ORANGE - 1 -

Koerakoonlased

 ユージーン・ウルフが剣聖となって、そろそろひと月半が経とうとしていた。
 彗星のごとく現れた剣士最高峰の青年に、首都を中心として叙任式から暫くはお祭りムードが漂っていたのだが、彼が特段珍しい役職に就くわけでもなく、目新しい発表も無いとなり、民衆の期待は段々と沈静化されてきた。
 今は戦時下ではない。確かに剣聖誕生は目出度い事だが、軍や騎士でないかぎり、そうそう頻繁に生活に絡んでこないのだ。最初こそ、屋台にひょっこり現れる白髪の剣聖にぎょっとしたが、どこか緩い雰囲気の青年に対して、街の者達の緊張感は薄れていった。
「おや、またアンタかい。剣聖さんは暇なもんだねぇ」
 籠に山盛りになった林檎を磨いている中年の女性が、店先を物色するユージーンの姿を見付けて声をかけた。
「そうでもないよ。逃亡中なんだ」
「またそんなこと言って。王様の次にえらいんだろ?」
「どうだろ。俺が出しゃばらなくても、カーマ軍は優秀じゃない。平和が一番だよ」
「そりゃそうだわ」
 財布から小銭を取り出したユージーンは、磨いたばかりの林檎を買った。真っ赤に売れた果実を囓りながら他愛のないことを話す。途中で珍しい果物を見付けた。
「これ、オレンジ?」
「ああ、それね。昨日はいったんだ。砂漠のね。カーマじゃ、これが出始めると冬が来たって思うよ」
「へぇ。これも貰おうかな」
 今までの人生の殆どを砂漠の国で暮らしたユージーンにとっては、懐かしいものだった。食べ頃の物を三つ袋に入れてもらい、彼は店を後にした。
 昼下がり、肌寒さは慣れないけれど、今日は良い天気だ。特に用事もないので、今のところ居候先である魔天師団へと歩みを向ける。
 一年前は、殺伐とした環境にいた。カーマの平和な街並みを見ていると、傭兵をやっていたことが嘘のようだ。平和惚けするわけではないけれど、ぬるま湯に浸かるのも問題かと感じる。
 外野が煩いので大っぴらに訓練しているわけではないが、これでも日々の鍛錬は欠かしていない。相手が居ないことが退屈なので、そろそろ何かしら見繕わなければいけないか。
「こんな所にいやがったか!」
 あと少しで魔天師団の西門という所で、威勢の良い声をかけられた。殆ど怒鳴り声だ。ユージーンは嫌そうに顔を顰めた。
「シカトこくな!アンタだ!アンタ!」
 鼻息が聞こえてきそうな程、荒い足音で近付いてくる男は、黒衣の軍服姿だ。
「黒天師団って、暇なの?」
「休憩時間だからサボってるわけじゃねぇ!」
「あ、そう。俺は忙しいから、またね」
「思いっきり暇そうじゃねぇか!忙しいってなんだ!どうせM2の邪魔してるだけだろう!」
 んー、と気のない相槌を打つユージーンの横に並んだ男は、どうやら放してくれそうにない。だからといって追い払うのも面倒。
「ミラを護るのが俺の仕事だから」
「騎士院の警護は王城レベルだろうが。アンタが出張るこたぁねぇよ」
「変な虫ついたら困るからね」
 食べきった林檎の芯を草むらに投げ捨てたユージーンを、男は怒り混じりに睨み付ける。ゴミを捨てるなと言いたいが、拾ってくるほどお人好しではないらしい。
「…M2追っかけ回してるって、マジなのか」
「勿論」
 即答すれば、男は黙った。
 そうしているうちに魔天師団の施設西門を潜り抜ける。門兵達は、自軍ではない黒天師団の軍服に眉を顰めたが、その隣にいるのが剣聖であることを知っているので引き留めることはしなかった。
「何処までついてくるの」
 流石に宿舎や施設内に入る事は出来ないだろう男を、横目で見つめる。
「そうだよ、アンタに用があんだよ。ちょっと話を聞け」
 我に返ったのか、男は立ち止まる。
「ミラの休憩時間になるから、手短に」
「…あー」
 がしがしと黒髪を掻きむしった男は、改めてユージーンの正面に回った。
「どうせ覚えちゃいねぇだろうから言うけどな。オレはヤハ・デヴァナ。黒天師団所属の紅玉位、剣士だ。アンタと手合わせがしたい」
 正直、ユージーンはまたかと思った。まだ諦めていないのか、と。
 ヤハを覚えていないわけではない。同じような要求をそれこそ三日に一度の割合で言われているから、忘れようがない。ヤハと同じような輩は、叙任式後から後を絶たずにやって来ていた。面倒なので適当に追い払っていたのだが、この男はまったく懲りる事がなかった。
