Koerakoonlased - 5-

Koerakoonlased "Radid Canine"

 黒天師団の歴史などにはまったく興味が無かったユージーンは、施設見学を辞退して時間まで演習場を眺める事を希望した。王侯貴族のように上階から眺めるのではなく、出来れば近くに行きたい、と。熱烈に黒天師団を語ろうとしていた副官はがっかりしたが、演習を見たいという願いに熱意は浮上する。
 外の寒さに選択を間違えたかと腕を擦っていれば、件の副官が外套を貸してくれた。下士官用ではなく、上仕官用の長いコートに気がついたミラビリスは、本人が預かり知らぬうちに外堀を埋めてかかる黒天師団の思惑に苦笑せずにいられない。
 剣聖は望めば師団長になることもできるし、全師団を統括する事も可能だ。国策的にも、対外戦が多い黒天に重きを置いてもらえるように考えているのだろう。当の本人は全く気にかけていないが。
 ベンチに座って延々と眺めるユージーンは、時折ミラビリスに話し掛けた以外は視線が常に剣先を追っていた。部外者が見学しているという事に気を取られず、兵士達は統率の取れた動きで武器を扱う。日々の鍛錬以外、誰かと剣を交えてない事を思い出して、ユージーンは血が騒ぐのを感じた。
 問答無用で昼食会が決まってしまったので、話題はそれについてや先程挨拶を交わした師団長の事が会話を占める。
 師団長の家名であるクセルクスは、第四王家であるとか。クセルクス家は過去に剣聖を輩出している歴代の剣士が多い家柄だとか。ユージーンよりわずかに年上で既に子供が二人居るという事には、ユージーンは演習から視線を外して本気で驚いていた。
「そろそろ、王城へ戻りましょうか。行くだけでも時間がかかりますので」
「食堂というわけにはいかないのか、やはり」
「…ええ、それは。仮にも王族が三人介するわけですから、王族専用の貴賓室です」
 副官とミラビリスの会話に、ユージーンは逃げたくなった。堅苦しいのは本当に嫌いだ。焚き火を囲んで干し肉を食べていた傭兵時代が懐かしい。
「……そんなにあからさまな顔をするなよ、ジーン。別にマナーはいらない。非公式だしな。そういう固い人達じゃないから、大丈夫。少なくともクラマスは男より豪快に飯を食う」
「それはある意味見てみたいね」
「…増長させないでくださいよ?私が何度言っても直してくださらないんですから」
 本気で泣きそうな副官に連れられ、二人は黒天師団棟から王城内部へ戻ってきた。一般人が見学できる場所より奥へと進んでいく。途中何度もすれ違う城勤めの召使達が深々と礼をすることに、ユージーンは苦痛を覚えた。
「すまない。お前が嫌がるのはわかっているんだが…」
 ミラビリスが横に並んで話し掛けてきた。紫色の瞳が謝罪の色に染まっている。優雅な柳眉が痛ましく寄せられていて、ユージーンは困ってしまう。特に表情を出していたわけではないのだが、どうして察知されたのだろう、と。
「ミラが望むなら、従うよ。でも、俺が傭兵だった事は覚えておいて。これでも抑えてるんだけど、ほんとはもっとガサツだから」
 安心させるように背を撫でてやれば、ミラビリスはぎこちなく笑った。
「お前はきっと気に入られるよ」
「そう?俺はミラだけでいいんだけど」
「…そんなわけにはいかないだろう」
 副官は、二人の会話にどこか温度差があるように感じていた。言わんとしていることの趣旨がズレている、というか。何だろうという興味でちらりと視線を向ければ、ユージーンと目が合った。泣き黒子がある、と思った瞬間、背筋に走った冷たいものに慌てて視線を戻した。なぜ、おそらくカーマ全土で一番警戒が厳重であろう王城で、危機を感じなくてはならない。
