Lycoris Valley

Starved-Mortal""short story

 そこは一面、何もない野原に見えた。
 食料用農地でもなければ、一体何に使うのだろうと聞いてみれば、一面に華が咲くと教えてもらった。ウィラメットが得意げに語るところによれば、華と葉は一緒になる事がなくて、華が終われば茎だけ残り、その後から葉が生えてくる。そして一度消えてからまた茎が伸びてくるらしい。
 華は数日しか咲かない。故郷にいた頃の時間で考えると年に一回。
 朱色の、華が咲くという。
 それが見たくて毎回張っていたのだが、どうも何かしらのタイミングが合わなくてその華を見る機会が無かった。
 伸びてくる茎に、今年こそは、と。それは意地とも言える決意。
 はたして。
「こりゃ、絶景だわ…」
 一面真っ赤に染まった平原に、感嘆しか出てこない。
 背の高い茎に、花火の様な放射状に咲く華。本当に葉は無かった。
 漆黒の空に大きな月が一つだけだが、真円を描く月の光の御陰でとても明るく感じた。魔物達の棲む世界をこの世と言っていいのか疑問だが、まるでこの世の景色とは言えない。闇を孕んだ空、鈍い光を滲ませる月、時折風に揺れる血を溶かしたような華、花。
 わずかに毒を含んでいるというのが納得できる。それを知っているのか、馬はこの華の近くには来なかった。引き寄せられるように赤い絨毯を掻き分けて行く。
 どれほど歩いたか。数分かもしれないし、数十分かもしれない。カグリエルマは漸く立ち止まった。
「カグリエルマ」
 背後から、声が聞こえた。
 その瞬間、カグリエルマの呼吸は確かに止まった。
「よぉ、元気そうだな」
 どうやら聞き違いでは無いらしい。
「お陰様で。誰かさんに捨てられたと思ってグレかけたけど、取り敢えず今は元気だぜ?」
「…辛いな」
 柔らかな苦笑に、胸が締め付けられそうになる。
「この世界はどうだ?」
「堪らなく住みやすい所だな。故郷に帰る気には、なかなか成らない」
「俺達はヘレメに向いて無かったんだろうさ」
「言いたいことは解るよ」
 アンタは自分のルーツを求め、俺は慣習を憎んで、故郷を棄てた。
「まさか、お前がメリアドラスを射止めるとは思わなかったな」
「逆だよ逆。俺がアイツに捕まったんだよ」
「だがその御陰でお前は俺以外を愛す事ができるようになっただろう?」
「アンタの事は今でも愛してるけれど、メリーに対する感情とは違うって解ったよ」
「そう。それを聞きたかった」
 一面の曼珠沙華が咲き乱れる中で、カグリエルマはその瞳から涙がこぼれ落ちている事に、気付かないフリをした。
「人間には、お前の欲望は満たせないだろうから、メリアドラスで丁度良かった。世界のためにお前を棄てられる人間より、お前の為に世界すら棄てられる魔族の情こそ、お前が求めるものなのだから」
「俺の総てを捧げる代わりに、相手の総てを手に入れることが出来るくらいでないと、俺は安心できないんだ」
「愛は喜びをもたらすが、その程度では満たされないんだろう?奉仕し、支配し、奪い、時に殺すような愛こそ」
「俺が欲して止まない物」
 言葉を繋げたカグリエルマは、静かに瞳を閉じた。
「愛しているよ、カグリエルマ」
 濡れた頬や目尻に優しく触れる指の感触を、確かに感じる。錯覚では無いと、信じる。
「お前の御陰で、楽しい日々を送る事が出来た。感謝する」
「アンタに悔いが無いのなら、俺はきっと、アンタのことではもう、泣かないよ」
「それがいい。お前が泣くのは、メリアドラスのために取っておけ」
 笑い声は聞こえなかったが、きっと笑っている。
「アンタを愛してる。アンタに育てられて良かった。

 ありがとう―――ソロモン」

 幼子を慈しむような口付けを頬に受け、カグリエルマは瞼を開けた。
 ゆっくりと辺りを見回す。けれどこのだだっ広い野原の何処にも、人影やそれに類する物は見当たらなかった。
「さよなら、ソレイモルン」
 狂い咲いた曼珠沙華リコリス
 たった一瞬の間に、朱色の華が全て枯れていた。
 まつろわぬ彼岸を見せて。

 

  

お彼岸ネタ。
2006/08/08

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