チェス

Starved-Mortal""short story

「何してんだよ、おっさん」
 とりあえず、あいた口が塞がらないという現象は、こう言うことなんだろうなと、魔王は苦笑した。


「それにしても、魔力を感知できるわけでもないのに、よく間違えないもんだな」
 本来この世界に居るはずのない男は、白黒に塗られた升目を見つめながら呟いた。漆黒の髪に黒衣、それだけ見ればこの世界の王と瓜二つの容姿。ただ瞳の色だけが闇そのままに底がない。
「同じ事メリーにも言われたけど、俺は絶対間違わない自信があるぜ。アンタとアイツじゃ全く違うだろ――そのポーンいただきな」
 ひょい、と丸みを帯びた駒を摘んで、カグリエルマはニヤリと笑った。
「アンタがいくらメリーと同じ恰好して見せても駄目だって、わかっただろ?」
「なかなか表彰ものの変化だとおもったんだが」
 彼がカグリエルマの前に姿を現したとき、その瞳の色も紅く、黒髪も長く、まるで雰囲気の違う纏方をしていた。柔らかく微笑んで、腰に手を回し、他の者達が見れば、所構わずべたべたとしているなぁと何も疑問に思わない光景だったのだが、カグリエルマは腕を組んだまま見上げて一言、
「何してんだよ、おっさん」
 じと目で吐き捨てた。
「おっさん呼ばわりされたのは初めてだったな」
「ほら、メリーの親父だし。新鮮でよかったじゃねぇか」
 二人はチェスボードを挟んで向かい合っていた。飲み物を持ってきたメフィストは、それっきり姿を現さない。よっぽどこの男が怖ろしい存在なのかと思っても、カグリエルマには感知できないのであまり気にならなかった。
「つーかさ。なんで俺、アンタとチェスとかしてるわけ」
「カードでも賽子でも何でもいいんだが、すぐ側にあったのがコレだったからじゃないか?」
 検討違いの答えをされてる。なぜ魔王と名高い人物とゲームをしているのか、それが疑問なのであって、ゲームの内容を問いたいわけではない。
 丁度魔王のキングがルークの側に寄って逃げた。ちっ、と舌打ちをして、手を考える。チェスは長いから嫌いなんだ、と胸中で悪態を付いた。
「俺としては、もっと汗だくで気持ちのいい事がしたかったんだが」
「ジョギングでもしてこいよ。スッキリするぜ?」
 運動とは無縁そうな横っ面に吐き捨てると、魔王はつまらなそうに鼻をならしてから髪を掻き上げた。ぎし、と椅子を軋ませて、葉巻を齧る。
 メリアドラスとまるで同じ顔をしていても、よくもここまで違うものだ。粗野さが似合うなんて憎らしいと思いながら、カグリエルマは盤を睨み付ける。
「お前の暴言は、こっちの力加減を判っていないからこそ、容赦がなくて小気味良いな」
「お褒め戴き光栄です、っと」
 受け流しながら、ポーンをセンターへ寄せた。
 カグリエルマだとて、自分が身分不相応だということは感覚的に解っている。だが絶対服従しようとは思えなかった。魔物ではないから魔力の支配を受けることはないし、ここは人間の世界でもないから地位と権力が生活を左右するわけでもない。自分より物理的なまた、魔力的な支配者が目を瞑ってくれているからこそ、これだけ縛られずに自由な発言も行動もできる。そのことはちゃんと解っている。ただ、支配に組み込まれず、自分の性格を曲げることもしないだけだ。
 絶対的な力に服従するような性格をしていたのならば、恐らく自分はこの場にいなかっただろうなと知っていた。
「ところで、お前にとって俺は魅力的じゃないのか?」
 煙を吐き出しながらにやけて問う、とんでもない言葉に、カグリエルマは盛大に噎せた。飲みかけた紅茶が気管にでも入ったのか、涙が出るほど苦しい。こういう突拍子もないところは、少し似ているかも知れない。
「……なんだよそれ」
「率直に言おうか。俺と寝たいと思わんのか、お前は」
 ニヤニヤと張り付いた笑みに、チェス盤を投げつけてやりたくなったが、なけなしの理性で我慢した。
「…絶対、ありえねぇって」
「顔も身体も、アレのサイズも同じだぞ?」
「アンタ絶対ミストに嫌われてるだろ、そういう言動」
「失敬な」
 低い笑い声が漏れた。暫く前に聞いた時には、彼の口調はもう少しぞんざいだったと記憶していたが、今日のそれはほんの少しだけ丁寧だ。もしかしたら、そういう細かいところもメリアドラスの真似をしているのかもしれないと考えて、くだらないと思う。
 どう考えても違うのに。
「お互い相手居る身で何言ってんだかアホらしいが、俺はアンタとセックスしたいとは欠片も思わないな。魅力がどうこうじゃあなくて、対象外なんだよ」
 同性も近親も有る程度まで許容しているつもりだが、どうも不倫だけは許せなかった。同じ様な理由で、浮気も駄目だ。
 自分が同時に二人の相手を愛せる自信が無いから、だろうか。
 それに、自分が好きな男の父親と、そういう関係に成れるかと言われれば論外だった。
「結構古風なんだな」
「……アンタに古いって言われたら、俺の立場ねぇよ」
「最期に聞く。試しに寝てみないか?」
 何処までも食い下がらない魔王は、堕落を唆す悪魔その物だ。冗談めかしてはいるが、紛れもなく誘惑だ。応えればきっと、終わった後には生きては、いない。
 カグリエルマはとりあえず、会話の間に白黒の床で闘っていた駒を動かした。
「チェック」
 漸く魔王はむっつりと黙り込んだ。 

  

※チェス描写は捏造です。
2005/8/29

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