 自分の上司である師団長の本気の視線というのも怖いが、ユージーンの漆黒の瞳はそれ以上だ。ぞくりと震えが走るような、何かしら狂気を秘めたような危険な視線。
 呑気そうに見えている姿を本質だと思ってはいけない。彼は恐ろしい人物だ。副官はそう自分に言い聞かせる。扉の前で番をしている兵を見た時に、安心した。
「M2様とウルフ様をお連れいたしました」
 自分の声が震えていない事に安堵して、副官は目的の扉の前で告げた。
「用意できてるから入っていいわよ」
 返ってきた声はクラマスのものだ。副官は扉を開けて、廊下に留まる。自分の仕事はここまでだ。
 先にミラビリスが入室して、ユージーンが続く。脱いだ外套を副官に渡しながら満面の笑みを浮かべた。すれ違いざま落とされた囁きに顔をあげる。
「気にしちゃいけないよ?」
 咄嗟に、何を言われたのか理解できなかった。吸い込まれそうな漆黒の瞳だけが笑っていない。
「何の、ことでしょうか…」
「そう。賢いね」
 く、と喉で笑ったユージーンは、外套をぽんと撫でて室内に入った。
 扉が閉められて、副官は脱力の溜息で座り込みそうになった。

 それほど大きな部屋じゃないことに、とりあえずユージーンは安心した。テーブルの上に並べてある料理も、豪華ではあるが良心的な範囲内だ。
「いやいや、よく来たね。早速で悪いんだけ、自己紹介とかそういうのは食べながらでいいかな。今日の分まで執務を終わらせようと頑張ってたら、寝坊しちゃって朝飯食べてなくてさ」
 がっしりとした男性が、緊張感もなく率先して席に座る。赤暗色の髪と瞳が表すところは明白だ。相当に血が濃い。鼻の下に蓄えられた立派な髭も同色。
「…陛下もおかわりなく」
 苦笑しながら勝手に席についたミラビリスに習って、ユージーンも席に座る。
「遠慮しないで食べるといい。おかわりもあるから」
 そういう男は既に一口ずつ味見を終えている。
 どういう反応を返していいのか困ったユージーンは、思わずミラビリスに助けを求める視線を向けた。スープに口をつける直前だったミラビリスは、ユージーンの困惑に気が付き、納得した。いくらなんでも、これは困るだろうと理解する。
 ちなみにシャプトゥースはクラマスの傍に小さな椅子を乗せられ、頬を染めて微笑むクラマスからスプーンで餌付けされていた。ちょっとしたタキシードのようなものを着せられていて、今まで何をされていたのかおぼろげに理解できる。律儀に付き合っているあたり、きっと本人は心底嫌なわけではないんじゃないだろうか。
「お前の気持ちもわからなくないが、言っただろう俺は。固くなる必要なんて無い、と」
「抜けるとこで抜いとかないと、やってられない」
 話しながら食べるという器用なことをやってのける男に、ユージーンは肩の力を抜いた。堅苦しい役人資質という印象を王族に持っていたのだが、面白いくらいに覆されている。
 そういえば自分が知っている貴族というのは、マクミラン家の当主陣だけだな、とユージーンは今更ながら気が付いた。
「ウルフさん、だっけ?傭兵をやっていたというのは本当?」
「ええ。一応現在進行形で」
「羨ましいなぁ。金で雇われて戦う、って男の夢だと思わないかい。クラマス」
 フォークに刺したチキンをくるくる回しながら、横に座る女性に話し掛ける。そういえば夫婦だったのではないかと、ユージーンはうっすら思い出した。
「あなた、剣技はてんで駄目じゃない」
「そうなんだけどさ」
「今のご職業で満足なさってはどうです?」
 控えめな苦笑を浮かべるミラビリスは、パンを千切りながら会話に参加する。
「それに、自己紹介をこれ以上引き伸ばすのは、客人へ対するマナーとしてそろそろどうかと思いますが」
