安い

Liwyathan the JET ""short story

 数年に一度、上位龍族が深海で会合を開く。世界で一番深い海は、どれほど強靱な龍種でさえ辿り着くのは困難だ。だからそこへ行ける者は、全て強者ということになる。その殆どが己の海賊船を持ち、船長となっていた。
 人が操る船では入り込むことの出来ない入り江に、魅朧を船長とする海賊船スケイリー・ジェット号が停船していた。今この漆黒の海賊船には、船長と副船長が居ない。必ずどちらかが乗船しているはずの船は無防備だが、しかし一番安全な場所にいるのだった。
 真下、遙か深い場所では、族長を筆頭に上位の龍が集まっている。入り組んだ岩場は天然の要塞であるし、もし海上で何か起ころうともすぐに上位龍族が浮上してくるからだ。
 殆ど丸一日、船長と副船長不在のまま過ごしていた海賊船内は、殺伐としているわけでも緊張感も無く、至って平和だった。
「カーラース!」
「何かあったのか?」
 甲板で海を眺めていたカラスに、副船長の妻であるノクラフが酒瓶を片手に声をかけた。
「今はないね。でも、これからありそうだから、差し入れあげるよ」
「これから?」
「そ。すぐエルギー達が上がってくる。魅朧が荒れてるみたい」
 内容の割にあっけらかんと笑うノクラフに、カラスが小首をかしげる。
「事情は魅朧に直接聞きな。アタシはエルギーの思念を読んだだけだもん」
 夫婦の絆は強い。龍同士の読心術は、結びつきが強い程顕著に表れるらしい。
「ま、アタシは新しい指輪買ってもらっちゃお」
 うって変わってノクラフは随分と上機嫌で、カラスはその落差に疑問が深まるばかり。
 気性は野蛮でも、そうそう怒りを表に出すことのない魅朧だ。彼が荒れるとは、また何か事件でも起きたのではないかとカラスの心は曇る。
「そんな顔しなくていいさ。大したことじゃないみたいだし」
「…ならいいけどな」
 カラスが溜め息を付いた時、丁度波飛沫が上がった。音は二つ。二匹の黒龍が海面から浮上して、甲板へ近付いた。降りたときには龍から人の姿に戻っている。
「お帰りなさーい」
 嬉しそうに駆け寄るノクラフは、眉間に皺を寄せた副船長のエルギーに抱きついた。いつ見ても仲が良い夫婦だ。愛妻の抱擁に気をよくしたのか、エルギーは苦笑を浮かべて頬に口付けている。
 そんな光景を鼻で笑った魅朧は、たてがみのような金髪をがしがしと乱暴に掻きながらカラスの傍へ寄ってきた。
「お帰り」
「おー。…ずっとここに居たのか?」
「いや、さっき出てきた。中に居ても暇で」
 黄金色の瞳は険呑な色をしていて、カラスはノクラフの助言が正確だったことを知る。これは本当に機嫌が悪そうだ。
「何かあったのか?」
 ついさっきと同じことを尋ねれば、魅朧はばつが悪そうに舌打ちをする。
「別に、ねぇよ」
 反論はまるで子供じみていた。本当に事件でもあるのなら、こんな拗ね方はしない。そう、怒っているのではなく彼は拗ねているようだった。
 原因が解らないのでどう対処しようかと苦笑を浮かべるカラスの肩を、妻を腕に抱いたエルギーが通り抜けざま軽く叩いた。まあ頑張ってくれ、という励ましに近い。
「触んな」
「それは失礼」
 普段仲の良い魅朧とエルギーの遣り取りに驚いた。伴侶に対して心の狭い龍ではあるが、エルギーに対してあからさまな独占欲を述べる事は殆ど無い。
 気分を害するわけでもないエルギーは、そのまま何事もなかったようにいつもの艦橋へ消えてしまう。
「どうしたんだよ」
 手渡された酒瓶を思い出したカラスは、それを差し出しながら魅朧の機嫌を伺う。何があろうとカラスに対しては真摯である魅朧だ。きっと直ぐに元に戻ってくれるだろう。八つ当たりされても、理不尽だと怒る気もないし。
「…お前に当たるほどガキじゃねぇよ、俺は」
 カラスの心境を読んだ魅朧が、盛大に長嘆する。少し大人げなかったかと反省。
「言いたくないなら、聞かないけど」
「いや、大したことねぇんだって。有り金全部持ってかれただけだ」
「……は?」
 そういえば会合の前、やたらと気合いを入れていた魅朧を思い出す。
「賭けの結果が大損だった」
「…会議に行ったんだよな?」
「まあな」
 それ以上言う気は無いのか、魅朧は明後日の方向を向く。一体何の賭なのか気にならなくも無いのだか、カラスは敢えて聞かないという選択を選んだ。
 酒瓶のコルクを歯で引き抜いた魅朧は、ぶつぶつと文句を呟いている。一度呷ってから、もう一度溜め息。
「鷲の一人勝ちだぜ、今回は。九官メナートが言いふらすに違いない。畜生が」
「ああ、それで」
 内容は解らないまでも、ノクラフがカラスに酒を差し入れた経緯はなんとなく予想できた。夫が大儲けしたので魅朧が悔しがるから、宥める為に一杯やれとでも言うのだろう。
 この一本で宥められるかどうか疑問ではあるが。
 どんな会議だったのか興味はあるけれど、カラスは仕方ないなと笑った。そして不意に、もっと簡単に機嫌を良くさせてしまえる方法を思い付いた。
「魅朧」
「…ああ?」
 再度酒瓶をくわえようとする魅朧を留め、一歩傍へ近付く。踵を上げ、身長差を埋める。
 ちゅ、という可愛い音を立て、その唇を啄んだ。
「………」
 黄金の瞳を見開いた魅朧は、たった今行われた事に動きを止めてしまった。
 何だおい、この滅茶苦茶可愛い生き物は一体何だ。
 瞬間、自らに張ってある心理障壁をぶち抜いてだだ漏れた惚気を、艦橋に居たメンバー達は運悪く察知してしまった。
 面白いくらい不機嫌さが払われて、魅朧は急に上機嫌になった。
「魅――ぎゃあ!」
 小首を傾げながら様子を窺っているカラスを、物凄い力で引き寄せて自分から口吻をしかける魅朧に、当の本人が無様な悲鳴を上げる。それすら途中で奪い取られたが。
「…うちのキャプテンって、安いわ」
 うんざりと漏らしたノクラフの声は、その場の船員達の無言の肯定と共に虚しく艦橋に響いた。

  

カラスの新スキル(?)。
2009/04/30

copyright(C)2003-2008 3a.m.AtomicBird/KISAICHI All Rights Reserved.