アンリ様とカグラ

Starved-Mortal""short story

「こーんばんは、アンリ様いる?」
 よ、と片手を上げて微笑んだカグリエルマは、どでかい扉の隙間からその屋敷に入り込んだ。
「いやー、もー、この辺寒いよなぁ。あー、中、あったか」
 扉を閉めたメイドは、勝手にロビーを進んでいく男の扱いに困ったようで、両手を胸の位置に持ってきておろおろと付いてきた。
「あ、あの、カグラ様…!」
「大丈夫大丈夫。暖を取りながらいつまでも待ってるから、話つけられる誰かつれてきてくれ」
 暖炉の前にうずくまって両手をかざしながら、カグリエルマは背後の小柄なメイドに告げた。
「その必要は無いわ」
 繊細な彫刻が施された螺旋階段の上階に、数人の女を従えた美女が立っていた。
「エイダ、お下がり。飲み物の選択は貴女に任せるから、後で持ってきてちょうだい」
「はい、奥様」
 メイドが深々と礼をしてロビーの奥へ消える。カグリエルマは苦笑を浮かべながら立ち上がり、居住まいを正した。
「御機嫌よう、マダム・アルリマーカ」
「寝起きに男の気配だなんて、不機嫌この上ないわ」
「ま、そうおっしゃらずに」
 階段を下りてくるまで微動だにしないカグリエルマは、笑顔を浮かべながらも警戒を怠らない。許しが下りるまでは気が抜けないのだ、この屋敷は。
「今日は何用?吸血王と痴話喧嘩?」
 煙管から煙を吸った女は、透けるネグリジェにその豊満な肢体を見せつけながら燃えるように真っ赤な髪をかき上げた。ライトグリーンの瞳は、ぎらぎらと獣の輝きを放っている。
「ええ。また宿を借りられれば幸いなのですが」
「お前も懲りない男だわね」
「申し訳ございません」
「思ってもない事を、そうぺろっと言うもんじゃないわ。まあ、いいでしょう。長居はしないでちょうだい」
「はい。有り難うございます、マダム」
「ここにいる間は、わかっているわね?」
 カグリエルマと同じ上背で腕を組んだ女は、肩眉を上げて微笑み、煙管の灰を暖炉へ落とした。
「一、館の女性に手をださない。一、貴女の寝室は覗かない。一、力仕事は率先して手伝う」
「そうよ。ほんと、男にしておくのが勿体ないわ」
「…ほめ言葉として受け取っておきます」
 脱力したカグリエルマは、漸く外套を脱いだ。

