誘う

The Majestic Tumult Era "SS"

 カーシュラードはイライラしていた。
 一分の隙も見えない剣捌きで相手を圧倒しながら、しかしその視線はちらちらと外野に向けられている。余裕、とはこういう戦い方を言うのだろうか。あまり誉められた戦い方ではないが。
 時間はまだあったが、カーシュラードは早々に試合を切り上げることにした。一瞬、本当に一瞬だが、外野の中に目当ての人物を見つけたから。

「勝負有り!」

 審判役の兵士が終了を知らせた。力を受けきれなくて尻餅を付いた相手に手をさしのべて、カーシュラードは剣を収めた。金剛位を誇示する刀剣ではなく、競技用のそれだった。
 外野からは女性兵士や見物に来ていた生徒達の歓声が止めどなく聞こえている。次の試合に向けて幾分声は抑えられてはいるものの、その声や視線は間違いなくカーシュラードに向けられていた。
 本人は得に気にしたことなどないのだが、カーシュラードはこれでいてなかなかの色男である。艶やかな赤毛に、意志の強いどこか冷たく光る黒曜石の瞳。父と兄に似た精悍で甘い顔付きと、引き締められた長身の体躯。
 まだ三十手前である彼を、女達が放って置くはずもなかった。しかし本人は一向にマイペースを貫き、遊び意外では決して女性と付き合わない。誰かさんとは違って。
 その誰かさんは、女性士官の中に紛れ込んでいた。隣にいるグラマラスな赤毛はドナだろう。おおかた彼女に連れてこられたのに違いない。
 その赤闇の瞳と目が合った。赤や黒や茶が多いなかで、甘栗色の髪はよく目立つ。穏やかそうににこりと笑って、カーシュラードに呑気に手を振っている。
 ここ一週間というもの、触れる事はおろか顔すら見れなかった。お互いにお互いの仕事と折り合いが悪くて。それでも時間を作ろうとしなかったのは、長くともに過ごせる暇を捻出することが不可能だったからだ。一秒でも会いたかったが、会ってしまえばそれだけでは済まなくなるとわかっていた。だから自分からはへたに会いになど行けなかった。

 しかし、いい加減限界だ。これでも十分我慢した。

 自分はこれ程飢えているのに、飄々としたその姿勢に苛立つ。まるで欲しているのは自分だけのようだ。悔しい。嫌と言うほど思い知らせてやりたい。
 新しい試合が始まったお陰でカーシュラードの行動を逐一見つめる者はいないが、近くの女性兵士達は短く歓喜する。
 それに愛想を振ることも忘れて、カーシュラードは目当ての人物を追いつめた。
「ヴァリアンテ」
 腰に響くような低い声で名を呼んで。
 呼ばれた当人は、真剣な表情のカーシュラードに食われたように動きを止めていた。純粋に疑問がっている風にも見えたが。
 万が一に逃げ出されないように、片手を壁に付ける。そのまま耳元に唇を寄せて、周囲が聞き取れないような囁きを送った。
「何が何でも今晩行きます。絶対に時間を空けておけ、兄さん」
 実に珍しく兄に命令を下したカーシュラードは、自分の仕事は済んだとでも言うように素早く控え室へと戻っていった。
 返答をする間もなかったヴァリアンテは呆然とその後ろ姿を見送った。女性達が嫉妬と羨望と好奇の瞳を向けている。最高指南役の一人であり、金剛位でもあるヴァリアンテにあからさまな侮蔑を向ける者などはいなかったが、それでも恥ずかしさと情けなさにヴァリアンテは顔を覆いたくなった。頭痛がする、とこめかみをさすった。
「やるわネ、あの坊やも」
 どこか嬉々として、ドナは囃し立てた。
「笑い事じゃないんだよ…。苦労するのは私なんだから…ホントに」
 深く溜息を残して、何とかして仕事の算段を付けようとめまぐるしく考えた。
 彼は自分が行った行為によって、実の兄が被る被害を理解していない。実力も地位も血筋も容姿も優れたカーシュラードが贔屓する人物は独身の女性にとっては憎むべき相手だ。幸いにもヴァリアンテの性格や見た目が女性ウケする為に対した惨事にはならないが、それでも皆無ではない。
「ホンット、ヴァルの事しか見てないわよねン」
「……可愛いんだけど、無自覚過ぎるんだあの子は」
 そう言っても、弟の誘いを断ることすら考えてない事に気付いて、もう一度深く深く息を吐き出したのだった。

  

なんか、カーシュが格好良いところを書いたはずなのに、なんとなくヘタレてる…。はた迷惑な弟だ(笑)。
2003/12/17

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