ジョウサイアス伯爵とルーシンダ嬢の出会い篇

Starved-Mortal 脇役の小咄

つまらないわ。
 わたくしの父は上院議員、母は大学教授。わたくしは今年で17になったばかり。
 毎日、女学院と自宅の往復だけ。週に何度か催される晩餐会では、父のおもちゃか母の人形のよう。男の人は寄ってくるけれど、わたくしの父の権力を吸いに来た蜜蜂か、母に取り入ろうとする下卑た鼠だけ。
 だからといって、わたくしに何ができるでしょう。
 一体、何ができたでしょう。
 独りで生活する術も知らないの。お食事を作ることもままならない。習いたくとも、そうはさせてくれなかったのですもの。
 反抗したときもありました。何度も父や母に反抗しました。でもわたくしにはそこから進むだけの力がどうしても得られなかった。
 いつしか、言いなりになるだけの日々が矢のように過ぎ去り、わたくしは17歳になってしまった。
 『お友達』と称する父の部下の娘達がわたくしのまわりに集まって、男の人の話で盛り上がる。今日はどこの誰と愛を語るのか。わたくしはおざなりに返事を返し、隠れるように小さな溜息をもらす。
 そんなに、話しかけないでほしいわ。息が詰まるの。

 でも、と思う。
 もし、いつか、わたくしを掴まえてくれる方が現れたら、わたくしは全てを投げ出してついて行こう、と。


 眠れない、満月の夜。
 三面鏡の真ん中で明かりもつけずにただ髪をとかしていた。櫛を上下に動かしながら、とりたてて何を考えるでもない。
 波打つ金髪は母親から、スカイブルーの瞳は父親から受け継いだ。その両親はそれぞれ別の社交界に出払って帰ってこない。明日の朝までには、帰ってくるかしら。
 本来はわたくしも行かなければならなかったのだが、気分が優れないと強引に屋敷に残った。それにしても、あの両親は同じ屋根の下、本当に夫婦かどうか判らないように振る舞う。まるで夫婦ではないように思えることもしばしば。この国では、それが当たり前なんだそうだ。わたくしには馴染めない習慣だわ。
 櫛を置き、ため息とともに立ち上がった。室内に漏れる月光に誘われたように、わたくしは窓へと歩いていった。
 長い、長い影が広い庭に伸びていた。時折風にはためき、細長い影がふらふらと動く。
影の先端から目を追って、それは壁の上にいることがわかった。
 こんな夜中に、わたくしの家の塀で何をやっているのかしら。いいえ、それ以前にあの塀はわたくしより、高い。それ以上高いわ。アグライアの平均身長の二倍はあるはずよ。
 どうして、あんなところに?
 塀の上のそれは、身動き一つしない。月光を後ろ背に、夜闇に溶け込むように立っていた。
 よおく瞳を凝らして、それを見つめる。
 形は、人。髪は幾分長めかしら。細くもなく太くもない、あまりに自然に立っている。その装束は漆黒。かろうじてYシャツが白いことがわかる。伏せた顔は見えない。
 こんなにじろじろみていたら、失礼かしら。
 そんなことはないでしょうね、だって人様の家の塀に立っているような人だもの。
 どれくらい長い間見つめていたか、あるときわたくしは気づいた。黒衣の人物は顔を上げてこちらを見ていることに。
 恐ろしいことは一つもなかった。少し目線を上げ、互いの視線を交差させる。
「……誰?」
 こんな問いは無意味だわ、きっと。
「我が名を知りたくば、我を招き入れるがよかろう」
 聞こえてきたのは、深い朗々とした声。どこから聞こえたのか、わからなかったわ。塀の上からかもしれないし、私のすぐ側だったのかも。それとも頭の中に直接話しかけられたのかもしれない。
 戸惑うこともなかった。今考えると、どうしてあの時疑問も恐怖も感じなかったのか。
 わたくしは、迷わず窓を開けた。

 それは、秋の始まりを告げる満月の夜だった。

  

本編完結当時に書いていたらしいものを発掘したので、おいておきます〜
2008/09/23 拍手小咄でした

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