Koerakoonlased - 6 -

Koerakoonlased "Radid Canine"

 たった二日。
 ミラビリスはこの二日起こった出来事を反芻して苛立った。ベッドに倒れこんで枕を殴りつける。
「なんだよォ。キスの一つや二つくらいでへこむなよお子様め」
「煩い、羽虫」
「だから羽虫じゃねぇっつの。オマエだってアイツのこと好きだったんだろ。だから今まで遊びもしなかったんじゃねぇか」
「それは、ジーンが女だと思っていたからだ!」
 加えて、自分が原因でユージーンの立場を悪くしてしまったという罪悪感があった。いつか見つけ出して責任を取ろうと、子供じみた正義感を引きずっていた。
 けれどユージーンは護られるべき少女ではなかったし、ミラビリスを憎んでいたわけでもない。
「ほっといたら、アイツきっとカーマを出るぜ?」
「…それは、嫌だ」
 枕をぎゅっと握ったミラビリスは、この場に居ないユージーンの行方を心配した。

 王城からの帰り、馬車の中で、ミラビリスは居心地の悪い思いをしていた。
 王に向かって笑顔で告げたユージーンの言葉は、その場の半数以上の者達を凍らせる効果があったらしく、それがどうしたと言わんばかりのつわものは、国王とシャプトゥースと本人であるユージーンのみだった。
 ドサクサにまぎれて城を出たが、ユージーンは相変わらず楽しそうに笑っている。
「別に嫁に来て欲しいとかじゃないから、そんなに警戒しないでよ。…嫁に来たいなら歓迎するけど」
「警戒しているわけじゃない。呆れているだけだ」
「照れてんじゃなくてか」
 いちいち煩い使い魔を窓から追い出してやろうとしたら、姑息なことにシャプトゥースはユージーンの後ろに隠れた。ユージーン苦笑。
「なんかこのまま居座ると煩わしそうだから、近いうちに次の目的地決めなくちゃいけないかな。ミラを置いていくのは嫌だから連れて行こうかと思うんだけど。他の世界、見てみたくない?」
 窓の外を珍しそうに眺めながら、何でもない口調で告げられた言葉に、ミラビリスは固まった。
「え…?」
 咄嗟に意味が理解できず、呆れる原因や気恥ずかしかった想いなど全て飛んでしまう。
「カーマを出る、のか?帰ってきたんじゃなくて?」
 散々剣聖には成りたくないと言ってはいたけれど、まさか国を出るほど嫌なのだろうか。
「んー…。ミラをみつけた後のことはあまり考えてなかったというか。事と次第によっては出て行くけど」
「俺は…てっきり。…そうか、考えも…しなかったな」
 一気に力が抜けてしまった。きっと傍を離れないのだろうと勝手に安堵していたミラビリスは、自分が相当ショックを受けていることに気が付いた。期待していた分落胆は激しい。
「ずっとミラの傍にいることは、変わらないんだけどね」
「でも、お前」
「俺の目的はミラだから。ミラがカーマに居るなら、その横が俺の居場所になるけど…」
 視線をミラビリスへ向けユージーンは傍に近寄った。ミラビリスの顔を半分彩っている霊印を指でなぞる。不穏な気配を感じ取ったミラビリスは、距離を置こうと身じろぐが、ユージーンに遮られてしまった。
「でも、俺が望むのはこういう方向なんだ。拒絶されたら、俺は側に居られない、かな」
「何を――」
 不必要に近付いてくるユージーンの顔がその目的の為に僅かに傾けられた。
 冷たいとさえ思える真剣みを帯びた漆黒の瞳。薄い唇が重なり、ミラビリスの言葉を封じる。近すぎて焦点が合わないけれど、その視線だけは痛いほど感じていた。
 漸く自分の状況が理解できて抵抗を試みるが、その気力はユージーンが押し込んできた舌の所為で削がれてしまう。
「んぅ、…ンッ!」
 これが何を意味しているのか解らないほど、子供ではない。本人の希望に反して、ミラビリスはこの手の誘いをよく受けていた。女からも、男からも。相手の出方によって対応を変えていたので、幼い頃から習っていた護身術が、今では魔術の次に得意になってしまうほど。それなのに、ユージーン相手に護身術を発揮できなかった。押さえつけられている力が思いのほか強いことも有るだろう。
 悔しいというわけではない。ただ、ひたすら混乱する。
 ミラビリスが抵抗できないでいるうちに、ユージーンは好き勝手口腔を荒らしていた。歯列をなぞり、上あごを舐める。唾液が音を立てるほど執拗に舌と舌を絡ませて、唇を犯されていると感じる卑猥な口付け。
 一度呼吸のためか唇が離されたが、また直ぐに塞がれた。濡れた唇に軽く歯をたてて啜り上げられる。抵抗の名残はいつのまにか、ユージーンの服を握り締めるだけに終わり、ミラビリスは身体の芯が痺れる様な陶酔感を味わっていた。
 無理矢理口付けられた事が無いわけではない。けれど、これほど無警戒に享受してしまうのは初めてだ。不思議と嫌悪を感じないのは何故だろうと考えて、ユージーンに限っては許容できるのだと妙に納得してしまった。その理由などには気付かないまま。
 ガタン、と馬車が音を立てて止まった。
 その音で覚醒したミラビリスの途切れていた脳の回路が状況をすぐさま報告し、警告する。理性が戻れば羞恥が襲ってくる。離れなければ、いや、逃げなければ。
「…ッ!」
 思い切り、ユージーンを突き飛ばした。手の平がどこかを打ったようだが、構っていられない。馬車の扉を乱暴に開けて外に出れば、魔天師団の前に到着している。いったいどれだけ長い間…、と考えれば赤面を止められなかった。耳まで熱い気がする。
 御者の声が微かに聞こえたが無視した。ユージーンは金を持っていたかとちらりと思い浮かんだが、慌てて振り払った。
 とにかく、必死で自分の部屋へ戻った。

