喧嘩 2

Starved-Mortal""short story

 カグリエルマと口をきかなくなって、そろそろ十四日を経過する。
 諦めて赦しを請うてもいいが、如何せん自分に非が見当たらない。それに、徹底無視を決め込んだあの態度が気に入らなかった。
 見つめればふいに逸らされ、呼び止めようと素振りでも見せればするりと居なくなる。
 最初こそ、怒りを露わにしていた。灰銀の瞳で睨み付けてくる咎めるようなその視線は、上目な為に余計な嗜虐心を擽った。表情にでる怒りはカグリエルマの心境をはっきり現していて、毛を逆立てた猫の様だ。
 しかし、次第にカグリエルマはメリアドラスを避けだした。
 同じ場内にいることは、目を瞑っていてもわかる。一番気に入っている部屋で寝泊まりをしていた。カグリエルマが来ない私室はなんと広い事だろう。
 食事をとらない魔物には、食堂に近寄る理由もない。探そうとしなければカグリエルマに出会う回数はめっきり減ってしまった。
 図書館やワインセラーで出会うと、メリアドラスの存在は認めるが、それだけだ。話しかけるわけもなく、視線を合わそうとする事もない。
 さっさと自分の用を済ませて、自分の元を去っていく。次第にメリアドラスは扱いかねた。
 取り付く島もないのでは、どうしようもないではないか。
 カグリエルマが望まないことは極力したくはない。会いたくないのならば、そうしよう。
 場内を彷徨く事をやめ、本当に必要なこと以外は全てウィラメットに任せた。
 まるでカグリエルマと出会う前の生活に戻った様だった。
 幾万の書物を読みふけり、それに飽いたら眠る。時間という概念は無い。
 ただ違うのは、愛しい気配が自分のテリトリーの中に居るということだ。触れられず、顔を見ることもできないが、そこに居ることには変わりない。
 いつのまにか、何もしない時にはカグリエルマの気配を追っていた。城の外に出たとしてもその動きはしっかり追えている。心配だと姿を消して着いていく事はしなかった。
 会えば触れたくなる。
 拒絶されればきっと、自分は何をするかわからない。
 だから、会わない。

