ジビエとクトレトラ vol.2捨て犬篇

Liwyathan the JET ""short story

 酒瓶片手に海図を眺めていたクトレトラの部屋に、場違いな物音が飛び込んだ。扉から聞こえてきたのは、襤褸袋を放り投げた様な鈍い音。何事かと視線を向けて、微かに漂う気配を感じる。整った柳眉が寄せられた。
 去りそうにない気配に長嘆し、扉の前まで足を進めた。ここは自分の部屋だ。船内で唯一ひとりになれる場所。
「寝るならご自分の部屋へ戻ってください」
 冷ややかに告げると、微かに物音が返ってきた。身動ぎでもしているのだろう。やはり気配はそのままだ。
「俺の部屋、今、取り込み中で」
 ぼそぼそと小さな声は、ジビエのものだった。ジビエは二人部屋だ。年の近い雄と同室だったはずだ。主に年の若い者達は、雄雌に分かれ二人部屋に押し込まれるのが通例だ。一人部屋を持っているのは、船内でも主に船橋で仕事を行う者や、特殊能力を持っている者など、重要な役割を担う者である。そう広い部屋ではないけれど、個室である分気安い。
 クトレトラは海図を読む。紙面に描かれる海図のみならず、現在航海中の海底を把握する能力があった。本体である龍の姿を取っていたり、実際海水に触れていれば殆どの龍族は解るのだが、人の姿に擬態していると感覚が若干鈍る。クトレトラは擬態を行っていても海を読むことに特化しているので、若い割にかなりの重要役職に居た。
「じゃあ、隠れ家なり娯楽室なり、暇つぶしに使う部屋があるじゃないですか」
「……それじゃ、さみしいよ」
「以前居た船は知りませんが、この船はいつでも誰かが起きています」
「そうじゃなくて、俺、あんたに会いたかったんだ」
 ぽつりと漏らされた言葉が、消えそうだった。以前港町で見かけた、尾を丸めて軒先で横たわる寂しげな野良犬の姿が、クトレトラの脳裏に浮かぶ。きっと、でかい図体をしていながら、扉の前で膝を抱えているのだろう。
「別に、行くとこなら他にもあるけどさ」
「それなら、そちらへ―――」
「あんたの側に居たかったんだ」
 クトレトラの言葉を遮ったジビエの口調は、今までの弱気を覆すようにしっかりとしていた。
 酒瓶を片手に持ったままだったクトレトラは、どう反応して良いのか困惑していた。ジビエは悪い人物ではない。正直で無邪気だ。同じくらい頑固なところもあるし、時折子供っぽい。幾ら追い払っても、突き放しても、しょんぼりと肩を落としながら黙って側に寄ってこようとする。
 自分でもこの性格の捻くれ加減を理解しているクトレトラは、ジビエへの態度に時折罪悪感を感じるようになっていた。それほど、一途に接してくるのだ。
「声だけでも、聞けたらいいな、って…」
 図体のでかい、怪力の体力馬鹿。三等航海士と言うより雑用係の、それでも龍の雄として申し分のない姿形を持っているのに。
 これ以上、どこか他へ行けと言うのは、まるで自分が悪者のようではないか。
 クトレトラは無意識に、眉間の皺を深くした。
 そうだ。雄同士じゃないか。何があるわけでもない。勘ぐる必要なんて、ないだろう。
「……酒くらいしか、ありませんよ」
「クトレトラ?」
 出来るだけ不機嫌な声を装って、クトレトラは酒瓶で扉を叩いた。
「入るならさっさとそこを退いてください」
 これは、クトレトラが初めて自室に他者を招いた出来事だった。

  

2008/08/05 拍手小咄でした

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