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Liwyathan the JET SS

「うー……」
 カラスは溜息と供に情けない唸り声を漏らした。
 帳の下りた、暗い船長室でひとり。うー、とか、あー、とか言葉にならない呻きをぽつりぽつり呟いている。
 海原を疾走する海賊船は今、小さな無人島の側に停泊している。船長はその10日程前から姿を見せていない。どうやら海の中で用事があるらしく、人間であるカラスは大人しく留守番をしていた。精霊がどうとか言っていたが、あまり知る必要なさそうなので、深く聞くことはしなかった。隠れて女にでも会いに行くなら大問題だが、龍族の生態系に割ってはいるほど不躾ではない。本当に必要ならばおしえてくれるだろう、と。
「……はぁ」
 カラスは誰が見ているわけでもないのに、落ち尽きなく目を泳がせている。
 考えまい、考えまい、と言い聞かせて見れば見るほど思考は一点を巡り出す。試しに忘れようと深酒をしてみたが、余計に気が弛んでしまい、慌てて冷水のシャワーを浴びて弛んだ意識を引き締めた。
 カラスは、青少年であるが故の身体の熱を持て余していた。年に似合わず、ではない。二十歳前後であるなら普通すぎる欲望。むしろ感じない方がおかしい。性的な、興奮。
 ―――要するに、抜きたかった。
 一応の弁解をしておけば、カラスは元々性欲が強いという訳ではない。同じ青年層で見れば淡泊な部類に入るかも知れない。だからといって興味がないわけではなく、性欲を満たせるほど精神的余裕を、成長過程で培わなかっただけのこと。基本的に気持ちのいいことは好きである。
 そう。枯れている訳でも、不能な訳でもない。気分が高揚したら、沈めてやれば落ち着ける。何も悩む事はない。四六時中見張られている訳でもない。手淫が禁止されているような、規律厳しい環境に身を置いているわけでも、勿論ない。
 恐らく、時間もそれほどかからない。
 見事にないない尽くしで、なくて良いことだらけなのに、どうしても抵抗がある。
 理由はただ、場所の問題だった。
 ここは自分が心底惚れてしまった相手の部屋。今は居ないけれど、部屋の中にその存在を思い出す気配を幾らでも感じる。例えば、テーブルの上に無造作に置かれた紙煙草だとか。昼寝をしていたカウチのクッションだとか。シャワーの後で使うバスタオルだとか。ひとりで眠っているのに余計感じるベッドの匂いだとか。
 それがなおさら。
 なおさら、いたたまれない。
 濃厚な気配をさせたまま、もしこの場で自慰をしてしまえば、きっと考えるのはあの不遜な相手のこと。鬣のような黄金色の髪と、同じ色の瞳。堂々とした体躯は、閉じこめるようにいつも力強く抱きしめてくれる。言葉以上に心の奥まで覗き込み、軽薄な口調で嬲るように囁く舌。男らしく大きな手の平が、長い指が、どうやって自分を狂わせるのか知っている。
「ッ…。―――…最悪」
 リアルに思い出しすぎた。思考はダイレクトに身体へと伝わったらしく、鋭敏に反応する神経が呪わしかった。腰に熱が集まり、その中心にじわりと広がっている。
「あああー……もー……」

