Omnia vincit Amor.

geter様以外の持ち帰り厳禁!! yuki様へ>>>2007/6/21:25hit

 世界の境界を越える、という行為は、保持する力が大きくなればなるほど難しい。世界は謂わば閉じた空間で、その中の限られた物質で構成されるという理を持つ。
 だからその世界から極端な質量が消滅してしまったり、また増えたりするとバランスが崩れる。その差異をどれだけ少なくできるか、それが越境の能力だ。力だけ強くて境界を越えた魔物や魔族、ある意味精霊の類でも、世界の理に認められている物以外が出現すると討伐の対象になる。それらは須く住人達にとって悪影響にしかならないのだから。
 幸いメリアドラスは能力が高かった。己の力を自国に置いたまま、理に制約されることが無く移動を行える。だからと言ってただの人間と同じ力しか持っていないかと言えばそうではなく、力はいつでも引き出せるように細い線のような物で繋げてあった。
 第三世界と呼ばれるここは、魔と聖の出入りが特に激しい世界だ。魔を司る世界と、聖を司る世界の両方から影響され、越境のラインがいくつもある。
 人間にとっては強大だが、世界にとっては驚異にならない魔物や精霊などは好きに行き来ができる希有な場所だ。たとえば、メリアドラスが使役する魔人などは自由に動き回れる。その代わり第三世界で害を受けても、自世界からの援護は何一つ得られない。
「幸いにも、この世界には私と同位の魔族が降りている。勢力図から見ても、魔の浸食が容易い」
「でも万能ってわけじゃねぇんだなー」
「要するに侵略行為を行わなければ目を瞑ってもらえるということだ」
 雑多な街道をぶらつきながらの会話は、場所に似つかわしくないものだった。周りをきょろきょろと窺っているので、内容を理解しているのか怪しいところではあるが、カグリエルマは案外ちゃんと聞いていた。
「なんにせよ魔力を持ってるってことが大前提なわけだろう。どっちかといえばお前より俺の方が危ないんだな」
「ああ。だからせめて私の目の届く所には居てくれ。それであれば常と変わらぬ行動が出来るから」
 いつものようなフロックコート姿ではなく、戦闘にも慣れそうなロングコートを纏ったメリアドラスは、隣を歩くカグリエルマの髪を掬って耳にかけた。ダブルバレルの黒いシャツからは、深紅のカフリングスが輝く。
 奇異に映るようではなかったらしく、周囲は特に二人を気に懸けていない。それはメリアドラスが予めそのような施術をしているからであって、本来ならきっと悪目立ちしてしまうことだろう。
「しっかし、何処にでもジャンクタウンはあるけど、これは凄いよなぁ」
 カグリエルマがこの世界に出没したのは二度目になる。前回は殆ど観光らしい物もできず、世界の大きさを知るだけで終わってしまった。
「そういえば、カラスとか、まだ居るかな」
 メリアドラスを主とする第一世界とこの世界では時間の流れが違う。悲しいけれど、一過性で終わる事だってあるのだ。だからカグリエルマは、己の故界に訪れても新しい知り合いをあまり作りたがらない。別れに慣れることは無いから。
 前回の訪問で出会った異種族の海賊達は、個性的過ぎて強烈に覚えている。また会えればいいのに、と思わずには居られない。
「この世界で十年単位の差は無いと思うが」
「じゃあ、もしかしたら会えたりするんだ」
「大海原から海賊船を見つけられれば」
「…そりゃそうだ」
 それは藁束から針を探すより難しいのではないかと、カグリエルマは笑った。
 前回より身体が順応できるだろうと見越したメリアドラスは、もう一度しっかりとこの世界で豪遊しないかと提案してみた。寝物語での会話だったが、夢うつつのカグリエルマはそれは嬉しそうに微笑んで応えた。
 しっかり目が覚めて世界地図を持ち出された時には、夢だと思っていたので随分驚いた。城での生活に飽きることは無いけれど、旅行というのは純粋に嬉しい。
 カグリエルマが選んだのはエデューマと呼ばれる海上都市だった。大きな国にはあまり興味が無いし、全て見て回れるものでもない。どうせなら雑多な人種が入り乱れる街の方がきっと楽しいだろう、と。
 街でも人気のない場所に姿を現した二人は、まず最初に大通りを覗き見た。そしてすぐに場違いな格好をしていることに気が付いた。退魔士だったカグリエルマは当時の衣服を持ってくれば良かったと嘆いた。場末の酒場に貴族の揃えを身に付けた者が現れたら、まずやっかいごとに発展する。そんな雰囲気を瞬時に察した。