 ベッドに突っ伏す原因を詳しく思い出してしまい。ミラビリスはもう一度枕に顔を埋めた。このまま沈んでしまえたらいいのに、とさえ思う。
 たった二日。
 十数年ぶりに再会してたった二日だ。
 それまで思い描いていた物が壊れ、しかしそれを認め、あまつさえ憧れに似たものさえ感じていた。
 ミラビリスにとってユージーンは、親友であるけれどそれ以上でもある。カーマを離れさせてしまったことに後悔と罪悪を少なからず感じているし、自分の何不自由無い生活からみて、ユージーンを同情していないとは言えない。
「俺は、思い上がっていたのか」
「何それ、オレ様に話しかけてる?」
 ミラビリスが馬車を飛び出したとき、使い魔は主の後を追ってきた。だから、ユージーンはひとり取り残されたまま。大丈夫だろうか、と心配する自分はお人よしなのだろうか。
「…だからって、キスするか普通」
「したいからするんだろ人間は」
「煩い」
「…じゃあ口に出すなよ誰に話かけてんだオマエは!」
 合いの手が無ければそれはそれで寂しいのだろうけど、八つ当たりせずにはいられない。
「だってな、再会して二日目だぞ!?」
「じゃあ、二週間後ならいいのかよ?二ヵ月後なら?」
 そんなことは解らない。そもそも、考えたことすらないのだ。女性だったら考えていたけれど。勝手が違いすぎる。
 ううう〜、と枕に顔をおしつけたままくぐもった呻き声を上げたミラビリスの髪を、シャプトゥースはぐいぐいと引っ張った。
「おい、誰かくるぞ」
 同時にノック音。
「ジーンなら出ない」
「アイツじゃねぇよ」
 気力の無い身体を引きずってドアをあければ、そこにはヒューが立っていた。
「何だか、随分疲れた顔をしているけど、城で何かあったのか?」
「いや……」
「それに、師団の外でウルフを見かけた。ダウンタウンの方向へ向かっていたけど、大丈夫なのか?」
「なんだよ!下町行くならそっちついていけばよかったなぁ」
 悔しそうに飛び回るシャプトゥースを無視して、ミラビリスは黙った。あれだけの強さならば、どんなゴロツキ相手でも怪我ひとつしないだろうが、外国人が出入りし易い場所ではない。
「何しにいったんだ…」
「私に聞かれても」
「だよな」
 迎えに行くべきか。ユージーンもいい大人なのだし、それは過保護ではないかと思うミラビリスだが、今すぐに会いたくないという思惑にはちゃんと気付いている。
「赤天に探させようか?」
 部隊長職についているヒューは、他の師団にも友人が多い。しかし大事にはしたくない。
 渋るミラビリスに何を悟ったのか、ヒューは苦笑を浮かべながら黒髪を撫でた。
「夕飯まで待って戻らなかったら、探すついでに飯を食いに行こう。塞ぎ込んでる理由も知りたいし。君は私が護衛する」
 護衛。いままでと同じ好意なのだが、どこか釈然としない物を感じながら、それでもミラビリスは頷いた。