 ここは、メリアドラスの城があるニュクスの中心より離れた場所。馬で小一時間もいけばたどり着く辺鄙な地だが、眺めは美しい。館の一帯に満開の花が咲いている。
 アルリマーカ公爵という熟女が治める地だ。
 彼女はその地位に居ながら、殆ど城へ顔をださない孤高の吸血鬼である。数人の爵位持ちと数多くの人間に加護を与え、館の中に自分の王国を築いていた。
 住人は召使いや飼い猫に至るまで全てが女性で、男の侵入を固く拒んでいる。
 そんな公爵とどうしてカグリエルマが出会ったのかと言えば、やはりメリアドラスと口喧嘩の後に城を飛び出して彷徨いていたときだった。侍女のひとりが買い出しに出向いていたとき、聞いたことのない公爵の名前を知り、面白半分で着いて来たのが始め。今では時折、いや一方的に押しかけるようになった。
 アルリマーカ公爵は、男嫌いだった。嫌いというより、興味が無いのか。その食指は全て同性に向いているらしく、初対面の時はたいそう煙たがられた。カグリエルマがメリアドラスの加護を受けていると知っても態度を改めない姿勢が大変気に入った事を覚えている。
「で?」
 紅茶のカップを回しながら、アルリマーカが尋ねた。長い足を組み替える姿は一見の価値がある。なんせ、透けたネグリジェの下は全裸だ。
「は?」
 公爵の側に侍る女達を見聞するのに忙しかったカグリエルマは、咄嗟に何か解らなかった。ぼけたその反応に、女達が笑いを漏らす。
「どんな痴話喧嘩だったのか、と聞いているの。この子達が知りたがるのよ」
「いや…、どんなっていわれてもなぁ」
「ただで私の屋敷に居座るのだから、そのくらいは話さなくてはだめよ。お話の中じゃない、ナマの修羅場なんてそうないから」
 誕生日に呼ばれるピエロと同じ扱いか、とカグリエルマは苦笑する。
「この国唯一の魔族である吸血王と恋仲にある人間が、同レベルで喧嘩するなんて、これ以上楽しい娯楽はない」
 ソーサーを小卓の上に置いたカグリエルマは天井を見上げた。クッションの効いた椅子に深く座り込んで溜め息。期待に満ちた視線を一心に浴びて、居心地が悪い。
「原因はシモなんだけど、それでも聞きたいか?」
 吐き出した言葉に、女達が色めいた笑い声を立てる。女同士でいちゃついてるお前らが男同士のシモネタ聞いて嬉しいのか、といつか聞いてやりたい。
「なおさら、興味がある」
「あ、そ…」
 無性に煙草が吸いたいな、と思えば、メイドのひとりがシガレットケースを差し出してくれた。ありがたく一本いただいて火をつける。深く吸い込んで、吐き出す。
「…酒瓶つっこまれたこととかあった気がするから、俺もたいがいマトモじゃねぇとは承知だが、今回ばかりはなぁ」
 半眼になってしまうのは、仕方ないだろう。カグリエルマは椅子に四肢を投げ出して、投げやりに語る。
「『ウンラン』って知ってる?」
 問いかけに、アルリマーカはにやりと笑った。
「うちにもある。使ったことがある子は…」
 ぐるりと周囲を見渡せば、頬を染めた幾人かが手を挙げた。
「…毎回思うけど、けっこうアンリ様とメリーの趣味って似てないか」
「そう?一応否定しておくことにするわ」
「上流階級のたしなみってわけじゃないよな…」
「マンネリ防止には役立つと思うけれど、推奨しろとは言わないわ」
 くつりと喉を鳴らした女公爵は、煙管の先をメイドに突きだした。手首を曲げて吸う仕草が様になっている。
 ウンランとは、魔界に生息する植物の一種らしい。養分を与えなければ直ぐに枯れてしまうもので、魔界の土から離すと長生きしない。種の状態で持ち運ばれ、一滴の水で成長する。毒性は無く、食べようと思えば食べられる。けれど、主な使用目的は別のところにあった。
「そのウンランな、使われかけてさ。メリーを足蹴にして逃げてきたわけだが」
「足蹴?」
「うん。顔を、こう、思いっきり踏んでみた」
 素足だったし、蹴りつけたわけではないので大した威力はなかったが。咄嗟に逃げ出すぐらいには怖かった。
「うちの子たちには、そんな下品なことはさせないわよ。ねぇ、そうでしょう?」
 吸血王を踏みつけたなんて発言に笑って良いのか起こって良いのか、とりあえず保留したらしいアルリマーカは、側に侍る女頬を爪で撫でた。うっとりと頬ずりする美女に満足そうだ。
「だってな、あの緑だかなんだか解らん色をした蔦がな…。蔦でいいんだよな、あれ。それが足に絡みついた時の、……うわ、鳥肌たった」
 両腕をさすりながら呻くカグリエルマは、思い出して身震いする。
 深緑と黄土色を混ぜたような色をした蔦が一滴の水でいきなり生長し、触手じみた動きで自分の下半身を目がけて来た時は、本気で泣くかと思った。それは水分を求めるらしい。水分ならば体液でも問題ないという。粘りけのある表皮が丁度よい太さになったところで宛がわれて、使用目的を悟った瞬間、メリアドラスの頭を疑いたくなった程だ。
「使ってみれば、悦さがわかるのに」
「わかりたくねぇよ!!」
「この子は、可愛らしい啼き声を聞かせてくれたわよ?」
 黒髪の乙女の頭を撫でて、アルリマーカが唇を舐める。
「…や、ほら、俺、男だし」
「男女の差なんて、関係ない。お前にだって素質があるんだもの、ちゃんと媚態を見せてあげられるはず」
 どうにかして自分が正しいと納得させたかったカグリエルマだが、女公爵の発言にそれも諦めざるを得なかった。
「…要するに、それは仕掛けた方が楽しむための道具か」
 ウンランに体内を蹂躙されて、乱れる相手を眺めて興奮する。気持ちは判らなくもないが、使われる身にもなってほしい。そんな使い方なのかと、カグリエルマは肩を落としたが、
「それもある。けれど、ウンランに犯された方も、満更じゃあないのよ」
 アルリマーカはやんわりと否定した。
「気になるなら見せてあげてもいいけれど。アンジェラ、ウンランはどうだった?」
 うっとりと頭を撫でられていた黒髪のアンジェラは、主の言葉に頬を染めた。
「我を、忘れそうになりましたわ。なにより、ご主人様を満足させられたことが嬉しかったのですけれど」
「そう、良い子ね」
 なんだかいけないものを見てしまったような気恥ずかしさを感じたカグリエルマは、アンジェラを直視出来なかった。
「カグラ様、怖いと思うのは一瞬です。自分がどれほどの恍惚状態にあるのか、それを主に見てもらえる事に比べたら、些細なことですよ」
 これはつっこんだほうが良いところかどうだ。オレンジ色の頭を抱えかけたカグリエルマに、女公爵は高笑いを響かせる。
「帰城してから、ウンランを使ったかどうか、報告は忘れないでちょうだい」
 そんな熟女の言葉は、とりあえず聞かなかったことにしておいた。

  

シーア様へ捧ぐ。
キリ番は受け付けておりませんでしたがこんな感じでどうでしょうか?アンリ様は、オフでその存在がちらっと出てきたあのひとです。
2008/01/30

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