 メリアドラスは己の服装を再構成させてスーツではなくコート姿になったので問題ないが、カグリエルマはそうはいかない。とりあえずジャケットは脱いでネクタイも抜き、違和感のない服を一揃え選んだ。支払いはメリアドラスだったのだが、この世界の貨幣を店員に支払う姿に何の手品かと驚いた。今まで着ていた衣服も消えているので、つくづく便利な奴だ。
 ざっくりした麻のシャツに、細身のパンツ。裾はブーツの中に突っ込んで、二重に巻いたベルトには剣を帯びる。ジャケットとインバネスの中間のようなコートを羽織れば、ハンターの生活をどことなく思い出す。
「とりあえず宿でも探そうぜ」
 そう言って大通りをぶらついているのだが、露天が多くてなかなか見つからない。脇道を覗けば様々な店の看板がぶら下がっているし、どうやら見るものに事欠かなそうだ。
 女も男も子供も老人も、色取り取りの格好に体色を持ち、中には動物に似た者も居る。一般人と言うよりは殆どがゴロツキだが、警戒心よりなじみ深さの方が強い。
 鼻歌交じりに何処へともなく歩みを向けていれば、後ろから悲鳴が聞こえた。
「何だ?」
 興味のままに振り返れば、周囲の者たちも何事かと視線を向けている。路地の奥の方だ。
「誰か捕まえてくれッ!!」
 野太い男の叫び声を背後に、人の波が割れる。剣を振り回して逃げる男は三人。手には麻袋を持っていた。
「強盗かな」
「さあ」
 興味津々に目を光らせるカグリエルマとは対照的に、メリアドラスは全く無関心だった。追う男の後ろには棍棒やフライパンを持った者が数人顔を真っ赤にして鬼の形相だが、どうやら強盗犯のほうが足が速いらしい。一般人はいつものことだと言うような顔つきで騒ぎを避けたり歩みを戻したり。
 どうやら大通りの人混みに紛れる魂胆らしい。ちょうど路地と大通りの接する所にいたカグリエルマは、駆け抜ける男の一人に足をかけてみた。
「うぉ!?」
 全速力を止められるわけもなく、男は前のめりに転がって樽にぶち当たっていた。
「…カグラ」
「おや、ひとりでに転ぶとは」
 しらばっくれてみても、メリアドラスは呆れて溜め息を付くだけだった。
「くっそ、誰だコラ!死にてぇのか!」
「俺らが誰かわかっててやってんだろうなァ!片っ端から叩っきるぞ!?」
 頭をふらつかせて立ち上がった男は、殆ど無傷だったらしい。随分頑丈だ。
 やっかいごとに巻き込まれたくない人々は、視線を合わせないようにその場を立ち去ったりするが、大半は野次馬根性で様子を窺っていた。大通りの対面から見ていたものは、原因が解ったらしく、幾人かがカグリエルマを見つめている。こうなると、メリアドラスの術の意味はない。
「お前か…。ぁあ?いい度胸してんじゃねぇか」
 そんなことより逃げなくていいのかと思ったカグリエルマだが、指の骨を鳴らしながら近付いてくる巨漢は仲間に荷物を渡して怒りで我を忘れているようだ。
 ちなみに追っていた何かの店主らしい男達は、人混みに妨害されて近寄ってこれない。
「人違いです」
 いけしゃあしゃあと、カグリエルマはにっこり笑って答えた。メリアドラス思わずこめかみを押さえた。
「嘘つくんじゃねぇよお嬢ちゃん。その度胸は認めてやってもいいけどなぁ、俺様の腹の虫が治まんねぇんだよ。わかるか?え?大人しく斬り殺されてぇようだな!」
「いやぁ、悪いな。俺の足が長くて」
「…っざっけんじゃねぇぞこのアマぁ!」
 笑いを収めないカグリエルマに向かって、男は剣を振り上げた。外野の誰もが、この馬鹿な青年――または女性?――は殺されると確信していた。
 しかし叩き下ろされた剣は髪一本掠りもせず、カグリエルマの刃に止められていた。
「最近発散できなくてな、溜まってんだよ」
 灰銀の瞳が怪しく光り、唇の端を吊り上げたチンピラじみた笑みを浮かべたカグリエルマは、そのまま一歩踏み込んで男の剣を退けた。
 ハンターとしてまっとうに生活していた時は、腕が同じ者達と手合わせの機会があった。けれどメリアドラスの世界に居座ってしまえば、どう頑張っても魔物の体力や膂力には勝てず、鍛錬は詰めても勝負にならない。負けっ放しというのは大変腹立たしくて、この点についてはカグリエルマのストレスは大いに溜まっていた。
「纏めて相手してやるから、かかってこいよ」
 相手の実力が読めないわけではない。万が一無傷じゃないかもしれないが、勝てる相手だ。魔物相手に剣を振るっていたのだから当たり前なのだが。
 もしこれが信仰厚い騎士の類ならば、己より弱いと解る相手に喧嘩をふっかけたりはしないだろう。だがカグリエルマは騎士の精神には程遠く、どちらかといえば虐めっ子に近かった。
 大通りの通行を止めた捕り物劇に、野次馬が騒ぎ出した。各所で怒号が飛び、誰それに賭ける賭けないという喝采まで響く。
