ギュスタロッサの剣で何度かヴァリアンテと闘って、カーシュラードは初めてイラーブルブと手合わせの機会を得た。
卒業を待つ前に、カーシュラードは紅玉位を与えられた。
きっかけが何だったのか、以前より、彼は酷く落ち着いた。
***
「この代で剣位が出るとは思わなかったなぁ…」
「私の息子だ。凡人で終わるわけがなかろう」
王都のクセルクス邸には珍しい人物が帰ってきていた。
本来クセルクス州にいる筈の現クセルクス当主カラケルサス卿と、その後妻にあたるギラーメイアだ。
「それにしても、せっかく私が来たと言うのに、遅いぞアイツら」
小麦色の肌に甘栗色の髪。きらきらと光る黒曜石の瞳が、企むように細められた。
「あいつ『ら』…?カーシュの他にまだ誰か?」
長男であるカレンツィードが、自分より若く見える義母に尋ねた。すると、ギラーメイアは心底楽しそうに笑った。長い巻き毛を掻き上げて。
「ああ。いろいろと暴露するために、私が来たんだ。驚けよ」
身体の線を強調するような革のつなぎを着たその姿は、扇情的であると同時に好戦的だ。下手に手を出そうものなら、無傷では済まない。まるで刃のようなひとだ。ダークエルフ独特の蠱惑的な美貌と肢体を持て余し気味に椅子にふんぞり返っている。
こんこん、規則正しい間隔で扉が叩かれた。
返事を待たずして開かれた扉からは、赤い髪が現れた。
「遅いぞ、カーシュ」
「……か、母さん!?」
「よう、息子その3。元気にしてたか」
立ち上がったギラーメイアは大股で近付いて、カーシュラードを抱きしめた。
「お。私よりでかくなったな」
「そりゃあ、3年も会わなければ大きくもなります」
「…可愛げは無くなったな。カレンの方がよほど可愛いぞ」
「………義母上、カレンは止めていただけると嬉しいのですが…」
まったく感動のない再会をはたした母子に、カレンツィードが訂正を入れた。
「どうしてだ?お前にぴったりだろう」
「カレンは少女の名前です。二十歳も過ぎた男を呼ぶにはいささか論議が分かれるところでしょう。略すところが違います」
「そうか、それは名前を付けたお前の父に言った方がよかったな、カレン」
まったく意に介さない。これが嫌味だったのならばまだ言い返しようがあるが、ギラーメイアにはまったく悪意はない。むしろカレンツィードが可愛くて仕方がないギラーメイアは、何かあることにカレンツィードに構いたがる。
「カーシュ、ヴァリアンテは一緒じゃなかったかい?」
「……ヴァルが?何故です?」
カラケルサスの問いに、その息子は首を傾げた。
士官学校を卒業してからやってきた誕生日を、学友や仲間達と祝っていた最中抜け出してきたのだ。どうしてヴァリアンテに会うだろう。
そもそも、この家族会合に何故ヴァリアンテが関わってくるのか。
「父さ――――」
問いかけたその時、執事長のジョーゼフがきちんと扉を二回叩いて声をかけた。
「若様のご到着です」
二人の息子は耳を疑った。聞き慣れないその敬称。続いて開けられた扉からは、軍服のままのヴァリアンテが現れた。
「よう、遅かったな、息子その1」
ギラーメイアの言葉が、混乱に追い打ちを懸けた。
***
横に並べば、そりゃあ一目瞭然だった。
不自然に髪の色が甘栗色なのは、カーマの血が薄い訳ではなくて、ただ単に母親に似ただけだからだ。
いくら王族だからといえ、簡単に紅玉位だったヴァリアンテを家庭教師なんかにできるはずはない。最大のコネクションは親子関係その物か。
「……要するに、隠し子な訳か」
「もう少し優しい言い方は無いものかな、カレンツ」
「黙んなさい節操無しが」
「うん。賢いな、カレンは」
実の息子という味方を失ったクセルクスの当主は、紅茶のカップをぐるぐるとスプーンでかき混ぜながらギラーメイアの後ろに隠れた。
驚きはあったものの、衝撃は受けなかったカレンツィードはヴァリアンテとギラーメイアを見比べて、深く溜息を付いた。
「他人のそら似かと思ってたが、本当に義兄だとはな」
「ごめんね。悪気があった訳じゃないんだ。カーシュが成人するまで、待とうと思って」
「何歳だって?」
「25歳。君より二つ上になるんだ」
その顔で身体で年上か、と。カレンツィードは内心で罵った。父に似ていたら癪に障るだろうが、あの蠱惑的な義母に似ているのだから憎めもしない。