「………どれくらい眠っていた?」
 ウィラメットに問えば、彼は着替えを差し出しながら、
「三日と半日です」
 よどみない口調で答えた。
「…あれはどうしている」
「僕が答えなくても、わかるんじゃありませんか?」
「場所はな。だが、何をしているかまでは視ていない」
 シャツに袖を通し、釦を留める。この世界で、視えない場所は無い。だがあえて視ようとはしなかった。
 ウィラメットは苦笑を零しながらタイを渡す。自分の王もその相手もお互いに頑固だと、口には出さないが態度には出して語っていた。
「ご自分でお会いになれば宜しいのに」
「………」
 それが出来ればお前に聞いてはいない。
 言葉には出さず、上着を催促するに止めたメリアドラスは長嘆した。
「では、何かございましたらお呼び下さい。我が王」
 忠実な部下が部屋を去り、メリアドラスはぐるりと室内を見渡して瞳を細めた。つまらないな。
 歩いていくのも馬鹿らしく、その姿は闇に溶け込んだ。形作った時には、その身は書庫の最深部だった。
 書庫、図書館、知識の部屋、呼び名は様々だが皆同じ場所のことを指している。学者気質な魔物達が幾千年もかけて収集してきたあらゆるジャンルの書物が揃っていた。
 書庫の奥へ行けば行くほど、難解で呪術めいたものが増える。魔界古典文字で綴られた五千冊に渡る魔術集だとか、下位悪魔の真名が自動更新される紳士録だとか。
 最深部に乱雑に詰め込まれている書物は、メリアドラスがのみ読んで価値のあるものだった。自ずからその場所へ近寄る者はこの城にはおらず、ゆったりした読書椅子とその側にある机は既に専用の物になっていた。
 机の上には分厚い本が一冊、開かれたまま置いてる。ページの四分の一は埋められているが、残りは白いままだった。インク壺と吸い取りようの砂にペン挿しに差し込まれたままのペン。メモを取るには十分な筆記用具。この本はメリアドラスの覚え書きだった。
 様々な書物を読み、気に入った部分が有れば書き留めておく。その文字は最上位魔族でしか読むことの出来ない高等な物で、この世界ではメリアドラスしかそれを利用する者は居ない。
 そのまま放置されていたこの空間を懐かしく思い、ランプの明かりを入れた。最近ではここに籠もることは少なかった。だが、今ほど安らげると思うことはない。
 書きつづられた文字を読み返すと、人間についてのことが書かれていた。その事実に苦笑し、文章が途中で途切れていることに気が付く。
 この続きは何の引用だったかと考え、それを埋めるために本を取りに行こうと本棚の隙間を抜けた。古くもなく、取り立て難解なものでもなかった筈だ。書庫の最初の大広間にあった本だ。
 この書庫を歩き回るのは苦にならない。螺旋階段やバルコニーまであり、古い紙と乾燥した匂いに知識が染み込んでいる。階段を昇り、回廊を渡り、大部屋を三つぬけて漸く大広間に着いた。壁一面を覆う本棚にいくつもの梯子がかけられてある。記憶したままの場所へ、迷わずに足を向けた。
 その時、この場に近付いてくる気配に気が付いた。
 このところ眠っていた御陰で、その気配を近くに感じ取るのは四日ぶりくらいになるだろうか。顔を見るのは、もっとだ。
 カグリエルマが逃げ回ってくれていたおかげで、彼の気配を追うことしかできない数日。あまりに味気なかった。
 今、目の前のこの本を取って戻れば、カグリエルマと出会わなくて済む。あいつがもし、私に会いたくないのならばそうするのがいいだろうか。メリアドラスがこの場にいれば、カグリエルマはその姿を認めた瞬間に逆を向いて去るのではないか。
 そうなったら、またあの部屋に戻ればいい。
 カグリエルマが落ち着くまで、私は待とう。
 メリアドラスは入り口に背を向け、必要な本を取りだした。殊更ゆっくりページを捲り、書き写したい部分を探す。
 途中、全く関係のない文章で目を留めた。
『―――愚かにも人は愛を試す。試された愛を測るあまり、愛すことを忘れ、愛されることを失う』
 それが事実であるのかどうか、人間ではない自分には理解しがたいが。
 魔族には慈しむという概念がない。愛するほどの情熱を秘めた場合、その対象を奪い取る。自分に服従させて優劣を付け、相手が死ぬまで縛り付ける。
 受け入れる受け入れない、という感情面はそもそも問題ではない。自分を服従させることの出来る相手に逆らう事などできないのだから。魔物の情は一方通行が殆どだ。
 文章を追いながら他のことを考えていたとき、書庫の扉が開かれた。
 はっと息を呑む気配がする。すぐに消えてしまうのかと思っていた。扉が開かれたまま、カグリエルマの気配も動く事はない。
 メリアドラスは片手で本を開いたまま、ゆっくりと体を半分ほど向けた。視線は戸惑いもなくカグリエルマを求める。
 扉に手を掛けたまま、入ろうか戻ろうか迷っている。その灰銀の瞳に、ぴたりと視線を合わせた。
 その途端、カグリエルマの瞳が動揺に揺れた。置いていかれた、捨てられた、そんな縋り付くような感情がほんの一瞬浮かんでいた。
 あれほど私を許そうなどとしなかったのに、何故困惑するのだろう。弱っている処を少しでも見てしまえば、それを嬉々として追いつめたいと思うのは、紛れもない本能だ。恥辱を与え、声が嗄れるほど啼いて懇願させたい。
 できればその前に抱きしめたい。
 すぐに手を伸ばすことができないこの距離は正しかった。
 私は飢えている。
 一度知ってしまった極上の味を、目の前に置かれたまま手を付けることさえ叶わない。魔物は獣である。飼い慣らされた物ではない。本能が食い散らかせと囁きかけている。
 この現状に、随分参ってしまっているな。そう確かめられただけでもいいとしよう。待つことには慣れている。それが愛しい者のためなら、本能など喜んで押さえつけることができるだろう。
「...Nec possum tecum vivere, nec sine te. 」
 せめて、カグリエルマにはわからない言葉で愛を囁く位は許して欲しい。
 独り言のように呟くと、ぱたんと本を閉じて、メリアドラスは背を向けた。一番奥の部屋へ戻って、暫く書物に没頭しよう。  
 早く機嫌を直してくれ。
 祈りにも似た懇願を胸中で呟いて。全く身動きをしない気配が動くことを願った。

