ORANGE - 2 -

Koerakoonlased

 休憩時間が終わるぎりぎりにひょっこり顔を見せたユージーンは、ミラビリスの予定を確認してあっさり姿を消した。いつもは用が無くても隅の方で仕事ぶりを眺めているのに、今日に限ってどうしたんだと首を傾げる。
 土産を買ってきたから夕食は部屋に用意しておく、と上機嫌で笑っていたので、問題を起こさないならば何でもいいミラビリスは特に気にすることをしなかった。
 幼少の頃一度別れ、十数年ぶりに再会して二ヶ月強。最初こそ以前の美化された記憶との違いに困惑していたが、ユージーンという男について解ってきた。
 曰く、やはり得体が知れない、ということを。
 ミラビリスは、本来自分がやる必要のない雑用を手伝っていた。魔術による封印。しかも全軍内のみに回される書類の封なので、民間人を雇うわけにもいかず、また学生を使うわけにもいかない。急ぎではないが数があるので面倒だが、気分転換にはちょうど良い。他のことを考えている余裕がある。
 ぼんやりと封筒へ判をおしながら、ミラビリスはユージーンについて考えていた。いつも気が付いたら居るくせに、大人しく引き下がられると肩すかしを食らったような気がする。
 彼はカーマに慣れただろうか。自分以外にも、親しい相手は出来ただろうか。
 盲目的な献身と忠誠を持っていながら、捧げる相手は国ではなくミラビリスひとりで、それ以外についてはまったく興味を見せない。何よりも自由を望む傭兵そのものなのに、ミラビリスに頼られ束縛されることを願う。
 思うところがあるのか以前ほど大っぴらに表すことは無いが、二人きりになれば惜しみなく好意を囁き接触を求める。果てしなく強引で自分本位に見せて、最終的にはミラビリスの命令に服従する。
 ユージーンは元々、マクミラン家に仕える使用人の息子だ。彼自身が使用人であった事は無いが、遊び相手とは言え当時からちゃんと弁えのある子供だったように思う。
 主人に対するねじ曲がった敬愛かと考えたりもしたが、漆黒の瞳は、そんな生やさしい物ではなかった。
「…二重人格臭いな、あれは」
「はい?」
 思わず漏れてしまった言葉に、同じ室内で別の作業をする女性が首を傾げた。
「いえ、何でもない。独り言だ」
「お茶でも出しましょうか?ウルフ様もいらっしゃると思ったので、せっかく三人分…三人と半分、お茶菓子を用意したんですけれど。シャプ君もいませんね」
 半分はおそらく、使い魔のためだろう。
「済まない。あいつらは気まぐれでな」
「そのようですね」
 この事務官の女性は、夫と子供が羨ましいほど家庭的な人物だ。ユージーンは彼女が既婚者であり母であると知って、安全牌だと認識しているらしい。
 誰某構わず嫉妬の対象にしているわけではないが、独占欲は人並み以上に持っている。幾ら色々な要因が重なって遠巻きにされているからと言って、ミラビリスには知り合いが多少は存在する。そういう人物全員の確認をとるわけにもいかず、出会えば紹介しているのだが、そんな日の夜は大概荒れるのだ。
 一緒に寝るくらいなら、狭いがそれ程気にならない。なにより幼なじみなのだから、他人と比べて垣根はぐっと低くなる。だが、それだけでは終わらない。極端に回数が多いわけではないのだが、そろそろ回数を数えることを放棄する程度には、睡眠を取る以上のことをされていた。
 流されている。絶対に。
 ただの友人ならば確実にしないだろう。殴ってでも止めるはずだ。しかし、ユージーンが相手では、嫌悪すら抱かないときたものだ。実際気持ちが良い。
 悲しいかな、告白されることはあっても体の関係にまで及ぶ相手は居なかった。その辺の知識は乏しいが、切羽詰まることもなかったので自分は淡泊なのだろうと思っていた。けれどユージーンが色々と試してくるお陰で、認識を改めさせられた。嫌じゃないのだから文句も言えない。
 比較することも出来ないし、誰かに相談出来る内容でもないのだが、男同士でする方法を知らないわけではない。ただ吐き出すだけだった行為が、最近では随分エスカレートして来ていると自覚がある。ユージーンが求めているものが何なのか解らないほど鈍くはない。
 ただ本当に怖いので必死に最後の一線を止めているが、近いうちに許してしまいそうな気がする。受け入れられるように、体を作り替えられてしまったんじゃないかと、冷静に考えると男として些か落ち込む。
