アンリ様とカグラ その後

Starved-Mortal""short story

「あら、二百年振りくらいかしら?My Lord」
 自分の館のエントランスを見下ろしたアルリマーカは、眼下にいるにもかかわらず不遜さを失わない自らの王に声をかけた。
「アレは?」
 微笑むネグリジェの美女を無表情に見つめる吸血王は、質問には答えず殆ど命令に近い口調で尋ね返した。
「まだ寝てるわ。遅くまで私達に付き合って居たから、疲れてるのね」
「お前の小鳥達は、お前に似て喧しいからな」
「なんてお言葉」
 階段を降りて暖炉の前までやってきたアルリマーカは、煙管に口を付けて瞳を細めた。
「引き渡して貰おう」
「まるで私が虜にしているような言い種。起こして来るからお待ちなさいな」
「起こすくらいなら、私が連れ去ろう」
「駄目よ。男は勝手に入らないで」
「アレも男だが?」
 屋敷の何処に居るかなど、聞くのも今更だ。吸血王にとっては、公爵のテリトリーは裸も同然。だが主の許可を取らずに無理矢理押し入るほど、無粋ではない。
「あの子は特別。雄じゃないもの」
 声も出さずに笑うアルリマーカは、メリアドラスが血を分けた吸血鬼だ。だが彼女は、公爵という地位を戴きながら、同列の吸血鬼達より奔放で孤高だった。
「獣は私の館を歩いて欲しくないの」
「獣以前にお前の王は私だが」
「そうね」
 そう言われてしまうと、これ以上抵抗はできない。
 煙管の灰を暖炉に落としたアルリマーカは、こっちよ、と囁いて自らの王を奥へ案内した。
 アレことカグリエルマが女公爵の屋敷に訪れたとき与えられる寝室は、玄関にもっとも近い場所にあった。一階の廊下から直ぐの場所だ。多分それは元々物置に近い扱いをされている部屋らしくて、いくらカグリエルマとてやはり歓迎されていないという事を如実に現していた。
 アルリマーカは男が嫌いだ。
 それでも懲りずにやって来るカグリエルマの図太い神経に、いっそ恐れ入る。本人は眠れれば野宿でも構わないと無頓着で、傍にいるメリアドラスの方はいつも心配していた。顔には出さないが。
 簡素なソファの上、毛布を体に巻き付けて体を丸めている。上着とベルト、最低限の装飾品が小さなテーブルに置いてあって、それが何の準備もせず突発的に此処へ訪れたのだと示していた。
「私のネグリジェを貸してやろうと言ったら、断固拒否するんですもの」
「……」
 毛布からはみ出ているカグリエルマの頭部で膝をついたメリアドラスは、腰立ちで見下ろしてくる女公爵を横目で確認する。薄く透けた紫の下は全裸だ。男の性を持っているならば、おそらく誰でも拒否しようものだ。
 メリアドラスは公爵を思考から追いやり、自分の腕を枕にして猫のように蹲るカグリエルマに視線を合わせた。
「カグリエルマ」
 低音を落とし、顔にかかる橙色の髪を掻き上げてやる。唇を耳朶にぴたりと付け、何度か軽く啄む。
「帰るぞ」
「…ん、や」
 吐息がくすぐったいのか、微睡みから覚醒する気配のないカグリエルマがふるりと肩を竦める。
「ほほ。子猫みたいだこと」
 メリアドラスは無理矢理揺さぶって起こすような事はせず、指と唇の優しい仕草で促す。喧嘩別れをしているわけではないので、承諾を得ずに連れ帰ることもできるが、そうすればきっとカグリエルマは拗ねるだろう。思い返せば己に非があるような気もするし、どうせならちゃんと納得して城に戻って欲しかった。
「カグリエルマ、起きてくれ」
「じゃれるのはいいけれど、まぐあうのは止めてちょうだいよ?」
「…それくらい弁えている」
 野次を飛ばすアルリマーカは楽しそうだが、メリアドラスは出来れば出て行って欲しいと思っていた。寝起きのカグリエルマを、なるべくなら他者に見せたくない。
 溜め息を付いた吸血王は、仕方がないと強硬手段に出た。
 寝息を漏らす唇を舐め、口付ける。無反応を良い事に、咀嚼するような噛んでから舌を差し入れた。
「…ン」
 奥の舌を柔らかく絡め取り、擦り合わせる。寝顔を見つめたままのメリアドラスは瞳を細め、体温でぬくまった毛布に片手を差し込んだ。容易に見付けた腕を撫で上げ、そのまま背に回す。背から脇腹に這わせて、その細腰に指がかかった。どうやらシャツをズボンに入れてなかったようで、布地ではなく地肌に触れた。暖まったそれは、心地よい。
「ん…、う?」
 ふるりと睫毛が揺れ、緩く眉間が寄ったと思えば、灰銀色の瞳がうっすらと開いた。視線の定まらぬあどけない表情を浮かべ、幼子のようにぼんやりとした仕草が愛おしい。
 メリアドラスは顔をずらして口吻を深め、されるがままのカグリエルマが鼻から抜ける甘い吐息を漏らす音を聞いた。覚醒を呼び起こすように何度か舌で愛撫して、名残惜しく身を引く。カグリエルマの下唇をやんわり噛んで放せば、は、と熱に浮いたような喘ぎが零れた。