「っ…待てよ!」
 その声は叫びに近かった。
 メリアドラスはピタリと動きを止め、振り返らずに先を促した。
「今まで…、何処にいってたんだよ…」
 非難の色が滲んでいる。その理由がわからない。
「私はこの城の中にいた。逃げも隠れもしていない」
 背を向けたまま淡々と。
 すると、カグリエルマの気配が険を帯びてきた。メリアドラスの答えが気に入らないのだろう。
「俺が、逃げ隠れしていたとでも?」
 困惑に揺れていた瞳は、いつの間にか強い怒りを湛えていた。魔族相手にも引けを取らない鋭い眼光。
 背中を刺す視線を受け止めるため、メリアドラスはことさらゆっくり振り返った。淡々とした口調で、
「違うのか?」
 簡潔に、質問で返した。
 カグリエルマの沸点は以外に低い。だがあまり表に出すことはない。親しい間柄の相手でなければ、怒っているという事実すら教えようとはしない。その点メリアドラスはカグリエルマが口や手を出すほどには親しい関係にあった。
 今の返し方は、きっとカグリエルマを怒らせた。灰銀の瞳がすっと細くなったのを見て確信する。
「俺は自分の行きたい所に行くし、そこにお前がいたとしても逃げるようなことはしていない」
 避けてはいるのに?と、皮肉をいってもよかったが、そうはしなかった。自分のお気に入りである書庫の最奥へ行こうとしたことは、避けている行為に中るかも知れないからだ。カグリエルマの行動がどうこうは言えない。
 メリアドラスの沈黙をどうとったのか、カグリエルマは挑むような視線を向けた。
「お前が…。俺が居なくなる事を怒ったくせに、お前が消えるのか」
 何を言っているのかと問えば、この数日のことをと答えられる。
「消えた覚えは無い。お前が居なくなった寝室で暫く眠っていただけだ」
 いくら眠っていたとしても、もし彼が側に近寄ればすぐに気が付いただろう。
「…側にいろって、俺に言ってたよな?」
「無断で何日も居なくなられるのが嫌なだけだ」
 そもそも事の発端は、カグリエルマが無断で城を空けることを注意したのが始まりだった。彼は知り合った諸侯達の私邸へ行ったり、城下町へ出かけることを殊更好んでいる。何も毎日城に詰めていろとは言わない。言いたいが。
「俺が何処にいても、お前ならすぐにわかるのにか?」
「私がこの国の王でなくても、お前は同じ事をするのか?私の能力は関係ないだろう」
 確かにカグリエルマが何処へ行こうとも、私にはその場所を追うことが出来るし迎えに出向くことも吝かではない。だがふらりと居なくなり、放って置かれる事は辛い。
「だからって……」
 カグリエルマは大広間の中心に据えてある、カウチの一つに手を付いた。支えていなければ崩れ落ちそうな表情は微塵も見せないのだが。
「俺がしたからって、お前も同じ事をしなくてもいいだろう」
「私はこの城から一歩も動いてはいないが」
「そうじゃなくて…!」
「顔も見たくないのかと思っていたのだが?」
 小首を傾げて淡々と述べれば、カグリエルマから怒りの表情が消えた。
「……本気で言ってんのか」
 嘘は言っていない。黙ったまま見つめ続ければ、カグリエルマが瞬きで視線を逸らした。視点を落とし、カウチの背を握りしめて。 
「ああ、そうかよ…」
 呟くように吐き捨てる。俯いたまま。
「じゃあ、お望み通り暫く居なくなってやるよ。宣言したから満足だろ」
「なんだと?」
「うっさい!」
 怒鳴りつけたカグリエルマは、切れそうなほど鋭い視線で睨み付けてきた。そのままくるりと背を向けてしまう、その一瞬前に見つめた表情に目を奪われる。
 堪えられなくて思わず歯を食いしばり、泣きそうに潤んだ瞳。
 そんな顔をさせたかった訳ではない。
「お前の顔見なきゃ、罪悪感に苛つく必要ねぇしな」
 思わず、本気で距離を詰めた。去ろうとするカグリエルマの手首を掴み、こちらを向かせた。ビクリと肩が反応し、逃げようとする腕をさらに力を入れて掴んだ。
「罪悪感?」
 できるだけ穏やかに尋ねてやれば、カグリエルマは先程の表情をうまく隠して不機嫌を装った。非難するような視線を感じる。
 なぜかと考え、ああ、と納得する。メリアドラスの目はうっすらと笑んでいた。カグリエルマが私に対して本気で怒ったり泣いたりするのが、嬉しくないわけがない。
 思わず微笑んでしまったのを、カグリエルマはからかわれてるとでも感じたんじゃないだろうか。そう思うとさらに頬が弛みそうで、メリアドラスは気を引き締めた。
「俺は人間なもんで。反省したら謝ろうとかダラダラ考えちまうんだよ、お前のツラ見たらな!なのにお前は急に居なくなるし、やっとみつけたら興味無さそうに何か文句言ってるし…」
 なじりながらも、語尾が段々と小さくなる。ちっ、と舌打ちをして、カグリエルマは掴まれた腕を振り払った。
「もう、いいよ」
「良くはないだろう」