 いつ一線を越えさせられるのか不安だが、現状に慣れすぎていて、お互いにきっかけが掴めない。望んでいるというわけでもないのだが。
「珍しいですね」
「…え?」
 いつの間にか目の前に置かれたティーカップから、温かそうな湯気が昇っていた。
「溜め息ついてましたよ。悩み事でもおありですか」
「ああ。…いや、そういうわけでは…。お茶をありがとう」
「いいえ」
 感謝の言葉で誤魔化してしまったが、正直に言える内容ではない。そもそも彼女がどれだけ穏やかな性格をしているとはいえ、夫子持つ女性に問うて良いものではないだろう。これでも一応プライドはある。
 結局その日のミラビリスは、単純作業のお陰で余計なことを考えすぎていつもより仕事の能率は低かった。
 溜め息を付いたり顔を赤くしたり忙しいミラビリスが珍しいのか、事務官は何も聞かなかったが見えないようにこっそり微笑んでいた。成人しているとはいえ、彼女から見たら子供と同じ。地位も権力もあって近付きにくい召喚士が、年相応に見えて微笑ましかった。

 丁度良い量の夕食を食べ終われば、ユージーンが紙袋を取り出した。これが土産なのだろう。瑞々しい橙色の果実を自慢げに見せ、器用に果物ナイフで剥いている。
「オレンジ、か?」
「そう。向こうじゃあ、割と何処でも見付けたけど、カーマは冬限定なんだって。おばちゃんに教わった」
 子供のような笑顔につられて、ミラビリスも微笑んだ。この手の果物を丸まま食べるのは殆ど初めてだ。実家でも寮でも、大抵切りそろえられている。料理がまったく出来ないので、そもそも自分で買おうと思ったことすら無かった。
「どうしたの」
「え?」
「眉間。皺寄ってるよ。オレンジ嫌いだった?」
 自分では全く無意識だったので、ミラビリスは慌てて何でもないと伝えた。それではユージーンが納得しそうにないので、仕方なく口を開く。
「お前が居座り続けるから、寮を出て家でも借りた方がいいのか、とか色々考えていたんだがな。そもそも俺は家事なんて全く出来ないことに気付いた」
 マクミラン家の首都別邸が有ることには有るが、魔天師団とは正反対の王城近くに建っている。おそらく寮生活では及ばない過剰なほどの貴族生活が待っているだろう。だが出勤時間と職業の特殊性を考えると、そちらに移ることも難点が多かった。
「俺がしようか?家事」
「…出来るのか?」
 剥いたオレンジを渡されたミラビリスは、指先の果汁を舐めるユージーンに驚愕の視線を向けた。悪いが、炊事洗濯掃除の類が出来るようには見えなかった。
「ミラよりは出来るよ。まあ、家庭的なもんじゃないから、一から覚え直すけどね。暇だし」
「…暇ってお前。…剣聖の名が泣くぞ」
「元々使用人の息子だったんだし、もしかしたらそのまま使用人になってたかもしれないんだから、平気平気」
 望んで使用人になりたい人間など、そうそう居ないだろう。どうもユージーンは楽しそうに話ながらオレンジを摘んでいるが、ミラビリスにとっては複雑だった。
「ああ、想像するといいな。ミラと二人っきりで、ミラのために飯つくったり掃除したりすんの。うわー、誰にも邪魔されないよね、これは。そろそろさ、エッチするのに防音魔法とか掛け忘れそうで」
「………」
「俺の財産全部集めたら、小さい家一軒買うくらいの額にはなってると思うんだ。うん、ミラ、家買おうよ」
 すぐに答えられる問題ではない。冗談から出てしまったものとしては、もう少し慎重に考えなければいけないものだろう。ミラビリスと違って、ユージーンは本気だったが。
 未だに、ミラビリスはユージーンの道を踏み外させてしまったのではないかと、心のどこかで不安がある。親が使用人だから子まで使用人にならなくてはいけないわけじゃないし、きっとそれなりに将来なりたい職業だってあっただろう。可能性の芽を摘み取ってしまったのは、紛れもないミラビリスだ。
 自分は彼から奪うだけだ。ユージーンはミラビリスの望む物を惜しみなく与えてくれるけれど、何ひとつ返せないで居る。
 忠誠も好意も、何よりミラビリス自身を必要としてくれるのは有り難いし嬉しい。それだって、得をしているのは己だけではないのかと思う。
「ミラ」
 浮かれた声で色々と計画を立てていたユージーンが、ミラビリスの表情に気付いて低く呟いた。テーブルを乗り上げて、細い顎を摘む。
「大体何考えてるか解るよ。だからそれ、全部否定してあげる」
 オレンジの香りが、指先から漂う。逸らすことを許さない強い視線がミラビリスを射抜いていた。