「俺のことなら気にしないでいいよ。なんとなく慣れてきたから」
「…本当は慣れるべきではないんだぞ、こんな雰囲気には」
 ミラビリスの正直な言葉に、男は声を上げて笑った。ナプキンで手を拭いて、テーブル越しに握手を求める。
「いやいや、失礼。ラフカディオ・カルマヴィアだ」
 差し出された手を握り返す前に、ユージーンは一瞬動きを止めた。カルマヴィアという単語に聞き覚えがある。ラフカディオは強引にユージーンの手を取り、友人にするような握手を行った。
「クラマスの旦那で、カーマ国王をしている。略した部分の名前はそのうち調べてくれ。宜しく頼むよ。長い付き合いになるだろうから」
「……国王陛下、ですか」
「そういうことになるかな」
 カーマ王国に一抹の不安を覚えないわけでもないが、ユージーンは黙った。本当に軽い性格をしているのか、そのように装っているのか、咄嗟に裏を読もうとしてしまう。
 握られた掌に力が入る。
「若者にしてはいい眼をしている。これからが楽しみだ」
「…こちらこそ。未来の自分を見ているようです」
「長旅からのカーマへの帰還、歓迎しよう」
 そう締めくくって手を離す。
「奥方にも言いましたが、期待されても困りますからね」
 とりあえずこの場は仕方ないと腹を括ったユージーンは、食事を楽しもうと思った。食べる時に食べ、寝る時に眠るのは傭兵の鉄則だ。
「ああ、そうだ。奥方と言えば」
 ぽん、と膝を叩いた国王は、にやにやとユージーンを見つめている。
「食後の運動に、うちの妻とお手合わせ願うよ」
「な…、陛下」
「クラマスは今のカーマで、剣士として一番強い。剣聖相手で不足は無いと思うんだが」
 腰を浮かせたミラビリスは、思わずユージーンを伺う。パスタを咀嚼しているユージーンはまるで他人事のような顔をして食事を続けていた。
「どうかね?」
 無反応に困惑気味の国王が、向かいの席を伺っている。無駄に威張り散らす愚かさは無いが、大国の王にしては威厳を欠片すら見せていない。軍人であるミラビリスは国王とユージーンの遣り取りにハラハラする。
「傭兵は芸を見せるものではありません」
「傭兵である以前にそなたはカーマ国民なんだ。カーマの国籍を持っている限りね」
 国王の片手にはいつの間に取り出されたのか、今朝ミラビリスが持参した資料が握られていた。見せびらかすようにひらひらと動かしている。
「国籍…」
 カーマを旅立つのに、何か手続きをしたという記憶はなかった。学校やら税やら、自分の両親は一体どうしていたのだろうと、ユージーンはフォークを下ろした。催促したくても自分は住所不定の生活をしてきている。どれだけ負担をかけ続けていたのだろう。この件がひと段落したら、清算したい。
「剣聖になるということは、煩わしいかもしれない。けれど喉元さえ過ぎればあとはどうとでもなる。君が与える影響というのは――」
「…申し訳ありませんが、そもそも俺は剣聖になるつもりが無いのですが」
 厄介な事を言われる前に、とユージーンは言葉を遮った。本来ならば不敬罪ものの行為だが、国王と知った後でも態度の変化がなく、遠慮すら見せないユージーンを呆気に取られて見つめる国王は、彼を連れてきた騎士院のミラビリスに向き直った。
「資料によれば、彼はM2の幼馴染なんだろう?いつもこうなのか?」
「いつもこうです」
 答えたのはユージーン。
「…いや、私はM2に聞いたのだが」
 溜息を付かれ、ミラビリスはひたすら困った。ユージーンについては昔の記憶しかない。記憶の中ではいつも二人きりだったし、二人で居る時のユージーンは基本的にミラビリスの願いに対して忠実だった。
「…騎士院で報酬を払うので、その腕前を見せてくれないだろうか」