「俺のこと倒したいわけ?」
 面倒だと思いつつ、仕方なく会話に乗った。そろそろ断る言い訳が尽きてきた。
「アホか。師団長が勝てないのに、俺が勝てるわけねぇだろ。試合じゃねぇよ。手合わせしようっつってんの」
 ヤハは憤慨気味に吐き捨てる。己の実力は知っていた。ユージーンが現れるまでカーマ最強と謳われる師団長と同じ剣位に居る彼だ。実は非公式の手合わせも観戦していた。それに、勝ち負けを競いたがるような子供っぽい考えは持っていない。
 ユージーンは即断せず、少し考えた。
 先程まで、そろそろ誰かと手合わせをしてもいいかと思っていたのは事実だ。だが、今まで拒否していたのだから、すんなり許可するのも勿体ない。
「言っておくけど、騎士団の剣術なんて知らないよ俺は」
「傭兵流上等だ。型をやりたきゃ、軍内でやってるぜ」
 いつも即断で拒否するユージーンが話に食い付いてきたので、ヤハはどこか嬉しそうだ。
 買ったばかりのオレンジの袋をがさがさ言わせたユージーンは、魔天師団の施設を眺めた。愛しい相手は、休憩時間に入っただろうか。そして、唐突に思い付いた。
「ヤハ、だっけ」
「おうよ」
「恋人、いる?」
「……は?」
 いきなり無関係な話題を振られて、ヤハは転ける素振りを見せる。アクションが大きいな、と他人事のようにユージーンは男を眺めた。
「い、いるけどよ。何の関係が」
「女?男?」
 それが手合わせと何に関係するのかわからないが、質問に答えないと先に進めなさそうだと腹を括って、ヤハは答えた。
「女だ」
「付き合って、どのくらいでヤった?」
「はぁ!?なんでアンタにそんなこと」
「…教えてくれなきゃ、俺は帰るよ」
 脅しか。何だその脅しは。ヤハの鳶色の目は微妙に据わった。生粋のカーマ人だが、カーマ文化を置き忘れてきたような生い立ちだと知ってはいるが、この突拍子の無さは何故かと問い詰めたくなる。話が拗れそうだから今は黙って答えるが。答えなければ、また追いかける毎日に戻りそうだ。
「……付き合って、一週間かそこらだったと思うけど。それがどうした」
「普通そのくらいだよな…。同じベッドで寝てるのに、二ヶ月近く触るだけって、いくら何でも限界だよな…」
 ぶつぶつと呟く剣聖が何となく不気味で、ヤハは一歩後退った。手合わせの話は何処に消えたのか。恋愛相談なんかされる要素は何処に転がっていたんだろう。
「ま、まさかと思うが、M2か?」
「そう。触らせてくれるけど、挿れさせてくれなくてさ」
「オレが知るか!」
 猥談は嫌いじゃないが、ヤハは焦った。真っ昼間の魔天師団の庭先で話す内容ではないだろう。
「しゃぶって指入れるとこまで行ったんだけど、泣かれちゃって。思いっきり焦らして強請らせようとしたら、怯えられてさぁ」
「ぎゃー!お前ちょっとこっち来いアホおお!」
 往来より人は格段に少ないが、出入り口の近くだ。通りかかった女性が会話を耳にしたのか、蔑むような表情を浮かべて足早に二人を避けていった。
 ヤハはこれ以上こんな所で変なこと口走られないように、ユージーンを外れに引っ張っていく。木陰に連れてきて、仕方がないと座り込む。
「ラフカディオの旦那に相談するのもアレかなーと思ってさ、聞いてよ。俺、カーマに知り合い居ないんだよ。聞いてくれたら手合わせしてあげるから」
「旦那って…、おい、陛下って言え、陛下だ」
 ラフカディオは現カーマ国王の名前だ。いくらなんでも軍人としてそれは見過ごせないからヤハは思わず突っ込んだが、それで言い直す事は無いだろうとも思っていた。それにしても、陛下にそんなシモの話を振ってくれなくて本当に良かった。職業軍人であるし、その位から王族とも近い場所に居るので国王の人となりを知っているヤハは、冷や汗をかいた。きっと国王陛下は、面白がって有ること無いこと告げるだろう。
 若干困惑していたヤハは、ユージーンがついでのように付け加えた言葉を理解することが遅れた。はたと我に返って、身を乗り出す。
「手合わせしてくれんのか!?」
「ま、そろそろ素振りも飽きたから。それはいいんだけどね」
 あれだけ拒絶されていたのが、性の相談ひとつで解決するなら安い物だ。ユージーンの望む答えになるかどうかは別として。