「あんまりさ、俺の本音バラしたら、ミラが怯えちゃいそうだと思って言わなかったんだけど」
 ユージーンは苦笑を浮かべながらミラビリスの手を引いて立たせ、カウチへ座らせた。抱き込むように膝の上に乗せ、抵抗がないのを良いことに、指を絡めた。
 第三者が見れば物凄い格好なのだが、幸いにもいつも茶々を入れてくる小悪魔はその気配すら感じなかった。
「俺ね、本当にミラが好きなんだよ。色々言うけど、嫌わないで」
「……」
 一体何を言い出す気なのか。聞いてみたいが少し怖い。だから黙って先を促す。
「昔ミラを浚ったんだって、付け入ったようなもんだし。俺から離れて首都になんか行かせたくなかったんだ。俺に依存するように誑かしてんだから、バレてたらしっかり罪人だったんじゃないかな。子供だって言っても、悪いことしてる自覚あったしね」
 それが事実なら、確かに犯罪者だ。マクミラン家嫡男の誘拐及び監禁で罪に問えるだろう。不思議とユージーン本人からは悪意が匂わないので、慰めるための虚言じゃないかと勘ぐってしまうが。
「使い魔を召喚したのも、誘ったのは俺でしょう?誘拐事件まで起こしちゃったけど、結果的にシャプトゥースが俺に目印をつけてくれたお陰で、ミラの記憶から俺が消えることはなかった。…慣れてて今更戻すのが面倒なのもあるけど、ミラが気にするから戻したくないんだよ」
 ユージーンは一度口を閉じた。直ぐ傍にあるミラビリスの表情を観察し、拒絶が無いことに安堵する。特徴的な右頬の霊印を指の甲で愛おしんだ。その霊印が美しい曲線を描いて鎖骨まで彩っている事に気付いたのは、体を暴くようになってからだ。配置が淫らで、見下ろす度に胸が高まる。
「ミラの罪悪感さえ利用してるんだよ、俺。だからね、気に病まなくていいんだ。俺のこと好きに使って?俺がどれだけ狡くて卑怯でも、ミラを手放してあげられないから」
 赤紫色の瞳が揺れている。答えを出しかね、判断に迷うようだった。逡巡の後呟いたミラビリスの声は、どこかか細い。
「…そこまでして、何故俺なんだ」
 子供心に好いていたことは事実だが、ユージーンが女だと思っていたミラビリスは、再会することが出来たら嫁に貰おうとしていたくらいだ。罪悪感や責任感があったとしても、好意は褪せることが無く根付いている。己が好意をもつのは自覚していても、他人から同じ想いを返されるなど、想像もできない。それは育ち方や環境によって生成されたミラビリスの性格からくる疑問だ。逆も然りであるのに、解らない。ユージーンに問いかけてしまうのは仕方がないことかもしれなかった。
「……語ると一晩かかりそうだから端折るよ?」
 面映ゆい微妙な表情を浮かべたユージーンは、切れが悪い。照れているのかもしれない。
「最初はさあ、妹が―――弟だね。弟が出来たみたいで単純に可愛かったんだよ。いっつも、ジーン、ジーンって俺の後くっついてくるし、居なきゃ居ないで駄々こねるし」
「…そ、そうだったか?」
「そうだよ。俺が見てないと転ぶわ泣くわ、あーもうこりゃ俺が護ってやらないと駄目だなーって」
 逐一覚えているのか、嬉しそうに緩んだ頬を隠しもせず、ミラビリスの腰を引き寄せて大事そうに抱いた。絶対に離さないつもりなのか、その力は思いの外強い。
「子供のくせにやっぱりどこかマクミランの血が出てるのか偉そうで。それなのに、俺の前ではいつも一生懸命でさ、手を繋げば物凄い悩殺ものの笑顔をむけてくれるし、メイドよりも乳母よりも、俺のことばっか呼ぶし」
「……」
 良いのか悪いのか事件的な出来事以外、日常生活のそれを覚えていないのだが、ミラビリスは子供の行いとはいえとても恥ずかしかった。目の前の口を塞いでやりたい。
 目の端を赤く染めて羞恥に耐えるミラビリスを見つめるユージーンは、もう今日はこのまま寝かしつけるだけでもいいかと思う保護者の心境と、その顔を悦楽に歪めてやりたい雄の欲情の両方を感じていた。
「そんな可愛い子、他に居なかったから強烈でさ。何が何でも自分の物にしたくて。思い付く手は全部使って、俺に依存するように仕向けた。
 離れて心底後悔したけど、ミラに釣り合うなら強くならないと駄目かなとも思った。再会してみたら、やっぱり変わってないんだもん。これはもう運命なんじゃないかと」
「運命…、か…」
「何、その顔。それともミラは、――…俺のこと嫌い?」
 思い出話に口説き文句が混じっていると察したミラビリスは、羞恥を隠すために苦虫を噛み潰したような顔をしていたのだが、ユージーンが最後に落とした台詞を聞いて、一瞬言葉を失った。