 ただの殴り合いの喧嘩も賭け事の対象にするような雰囲気を持った街なので、盛り上がり方は半端ではなかった。
 メリアドラスは長嘆と共に眉間に浮かんだ皺を伸ばし、横から話しかけられた賭博屋の男にカグリエルマが勝つ方へ金を払った。加勢する気はさらさらない。
 観衆で囲った即興の試合場では、カグリエルマの対面に三人の男が剣を構えている。男達も負ける気は無いようで、その殺気は本物だ。
 美しい青年剣士と無頼漢の構図はある意味絵になる。観衆の喝采が最大限まで盛り上がった時に、カグリエルマは剣を握っていない方の指を上げて男を挑発した。
 男達は一斉に攻撃を仕掛けた。

***

「…るせぇ」
 窓を鳴らすようなひとの声に、カラスは瞼を開けた。一瞬ここは何処かと焦ったが、波の揺れを感じない事と見慣れない天井に、エデューマの宿屋であることを思い出す。
「おー、そろそろ昼が終わるぜ」
 がしがしと鬣のような金髪をかき上げた魅朧が、すぐ傍で唸っていた。
「まだ寝れるのに…。外で何かあったのか?煩いな」
 寝入ったのは明け方だ。補給のために入港したエデューマで飲み明かし、そのまま船に戻らずに一晩過ごした。盛りの付いた魅朧が船まで待てなかったという理由もある。
 ベルトも留めず、シャツのボタンすらはだけたままの魅朧が怠そうに窓を覗き込む。途端、勢いよく窓枠を掴んで外へ開いた。
「…ぬかった」
「何、何だ、どうした」
 緊急事態かと焦ったカラスは、しかし魅朧の脱力する姿を見て訳がわからなくなった。とりあえず素っ裸なのは心許ないので、脱ぎ散らかしたズボンを拾い、シャツを被る。簡単に身の支度をして窓枠から身を乗り出し、
「いつもの事じゃないか…」
 一丁程彼方で乱闘が繰り広げられている。法も警察も軍隊も無い無法地帯エデューマでは、喧嘩や殺しやありとあらゆる犯罪が横行している。それで生計を立てているものや、国から追われた犯罪者など、大きな国には居づらくなった者達が住み着いた街なので、今更喧嘩のひとつやふたつどうということではない。強いて言うなら睡眠を妨害されるくらいだろう。
「三対一か。それにしちゃあ、あの金髪強いな」
「金じゃねぇ、橙だ」
「…さすがドラゴン。目がいい」
 概要は見えるが、細部まで見ることは出来ない。視力は良いほうだが、人間と龍ではそもそも規格が違う。
「女剣士かな」
「ツラはな…」
 ということは男なのだろうか。橙色の髪が鞭のように揺れている。男の長髪は珍しくないが、骨格が華奢だから遠くから見ると女に見えないこともなかった。
「なんか、カグラさん思い出すな。戦うイメージ無いけど」
 窓枠に肘を突いて観戦体勢に入れば、その背後から魅朧が覆い被さってきた。二階とはいえ外からは丸見えなので、不埒な行動をしないだけ好きにさせてやる。カラスの頭上に顎を乗せながら、魅朧は舌打ちと悪態を付く。
「…さっきからどうしたんだよ。まさかどっちかは仲間か?」
 喧嘩乱闘大騒ぎが大好きな龍族だから、可能性が無いわけではない。どれだけ下っ端でも基本的な装束は変わらないので、彼らの姿は龍族では無いと思っていた。
「どっちも仲間じゃねぇけどな。あの派手な方よく見てみろ」
 少なくとも三人組の方は確実に龍族ではないと言い張りたい。出来ればどっちも知り合いに欲しくないのだが、縁なのだから仕方ない。魅朧は群衆の中から黒一色の男を見つけ出していた。
「こないだより違和感なく侵りこみやがって。腹立つ魔族だな…」
「魔族…?」
「覚えてんだろ。そのまさか、が居やがる」
「…嘘。マジかよ」
 目を凝らしたカラスは、人だかりの合間にぽつりと黒い人影を見つける。海賊かと思うような黒い姿だが、男の長い髪も同じく黒かった。
「メンドシノ卿?」
「ああ」
 呟きに対する魅朧の返答は、苦虫を潰したような声色だった。出現に全く気が付かなかった事に苛立つ。
「じゃあ…」
 まさか、あの剣士は。
「カグラさん!?」
「…ッてぇ」
 思わず叫んで身を乗り出したカラスの後頭部に、魅朧の顎がぶつかった。痛みにお互い動きを止める。確かに痛いが、どちらかといえば魅朧の方がダメージが大きかったようだ。
 無言で顎を押さえる魅朧が気にならないでもないが、カラスは自分の後頭部をさすりながら元の位置に戻った。
 一瞬、大通りのカグラと目が合った気がした。
「危な…!」
 その隙を見逃さなかった男のひとりが、魔法の詠唱に入る。素養のないカグラはその間に他の二人を剣の柄で殴り飛ばし、獲物をはじき飛ばした。魔術を使う事に慣れたこの世界の人間なら、まず先に術者を潰すはずだ。耐性のない彼ではモロにくらってしまうだろう。
