禁断症状

sep krimo [ SS ]

 その日ミストは、数日間苛まれていたものに耐えられず、午後になって休養を取った。
  風邪どころか睡眠さえ取った所を誰一人見たことのない、グライアイファミリーのコンシリエーレの不調に、驚いたのはその情報を耳にした全ての者だった。
  一番傍にいて、過ごす時間も長い筈のパムレードは、しかし驚きよりも呆れが強くて、ミストが休養を要求したときには半眼で頷いたものだ。別に心配していないというわけではない。一番近くにいたからこそ、その変調はすぐにわかった。これが何かの病気の疑いでもあれば、大いに焦るだろう。けれどこれは明らかに違う。
「別に私は貴方を束縛したいわけじゃないんだけれど」
  寝台に蹲る銀髪の青年を見下ろして、短い黒髪にすっきりとした美貌を乗せたマフィアのドンが長嘆する。ピンストライプのパンツスーツに、ヒールの高いパンプス。片手の葉巻は火がつけられないまま、指の間で彷徨っていた。
「ねえ、ミスト。貴方、今、自分がどんな顔してるのかわかってる?」
  背を向けられているのに予想がついてしまっているパムレードは、意地っ張りで頑固な愛しいひとをどうやって説得しようか悩んだ。自分も大概頑固だと思うけれど、ミストは意固地だ。クール&ビューティを地でいっていたのに、二週間ほど前に現れた男の所為で、冷酷なコンシリエーレがただの不器用な男に見えている。
  周囲には巧妙に隠してはいるけれど、この一週間は、いつ強請退場を告げようか迷った。
「ま、交渉はすんなり行って良かったけど。貴方の株は落ちたかもね」
「……」
  眠って居ないことは気配でわかる。うんざりと言うより、本当にただただ呆れ果てたパムレードの口調が、ミストの背に刺さった。
「二、三日休んだって構わないのよ。今までを考えたら足りないくらいだし。これからだって定期的に…」
「大丈夫、です」
  遮った声の艶っぽさに、パムレードは今日一番の長嘆で答えた。
  パムレードは他人の情事を覗き見て胸が高鳴るほど若くはないし、女の喘ぎも男の喘ぎもましてや自分の喘ぎすら想像したって鼻で笑うような性格をしていたが、それでも今のミストの態度には微妙な気分に成らざるを得ない。
「どこがよ。私でこれだけどきどきするなら、男どもなんて一発で野獣になるわ」
  ミストの変調は僅かなものだった。最初は特に外見的な差異は見られなくて、しかし視線が離せなくなった。その時には既にミストも自覚していたようで、極力ひとと接触することを避けていた。
  しかし、若干朱く染まった目元や、吐息の色っぽさ、仕草ひとつをとっても淫らな想像をさせられてしまうところまで来れば、もう決定的だ。ミスターストイックの異名を取るあのミストが、まるで発情期の雌猫かと思えるフェロモンを放っていることに、男達はいち早く気が付いた。
  だからといって手をだせるわけではないから、全身くまなく睨め付けて、想像するだけだ。パムレードの右腕であるスーゼラフはいち早く近付くことを恐れた。「その場に一緒に居るだけで勃ちそうだ」とは、彼の言だけではない。
  神秘的な美貌を備えた青年の媚態に、人間は抗えなかった。
  だからパムレードはミストが休養を願ったことに安堵していたのだが、根本的な改善にはなっていなかった。解決方法は解っているのに、実行に移さない。普段の彼なら自分の失態を見せる事はせずすぐに解決するであろう事なのに。
「私が連絡するわよ」
  それは最後通牒だ。
「…待って、ください」
  携帯電話を片手に掲げるパムレードに、辛そうに身を起こしたミストは呻いた。
  荒い息遣い、緩めた首もとから覗く細い首と鎖骨の稜線、何よりもその淫蕩な表情。同じ症状が出るドラッグがあるのなら、買い付けて売りさばきたいくらいだ。
「お願い、ミスト。これ以上耐えるなら私が襲うわよ」
「…自分で、…」
「できるならやってるでしょう。治まってないからあの男に縋りなさいと言ってるの」
  原因は、四大マフィアが頭痛を覚えた事件の主犯だろう事は明白だ。厳密にミストとあの男の関係を理解しているわけではないし、情交の内容を確認したわけではないからやり方は知らないけれど。それでもミストに生々しいまでの性的情動を引き起こせる人物を他に知らない。
「相手が居るならセックスくらいなんだって言うのよ。溜まってるならさっさと発散なさいな」
  簡単に言えば、そんな所だ。
「私にはどうして貴方がそこまで我慢するのか理解できないわ。サイファーなら喜んで両手を広げて待ってると思うけど。むしろ、貴方がこんな状態なのに何もしてこない方が逆に不思議だわ」
  それに関してはミストに思うところがあった。
「とりあえず、何とかしますから…」
「一時間経ってもまだ同じ状態だったら、実力行使も辞さないこと、覚えておいて」
  やはり長嘆混じりのパムレードは、最後の一線はミスト預けて出て行った。