 つきまとって居たお陰で顔見知りレベルにはなったが、それが良かったのか悪かったのかヤハは頭を抱えたかった。努力が報われたにしては情けない。剣聖に対しての憧れや尊敬は、この瞬間脆くも崩れ去っていた。
「てか、アンタ、M2と付き合ってたのかよ。付きまとってるだけじゃねぇのか」
「ミラが心も体も俺にくれるって言ったから、剣聖になることにしたんだ。そうじゃなきゃこんな面倒なこと引き受けない」
 ヤハは首を傾げた。
「俺はミラに跪いたんだ。ミラ以外に忠誠は誓わないし、ミラ以外欲しくない」
「な…、んだ、と」
 それは国の防衛を担う黒天師団の軍人、引いてはカーマ騎士であるヤハにとって衝撃の告白だ。思わず立ち上がって剣を抜こうとしてしまう。
 騎士は須くカーマ王国へ忠誠を誓う。ただひとり、個人への忠誠など聞いたことがないし、信じられない。一瞬、国家騎士として、目の前の人物に対して怒りが湧いた。
 反逆者と見なして殺気を漏らしそうになったヤハは、しかしユージーンの漆黒の瞳が押さえつけるような真剣な色を帯びていることで止まった。
「文句があるならラフカディオに言いな。俺が剣聖を承諾した条件を聞いてみるといい」
 ヤハの激昂を目敏く察知したユージーンは、有無を言わせない。飄々とした態度で胡座をかいているが、纏う空気は実戦を知る戦人のそれだ。
 軍人は、奥歯を噛みしめて座り直した。実力で勝てるわけもない。国王陛下の名をそんな風に出されてしまえば、楯突くことすら出来ず歯痒さを知る。だが不思議と、目の前のユージーンを憎いとは思わなかった。染みこんだ慣習を覆されたというのに。
「…あまり、言い回らないほうがいい」
「らしいね。面倒だ」
 殺気じみた気配を霧散させたユージーンが肩を竦める。ヤハは大きく息を吸って天を仰ぎ、長嘆した。今はその話題を横に置いておこう。
「で、さ。二ヶ月近くかけて慣らしてるんだけど、そろそろ俺も限界なんだ」
「…あー」
「強姦はしたくないんだけど、無理矢理ヤっちゃってもいいと思う?」
「…あーあーあー」
 ヤハは手合わせを諦めて帰りたくなった。だが聞きの体勢に入った現状で、ユージーンを捨て置くのも、それはそれで出来なかった。男としては、なんとなく応援したくなる。
「大事にしてんのな」
「そりゃ、二十年越しだからね。どうせなら気絶するくらい気持ちよくさせてあげたいじゃない」
「…そーかよ」
「指でイかせるまではクリアしてるんだよ。そっから先が問題。どうしたらいいと思う?」
 他人の情事なんて酒でも入らなきゃ聞く話題じゃない。そんなものは学生時代にすませた気がする。ヤハは無性に青空が憎くなった。
「M2は、男が初めてか?」
「童貞で処女じゃないかな」
「……」
 いいのか、そんな個人情報暴露して。
 ヤハはもうM2をまともに見れないんじゃないかと、悲しくなった。ついでにM2に対して同情した。
 M2と言えば、軍に従事する者でその名を聞かない者は居ないだろう。ミラビリス・マクミラン。王族分家、魔のマクミラン家と名高い名門貴族。その中でも魔族を召還し、ギュスタロッサの魔具を検閲できる異能を持った魔導師だ。正当王家と同列に高嶺の花で、その存在には簡単に手出しできない危険な相手。
 騎士院で学者のような仕事をしているとは言え、魔導師としてその実力を知らない者は居ない。地位も羨望も嫉妬も一手に背負ったような、雲の上の人物だ。今の今まで浮いた噂ひとつ流れていないし、下世話な噂を流す命知らずはそれこそ居なかった。
 そんなミラビリスをどうこうするには、剣聖くらいの地位を持っていないと周りも認めないよな、なんてヤハは諦めた。有る意味妥当だが、目の前のユージーンを見てしまえば、なんとなく同情したくもなる。
 まあ、所詮他人事だ。そう割り切ろう。ヤハは腹を括った。
「アンタの押しが弱いんじゃねぇか?」
「うーん…」
「指まで入れさせてんだったら、セックスの8割OKしてんだろ」
「怖いって泣かれるとさ、どうもね」
 ヤハは自分の彼女との逢瀬はどうだったかと思い出す。処女信仰は無いし、相手は自分が初めてだったわけではないのですんなり事が進んだから、特に悩むことは無かった。むしろ相手が結構乗り気だったので、こちらに不満もない。ちなみに言えば、処女を相手にしたことは無かったから、実際あまり自分の意見は役に立たないんじゃないかと思う。
「二ヶ月、よく我慢できるな。アンタ、淡泊そうには見えねぇけど」