 カラスは間に合うかぎりぎりだと解っていながら、加勢に向かおうと窓枠に身を乗り上げて、そして魅朧に止められた。
「放せ!」
「いいから、見てろ」
 知り合いをみすみす死なせるような魅朧ではない。この距離からでも何か行うのかと寸でで動きを止めたカラスは、臨戦態勢を解かぬままカグリエルマを凝視した。

***

 カグリエルマは誰かに呼ばれたような気がして、視線だけ周囲に走らせた。メリアドラスの声ではない。この世界に自分の名前を知っている者なんて、そうそう居やしないから聞き間違えかと視線を男達に戻す。
 息が上がってがむしゃらに剣を振り回すので、隙だらけだ。そろそろ仕留めた方がいいかもしれない。十分運動になったことだし。
 男達をいなして間合いを取った時、少し先の建物の二階に見知った顔を見つけた様な気がした。
 灰色の髪と、後ろにちらつく金髪。
「…カラス?」
 一瞬、確かに目があったような錯覚を覚える。まさか、居るわけないよな。
 気の緩みを突いて、男達の陣形が変わった。一番剣の腕が劣っていると思っていた一人が背後に回り、型を取ったまま何か呟いている。気にはなったものの、とりあえずそれは放置して他の二人を倒す事にした。
 大柄な男の方は剣を弾き飛ばす。勢い余って相手の剣が折れたのは、カグリエルマの扱う剣がただの武器ではなくて魔人の写し身だからだ。
 その流れですぐにもう一人の男の横顔目がけて剣の柄を叩き込む。血に混じって歯が飛んだのを視界の端で捉えた。
「何…」
 最後に残した男のアクションが予測出来ない。本能的に危険な気がするので、切っ先が鈍った。男が嗤って口を開いた。
 男の手のひらに光を見た。
 と、思った瞬間。
「がっ…ぁ…」
 メリアドラスが男を殴り飛ばした。
「…は?」
 大凡肉弾戦には向いていなさそうなメリアドラスの手には、白銀の銃が握られている。その銃底で殴ったようだ。
 スローモーションで吹き飛ばされて行くように見えた男は、カグラが剣の柄で殴り飛ばした男より重傷に見えたことは確かだ。
「お前、何しやが―――」
 剣を弾き飛ばされた大男が、手首をさすりながら起き上がったが、耳をかすめて行った光の礫に口を噤んだ。見下ろす深紅の瞳が、残虐な色を宿している。男は本能で危険を察知したらしく、震え上がって身を丸めた。
「…卑怯だぜ、メリー」
 それは叔父に貸したビフロンズだろう。動く所を初めて見た。喧嘩を終わらせた事と、心の片隅でいつか見てみたいと思っていた事を同時に行うなんて。本当に狡い。
「お前を黒焦げにするわけにはいかない」
「加勢されたら卑怯もんみたいじゃねぇか」
「お前は魔術発動のスタンスが解らないのだから、致し方ないだろう?それ以前に実力が上すぎる。卑怯論議は無意味だ」
 剣を鞘に戻し、両手を腰に当ててがくりと首を落としたカグリエルマは長嘆する。それ以上反論するつもりはないけれど。
 メリアドラスの武器が何であるか理解できない群衆は、光の粒子となって消えたそれを魔術か錬金術だと自分に納得させることにした。そして多対一にもかかわらず勝利したカグリエルマに喝采を送った。
 ようやく人混みから顔を出した店主らしき人物がカグリエルマの背を叩いて感謝を述べている。よくやった、たまげたぜ、俺の店の用心棒にならないか、と囃し立てる男に適当な返事をして、野次馬の群れから抜け出そうとメリアドラスを探す。
「メリー!」
 長身だけではなく異彩を放つメリアドラスを見つけるのは簡単だった。小太りの男から小銭を受け取ったメリアドラスは、器用に人混みを抜けてカグリエルマの元へ戻り、そのまま細腰を抱いて人口密度の少ない所へ流れる。途中露天商のおばちゃんから、サービスでリンゴを渡されたり、カグリエルマはいつのまにか袋いっぱいの食べ物をかかえることになった。
「メリー、こっち」
 殆ど亀の歩みではあるけれどどうやら目的地があるらしいカグリエルマに誘導されながら、先ほどの乱闘の始まり頃に察知した気配と場所が一致することに気付く。
「…カラスを見たような気がしたんだけど」
「錯覚ではないさ」
「知ってたのか?」
「いいや。先刻気付いた。眠っているドラゴンの気配は皆無に等しいらしいな」
 力の強い者同士の直感的な能力について造詣のないカグリエルマは、それ以上追求しなかった。真偽の判断はできないし、なにより自分がどうにかできる能力ではない。
「この辺だったよな」
「そこの白煉瓦だ」
 顔を上げたカグリエルマは、他の店より長い壁と開けっ放しの二階の窓を確認して笑った。そう、これだ。見覚えがある。
 後は人混みを避けながら、目的の建物まで進めばいい。もしかしたら入れ違いになっているかと、ちらりと思ったが、それならばメリアドラスが何か反応するだろう。
