移動する。膝の上で拳を握り、居たたまれない時を過ごすこと暫し。永遠に続く針のムシロか、と冷や汗をかき始めたあたりで、奥の間の扉が開いた。
 現れた人物の姿に、もう本当に何で自分はこんな所に来てしまったのかと、何度目か解らない後悔を味わう。
「…待たせて悪いね、ニーヴェナル」
 それは確かに親衛隊長だった。
 親衛隊服に見慣れているが、私服でもなかった。バスローブ一枚。きっちり着込んではいるけれど、バスローブ一枚だ。
 ニーヴェナルは、何だか誰でもいいので大声で謝りたくなった。王子の件で、言えなかった本心を打ち明けようという気持ちも、この瞬間ばかりは吹っ飛んだ。
 父さん、母さん、ルクレツィア、ミリアンヌ、フェリシティ、アルフレド、アルフィレナ助けて!
 ぱくぱくと魚のように口を開きながらも、幸いにも叫びは胸中だけで響いた。

  

ニール、テンパる。カーシュは絶対見せつけている。
2011/01/31

copyright(C)2003-2011 3a.m.AtomicBird/KISAICHI All Rights Reserved.