 死にて…。

  ばふ、と枕に顔を埋め。深く長い溜息をだらだらと吐きだして、カラスは終わったらトコトン後悔しようと決意した。

***

「…ァ、…っ」
 親指で一番敏感な先端を擦った。びり、と走る快感に呼吸が荒くなる。親指ははしたなく溢れ出した先走りに滑る感触を伝えた。
 は、と吐き出した息は熱を持って、自分が興奮していることを意識させる。いつもより早い鼓動、心臓が血液を送り出している事が、指先から直に感じる事ができた。
「ん――…ッン、…」
 根本から指を絡めるように上下に擦り、もう一方の手では敏感な部分を刺激した。背中を丸め、顔は枕に押しつけたままで、時折痙攣する足に自分が何をしているのか気付かされる。
 冷静に成りきれない自分が、誰もいないのだから周囲を気にしなくてもいいと誘惑する。恥ずかしがる必要は、ないと。
 不規則になる呼吸の合間、枕から感じる匂いに嫌でも魅朧を思い出した。彼の指が、どうやって触れていたのか。考えると途端に熱が高まって、情けなく思う。
 自分がこんなことをするに至った原因は、昼間偶然見てしまった他人の性交の所為だ。その男女は友人と呼べるほど親しい間柄ではないが、日々挨拶を交わす程度の船員達で、特にカップルだという噂も聞いたことがない二人だ。どちらも従順に快楽を追っているらしく、死角にいたカラスの姿には気が付かなかったが、見つけてしまったカラスは堪った物ではなかった。
 唐突に、魅朧を思い出してしまったのだ。今まであまり離れずに生活をしていた。眠るときは同じベッドの中で、倦怠期にはほど遠い回数を、余り日を置かずにこなしてきた。求められれば、相当疲れが溜まっていない限り最終的に応じていたので、欲求不満になることなどなかった。だから、忘れていた。
 10日放っておいた身体は、欲求に正直だった。
「ふっ……、ン…ぁ」
 思い出すのは、昼間見た男女の睦み合いではない。
 いつもいいように自分を翻弄するひとりの男の姿だった。
 それが悔しいけれど。手は、指は止まらない。こんな事で思い出すのは癪だけれど、伝う指の動きは男の施す動きを真似てなぞっている。からかうように爪の表面でくすぐったり、力強く握りこんできたり。
 でも、不思議なことに、指の動きよりももっと厭らしいものを思い出してしまう。舐め上げられ、熱い口内に銜え込まれて、きつく吸われる感触を。溢れ出るものを舌先で掬われて、その出口をくじられた時の、背筋を駆け上がる快絶を。
「……ッ、…」
 息を吸い込んで、少しでもその残り香を身近に感じようとした。濡れた音が段々大きくなって、余計に興奮する。
 この身体は、性器への直接的刺激以外の快楽を覚えさせられている。だからと言って自らそれを実践する気は毛頭ないが、思い出すことはありありと出来た。
 あの長い指が体内を探る、魂を握られたような恐怖に似た痺れ。充足を感じる身体の重みに、灼けるような熱。快感を制御できない事に泣きたくなると同時に、征服されている事実に悦びを感じる。あの、耐え難い瞬間。
 自分は口で言うほど、セックスが嫌いでないのだろう。男を受け入れる事が苦痛じゃなくなって、心中の複雑さは変わらないが。溶け合うように求められる、あの瞬間が好きだった。
「………魅……、朧ッ…」
 側にいない、何処にいるのかもしれない男の名前を、縋るように呟いて。名前を呼んでしまえば止まらなかった。指だけじゃ物足りないなんて馬鹿な事を思いながら、擦る早さは早くなり。
「メイっ…ろ…」
 早く帰って来いよ。理性の欠片でそんなことを考えて。高みに登ろうと決定的な刺激を加えようとした、その時。
「はいヨ」
 やけに、喜んだ、呑気な声が。
 びくんと大袈裟に肩を揺らして、カラスは声のした方を見上げた。見上げてから、見なきゃ良かったのにと後悔する。物凄い早さで理性が全身に行き戻り、悲鳴を上げる変わりにこれ以上ないくらい赤面した。

 ―――…………誰か俺を殺してくれ。頼む。

 人は、羞恥心で、泣ける。

***

 