 はたしてカグリエルマの心配は杞憂に終わった。
「カグラさん!無事か?」
「よお。奇遇だな、カラス。久しぶり」
 どうやら宿屋だったらしい――カグリエルマにはこの世界の文字が判別できていなかった――建物の中に入った瞬間、飛び出してきた人物に懐かしさが込み上げる。記憶より少しばかり成長したカラスに、過ぎた時間を想った。
「やっぱりさっきのあれ、カラスだったんだな。聞き間違いかとも思ったんだけど」
「急に声かけて悪かった」
「いやいや」
 純粋に心配してくれるのがくすぐったくて、カグリエルマはカラスの肩を叩こうとした。けれど両手がふさがっていることに今更気が付いて、結局戦利品をカラスに押しつけた。
「俺らじゃ食いきれねぇから、やるよ」
「…うわ、凄いな」
「なんかここまでくるのにやたら貰っちゃってさぁ。面白いな、この街」
 二人で袋の中身をあさる姿がどことなく微笑ましくて、メリアドラスは黙って見ていた。食堂とロビーが一緒になっている室内の奥の方で、金髪の美丈夫が睨みをきかせていることは感じていたが敢えて無視する。
 あらかた調べ終えたカラスは、微苦笑で佇む黒装束のメリアドラスの存在に気が付いて慌てた。気配が全く無いのだ。それに、以前見た時は王様のようだったのに、今のメリアドラスはもっと粗野なイメージを受ける。龍族の海賊衣装よりは上品だが、軍服でもなく礼服でもない漆黒の長コートに、同色の髪を緩く結んで肩から垂らしていた。窓から身を乗り出して輪郭を捉えていたのに、間近で見ると一瞬誰だかわからなかった。
「こ、こんにちは、メンドシノ卿」
「ああ」
 闊達なカラスは以前会った時と変わらず、魔族相手と言うよりメリアドラスの性格を見て尊重しているらしい態度に自然と唇が綻ぶ。
「龍王共々元気そうでなにより」
 灰色の頭を撫でてやる。まるで大人が子供に接するようなそれに、カグリエルマは横で笑いを堪えていた。メリアドラスがこんな一面を見せるとは、大した収穫だ。
 と、カラスの頭から手を放したメリアドラスは素早く空中で何かを掴んだ。
「俺のもんに気安く触んじゃねぇよ」
 椅子にふんぞり返った魅朧が、テーブルナイフを指に乗せながらドスの聞いた声をかけてくる。
「おい…、何やってんだよ魅朧」
「あーもー、ほんと仲悪いよな、お前ら」
 立ち話も何だからと魅朧の居る卓まで近付き、途中メリアドラスが指に挟んだナイフを放り投げた。それは見事な放物線を描き、魅朧が捕らえる。
「……仲悪いなりに気は合うのか?」
 カグリエルマの呟きには誰も答えられなかった。

 席に着くなり店員を呼んで速攻酒を頼んだカグリエルマに、賛同したのは魅朧だけだった。戦利品からツマミになりそうな物を取り出して口にしながら、カラスは先ほどから気になっていたことがあるのに口に出せない。
「それにしても、カグラさんは剣士だったんだな」
「本職は弓だけど、最近はずっとこっちだ。人間相手は久しぶりでね」
 楽しかったけど腹減ったな、と言いながら一杯目を空にしたカグリエルマは、旨そうに熟したリンゴを手に取った。こういうものは、少し丸かじりが一番美味しい。だが口をつけようとした横から、メリアドラスがそれを浚った。
「…返せよ」
「後でな」
 むっとして見せたカグリエルマをいなして、メリアドラスはナイフ片手に器用な手付きで皮を剥いて行く。今日はなんだか随分と、メリアドラスの意外な一面を見せられている気がする。魅朧とカラスはそれを知らないから何のリアクションも返さないが、カグリエルマにとっては新鮮なことこの上ない。
 微妙に跡切れた会話の隙を突いて、魅朧が口を開く。
「あー、カグラ。こいつが聞けねぇみたいだから俺が聞いちまうが」
「うん?」
「左薬指のそれ」
 そう。カラスはこれがずっと気になっていた。この世界では婚姻の証として指輪を贈る事が多い。婚約なら右手に、結婚なら左手に。カグリエルマの住む世界は全く知らないので、違う文化があるのかもしれないのだが、プラチナに流し込まれた深紅のラインがどう見ても何かの意図を感じて仕方ない。以前見た時には無かったと記憶している。
「あー…」
 割と何でも正直に豪快なカグリエルマが言葉を濁している姿は意外だ。魅朧とカラスはお互いに顔を見合わせ、聞いてはいけないことだったのかと訝しがる。
 後ろで一本に纏めた三つ編みを邪魔そうにして後頭部を掻きながら、視線を彷徨わせるカグリエルマは何て答えていいものかひたすら困った。
「率先して猥談に加わってくるようなお前が照れてるとか言うなよ?」