 色々考えた結果、ミラビリスはそう発言した。
 国王の望みを聞き入れない訳にはいかない。長年傭兵家業で生計を立てている者に対して、只で戦いを求めても是と言う筈が無い。本来なら国籍を有する者は、国内に置いて如何なる場合であっても国王の御璽に否を唱えられない。ユージーンが不敬罪にあたらないのは、ギュスタロッサが選んだ剣聖として昼食に呼ばれているからに過ぎない。
 しかしユージーンがそれを認めたくないというのならば、報酬を出して戦ってもらうしか他に無い。
「報酬がでるのなら、その依頼受けてもいいけれど。ミラはどうなの?俺の戦い方を、見たい?」
 小首を傾げて微笑むユージーンは、躾られた犬のように見えた。
「俺の剣はミラを護るためのものだから、ミラには俺の太刀筋を確認しておく必要がある」
「……」
 ミラビリスと王は眉をハの字にした。ユージーンの言葉は、ずっとカーマで生活している者にとっては青天の霹靂だ。騎士位を持つ者は国家へ忠誠を誓うことが大前提であるし、カーマという国に奉仕するからこそ騎士位が授けられるといって過言でない。
 何と言って事実を教えようか困ったミラビリスが口を開く前に、使い魔とおままごとをしていたクラマスがその手を止めてユージーンを鋭い視線で射抜いた。
「剣豪として歴史に名を残す騎士が特定の個人を守護するとは笑止。我等は魔剣に選ばれた者としての誇りを持って、この体に流れる血脈の徒を護り、仕える。我等はカーマの剣であり盾。剣聖はその頂点に座する全ての模範でなくてはならない」
 今度はユージーンが眉を寄せる番だった。
「何度も言いますが、俺は剣聖になる気はありません。ミラビリスを護れればそれでいい」
「貴様…、栄誉ある金剛を戴きながら、世迷言を…!」
「成り行きで持ってるけど、返却してもかまわない」
「な…!」
 クラマスは怒りに拳を震わせながら立ち上がった。その勢いに椅子が倒れる。
「まぁまぁ、落ち着いて落ち着いて」
 つかみ掛からなかったのは国王が留めているからだった。だがそれもいつまで持つだろう。
「喧嘩するなら外でやろうぜ」
 口の周りをソースだらけにしたシャプトゥースが、自分の主の方へ移動しながら野次をいれる。
「あまりこういう事は言いたく無いのだけれど、ひとつ分かった事が有る」
 国王はうんざりとした態度を隠しもせずに長嘆した。そのまま視線をミラビリスへ移す。
「手合わせは試合ではない、ごく非公式のものだ。ギュスタロッサを疑っているわけではないけれど、戦歴が無いから黒天師団長に技量を裏付けさせたいんだ。
 M2、ウルフ氏に頼んでくれないかな。クラマスと手合わせするように、ね」
「卑怯ですね。ミラを使うなんて」
「権力者は皆卑怯者だよ。君がM2にこだわるのなら、私はそれを利用するしか無いわけだ」
 両者笑顔で会話しているのだが、薄ら寒い雰囲気だった。渦中のミラビリスは出来るものなら逃げ出したいとすら思う。水を注がれたワイングラスに手を突っ込んで顔を洗っているシャプトゥースに八つ当たりしたくなった。
 板ばさみは勘弁してくれ。

 昼食を続ける雰囲気は霧散し、四人は席を立った。先頭は怒りを隠しもしないクラマス師団長が歩き、そのすぐ後ろに国王が手を後ろに組んで散歩のような足取りでついていく。クラマスの副官や国王の親衛隊は、ミラビリスとユージーンの後方から無言で付き従っている。
 人数は多くないが、なんの行列かとユージーンは内心呆れていた。
「すまない、ジーン…」
 途中、苦い声色でミラビリスが呟いた。
「ま、仕方ないでしょ」
「お前は…戦いたくは無いんだろう?」
「そういうわけじゃないけれど…。試されるのが嫌いなだけ。見世物じゃないからね。
