寒い

Liwyathan the JET ""short story

 目が覚めたカラスは、肌寒さに首を竦めた。毛布をぎゅっと体に巻き付けたのは、魅朧が側にいないことも関係している。普段ならカラスが嫌がろうとくっついてくる魅朧のお陰で、暑苦しいことも多々あるが。
 こんな寒い時に限って、なんでいないんだろう。
 スケイリー・ジェット号は現在、極寒の海洋から遠ざかる途中だ。
 常春の国で生まれ育ったカラスは、身も凍える寒さというものを知らない。そんな話題を食事中にしていたら、魅朧はにやにやと笑っていたのだ。その翌朝には針路が聞いたこともない地方へ定められていた。
 数日かかって到着したそこは、太陽が地平線すれすれの間々沈まない不思議な場所だった。あまりの寒さに驚いていたカラスだが、不思議なことに船員達は全く平気なようで、普段の服装と変わらず甲板をうろうろしている。深海すら潜行可能なので、寒さには強いらしい。
 氷山を避けるために龍の本体に戻った一匹が斥候として回りを泳いでいたのは、船が氷山とぶつかればどうなるか解っているからだ。彼らの乗る船は海賊船としては軍艦並の強度を誇るとはいえ、建造物は結局自然には勝てない。
 どちらかといえば自然の範疇である海龍達は、氷山を探る斥候がことのほか楽しそうに見えたのか、何人も交代で海に入って遊んでいた。黒くて巨大な生き物が氷山を蹴飛ばしたり沈めたりしているのは随分微笑ましくて楽しそうだが、寒さに弱いと初めて知ったカラスは見ているだけで参加したいとは決して思わなかった。
 そんな海洋を航海中だから、魅朧は艦橋にいるのかもしれない。可能性は理解できるが、こんなに寒いのに側に居ないなんて駄目じゃないか。
 毛布にくるまっていたカラスは暫くごろごろしていたが、それでも寒いし何故か体が痛いし、もやもやと苛立ちまで沸き上がってきて漸く起きることにした。
 薄暗い室内は時間の判断がつかない。
 ひやっとした床に悪態を付きながら着替えてコートに身を包んで、それから船長室を抜け出して艦橋に向かった。
 船長室は甲板上にあるけれど、甲板と繋がっていない。もちろん艦橋とも。一度船倉層に降りて甲板に出てからじゃなければ艦橋に入れない。相当急いでいたり緊急の場合は窓から抜け出す事も出来るが、海に落ちる可能性は考慮しなければならないだろう。
 道すがらぐるぐると考えつつ、艦橋に入り込めば、案の定魅朧がそこにいた。
 寒いのに何をやって居るんだろう。
「珍しいな、起きた―――カラス?」
 金色の瞳を細めた魅朧が微笑みを言葉と共に途中で止めて眉をひそめた。そんな嫌な顔しなくてもいいじゃないか。
「嫌とかじゃなくてな、お前どうした」
「どうもしない。あんたがいなかったから」
 寒いし。なんでか節々が痛いし。
 内容の繋がりが無いから、脈絡が解らない。ただ会話を聞いていただけの他の船員達は、それぞれに首をひねる。カラスの感情は、魅朧が側に居れば容易に読み取れないのだ。
 艦橋の入り口で動こうとしないカラスを、魅朧は黙って見つめる。暫くして鬣のような髪をがしがしかいて、カラスの側に近寄った。動作の割に優しい手付きで引き寄せて、額にかかる髪をよけた。そのまま顔を近づける。
 キスされるのか、と瞼を閉じたカラスの額に、ひんやりと堅い感触。何だろう、冷たくて気持ちいい。こんなに寒いのに。冷たいのがいいと思えるくらい熱い。寒いのに。
「おい、熱あんじゃねぇかお前」
「ないよ。だって、さむい」
 カラスが瞼を開ければ、視界一杯に魅朧の顔があって焦点が合わない。お互いの額が触れているのか、と納得する。
「熱あるから寒いんだよ。…って、おい、お前これ本気で風邪だろ」
「人間って風邪ひいたらそんなエロくさい面になるんすか」
「煩いジビエ黙ってろ」
「………ハーイ」
 魅朧は、カラスが入ってきた瞬間どきりとした。寝ぼけているような危うさと、欲求不満みたいな表情。情交の余韻を引きずっているのかと錯覚してしまう程度に、カラスが厭らしく写った。ベッドの中でしか見られない無防備さ。
 けれど感情がおかしかった。いつもの不器用さがない。素直な思考にもかかわらず、内容がばらけている。何事かと思って触れてみたら一発で解った。実際目にしたことは殆どないが、これが風邪というものだろう。龍は風邪なんてひかない。カラスは歴とした人間だ。
「おれは風邪なんてひかない」
 不機嫌そうなカラスの口調に、これは本格的にやばいと確信した。ちなみに正しくは、カラスは高熱を発するような風邪をいままでに引いたことがない、だ。
「そうか。とりあえず部屋戻って寝るぞ」
「毛布じゃさむいからやだ」
「俺も一緒に寝るから寒くねぇよ」
 病人の会話に根気よく付き合ってくれた魅朧の言葉を聞いて、カラスは満足したのかその体重を預けた。
 魅朧にくっついていると暖かいな、と安堵の所為か眠くなる。睡魔に身を任せてしまえば、すとんと意識が落ちた。
「おい、カラス、…カラス?…畜生生殺しか」
「いくらなんでも病人を犯したら幻滅しますよ」
「煩ぇなクトレ。お前最近ジビエに感化されすぎてんぞ」
「…最悪です。以後慎みます。人間の風邪に詳しい知り合いが居るので、すぐ船長室にやりますね」
「助かる。後はお前達に任せていいか」
「アイ、サー。お大事に」
「ほんと、襲っちゃだめっすよ!」
「お前等こそ、ブリッジでヤるんじゃねぇぞ」
 居るのはこの二人だけではないけれど。カラスを抱きかかえた魅朧は、背後で叫く若い龍達を尻目に艦橋を後にした。

 ちなみにカラスの風邪は、魅朧の完全看護の元、三日目には殆ど完治した。

  

最近暑くなってきたので、涼しいところに行きたいですという思いを込めてみました(?)。カラスはきっとほとんど覚えていない。
2008/06/15

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