 直感でつっこんだ魅朧の言葉に、カグリエルマは方眉を上げて嫌な顔をした。まさか本気で照れていたのかと、本日何より驚いたカラスは、照れる指輪とは何かと首を傾げる。指輪を貰って照れるものかどうかは、どう頑張っても想像できない。
「カグリエルマ」
 生ぬるく微妙な空気を破ったメリアドラスの静かな声に、三人は一時視線を向けた。綺麗に剥けて食べやすいサイズに分けられたリンゴの一かけを差し出している。ただ渡すという雰囲気ではなかった。
「………」
 一番戸惑ったのはカグリエルマ本人だが、立ち直るのも早かった。眉間に皺を寄せながら、差し出されたリンゴに齧り付く。むぐむぐと咀嚼してとりあえず飲み込んだが、味はよくわからなかった。いくら何だって、羞恥くらい感じる。
「もうひとつ?」
「…いい。自分で食う」
 取り皿ごと奪い取ったカグリエルマに苦笑を浮かべながら、メリアドラスは己の指を舐めた。果汁を舐め取っただけなのだが、情交を覗いたような卑猥な気分にさせられる。
「そういうのは隠れてやれよ」
 呆れた魅朧の声色に同意したいカラスは、しかしそれを言うなら魅朧も同じようなものだと悪態を付きたくなる。
「や、もう、ほんと悪い」
 しゃくしゃくとリンゴを食べながら謝罪を呟くカグリエルマの耳が赤い。原因は自分では無いのだが、謝らずには居られなかった。どうやら本気で照れている。
 一部始終見ていたカラスは、二人の熱烈ぶりにあてられて僅かに頬を染めた。見てるこっちも恥ずかしいというものだ。
「カグリエルマの故郷で換算して、ちょうど節目になる誕生日で」
 空のグラスに生の酒を注いでそのまま口をつけたメリアドラスが、魅朧の半眼など気にせず語り出す。
「指輪と旅行を贈った。そう言うことだ」
「…新婚旅行?いまさら?」
「んなわけあるか!」
 咄嗟になんだか解らない果物を魅朧に投げつけたカグリエルマは、どう見ても照れ隠しだ。振り上げた腕をやんわり掴んだメリアドラスは、左手の手首を引き寄せて、薬指に口付けた。
「メ…」
 名前を呼ぼうとしたが、絶句してしまい無理だった。
「これは、お前が私のものだという、――所有印の代わり」
 蠱惑的な血色の瞳が緩やかに流れるその視線に晒されて、カグリエルマはもう消えてしまいたいと切実に思った。手首を握られ、指を絡められたまま、赤面を隠すために卓へ突っ伏す。恥ずかしいのか悔しいのか、ごちゃ混ぜで死にそうだ。
「うーわ…」
 あの魅朧すら、空笑いしながら視線を逸らせた。手持ちぶさたでカラスに悪戯したくなる。そのカラスは、自分でもかなり荒波に揉まれた方だとおもっていたが、愛する者を本気で口説く男というのを初めて見たので呆然としてしまった。面白いほど感情が白くなっていて、魅朧ですら何も読めない。
 それほど驚愕した。

***

 宿を出た魅朧とカラスは、低くなった太陽に照らされながら『漆黒の鱗号』へ戻る途中だった。龍族に名を連ねる海賊船が停泊する場は、その一帯を縄張りとしているために部外者は殆ど近寄らない。雑多なエデューマに居るのに、二人の周りには人影すら無かった。
 あの後、ある程度の会話は出来たのだが、如何せんカグリエルマが使い物になっていなくて、大変気まずかった。行動の端々でカグリエルマを愛でるメリアドラスは、あれが通常なのかわざとなのか付き合いの短い二人にはわからない。ただ確実に、あの魔族は充足を得ているようだった。
 終いにメリアドラスがあの宿の質を聞き、悪くないと判断したのかフロントで一部屋頼んだ。確かに、エデューマでは上位にあたる宿屋だ。その分高いが、金に困っているようには見えない。
「今頃ヤってんだろうな、あいつら」
「…魅朧」
 ズボンのポケットに手を突っ込んでやさぐれる魅朧をじと目で睨んだカラスは、脅すような声色で咎めた。
 帰れと面と向かって言われたわけではない。だが気付かないほど野暮でもないから、魅朧はそそくさと宿屋を出た。また明日会おうとカグリエルマに約束したカラスは、先に言ってしまった魅朧に追いついて漸く気付いた。
 船に戻るのが面倒だと宿を取ってカラスを抱いた魅朧も同じようなものだろう。言ってやりたいが、魅朧にとって自分は良いが他人は腹が立つらしい。
「いや、別に悪いとは思っちゃいねぇけど。倦怠期回避の為に世界飛び越えてくんなと言いたい」
「…倦怠期があるように見えるか、あの二人」
「……教えてやりてぇよ」
 伴侶という概念はあるが、人間のように結婚の制度がない龍族にとって、その義務化された習慣は理解できない。やることは同じなら、いつまでも恋でいられる伴侶の方が楽しいだろうと思う。
「まあ、でも。カグラさん、凄いよな」
「何が」
 まったく興味なんて無さそうに言うから、会話に付き合ってくれと魅朧を小突いた。