 こういうお偉いさん方って、傭兵の剣技を邪道とかなんとか文句言うからさ。俺達にとっちゃ、型だ何だってのより、どれだけ効率よく敵を倒すかの方が重要。金に合わなきゃ逃げるし、卑怯無作法何でもござれ。誇りさえ失わなければ、無駄な正義感は犬にでも食わせちまえ、ってね」
 発音は柔らかいが、皮肉の効いたスラング交じりの台詞に、ミラビリスは離れていた年月を感じた。
「ああ、ごめん。言葉が汚かった」
 目敏く察知したユージーンが苦笑混じり肩を竦めた。
「いや…。それが素か?」
「さぁ」
 曖昧な微笑。ユージーンがこの顔を見せる時は話す気が無いときだ。再会してまだ短いが、その程度の事はわかるようになった。
 それっきり会話は途切れ、訓練場に辿り付いた。城の中腹にある空間は、柱があるものの舞踏会が開けそうなくらいには広い。
 王は親衛隊が持ってきた椅子に腰掛け、静観の構えだ。数歩分離れて佇むミラビリスに、クラマスの副官が近づいてきた。念のため結界を張ってくれないかという頼みらしい。国王を抜かしてこの中では最も非戦闘員に近く、また魔力値が高い軍人として、訓練場を破壊しないような結界を張る義務がある。魔天師団を担う者として至極まっとうな要請だ。
 ミラビリスは杖先を床に付け、二言三言の文言を唱える。通常では動作と長い呪文が必要なのだが、それらを簡略し省略できる実力と魔力がミラビリスには備わっていた。
 さすがです、と副官が敬礼を返した。
「開始の合図は私が行います」
「頼むよ。用意が出来たらいつ始めてくれてもいい」
「御意に」
 国王へ最敬礼を残して、副官は訓練場の中心へ進んだ。こじりを床につけて仁王立ちをするクラマスに対し、ユージーンは両手を剣にかけることもなく緊張感すらない姿勢で佇んでいた。
「彼について、資料は目を通したよ、M2」
 視線は中央に向けたまま、国王は口を開いた。
「あの髪、染めたなんて嘘だろう?呪の匂いがする」
「さすが直系カルマヴィアだな」
 答えたのはシャプトゥースだった。着せられていた豪華な衣装は脱ぎ捨てていつもの姿でミラビリスの肩にへばり付いていた。移動中は姿を消していたが、恐らくその間に衣服や食料の匂いを落としてきたのだろう。
「人の扱う術にしては少しおかしいからね。錬金術とも違うし」
「確かに、陛下のおっしゃる通り、ユージーン・ウルフの体毛はシャプトゥースの呪いによって白く変えられています」
「オレ様の命は無限。だからオレ様の呪いも無限なんだぜ!人間どもより優秀なのさ」
「ま、そんなところだろうなと予測はしていたけど。そんな事して許せる仲なら、なんとか懐柔できないものかな」
「…懐柔とは?」
「うん。彼がM2に何を求めているかは解らないけど、君が出来る事なら全てやってあげなさい。資金が足りないというなら、何とかするし。何世代ぶりかの剣聖を逃がす訳にはいかないからね」
「金じゃなくて身体かもよ」
 ケケケケ、と悪魔らしく笑った使い魔を、ミラビリスは肩から跳ね飛ばした。
「それなら手っ取り早いし懐も痛まない。頑張ってよM2」
「…陛下、悪魔の戯言など真に受けないでください。何とか説得してみるつもりではありますが、あまり期待しないでいただけると幸いです」
「…固いなぁ」
 国王が呆れ混じりの溜息をついたとき、師団長副官が片手を上げた。
「始めッ!」
 開始の号令と同時に、クラマスが床を蹴る。女性らしい身のこなし、というには早い動きで肉薄し、鞘を抜き払った白刃がユージーンの首筋へ迫った。刃の中心が黒い鋼であしらわれている美しい剣だが、その素早さに造形を観察する暇はない。類に漏れずこの一振りもギュスタロッサである。
「クラマスは容赦ないなぁ。いきなりトップスピードか」