「混ぜっ返すんじゃねぇよ。俺ばっか悪いのかと思ったけど、お前も十分酷いだろ。生憎だが、俺はお前の期待に応える事はできそうにないね」
「逃げる気か?」
 これでは会話にならない。メリアドラスは長嘆した。カグリエルマの言葉ばかりを引き出している私は十分狡い、と。だがメリアドラスは元々饒舌ではない。それを汲んで貰おうと思ったことは一度もないが。
 おまけに人を逆撫でさせる事も上手いようだ。カグリエルマは怒りのあまり、メリアドラスの胸元を掴み上げた。殴ろうと思えば丁度良い。
「ふざけんなよ。人が謝罪しようとした先から茶化してんのはてめぇだろうが。そんなに楽しいかこの野郎」
「謝罪をしようという態度には見えなかったが。そうだな、楽しい」
 これほどまでお互いに意地を張り合って喧嘩することなど、今までしたことがなかったのだ。本気で睨み付けてくる瞳が堪らない。
「お前…マジで最低―――」
 これ以上罵られる前に、メリアドラスはカグリエルマと同じように彼の襟元をネクタイごと掴み上げた。
「お前ばかりに言わせておくのは癪だから、これだけは言っておこう」
 頭一つ分低いカグリエルマを間近で見下ろして、できるだけ冷酷な表情で吐き捨てた。本気を装っているとはいえ、メリアドラスに見下ろされたままでも怒りを収めないカグリエルマは大した人間だった。
「お前の居場所が知りたいだけならば、そんなもの目を瞑っていても見つけることができる。遊びに行くと言って出たまま帰らなくとも、お前の身の危険を心配する必要さえないからな。何処に居ようと構いはしないさ」
「あ、っそ。どうせお前に従わないのが嫌なだけなんだろ」
「力で押さえ込もうと思えば何時でもできるとも」
 力任せにカグリエルマの顎を掴むと、魔族らしい残忍な表情を浮かべた。その顔を近づけながら、
「そこまで縛り付けたくはない。私はお前を愛したいのであって、奴隷にしたいわけではないからな。ただ、側にいなければ、私が寂しい。ましてや他の男の家に泊まるなど、許し難いと思わないか?」
「……え?」
 カグリエルマが理解する前に、呟いた唇を塞いだ。薄く開いた隙間に舌を差し込み、呆然と動きを止めたカグリエルマの舌を絡め取る。角度を変えて深く貪り、上顎を舐め、舌先をすり合わせた。
「…ぅン…んっ」
 掴み上げられていた指はいつの間にか縋るように上着を握り、力強くその腰を抱けば、ついにカグリエルマは両腕を背中へ回した。
 くちゅ、と濡れた音を響かせながら下唇を薄く噛んで放す。唾液がお互いを繋いだまま、メリアドラスは笑みを含んで低く囁いた。
「ただの嫉妬と、笑うがいい」
 もう一度啄むようなキスをして、
「拗ねているのかと、罵ればいいさ」
 自嘲気味に笑った。
 ぼんやりと瞼を開けたカグリエルマは、目尻を赤く染めしっとりと瞳を潤ませていた。寄せられた眉に欲情する。そんな物欲しそうな顔をされては、我慢など出来なくなりそうだ。
 見つめ合うと言うより、睨み合うという表現の方が正しい。背中に回された腕に力が籠もり、カグリエルマに引き寄せられた。そのまま、ちらりと覗いた赤い舌に誘われて、唇を合わせた。舌が触れた瞬間、呼吸を奪うように深く、まるで飢えた獣のような激しさで貪った。
 一方的な攻めではなく、カグリエルマも必死に応えてくる。背に爪を立てられ、肩胛骨をするりと撫でられれば快感が走る。
 腰に回した掌を下へ滑らせ、形の良い尻を撫で上げる。片手をもっと奥に這わせて、双丘の間、いつもメリアドラスを受け入れる部分を指で強く押した。止められないぞと、声に出して確認はしないが、代わりにより淫猥な指使いで秘部を揉んだ。
「ゃ……んっ」
 肩を竦め身を捩ろうとするカグリエルマに己の腰を押しつける。自分と同じように反応している事実が興奮する。濡れたままの唇で耳朶に齧り付き、甘えるように首や耳に舌と歯で愛撫を繰り返した。
 地肌を感じたいのに服が邪魔で、しかし快感を追うことに忙しくて脱がす事すらもどかしい。唇だけで繋がったまま床にもつれ込んで久しぶりに味わうカグリエルマの体を貪った。余裕など全く無かった。
 汗だくになりながら卑猥なことを言い、また言わせて、衝動のままに突き入れて揺さぶりながら啼かせた。これだけお互いが必要だったと全身で伝えているのに、どうしてこんなに離れていられたのだろう。
 気を失うほど抱いて、目が覚めたらまた甘えてみよう。
 喧嘩の原因など、馬鹿らしくて忘れてしまえるだろうから。

  

喧嘩から派生して長いのができた。
なんだかメリアドラスがつぶやいてた文章は、ラテン語で「お前なしには生きていけない」とかそういう意味です…。恥ずかしいやつらだ…。書いてるひとはもっと恥ずかしいひとだ…。
2005/12/12

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