「兄だと思ってくれなくてもいいんだ。……思ってくれたら、嬉しいけど」
最後の呟きが、何故か妙に可愛いくて。カレンツィードは背をかがめてヴァリアンテを覗き込んだ。
「邪険にはしない。安心しろ、義兄さん」
「……ありがとう、カレン」
「………だから、それは待て」
「諦めろ、カレン。ヴァリアンテはしっかり私似だ。可愛いだろう」
母の言葉に、実のと義理の息子が盛大に苦笑した。
一方、父と母の一通りの説明を聞いたカーシュラードは、深く椅子に座ったまま俯いていた。
勘弁してくれ。正直、そう思った。
ダークエルフの血が嫌いなわけでもない。父母や義兄カレンツィードが疎ましいと思ったこともない。滅多に会えない母親すら、恋しいと思ったことはない。王位に興味がないから、家督相続を争うことすら思ったことがない。
家族の問題で何一つ不満は無かったのに、自分が心底愛したひとが。やっと手に入れたと思ったその人が。まさか実兄だなんて。そんな結末があるか。
「……カーシュ」
甘みを含んだその声が、本当は酷く怯えていることに気付いた。顔を上げたカーシュラードは、眉を寄せてすまなそうな顔をしたヴァリアンテを射抜くような強さで見つめた。
謝ろうか、何て声をかけようか迷っている。視線の定まらない紅い瞳が、どうやって濡れるのかまで、覚えてしまったのに。
『……君は、きっと、後悔する』
そう言って言葉を詰めたあの時の顔を思い出した。
それからあったことも全て思い出してみて。
一瞬で溢れてきたこの気持ちに、名前を付けようがない。不快、罪悪、嫌悪、そんな物では無いことだけが確かだ。
責められる覚悟ができている、そんな表情をしたこの兄に。
…………それでも、この人にキスしたいと思うのだ。
「…後で、二人きりで話しましょう」
聞こえるかどうかの低い囁きを呟くと、ヴァリアンテは小さく頷いた。きっとぐるぐると色々考えているだろう。それぐらいの仕返しをしても、罰は当たらないと思う。
でも、後で。
二人きりになったら嫌と言うほどわからせてやろう。
「じゃあ、ヴァリアンテ。クセルクス籍に入ってくれるのかい?」
名義上の長男に助けは期待出来ないと悟ったカラケルサスは、実の長男に話題を振った。
「いいえ。今更何言ってるんですか。そんなことしたらまたスキャンダルで諸王のお茶のネタにされますよ?それに、私は王族になる気はこれっぽっちもないので。そういうことは、カレンに任せますよ」
「…ギラーメイアと同じ事を言いよる」
「当たり前だ。私が産んだんだぞ」
「仕込んだのは私だぞ、我が愛しき妻よ」
その下品な言い訳に、妻でも息子でもなく執事長のジョーゼフが、かりにも畏れ多い筈の王族の後頭部を拳で軽く叩いた。
「第四王家の当主ともあろう方が、言葉使いにお気を付け下さいませ」
「ジョージ…」
大袈裟に後頭部をさすりながら、執事長の愛称を呼んでみる。それは彼がまだ少年だった頃に呼んでいた名前だ。
「私の教育が行き届かなかったようでございますね、旦那様。爺は残念です」
「案ずるなジョーゼフ。こいつは私と会ってからまったく変わっていないぞ」
「それが問題なのです奥様」
***
それから、カーシュラードにとっては長く感じるほどの談笑の途中で、二人は談話室を抜け出した。ヴァリアンテにとっては来慣れていないカーシュラードの自室に入る。
二間続きのその部屋は、王族に相応しい物だったが、成人したばかりの一般青年の部屋としてはいささか豪華すぎる。
手近なソファをヴァリアンテに勧め、カーシュラードは煙草に火を付けた。
分厚い魔導書が並べられた本棚によしかかると、剣帯に吊った黒い太刀がかちりと音を立てる。
「言いたいことは、ありますか?……ええと何でしたっけ…、兄さん?」
無表情で、声だけ少し嫌味を込めて。本当は笑ってやりたいところだが、この際ぎりぎりまで虐めさせてもらおう。
「………カーシュ」
「じゃあ、こっちから聞きますけど、僕に抱かれたのは義務とか同情だったりするんですか?」
詰問するみたいに聞けば、ヴァリアンテは濁りのない瞳で見上げてきた。
「それは、違う。私は自分の意志以外で誰かに抱かれたりはできないよ」
自分の弟だと解っている人間に抱かれる気持ちは、想像が付かないが。そんなに簡単に乗り越えられるほど低い壁ではないことぐらい想像に難くない。