「逃げるな隠れるな潜るな。ほらほら俺が悪かったって」
 シーツをかぶって丸まってしまったカラスに、魅朧は苦笑混じりにくっついている。人生最大の汚点だ、このまま海に飛び込んで溺死したい、と本気で泣きそうになっているカラスの心境を痛いほど読みながら、でも礼儀として口に出すのは憚られた。
「悪ぃとは思ってんだけどな、俺も我慢できねぇんだよ正直」
 みのむしの頭に囁いて、機嫌を取る。力尽くでシーツを剥ぎ取るのはどうかと考えたが、恐らく力尽くになるだろう。
 返事も返さず、身動きもしないカラスに段々焦れてきて、魅朧は一端身体を放した。我慢ができないのは本当だ。久しぶりに帰ってきた自分の船、一番先に顔を見ようと船長室に戻ってみれば、艶めかしい光景が広がっていた。並はずれた読心術にこれ程感謝したことはない。言葉に出来ないような快楽に乗せて必死に呼ばれる自分の名前。10日間触れることが叶わなかった肉体の欲望が、一気に腰へ来た。空気の振動にすら気を使ってドアを開け、気配も足音も細心の注意を払って押し殺し、覗いたベッドの上で乱れる最愛の恋人。
 嬉しくて、興奮して、迂闊にも返事を返してしまった。
 いやホント、それだけでイけそ。
 くつくつと喉の奥で笑った魅朧は、漆黒のコートを乱暴に脱いで床へ放り投げた。シャツもベルトも同じく投げ捨て、ズボン一枚でもう一度みのむしへ挑む。
「まだ………、イってねぇだろ?」
 思い切り乱暴にシーツを引き剥がして中身を美味しくいただこう。ぎゃー、とか色気のない悲鳴が聞こえたが、あえて無視を決める。寸前でお預けをくらったままの状態では、大した力もでないだろうし。
 難なくシーツを剥いて、じたばた暴れ出す中身に馬乗りになった。逃げようと思っても、もう無理だろう。
 絶対に合わせようとしない青磁色の瞳が、羞恥に濡れていた。赤く染まった目許と耳。扇情的なその表情に眩暈がする。
 湿り気を残す指を掴んで、指先を舐めた。苦いそれは覚えのある味で、魅朧は構わず咀嚼した。厭らしく見える様に目の前で指を銜え、音を立てて吸い上げる。軽く歯を立てたり、指の股を舐めたり、出来うる限りに卑猥に。
 無言で繰り返していれば、カラスが身動ぎをした。避けるように反らされた顔に情欲が戻り、時折切なそうに眉を寄せる。それだけでも十分見物なのに、漸く諦めたのか、カラスは視線だけで魅朧をちらりと見つめ、
「……おかえり」
 羞恥心で死にそうになりながら、本当に小さく呟いた。その表情の何て卑猥なことか。
 大嫌いだが今だけ感謝しよう。―――神様有難う!
 魅朧は犬歯を見せて破顔し、かぶりつくようにカラスの唇を奪った。呼吸すら奪うようにがむしゃらに舌を絡め、吸い上げ、貪った。カラスが呻く。濡れた音と、甘えた猫みたいな声を心地よく聞いて、唾液を飲み込む音に酷く興奮する。唇を離した時にはお互いに呼吸は荒くて、それでもまだ足りないとでも言うようにキスを繰り返した。
 むしるようにカラスの服を剥がして、その肌に鼻をすりよせる。首筋に顔を埋めて、胸一杯に呼吸をした。
「…イイ匂い」
 それだけ呟いて、あとは言葉らしい言葉は無かった。目に留まった肌は全て舐め、吸い上げて、その度に上がる悲鳴を心地よく聞いて。下着ごと引き下ろしたズボンを放り、限界まで立ち上がった中心に目を細めた。破裂しそうな先端からは、透明な滴が溢れ出ている。必死で我慢しているのが可愛いくて、愛おしくて、魅朧は戸惑い無く敏感な先端を舐め上げた。舌先で嬲ると、すぐに震える。
「やッ…、放っ……ァ、あ―――…!」
 それは呆気なく弾けた。口内でどくりと脈打つ。全て吸い出すように強く吸引すると、カラスが悲鳴を上げながら身体を痙攣させた。
 幾分濃いのは、自慰の数を表すようで。追いつめるのは可哀想だったから口には出さなかったが、魅朧は楽しそうに低く笑った。どう感じ取ったのか、カラスは両腕で顔を隠してしまったが。
 滑りの残る舌で自分の指を丹念に舐め、カラスの両足を開かせた。抵抗の少ない事にもう一度笑いながら、奥の蕾にぬるりと指を宛がった。周囲を揉むように撫で、侵入を拒むそこに指を潜り込ませる。
「…っ…」
 カラスの身体が揺れた。一気に突き入れると、びくんと痙攣を返した。きつい締め付けに胸を躍らせながら、丹念に解して行く。いい加減自分も興奮していたので、どこか乱暴になるのは許して欲しいと胸の中で謝った。
 何度も指を出入りさせ、音がうるさく感じるぐらいまで丹念に解した。本当は、泣いて懇願させたり散々虐めてみたりしたかったが、ただでさえ羞恥心に会話すらできないカラスがあまりに可愛くて、大人しく快楽を与えてやることにする。実際は魅朧もそれほど余裕が有る訳では無かったのだが。
 頃合いを見て指を引き抜くと、カラスが濡れた唇で呼吸を繰り返していた。誘われるように起き上がり、両手で膝をぎりぎりまで割って。カラスの唇をぺろりと舐めてから、魅朧は腰を押しつけた。滑る先端を擦り付け、ぐ、と肉を掻き分ける。
「あ、あ、あ…!」
 ゆっくりと押し開かれる動きに合わせて喘ぎが漏れ、その心地よい締め付けに魅朧は片目を細めた。最期の一押しは腰を掴んで突き入れれば、カラスが啼く。ひくり、と喰い締める内壁の動きが厭らしい。
「ッ……、あー…たまんね」
 魅朧は思わず唸った。暖かく絡み付く体内に、充足を伝えるカラスの感情に、どちらかと言えば即物的に肉の快楽が勝っているかもしれない。直接的に気持ちが良くて、短く感嘆を漏らした。
 カラスの首筋へ鼻を擦り付け、しっとりとした汗の匂いを吸い込む。ぺろりと舐めてきつく吸い付いて、鮮やかな痕を残した。汗に張り付いた灰色の髪を、指に絡ませて。それを皮切りに、律動を開始する。
 最初は小刻みに、ゆっくりと。カラスの様子を窺いながら、抜き差しを深くしていく。角度を考慮して抉るように突き上げてやれば、嬌声を上げて泣いた。酷くしたいのをぎりぎりの理性で押さえつけ、それでも些か乱暴になるのは仕方がない。せめて情熱的だと勘違いさせて、魅朧はカラスを追い上げた。
 しがみついた背中に爪を立てられ、それを心地よく感じながら。
 弾け飛ぶような快楽は、今度こそ二人同時に味わった。
「もう、俺じゃなきゃイけないだろ」
 ぐったりと力を抜いたカラスの耳に舌をねじ込みながら囁けば、不覚にも魅朧はベッドから蹴り落とされた。

  

G、じー、自慰。スイマセンスイマセン
2005/05/17

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