 一般人相手であれば首を落としているだろう斬激でも、国王は苦笑するだけだった。ミラビリスは動こうとしないユージーンが心配で目が離せなかった。シャプトゥースがその周りを楽しそうに飛び回っている。
 黒天師団長の剣先をぎりぎりでかわしたユージーンは、二手目が来る前に白銀の短剣を抜いた。銘のわからない、あの奇妙な形をした短剣だ。
 櫛のような形をした方を器用に相手の剣先に絡めた。その用途が解ったのか、クラマスは瞬時に剣の角度を変えて後退る。一瞬愛刀が悲鳴をあげたような気がして、クラマスは冷静になった。
「ソードブレイカーとは珍しいものを…」
「手入れ大変だよね、これ」
「…減らず口を叩いていないで、真面目にやらんかッ!」
 会話の合間にも数度打ち合いをしているが、それらの全てをかわすなり受け止めたりしている。怪我をさせる事が目的ではないので、この打ち合いに問題は無いのだが、その全てを危なげなくあしらえているユージーンの技量に、その場の剣士たちは息をのんで動向を見守っていた。相手はこの国で最強と名高い黒天師団長だ。互角に戦っているだけでも驚異だと言うのに…。
 振り下ろし、振り上げ、横に薙ぐ。クラマスはその動きから突きに変化させた。クラマス本人も、相手が何処までの技を出して平気なのかを計っている。己の得意としている突き技を繰り出した時、漸くユージーンがもう一本の剣を抜いた。
「いくよ」
 にやり、とユージーンの口角が上がった。久々に真剣を交えての運動が楽しい。
 クラマスの剣を力任せに弾いて一瞬の隙を作る。踏み込みで重心を移動させ素早い動きで横を駆け抜けた。与えられる剣撃をなんとか受けたクラマスは、ユージーンが唐突に凶暴な牙を剥いたように感じる。
 攻防が逆転した。ユージーンの型がない動作に、クラマスは必死に受けるしかない。
「あいつ、何が剣技に覚えがある程度だ、立派に剣聖だろう」
 剣技にあまり詳しくないミラビリスでも解ってしまう。それほどまでに圧倒的な、戦い方。
「金剛が別格というのは本当みたいだね。補助魔法無くてこれだ。フル装備させたら一個連隊に相当するんじゃないかな、あの戦闘力は」
「同銘の双剣じゃなく、個銘の二本。両方使って平気なんて恐ろしい野郎だな。正反対の魔物二匹いっぺんに命令してるようなもんだぜ」
 シャプトゥースは唇を尖らせてふて腐れている。
「ならば、やはりカーマに居てもらわなければならない」
 国王が満足げに頷いたとき、訓練場の中心では決着が付いていた。
 白銀のソードブレイカーがクラマスの剣を絡め、漆黒のルー・ガルーが彼女の喉元で止まる。
「そ、そこまで!」
 呆気に取られていた副官は、一瞬遅れて終了の合図を出す。
 国王は拍手を贈りながら立ち上がり、二人の元へ近寄った。一安心したミラビリスは小さな溜息をついて、杖で一度床を叩く。結界が解除された。 
「私はそなたを剣聖と認めよう。何か欲しいものはないか?カーマに留まってくれるのなら、出来る限りのことはしよう」
 膝を付いたクラマスへ手を差し伸べて立ち上がらせたユージーンに、早速国王が刺さり込んでいる。剣聖という言葉を耳にした親衛隊達が俄かにざわめく。
 当のユージーンは心底困った顔をしながら短剣を鞘に収め、ミラビリスをじっと見た。助けを求めている視線ではない。
「そうですね。ミラビリスをくれるなら、考えてもいいです」
 満面の笑みが逆に怖かった。
 馬鹿笑いする使い魔を投げ飛ばす事も忘れ、ミラビリスは自分の杖を取り落とした。

  

羞恥心とかはあんまりない。
2008/10/11

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