「アルヴィティエル」
いつもとは違う、全く感情がこもらない声で呼ばれた。ひとり用のソファに埋もれるように座り、細い窓から真っ青な空を眺めていたノイズフェラーは、ぱっと見るだけではだらけきっている。
アルヴィティエルは分類していた本を床に平積みして、ノイズフェラーの元へゆっくりと近寄った。
名前を、ただ呼ばれただけだ。側に来い、とは言われていない。それでも近寄ろうと思ったのは、ノイズフェラーが空など眺めているからだ。どこまでも続く のではないかと思われる透明な蒼。思い出したように霞のような雲が流れている。麗らか、と表現して間違いないだろう空だ。
太陽は見えていないが、きっと外に出れば目を細めたくなるほど輝いていることだろう。
「…アルヴィティエル」
「なんですか?」
視線を合わせる気はないのか、呼びかけにも応じずに空を見つめたまま。横に立ったアルヴィティエルは微かな苦笑を漏らした。唯我独尊そのままの男が大人しい。これはどうしたことだろう。
「どうしました?」
自分でも驚くほど優しい声で、服で隠されている意外と逞しい肩に手を添えた。そのまま指を伸ばして、漆黒の髪に絡めてみる。時折無造作にはねている髪 は、絹糸のような手触りをしていた。平常時に触るのは初めてのことで、またそれを許されていることに驚く。
「本当に、どうしたんでしょうね」
くすくすと声を立てて笑いながら、アルヴィティエルは気分が良かった。ふてくされた子供の様なのだ。それが可愛いと思ってしまって。
暫くそうしていれば、ノイズフェラーがその手首を取った。そのまま引かれて、転がるように。両足を開いたノイズフェラーの間に、すっぽりと収まってしまった。
「何をするんですか、まったく」
後ろからがっちりと抱き込まれ、身動きが取れない。拘束するように両腕は腰に周り、ぴたりと身体が密着している。こてんと肩に額をつけて、頑是無い子供のように甘えてくる。
アルヴィティエルはしたいようにさせていた。いつもなら這い回る手が今は大人しく縋り付いている。
「そろそろエレボスに戻りますか?」
目の前の窓から降り注ぐ光は些か眩しすぎる。本来我々は闇の底を蠢く生き物だ。胸より長く伸ばされた銀糸の髪がきらきらと輝いている。
ノイズフェラーはアルヴィティエルの首筋に鼻を擦り付け、深く息を吸った。ぎゅう、と強くなる腕に、アルヴィティエルはわずかに首を傾けて甘え返し、くつりと笑った。
魔王様ホームッシック(?)
2006/01/10