わがまま王子と親衛騎士 13

The Majestic Tumult Era "Spoilt Prince and Palace Knight"

 カルマヴィア王家第五位継承者ダヴィディアート殿下は、久方ぶりに良い気分で過ごしていた。
  午前中の政治学と哲学の授業は教師陣と対等に渡り合うことが出来たし、昼食を終え、午後の剣技も満足行くものだった。最も王子の場合は、剣術は嗜む程度でいい。適正から考えても剣士の属性は持っていないし、魔術を扱う方が向いている。剣技は親衛隊に任せておけばいいのだ。守られることが本分であるので、無駄に己を危険に晒すような事はすべきでないと解っている。
  午後三時過ぎ。予定は無い。
  のんびり読書でもしようか。貴族外交の類も今日は無いことだし。
「何かお持ちいたしましょうか?」
  湯浴みを終えてた王子に着替えを手渡しながら、ニーヴェナルが微笑んでいた。
  上機嫌の原因は彼だった。
「そうだな。お前達もどうだ」
  疑問系ではなく殆ど断定の口調で告げれば、ニーヴェナルは苦笑混じりに是を応えた。
  すぐに給仕のメイド達が呼ばれ、リビングにティーセットが並べられる。ダヴィディアート殿下親衛隊の纏め役であるオズワルドが傍で佇んでいた。王子がちらりと視線をやれば、老隊員は微かに頷く。卓上のカップは二つだけ。
「爺は些か席を外させていただきますが、構いませんかな、殿下」
「そうか。残念だが、また誘うことにしよう」
「喜んで。――では」
  見事な一礼の元、オズワルドは給仕達と共に下がる。
  残されたニーヴェナルは何か勘ぐるように眉を顰めただけで、それ以上顔色を変えなかった。午後の陽が差し込む明るいリビング。引いた椅子に王子を促し、ポットを手に取る。晩餐の場でもなければ、親衛隊はメイドや執事よりも勝る。
「お茶菓子は殿下のお好きなものですね」
「ああ。…お前も座れ、ニール」
「ありがとうございます」
  王族の対面に座することの出来る栄誉は、ニーヴェナルにとっては信じられないような光栄な事に違いない。慣れたとはいえ、喜びが焦ることは無かった。
  丁度良い温度の茶を口に含めば、仄かな甘さが疲れた身体を癒すようだ。小さな角砂糖がひとつ。主の好みも、既にマスターしている。溶けた砂糖飾りが琥珀色に揺らめく。
  沈黙が落ちても不快ではない。
  つい先日までは、気まずさのようなものを漂わせていたニーヴェナルだが、今は微笑みを浮かべ優雅に紅茶を飲んでいた。赤銅色の髪が光に照らされてきらきら光っている。黄味がかった茶色の瞳は伏せられているが、その容姿に見合うだけ美しい輝きを放っていることだろう。
  どこの社交界に出しても文句のない完璧な美しさだ。
  最初は確かに、この見た目に心を奪われた。近衛兵として働いている姿を一目見たときに、オズワルドへ誰何したことは記憶に焼き付いている。王城を護るという誇りを一身に表すような立ち姿だった。あれを手にできれば、どれだけ自慢できるだろう。
  思えば随分子供だった。親衛隊長を呼びだして、若い隊員が欲しいと強請った。最初は眉を顰めていたが、どうやら水面下でそのような話題は上っていたらしく、渡りに船だとほくそ笑んだ記憶がある。
  適性審査を通過し、親衛隊員に引き上げて、見習いから直ぐに自分の元へ引き込んだあの時の自分は身に付けた外交手段をフルに使いまくった。今まで殆ど我が儘らしいことも言わなかったお陰ですんなり通った事は、幸運だけでは言い表せないだろう。
  実の兄や従兄弟達に見せびらかせれば良かったなんて、今にして思えば憤慨ものの我が儘だが、審美眼は確かだったらしい。実際ニーヴェナルを親衛隊にしてみれば、彼は実に誠実で誇り高い男だと解った。
  勿論それまで仕えてくれている他の親衛隊員達に劣っていた点など無い。けれど皆、どこか子供を見る視線で自分を見つめていた事も確かだ。実際子供だったのだから仕方がないが、ニーヴェナルは違っていた。主として、子供相手ではないと態度が語っていた。
  家族愛に近い視線ではない。忠誠と誇りを真正面から捧げられる心地よさを、初めて知ったような気分だった。主従とはこうあるべきだ。物語にあるような。けれどそれでは物足りないと思ってしまったのも確かだ。贅沢も過ぎるだろうか。彼の全ては自分の物だと解っている。それなのに、それ以上を求めてしまう。