「目が覚めたか?」
 濡れた唇のまま頬や額や目尻に口付け、耳朶に低音を落としてやる。
「メリー…?」
「ああ、そうだ」
「なんで?」
「迎えに来た」
 いつも溌剌として男らしいとも言える態度を取るカグリエルマが、若干の色を纏って愛々しい雰囲気を醸し出している。己が加護する女達も十分に可愛らしいが、アルリマーカはこのとき初めて男に対しても可愛いという表現が適応出来ると知った。自分が起こすと言い張った吸血王の気持ちがわからなくもない。
「むかえ?」
「ああ。無体なことはしないから、私の元へ戻って来ないか?」
 ゆっくりと言い聞かせるように告げてやれば、カグリエルマは何の事かわかっていないという素振りで小首を傾げる。可愛い。
 いっそのこと寝起きの状態で例のアレを使ってしまえば、思いの外すんなり痴態を拝む事が出来るのじゃないだろうかという考えがよぎったが、想像するだけにとどめた。
「お前が傍に居ないと、私は寂しい」
 えげつない思惑をきっちり隠して、暖まった背を撫でてやる。
 すると、その言葉を徐々に理解していったカグリエルマがはにかみを含めて微笑んだ。嬉しくて堪らないという笑顔に、メリアドラスもつられて微笑む。
「俺がいないと、さみしいのか」
「ああ」
 カグリエルマは、求められ頼られる事に弱い。お前無しでは立ちゆかないと縋られてしまえば、おおよその事は飲み込んでくれる。付け入っていると思わなくもないが、メリアドラスはそれを攻めない筈がない。
 甘えるように伸ばされた腕を首に回させ、腰を引き寄せてもう一度口付ける。今度はちゃんと応えて来た。半分寝ぼけてでも居なければ、きっとこれほど大っぴらに甘えてくれないので、メリアドラスは貪欲に堪能する。
「……城帰っておやりなさいよ」
 途中まで愛らしいものだと傍観していた女公爵が、ついに悪態を付いた。目の前にいるのが王じゃなければ、その広い背中を踏みつけてやっているところだ。男同士のキスシーンなど、一度で十分。しばらくは、カグリエルマも門前払いしてやろう。
「ウンランの株につっこむわよ」
 そう脅せば、されるがままになっていたカグリエルマがびくりと身動いだ。
「ん、ん…ぅ…ッ」
 どうやら一瞬で覚醒したのか、メリアドラスと口付けていると気付いた途端、暴れ出した。ウンランの恐怖は根深かったようだ。無理矢理引きはがして唇を拭っている。
「な、…なんで居るんだよお前!」
「………」
「お黙り」
「ぎゃあ!マダム!居たんですか!」
「私の館に私が居て何が悪いのよ」
 繰り広げられる会話に、メリアドラスが長嘆する。せっかくの至福の時間が。
「…まあいい、帰るぞ」
 低く唸るように呟いて立ち上がったメリアドラスを、カグリエルマが訝しむ視線で見上げてくる。
「お前の望まない物は使わない。機嫌を直してくれ」
「うー…」
 経緯を色々と思い出しているのか、ソファに座り込んだまま。けれど使用した毛布を畳んでいるから、居座るつもりは無いようだ。
「お前に逃げられると、堪える」
 一押ししてやれば、それで漸く立ち上がった。仕方ないな、と呟きながらも満更ではないらしい。苦笑を貼り付けているものの、不機嫌さは微塵もない。
「寂しいなんて言われちゃなあ」
「ああ」
 寝ぼけた状態のカグリエルマは、無意識で可愛らしい仕草を散々振りまいてくれるが、その記憶は確かに持っている。都合の悪い行動は敢えて思い出さないようにしているようだが、都合の良い部分はしっかり覚えていた。もしかして全て演技なのかと疑ったこともあるけれど、どうやらそうでは無いらしい。今はカグリエルマも達観しているが、慣れるまで暫く寝起きに構われる事を厭うた。
 どうせ着替えるからと、簡単にジャケットを羽織っただけのカグリエルマを眺めながら、メリアドラスは昔を思い出してほくそ笑む。
「鼻の下が伸びてますわよ」
「………」
 これ以上居座ると小言だけが増えてきそうだと確信し、テーブルの上からカグリエルマの小物を浚い取ったメリアドラスは、何だどうしたと暴れるカグリエルマを抱きしめて姿を消した。
 残り香一つ置かずに空になった室内で、アルリマーカが鼻を鳴らす。
「迷惑な坊や達だわ」
 そのうち、ウンランの種を一杯詰めて城に届けてやろうと微笑んだ。

  

「こういう喧嘩の場合どうやってメリーとカグラは仲直りするの?」というコメントをいただきまして!
今回はメリーが迎えに来ました。触手プレイは当分先送りで妥協したんだと思います!喧嘩というか、カグラが「ぎゃー!」ってなって逃げてきたので、そんなに拗れなかったようです。原因についてとくに触れずに流した(逃げた)という。
2009/01/29

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