「エデューマでこれだけ差し入れ貰えるのは才能じゃないか?」
 適度に分けたので中身が減った紙袋を抱えて、カラスは笑う。
「腕っ節と外面のお陰だろ」
「それも才能の内だと思うけど。正直で、案外可愛いし」
「お前、毒されてんぞ」
 やはり魅朧は辛辣だ。カラスにとってカグリエルマは、似た境遇に親近感を覚える相手なのだ。メンドシノと名乗る魔族は時折恐怖を感じるけれど、悪いひとでは無い気がする。さっきの一連の態度を見ていれば、人間にとって悪である魔族とは思えない。
「百歩譲ってカグラは妥協するが、あの魔族の事を考えるのは止めろ」
「あー、はいはい」
 誰とでも仲良くできればいいのに、なんて甘い事を考えるカラスではないから、魅朧の示す嫌悪に否を唱える事はない。
 魅朧という名を持った龍族の長は、思想において自由では無い。彼が居るからこそこの世界は整合を保っていられる。
「別に俺がドラゴンだからじゃねぇって」
 胸中で考えていたことを敏感に察知した魅朧が、ばつ悪そうにそれを否定した。
「俺以外の野郎の事なんか考えんなよ」
「…………は?」
 一瞬何を言われたのか理解出来ずに、カラスは足を止めた。
 それは要するにどういう事だろう。魔族の話題が嫌だという理由ではなく、他の男の事を反芻したり、ましてや褒めたりするな、という。
 この世界の番人とも表される龍の長が、その責務に付随するものより優先する感情。
 嫉妬、しているのか。
 確かに独占欲が人一倍強い魅朧は、冗談交じりに嫉妬心を口にだすけれど。気分を害するほど本気で妬くなんて今まであっただろうか。
「魅――」
 期待が混じったカラスの呼びかけは、しかし魅朧に塞がれた。何も言わせないと服従させるような激しい口付けに戸惑う。
 舌を絡め取られ、擦り合わせ、吸い上げる。貪るようなそれに目眩がしそうなカラスは、場所も忘れて翻弄された。
 呼吸のために唇を離してもすぐに追いかけてくるから、抵抗すら封じられてしまった。紙袋が落ちる音さえ聞こえず、魅朧の腕になんとか縋り付いたカラスはいつもより従順に受け入れている。魅朧にとっては癪に障るが、カラスはあの二人に煽られていたらしい。
 漸くカラスが解放されたときには、面白いくらい膝から力が抜けてしまった。濡れた唇が外気に触れる感触と、未だ貪られているように感じる口腔。情交の最中のような濃い口付けは、それだけで犯されたような錯覚を覚えた。
「…あんた」
 しゃがんだカラスは、痺れる舌で低く呟く。
 確かに、これでは他の男の事など綺麗さっぱり忘れてしまった。
「あんた、けっこう可愛いよな」
 行動はふしだらだが、原動は子供みたいな悋気から来ている。そんな剥き出しの感情をむけられると、嬉しくなってしまう。
「…畜生。船戻ったら覚えてろよ」
 負け犬の遠吠え的な言葉に、カラスはただ笑った。いつもと立場が逆転している。翻弄されるばかりの普段からは考えつかない。魅朧はいつもこんな愉悦を味わっているのか。
 にやにやと笑ったカラスは、気を取り直した。立ち上がって辺りに龍の気配が無い事を確認して安堵する。一族は全て知っているけれど、だからと言って見られて平気なわけではない。
 紙袋を拾ったカラスは、キスだけでは忘れる事のできない強烈な個性を思い出した。
「誕生日、か」
 呟きと歩き出したのは一緒だった。じゃり、という石と靴底の間で摩擦される砂音が聞こえる事に、それほど静かなのかと考える。
 生まれた季節は解るけれど、正確な誕生日は知らない。そういえば今まで、誰かに特別な日を祝われる事なんて無かったな、とカラスは気付いた。
 今はもう、魅朧と会う前の自分の生活など昔過ぎて殆ど覚えていない。覚えておきたいくらい楽しい過去では無かったことは確かだし。
「…わっ」
 ぐしゃぐしゃとかき混ぜるように頭を撫でられたカラスは、そのまま魅朧に頭を抱き込まれた。
「歩きにくいんだけど」
 片腕で抱く魅朧はいいかもしれないが、紙袋を両手に持ったカラスは身動きが取れない。一体どんな経緯でこうなったのだろう。
「欲しいか」
「何?」
 魅朧はカラスの感情が読める。それは殆ど思考を読むレベルまで高い能力なので、発音で会話するカラスはたまに、魅朧の言葉の意味を察することが出来ない。自分の考えに没頭している時ならば、案外スムーズに行くときもあるのだが、表層を浚ったような独白に意見されると反応が遅れる。
「誕生日って、欲しいものか?」
「どうしたんだよ急に」
「龍には個別の誕生を祝う習慣が無い。お前の誕生日ってのを聞かないから、祝ってないことに気付いた」
「…落ち込んでる?」
「まあ、少し」