  ニーヴェナルは頑なに、忠誠愛と恋愛の線引きをしていた。十年分年上な為だろう。かわし方は上手かった。けれど諦める気は全くなかった。
「…お前からは、今までまったく色恋沙汰を聞かないな」
  親衛隊長に夜伽指南の話を出す暫く前から、実は過剰なスキンシップの類を控えていたダヴィディアートは、問われた相手がどう出てくるかと内心探りながらも話題を口に出した。
  一瞬驚いて見せたニーヴェナルは、手にしたままのカップを卓に戻し、濁りのない瞳で殿下を射抜く。
「僕はこの任を賜った時より、殿下おひとりをお慕いすると決めていますから」
  そこに欲望の色など一滴も滲んでいない。清廉な雰囲気に甘さは無い事が本当に残念だ。いつか、この言葉に違う意味を持たせたいと思う。
「近衛だった時の恋人は捨てて来たのか?」
「まさか。そんな相手はいませんでしたよ」
  目尻を下げて笑顔を浮かべるニーヴェナルは、嘘を言っているようには見えない。最も嘘を得意としないことは承知なので、疑うことが馬鹿らしいのだが。
「その割に駆け引きが得意だろう」
「いいえ。不器用なだけです。不誠実、かもしれない」
「不誠実?お前がか」
「…残念ながら。僕は自分の気持ちに向き合うこともしていなかったので」
  視線を落としたニーヴェナルは、それ以上今は聞いてくれるなというような雰囲気を出しながら紅茶をすすった。
  はぐらかされてやってもいいのだが、どうやら今の彼は、この間までとは随分気配が違っている。手負いの獣を逃す愚は犯すまい。
「今は違うと?」
「……」
  苦笑混じりに、困ったなと言いたげなニーヴェナルは殿下に向き合う。
「そう、ですね。色々と助言に恵まれまして、気持ちの整理をつけているところです」
  やはり駆け引きが上手いじゃないか。
  ダヴィディアートはそう言いたいのを堪え、黙って頷いておいた。
  彼は一体どこまでを知っているのだろう。親衛隊長に打診した内容は、正確に届いているのだろうか。件の親衛隊長ヴァリアンテは、判断を保留にすると言ったきり続報を持って来てはいない。
  これは、どう判断するべきだろうか。
  ニーヴェナルの心境に何か変化があったことは確かだろう。業務中に考え込むような事も無くなっている。そうやって自分のことだけ考えてくれているという事実は、どこか暗い喜びでもあったのだが、あれはあれで歯痒かった。
  一体今は、どんな整理がついたのだ。
  夜伽を受け入れるのか。気持ちを受け入れるのか。どちらか半々にするのか。全て無かったことにするのか。考えると苛々してしまいそうだが、穏やかなこの場をぶち壊す事はしたくない。
  子供じみた我が儘と独占欲で彼を欲しているわけではなくなったのだ。中身に惚れ、彼自身から得られる愛を全て手にしたい。家族を愛する心やさしさも、どんな時でも自分を最優先にする忠誠心も、従うだけではなく時に咎めることの出来る強さも、見た目だけと侮る者達を唖然とさせる剣技も。全てに惹かれてやまない。自分とはあまりにも違う彼が、だからこそ愛おしい。
  いつか身を散らし盾となる騎士を、その瞬間まで愛していたい。そんな危険な場をむかえるかどうかなど、自分の手腕一つだ。上手く渡り合う技量を、王族として十二分に学んできている。生かすも殺すも、全ては己の意志ひとつ。
  ダヴィディアートは、騎士の命を全て受け入れる覚悟を、とうにしていた。そうしてなお、彼をより深みへ迎えたい。許される贔屓と、赦されざる贔屓を弁えている。堕落は乃ち、受け入れた彼を貶める事に他ならない。だから、絶対に自分は誇れる王族で居るだろう。成人となれば公式な職務が与えられる。その時、彼が恥じぬ主であろう。
「俺は、お前が生涯誇れる者で在ろう」
「…ダヴィッド様」
  瞳をしばたかせるニーヴェナルに、ダヴィディアートは自信に溢れた精悍な顔で語った。

「ニーヴェナル、俺はお前が好きだ」

 ちゃんと伝わってくれればいい。
ダヴィディアートの心中をどう取っているのか、ニーヴェナルは困ったように微笑むだけだった。


  

オズワルドおじいちゃんは、孫の恋路を応援しているっぽい。
2011/04/23

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