 部屋に一人残されたミストは深く息を吸い、吐き出したときの熱さに辟易していた。
  パムレードが言うところのあの男、ルイス・サイファーを名乗る魔王が何もしてこないのは理由がある。
  彼はただ、待っているのだ。
  ミストが哀願し、無様に跪くことを。
  それだけは避けたいと思っていたのに、身体の奥に燻る熱を持て余してしまえば、ノイズフェラーに縋ることくらいささいなことなのではないかと思ってしまう。
  この不調は絶対に彼のせいなのに、どうして自分がこれほど意地を張って苦しまねばならないのか。理不尽な責め苦に腹が立ってくる。
  震える指を無理矢理押さえつけ、ミストは携帯電話を手にした。通話先を選択してボタンを押すまで時間がかかったが、それでも漸く決意して受話部分を耳に押し当てた。無機物の冷たさすら過敏に反応してしまうのが、悔しかった。
『何だ』
  殆どコール音も無しに聞こえた声に、図らずも肌が粟立つ。
「…今からそちらへ行っても?」
  欲望を必死に押さえ込んで平静さを保たせた声で問えば、電子の向こうとは思えない感度の良さで笑い声が聞こえてくる。
『どうぞ?』
  くつくつと喉の奥で笑うようなそれは、直接耳朶に落とされているようで耐え難い。引きはがすように通話を切って、ミストはそのまま消えた。