「俺と、友達以上になるの、嫌?」
 もう既に、友情の域を出ているだろう。そう言ってやるのは簡単だったが、ユージーンが求めている言葉は、そんな誤魔化しでは無いことくらい、いくら鈍くても解った。
「嫌では、ない」
 そもそも、ユージーンを嫌いになるという考えは無かった。
「好きだよ、ミラビリス。いや、好きってだけじゃ、足りないかな。愛してるんだ」
「…ッ…」
 激情に近いものをぶつけられ、聞き慣れていないミラビリスは肩を揺らす。
「今すぐ同じ土俵に上がってとは言わないけど、ミラは…。ミラビリス、君は俺をどう思ってるの」
 その問いかけに、ミラビリスは冷や汗に似たものを感じさせられた。何か重大な選択を迫られている気がする。答えは決まっているのだが、もし正反対のことを言って場を濁せば、きっとユージーンは少しずつ離れていってしまうような危機感さえ覚える。それだけは嫌だ。もう二度と、離れ離れになることは避けたい。
「…ちゃんと、お前のことは好きだ」
 煮え切らないけれど、ミラビリスは確かに断言した。間違いはない。内容はどうあれ、ずっと欲しかった相手だ。答えは決まっている。
 ほっと息を吐いたユージーンが、真剣さを少しだけ緩めて微笑む。正直、誤魔化される可能性も確かに考えていた。
「昔から俺は、お前のことを嫁にしようと思っていたくらいだぞ。勝手が違って動揺したが、仕方ないだろう…」
「ごめんね、でもありがとう。俺はさ、不安だったから」
「不安?」
「だって、俺が強引に持って行くから、流されてるだけなんじゃないかな、って。ほら、最後までさせてくれないし」
「…そ、それはだな!」
 俺にも男として色々葛藤がだな、と口早に続ける唇を、ユージーンは軽く塞いで黙らせた。ちゅ、と音と共に離され、ミラビリスは憮然として見せた。これは狡い。
「…お前でなければ、唇だとて許さないぞ。俺を何だと思っているんだ」
 ミラビリスの双子の姉が早くに結婚してしまったので、ミラビリス自身は家系を守るための性教育を受けていない。本人が知らぬところであるが、そのあたりは姉のミレニエラが色々と手を打っていた。義務が無いのなら、恋愛くらい自由にさせてやりたいという姉心を、このときはまだ知らない。
 貴族にしては身持ちが堅いのは、教育の有無もあるが、望まない相手にくれてやるほど己の体は安くないとプライドがあるからだ。
「うん。でも、ごめん。本気で不安だった。一度も好きって応えてくれないし」
「…そ、そうだったか?」
 言われ続けていて返した気になっていたミラビリスは、それは申し訳ないことをしてしまったと反省する。そんな状態で今までよく耐えたものだ。他人事ではないのに思う。上目遣いでユージーンを見れば、情けなく眉を寄せていた。
「悪かった」
「ん。安心できたから、いいよ。でも、ほんと、無理矢理奪っちゃわなくてよかった」
 何をと聞き返すことは、敢えてしなかった。好意を告げないまま事を許していたのはミラビリス本人であるが、それでも生々しい話題を振られて討論できるほどの度胸はまだない。
 拘束を強めてミラビリスの胸に顔を押しつけたユージーンは、これで先に進めると心底安心していた。やはり本人の同意があるに越したことはない。
「ねえ、ミラ」
 振動を聞かせるようなくぐもった囁きを落とす。
「ちゃんと、抱かせて」
 拒否されては堪らないから直ぐに言葉を続ける。
「欲しいんだ、全部。ミラが俺のものだって、実感させて」
 ここで、拒絶できるほど、ミラビリスの神経は図太くなかった。何か答えようと唇を開くが、上手く言葉にならない。いつか来ると思っていた決断だが、目の前に突きつけられると、すんなり答えられなかった。何度か同じ事を繰り返していれば、ユージーンが顔を上げた。
 呪術による、白い髪。血の強さを表すような漆黒の瞳。その瞳に、今は情欲の火が灯っている。いつも笑みを浮かべているけれど、野生の獣を思わせる美しい顔だ。泣き黒子が絶妙な色気を伴わせている。
 じっと見つめられ、ミラビリスは暫くしてから漸く頷いた。

  

エロは繰り越しになりました。次回はエロです。
ミラ書くの久々すぎて口調が違ってる気がします。あるぇー。じーんははんざいしゃ。
2009/02/09

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