 幾分低い声のトーンに、カラスは魅朧の殊勝さを感じた。
「俺は自分が何時生まれたのか知らない」
「なら俺が作ってやる」
 真摯な態度は、魅朧にしては珍しい。今日は随分と普段見せない顔を見せてくれている。そのことが一番嬉しいとカラスは苦笑した。
 魅朧はカラスが喜ぶなら何でもしてやりたい。出来ることは元より、出来ないことでも可能な限り叶えようとする。誕生日だけじゃなく、どんな記念日でもいい。カラスが欲しいと望むなら、望むだけ記念日を増やそう。それは負担でも何でもなく、とても楽しい事だろうと魅朧は思った。
 いつになく優しい触れ方をする魅朧に、カラスはだいたいの意図を察した。傍にいた年月のお陰で、恥ずかしながら魅朧の行動原理が解ってしまっていた。面映ゆい。
「そうだな…」
 声には出さず、カラスは吐息で笑った。
「記念日をくれるより、あんたがずっと傍にいてくれるほうが、嬉しい」
 だって、今の今まで誕生日を祝うという概念が抜けていた。そんなものを心待ちにしなくても、毎日が記念日のように楽しいのだから。
「たった一日特別な日が無くても、俺には日常がいつも特別だし」
「酒と暴力、波乱に満ちた海賊家業の毎日でも?」
「あんたの横に俺の居場所があるのなら」
 挑戦的な上目遣いで笑えば、魅朧の黄金色の瞳が険呑な色に染まる。細くなった瞳孔が獣を思わせる。
「あるさ。俺の帰る場所がお前の腕の中ってのと同じで、な」
 落とされた言葉に、カラスは瞳をしばたかせた。まさかそんな、ノクラフなんかが聞いたら喜びそうな台詞が、この海賊王の口から聞けるとは思いもしなくて反応が遅れてしまう。
「魅朧。…ほんと、そういう口説き文句似合わないよな」
「……」
 思わず呟いたカラスの本音に、一瞬で仏頂面に戻った魅朧が灰色髪を雑に乱す。もう照れ隠しというよりも、ふて腐れた態度だ。
「あんまり大人をからかうんじゃねぇぞ。船戻ったら本気で泣くことになるぜ?」
 主に褥関係で、と反撃に半ば本気でからかってやれば、
「いいよ」
 思いも寄らぬ答えが返ってきた。
「……は?」
 面食らった魅朧に、カラスは笑う。いつも魅朧が見せるような、口の端だけを上げた野性的なそれは、しかしカラスが見せれば随分と挑発的で蠱惑的だった。いつもなら、この手の話しを振られてしまえば途端に焦ったり羞恥を見せるのに、珍しく乗り気になっている。
 昨晩だって愛し合ったけれど、船に戻って続きをしたい。それも、もっと濃密なものを。魅朧が暗に匂わす要求に、カラスの感情は是と答えていた。
「確かめたいなら、早く戻ろう、魅朧」
 本当に珍しい。素直すぎる。
 ぽかんとする魅朧は、カラスが押しつけてきた紙袋を無意識に受け取った。唇に啄むような口付けをされ、目の前で悪戯っ子のような笑みを浮かべたカラスが、踵を返す。駆け足で漆黒の船へ走って行ってしまった後ろ姿を見ながら、魅朧は動けずにいた。
「は」
 天を仰いで、漏れ出た笑い声を止める術がない。
 何だよ俺、すげぇ格好悪ぃな。という魅朧の呟きは、幸運なことに誰も耳にすることはなかった。
「…ったく。可愛いのはどっちだよ」
 ものすごく不本意で果てしなく癪だが、異界の住人の影響に今は感謝しておこう。普段とは逆に、魅朧が照れてカラスが優位に立っているなんて、滅多に体験出来ない事ではある。彼らのお陰で大変素直になったカラスという、美味しいおまけならば喜んで。
 もし明日あいつらに会えるのなら、こんどはこっちが惚気てやろう。
 魅朧は微かに笑って、カラスを追い詰めるための一歩を踏み出した。急がなくても、大丈夫。記念日ではないけれど、きっと今日は忘れられない日になりそうだ。

  

yuki様へ捧げます!大変長らくお待たせいたしました!
前半はカグラの誕生日、後半はそれを羨ましく思ってしまったカラス というリクエストをいただきました!
残念ながら後半がノットクリアーになってしまいました。すすすすみません。あわあわ。
生まれてから一度も誕生日を祝ってもらったことがなく、そもそも誕生日=お祝いという概念がカラスには無かったようです…。その代わりといっては何ですが、強気になった カラスを…!
照れるカグラ、タラすメリー、グレる魅朧、鬼の首を取ったようなカラス。
本編ではなかなか珍しい(?)品揃えになりました。個人的には戦うカグラが書けて満足です!

Omnia vincit Amor. 「愛はすべてに打ち勝つ」「愛の神はすべて(理性的な人間も何もかも)を打ち負かすことができる」
2008/05/4 贈呈

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