***

「…ッ!」
  空間を移動することなど造作ないのに、ミストが己の能力を行使して飛んだ直後、膝から力が抜けた。
「何やってんだよ」
  サマーセーターにジーンズという出で立ちのノイズフェラーは、テレビのリモコンを持ったままソファに寝そべり、大画面で野球を見ていた。
  確認した瞬間殴りつけたくなったのはミストの所為ではないだろう。順応性が高すぎると言うか、他人の世界でこれほど寛いでいていいのだろうか。一応ここはマフィアのメッカであるし、もう少し殺伐とした雰囲気というもの…。
  そこまで考えて、ミストは馬鹿馬鹿しさに泣きたくなった。
「私に…、何をしたんですか」
  辛うじて絞り出した声色が震えているのは、怒りの所為だけではない。この場の、ノイズフェラーの気配と匂いを感じ取った瞬間、立てなくなる程の歓びが全身を走り抜けていた。
「別に、俺は何もしちゃいないぜ?」
「嘘です」
「俺は嘘を付かんだろ」
「…なら、何故」
  問い詰める気力は無かった。もう何でも良いから、解放してほしい。
  テレビを消したノイズフェラーが、悠然と近付いてくる。スーツ姿で蹲るミストを見下ろし、心底楽しそうに唇を吊り上げた。
「この前セックスしてから、二週間か。よく持ったと思うぜ、俺は」
  片膝を付いて、ミストの細い顎に指をかけた。潤みきった濃紫色の瞳が眼鏡越しに揺れている。
「考えても見ろよ。暫く忘れてたとこに、強烈なの一発叩き込んだんだ。思い出して躯が啼くだろう」
「な…ん」
「フラッシュバック。禁断症状。何でも良い。この間までは頑固に怒ってたから忘れられてたんだろうが、今は違うだろう?俺を拒絶する必要はねぇ。躯は正直だよなぁ。そういう風に仕込んだのは俺だがね」
  そんな馬鹿なことは無いと、罵ってやりたいのに声が出ない。
  ミストは愕然とした。エレボスにいれば四六時中肌を合わせていたし、エレボスに居なくてもそれは殆ど同じだった。躯が疼くなんて淫乱になった覚えは無い。心ではそう思っているのに、当の躯が裏切ってくる。
「馬鹿だよな、お前。んな我慢しなくても、一言いやぁいいじゃねぇか」
  肌に染みこませるような低音を紡ぎながら、常より格段に優しさを装うノイズフェラーが怖かった。
  自分が口を開けば、淫らな要求しか出てこないような気がして、ミストは奥歯を噛んだ。縋るような目線は隠しきれずに、ノイズフェラーの闇色の瞳を覗き込む。
  あくまでも頑固な姿勢に、魔王は嗤った。舐めたら甘そうな眼球のかわりに、眼鏡のレンズを舐め上げる。地肌に感じたくはないか、という無言の問いかけ。
「ノイズ…、っ…」
「良いことを教えてやろうか」
  ジャケットのボタンを指先で外し、襟をなぞる。直に触れない卑怯な仕草で、彼は的確にミストを煽っていた。
「二週間、誰も喰ってねぇんだぜ?」
「…え…?」
  一瞬、躯の飢餓を忘れた。
  今、ノイズフェラーは、何て。言葉の意味を理解して、しかし口を突いて出たのは確かに本心で。
「嘘ですね」
「…可愛いくねぇなお前」
  さらに驚いた事に、ノイズフェラーが微苦笑で応えるものだから、これはなにか絶対に裏があると勘ぐってしまう。素直に信じ切れないのは今更仕方のないことだ。それだけのことを彼はしてきている。
「気持ち悪いですよ」
  妙に冷静になったお陰で、熱が少しばかり引いた気がした。気分の問題なので、実際そう変わるものではないのだが。
「ほんっと、可愛げのねぇ。まあ、実際この街の退廃加減は、居るだけでもそこそこ満たされる。お前に約束しちまった手前、楽しくもないセックスするくらいなら、お前を嬲ったほうが幾らか腹に溜まる」
  なんだかとてもまっとうな事を言われている気がしないでもないのだが、どう判断していいのか迷うところだ。
  実際の所、ノイズフェラーという存在がドラウレドナに密やかに広まった結果、簡単に捕まる餌が居なくなったという話でもあるのだが、馬鹿正直にそれを言ってやるほどお人好しではない。
  ならばなぜ頻繁に、または無理矢理にでもミストを引っ張り出さなかったのかと言えば、焦らしていたのだ。ノイズフェラーには、ミストが欲求不満になることが解っていた。
「なぁ、アルヴィティエル。お前は何をしに来た?」
  ゆったりと、咬んで含むような吐息混じりの囁きを落として、ノイズフェラーは誘惑する。
「俺に何を求めている」
  まさかSUBを一緒に見るためじゃないだろう。
  冗談交じりの呟きは、艶を帯びて耳を擽る。
「アルヴィティエル」
  今となっては魔王ただ一人が呼ぶことの出来る真名を、欲情に乗せられてしまえば、ミストは抗う事が難しくなった。
  悔しくて、悔しくて、それでも愛おしさが勝って、ミストは切なげに眉根を寄せた。肌も感覚も至る所全てが求めている。
  瞼を閉じたミストは結局、震える指を開いて、傍の男に腕を伸ばした。 

  

SUB(サイボーグ アルティメット ベースボール)。いやいや、エロは…?(笑)
2008/04/21

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