 執務室へ移動し、日が傾いた頃、ミラビリスはペンを置いた。思うように仕事がはかどらなかったのは、ユージーンの事が気にかかる所為だ。悪態を付いて伸びをしたタイミングを見計らったように、ヒューが顔を出し、二人はダウンタウンの一角へ夕飯を食べに出かけた。人混みを避けるためヒューに肩を抱かれたとき、ピクリと反応してしまい、ミラビリスは眉根を寄せた。
「M2?」
「…いや」
 訝しがるヒューに相槌を打ち、逃げるように避ける。ユージーンに言われたことを咄嗟に思い出してしまった。曰く、『スキンシップの多いひと?』という発言を。
「珍しく悩んでるが、扱いにくいのか?ウルフ氏は」
 食事が並べられるなり切り出したヒューに、曖昧に頷く。
「ひとつ聞くが…。幼なじみに求められた場合、ヒューならどうする」
 不味そうに皿をつつくミラビリスに、対面の青年は渋い顔をした。
「相手の本気具合にもよる。好みじゃない場合は断るかもしれないが、――そうだな、M2、もし君なら喜んで応じるだろうな」
「そ、そういうものなのか?」
「気付いてなかったのか?」
 質問で返されて言葉に詰まる。
「私と君では、幼なじみとは言わないだろうけどな。いつになったらただの『先輩』から脱却できるのか伺っていたけれど、ウルフに先を越されるくらいだったら、もっと直球で伝えておけばよかったか」
 夕飯の湯気越しに告げられた内容は、ミラビリスにとって思いもしないものだった。ヒューの事を恋愛対象に見たことすらなかったので、何と答えていいのかわからない。けれど、はたと気付いた。
「俺は、別にユージーンのことを言っているわけでは…」
「それ以外に考えられないだろうが。取り繕わなくてもいい」
 責めるわけではなく苦笑混じりのヒューは、この鈍感で世渡りが下手な青年を一度舐めるように見つめた。光加減で赤く見える黒髪に、顔半分を美しく彩る霊印。全身くまなく王族の証。
「ヒュー?」
「…いや。それで、ウルフに告白でもされたか?受け入れるつもりなのか?」
 常と変わらぬ声色を心がけるヒューに、ミラビリスは俯く。
「直ぐには…、決められないだろう…?剣聖を逃がさないために、あいつの要求を呑む、というのは違う気がする。俺はそこまで、人を利用できるほど、出来てはいない。どうしていいかわからない」
 迷うという時点で、受け入れるという選択肢が存在するということをわかっているのだろうか。俯いている所為で嫉妬に光るヒューの瞳を見ることもないミラビリスは、暫く言いよどんでから漸く口を開いた。
「あいつが居なくなる事は、嫌だ」
 黒髪を撫でてやろうと出した手をぎりぎりで引っ込めて、ヒューは奥歯を噛みしめる。密やかに愛した者が、人の手に渡ろうとしている事に暗い想いが胸中に渦巻いていく。
「鈍感が…」
 低い唸りのような声は、食堂の喧噪に紛れてミラビリスには聞こえなかった。

  

本人鈍すぎる。
2008/10/23

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