休憩

The Majestic Tumult Era "SS"

 ああ、眠たい…。


 ヴァリアンテとドナは、高官用のカフェテリアで休憩を取っていた。朝と昼間の中間、ここ数日慌ただしい黒天師団に比べドナの所属する赤天師団は随分と空いた時間を持て余していた。
 殆どの雑用は部下に押しつけて、肉質的なドナは親友である宮廷指南役をブランチに誘ったのだった。
「のんびりしてていいの?」
 ココアの粉末がのったカフェラテに口を付けながら、向かいに坐るドナを見た。
「いいのよン。私が仕事しちゃったら、あの子たちの仕事がなくなっちゃうじゃなぁい」
 あの子達とはドナの部下のことだ。年かさは下手をするとドナの方が下かもしれないのだが、彼女は愛情とからかいを込めてそう呼んでいた。
「アタシのトコは今年殆ど新人をあんまり採らないのよ。黒天の方が増員するらしくて、あっちは大変らしいけど」
 大きな胸を反らせて、ドナは伸びをした。零れそうな胸を惜しげもなくさらしている。風紀を取り締まる側にいる赤天師団の主要部隊長がこんなのでいいのかと影で囁かれているが、彼女の有能さや強さを知っている者達は皆大目に見ていた。正式な式典ではストイックなまでの軍服に身を包むのだから、いいだろうと。(よくはないだろ)。公人としての立場になるときには、それなりの恰好をするのだから。
「そういえば…」
 言いかけて、彼女は口をつぐんだ。カフェテリアの入り口に見知った人影を見つけたからだ。
「ハァイ!」
 腕を上げて振ると、その人物は歩みをこちらに向けた。
 燃えるような炎の赤を配色とするドナとちがう闇紅色の髪、夜空に似た漆黒の瞳を持った黒天師団の部隊長。
「一段落付いたの?カーシュ」
 ヴァリアンテは労るような瞳を向けた。
 黒衣を纏ったカーシュラードは目に見えて疲れている。おおかた殆ど眠っていないのだろう。
「漸く一区切りってとこです」
「そっちは大変ネ…。心中くらい察するわン」
「それは、どうも」
 眉間を軽く揉みながら、カーシュラードは傍に来た女官にエスプレッソを頼んだ。
「朝食は?」
 一体何日寝てないのだろうと、横に坐る実の弟を見つめながら問うと、食べていないという返事が返ってきた。
「軽く何か食べた方がいいよ。そんな濃いコーヒーを胃に流し込んだら、体に悪いから」
「何か食べると眠りそうなんですよ。明け方シャワーを浴びましたけど、それでもすっきりしないんで…」
 答えながら、懐からシガレットケースと取りだした。
 一本銜えて火を付ける。それから気が付いたようにケースを二人に差し出した。ヴァリアンテは軽く手をあげて断り、ドナは煙草を吸わないのに手にとってそれを眺めている。
 テーブルの周りに品のいい紫煙が舞った。
「嫌だわネ。こんな高級なの吸ってるなんて!」
「初めて会った時から変わってないね、その銘柄」
 海を渡った細長い島で作られている高品質の紙煙草である。一箱分で、普通の紙煙草の二倍は値が張るものだった。その嗜好品を常に手放さず持っているのだから、さすが王族というものか。
「初めて好きになった女性が吸ってたんですよ」
 それは、驚いた。
 そして二人は同時に、

「どこのマダム?」
「どこのご婦人?」

 真顔で聞くものだから。
「………」
 睡眠が足りなくて疲労を訴え続ける脳が、思考を停止しかけた。カーシュラードは深く息を吸って、呆れ混じりに大袈裟に吐き出す。
 あれやこれや好き勝手詮索してくるドナを適当にあしらいながら、懐中時計を取りだした。そろそろ戻った方がいいだろう。ほんの少し仮眠を取って、それから最期まで仕上げてしまえば、堅苦しいデスクワークから解放される。
 もう一度溜息を付いて、煙草を揉み消した。
「頑張れ、若人。仕事が明けたら、酒でも奢ってあげるよ」
「そぉねェ。パーッと呑みに行きましょうか」
 立ち上がった黒衣の士官に、呑気な二人はひらひらと手を振った。穏やかな光を反射させる白いテーブルでくつろぐ兄と同僚が羨ましい。
 適当に手を振り替えしてその場を去ろうとした途中、カーシュラードはひとつ物足りなさを感じて振り向いた。
「どうかした?」
 甘栗色の髪がさらりと音を立て、首を傾げるヴァリアンテ。赤暗の瞳が疑問を浮かべている。
「せっかく会えたのに、忘れていました」
 規則正しく軍靴を鳴らし、カーシュラードはヴァリアンテの傍に寄った。片手をテーブルにつけ、もう一方の手で実兄の顎を捉える。
 そして、そのまま――――
「カ…―――」
 名を呼ぶ唇は、途中で塞がれてしまった。
 荒々しく奪い合うようなキスではなくて、もっと柔らかく優しい。精一杯の愛情を込めた、甘えのようで。驚きに見開いた瞳は、途中で閉じた。ここは公衆の場だとか、抵抗しなくてはいけないとか、そんな当たり前のことがすっかり抜け落ちてしまった。
 エスプレッソと煙草の苦さが混ざった味がするのに、本当に酷く甘いとさえ錯覚してしまう。 
「…っん…」
 ちゅ、と名残を惜しむような濡れた音を残して。疲れて飢えたようなカーシュラードは、 漸く動揺を顔に表して瞼を開いたヴァリアンテのこめかみに、親族にするようなキスを残した。
「それじゃあ、また」
 ふらりと、陰を帯びた壮絶な男の色気と重低音の囁きだけを置いて。
 後に残ったのは運悪く目の前で目撃してしまった――しかし何故か楽しそうな――ドナと、何だか訳が全く分からずに混乱しているヴァリアンテと、食器を片づけようと近寄ってきた女官。
「……あぁらやだ」
 ニヤリと。そんな笑みを浮かべっぱなしのドナが、向かいに坐るヴァリアンテの足をブーツの先でつつい た。
「いつのまにそんな関係になってたのヨ。御姉様に教えてごらんなさいナ」
「や…、え…、ごめん。私もよくわからないんだけど、…何だったんだろ今の…ホント」
 疑問符をあちこちに浮かべたまま、そんなある春の午前中。


 余談ではあるが。
 その日を境にものすごい勢いで宮廷内の女官ネットワーク網にとある『噂』が広まったのは言うまでもない。

  

2004/7/14

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