「傭兵時代は取っ替え引っ替え色々やったからなぁ、淡泊ってわけじゃないよ。ミラが大事なだけ」
「…ノロケかよ。そら、ごちそうさま」
「8割だっけ?それでとりあえず我慢してるから。出すもん出してるし」
 だからといって満足はしてないだろう。抱き合って眠るだけというのも悪くはないが、枯れているわけでもないし、やはり体は繋げたい。それで自分の物だと確認する独占欲や支配欲なんかは理解できる。下世話に言えば、突っ込んで犯してマーキングをしたい。
「まあ、そろそろ、泣いても喚いても挿入したいよな」
「強姦にならない?それ」
「なんねーだろ。愛情表現だろ。一回やっちまえばこっちのもんだろ」
「むしろ、突っ込まないと、永遠に逃げるぞ、ミラは」
「だよな……って、うお!」
 同意するように割り込んできた声に頷いたヤハは、ユージーンのそれとは違う少年の声色に驚いた。全く気配を感知できなかったので、ほんの少し飛び上がってしまった。音源を辿れば、滅多にお目にかかれない筈の小さな魔族が浮遊していた。
「シャプトゥース」
 いつから居たのか、黒髪に浅黒い肌、蝙蝠のような翼をはためかせ、尖った尾を緊張感無くだらりと垂らしたミラビリスの使い魔だ。
 ユージーンは驚くことなく、懐から飴玉を取り出して与える。神出鬼没は今更だ。その気配は常人には察知できないだろうが、呪術を受けているユージーンには解った。
「ミラが休憩入っても顔ださねぇと思えば、随分楽しそうな相談してんじゃねぇか。俺も混ぜろよ」
 ヤハは、魔具より貴重と言われる生き物を遠巻きにしか見たことがなかったので、物言いと存在その物に驚きを隠せない。黙ってじっと凝視する。
「永遠に逃げるって、どういうこと」
「ミラはなぁ、詰めが甘いからよ。ジーンが引けば、それ以上されないと気を抜く。甘ちゃんなんだぜ」
 飴玉を囓りながら、自分の主である召還士を敬うこともせず言い放つ。使い魔というか魔族に対しても畏怖を抱いていたヤハは、自分の理想がことごとく破壊されていく事で色々と認識を改めた。手合わせの願いは、余計な物ばかりを引き寄せてしまったようだ。
「…結局よ、いい加減腹を決めてヤっちまえってことじゃねえか」
 殆ど投げやりなヤハの言葉に、シャプトゥースが頷いている。
「それで嫌われたらなぁ」
「剣聖止めるぞって脅せばいいだろ。ケケケケ」
「もう、そういう卑怯な追い詰め方はしたくない」
「今更何言ってやがんだ」
 使い魔の嘲笑に、反論は出来なかった。これは他人に言うつもりはないが、ミラビリスの心を口八丁で強引に奪った自覚がある。後悔はしていないけれど。
 それにユージーンも切羽詰まっていたのだ。せっかく再会できたのに、ミラビリス以外に束縛されるつもりはなかった。二度と離れる気も。
 護ると誓った日より、ミラビリスを泣かせたり悲しませたり怯えさえたり、そんなことは絶対にしないと決めていた。
 だったら体くらい、長くお預けされても我慢が出来そうなものだが、ユージーンはそれ程老成していない。上等な獲物を味わうだけ味あわされて飲み込めないのは、生殺しに近かった。前菜ばかりでは、幾ら旨くても満たされない。
「あ」
 ぐるぐる考えていたユージーンは、唐突に、一番肝心なことに思い至った。一方的に押しつけてばかりで、聞いてない答えがある。そうだ。それを確かめれば、体を繋げる事など簡単ではないか。
「ちょ、おいッ!何処行くんだよ!」
 いきなり立ち上がって施設へ向かうユージーンの背に、ヤハが焦りの声をかける。呼び止めようと伸ばした腕は空振りした。散々聞くだけ聞かされて終わりなんて、契約違反にも程がある。
「オレとの手合わせ何処いったあああ!」
 中腰で叫べば、本当に忘れていたのか、ユージーンが首だけ向けた。
「上手くいったらね」
 清々しい微笑みを残して立ち去られ、ヤハは全身で項垂れた。シャプトゥースが慰めるように広い背中を叩いた。

  

テンション高めでぶっこんで行きます。
ヤハはジーンより年上です。やばい、ヤハの口調と羽虫の口調がかぶった(考え無し)。
ものすごく余談ですが、この世界には赤道とかそういうものが無いので、四季や季候は地球のそれとはまったく噛み合いません。
2009/02/06

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