酒場

Starved-Mortal""short story

「うわあっ!」

声を出したときには、カグラの身体はすでに宙を舞っていた。 
だあああああ、という情けない声が尾を引いて、次の瞬間どぼーん(としか形容できない)と大きな音と水しぶきが上がった。

***

 初めて来た街の初めて入る酒場で、カグリエルマとメリアドラスは二階の窓の近くの席に案内された。そこは湖ギリギリにたてられた、水上のような酒場だった。
  飯を食いに来たのではなく、一日の締めくくりをかねて飲みに来たのだが、酒が運ばれてくるかこないうちに、二人の周りは常連の酔っぱらい達に囲まれていた。本来陽気な性格のカグラはすっかり周囲と馴染み、数十分後には酔っぱらい達と何ら変わらないまでになった。
 むこうで一気が始まれば、こっちでは誰かが歌い出す。女中たちまで参加して踊り出すは、店内は酒と笑いと野次の渦にまかれた。さすがにメリアドラスはそれに参加する事はなかったが、カグラのはしゃぐ姿を眺めながら口元を綻ばせていた。
「よし!兄ちゃん!飲み比べだーーーー!!!!」
「よっしゃこーい!」
「いいぜ。ただし負けた方がおごりな!」
 無論カグラは負ける気はないし、メリアドラスでさえカグラが勝つ方に金までかけていた。
 結果はやはりカグラの勝利で終わったが、もうどっちが勝とうが負けようがそんなことは誰一人気にしないほど馬鹿騒ぎと歓声が店内を駆けめぐっている。
「兄ちゃんよぉ、強ぇえなぁ〜」
「オッサンも結構呑むじゃねーかよ」
 旧来の友人のように肩を組み合い、周囲の大合唱の中飲み比べは終わるかに見えたが、周りにいた数人がカグラの身体を抱き上げて、あろう事か窓からカグラを突き落とした。
「いやっほぉーーーーーーーーーーーぃ!」
「ぎゃあああああああああ!!」
 はしゃぐ酔っぱらいはかずかすに手を叩き合い、窓からカグラに手を振った。
 それどころではなかったのはメリアドラスだ。一瞬の暴挙にとっさに手も出せず、吹き出しそうになったウィスキーを何とか飲み込んでコップを投げ捨てた。
 カグラを放り投げた主犯格の男の胸ぐらを掴み上げて、殺気十分に睨み付けたが、その男はメリアドラスがどうこうする前にすでに酒でつぶれてしまっていた。

***

「ぎゃああ!」
 ばしゃばしゃと水音を出しながら、カグラは這々の体で水から顔を出した。水泳は得意ではない。というより、泳いだことはないのが本音だった。水面に浮いているだけでもたいしたもんだと自分で褒めて、奪われる体温に今の季節を思い出した。
「今冬だぞ、くそ野郎ーーーー!!!」
  やんややんやと窓から手を振る酔っぱらいに悪態を付いても、歓声が帰って来るばかりでかえって逆効果に終わってしまう。 …だめだ!凍え死んじまう!
「メリアドラーーース!!!」
  しらふの魔物の名を呼んで、一階の窓へと何とか泳いでいくといつの間に降りてきたのかメリアドラスが窓から手を差し出していた。
「大丈夫か?」
「寒ぃいいいいいいい!!!」
 いくら水か凍っていなかったからとて、真冬に全身濡れ鼠のではまるで拷問だ。メリアドラスの魔術で難無く乾かすこともできたが、場所が場所なのでそれもできずに、とりあえず風邪を引く前に濡れた上着を脱いだ。
 すると、すでに用意してたというように若いメイドがタオルを差し出した。
「意気投合した新客と飲み比べて、客が勝ったら湖に突き落とすのが習慣なのよ。あいつらの。気を悪くしないでね」
 苦笑して女は濡れた上着を取り上げると、かえるまでには乾かすわ、と微笑んだ。
「そのかわり、酒代は全部おごりだから好きなだけ上の奴らから搾り取っていいわよ。うちも儲かるし。……ああ、シャツも頂戴。直ぐに乾かすから」
 それ以上怒るに怒れず、カグラは文句を言いながらシャツを脱いだ。カグラの上半身を見て、女はにやりと笑ったが、それはカグラには見えなかった。
「下半身このまんまなのに、上半身は裸かよ。メリー、お前のソレかして」
 それ、と指さしたものは、メリアドラスが常に着ている外套だ。灰色がかった獣の毛がどことなく豪華なマント。
 メリアドラスは文句も言わずにマントを脱ぐと、カグラの肩にマントをかけてやる。衝撃でほどけてしまったのか、トレードマークの三つ編みは濡れたストレートにかわり、その肌にまとわりついている。酒の抜けきっていない目元は潤み、祖母に似て華奢な身体と相まって、周囲で呑んでいた男達は自然とカグラに惹きつけられた。生唾を飲み込む者さえいる。
 それもそのはずで、男なのは判っているのだが、どうしても性的な衝動に駆られるような、妙に淫らな身体に見えてしまう何かがあった。
「おお。これ結構暖かいのな」
 気付かずに無邪気にマントにくるまるカグラは、髪をかき上げて目を伏せた。メリアドラスはこのまま宿に連れ去りたい衝動を何とかこらえて、さりげなく髪をふいていた。
「くそっ!身体冷えちまったじゃねぇか!行くぞメリー!飲み直しだ!!」
 がすがすと二階に駆け上がるカグラは、きっと自分の今の姿が他人に与える影響を知らないのだろう。
 虫を追い払わなければいけないメリアドラスは、この身体が自分の物なのだという優越感と、これから起こるであろう心労に、柄にもなく胃が痛むのを感じた。

  

この後に、水面に落ちた衝撃で足を捻挫したカグラが「お姫様だっこ」で宿に連れて行かれたとか、首筋にキスマークが残っていて酔っぱらいにはやしたてられたとか、酒場のおねーさんに「水も滴るいい男じゃない?」「滴って無くてもいい男だぜ?」とかいう会話があったとか。

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