それでもヴァリアンテはその壁を越えてくれたのかと思えば、自然と顔が綻んでしまう。
「騙してきた罪悪感、とか?」
「…違うよ。違う。私は君に、後悔するかも知れない、と言ったけれど、私自身が後悔するとは思っていない」
それが聞けただけで、許してしまいたくなる。ヴァリアンテが気にするほど、カーシュラードは血縁関係を気にしていないのだ。確かに同じ人物から生まれはしたが、その個体は別物だ。しかも育った環境さえ何一つ違う。本能的な畏れなど感じない。好きになったのがたまたま兄だっただけで、あとは何一つ変わりはしない。
「………ごめん、ね」
それでも、辛そうに俯くから。
「謝る必要はありません」
煙草を灰皿に押しつけて、七つも年上な兄の前に膝を突いた。
「…僕は、卑怯なので」
下から覗き込んで、視線を合わせたまま啄むようにキスをすると、ヴァリアンテが瞳をしばたかせた。
「アンタが兄なら、遠慮なく甘えます。他人なら別れてしまえばそれまでですけど、兄弟なら別れられない。アンタがどんなに嫌っても、僕は傍にいられる」
「…嫌ったりは、しないよ」
「実の兄だと知らされても、後悔するどころかそれを逆手にとって、アンタを抱きたいと思う弟でも…?」
「私は…、君に初めて会ったときから、君を嫌ったことは一度も無いよ」
そんな事を言って蠱惑的に微笑むから。
つい、悪戯をしたくなる。
じっとしているヴァリアンテの耳をぺろりと舐めて、甘く噛んでみる。数週間前に身体を繋げた事実を思い起こさせるように、嬲るような少し緩慢な動きで濡れた音を立てて、きつく吸い上げた。
「…っ…ぁ」
肩をすくめ、息を詰めたその仕草が可愛いと思えるのは、兄弟の贔屓目だけじゃあない。紅く染めた耳元で、聴覚まで犯すような低音の響きで囁いてみる。
「…兄さん……?」
「……ぅ…わぁ…っ」
どこか素っ頓狂な声色で。面白くなって顔を覗き込むと、珍しく―――というより初めて見る、赤面を浮かべたヴァリアンテと目が合った。
「何照れてるんですか」
「だ、だ…だって………!!」
だって、なんて。25歳の男が言う言葉ではないが。
「アンタがそんな反応するなら、そう呼んだ方がいいかもしれない」
「人前じゃ、呼んじゃ駄目だよ!周知にする気はないんだから」
「二人きりなら呼んで欲しいんですか?」
「な……、んで。そいうこと言うかなこの子は…」
兄と呼ばれて嬉しくないはずはない。本当は昔から兄弟が欲しかった。
ある日突然父という人が現れて、その人が母の夫だと知らされて、さらに弟が二人もいると聞いたとき、生まれて初めてあんなに嬉しいと感じた。だからヴァリアンテは、自分が出来ることならば、二人の弟たちに何でもしてあげたいと思うのだ。
「後悔なんてしませんから。僕はアンタが誰であろうとも、きっと同じ物を求めるでしょう。いいですか、忘れないでくださいよ。僕は、アンタが、好きなんです。アンタの身分や素性に惚れたわけじゃない」
できるかぎりの誠意を込めて。
今の自分では何一つ勝てないから、せめて気持ちだけでも信じて欲しい。
「倫理なんて、捨ててください」
にやりと笑って、ヴァリアンテの唇を奪ったままソファに押し倒した。剣士にしては細い肢体。見たことのない箇所などきっと無い。全部、知っている。知っていても、まだ足りないと思うのは、我が儘だからなんかじゃ言い表せない。
されっぱなしじゃなくて、応えてくれる舌に気を良くし、カーシュラードは軍服のボタンに手をかけた。我慢することは、得意じゃない。
「……こら!」
「…逃げないでくださいよ」
「時と場所と条件を弁えなさい、大人なんだから」
「そろそろ夜だし、僕の部屋に無断侵入するような人はいませんし、こういう体勢で、弁えることなんて無い」
「………ひとつ、忘れてるよ」
外されたボタンを留めながらヴァリアンテが言うと。
「…そのとおり。私にばれないところでやれよ、息子達」
「……っ!?」
いつの間にかひょっこり現れたギラーメイアが、カーシュラードの煙草に火を付けながら仁王立ちで見下ろしていた。
「む。いい煙草を吸ってるな子供のくせに」
「突っ込むところはそこですか、ギラー」
「お前も三男坊に押し倒されるとは根性が足りない」
ふん、と胸を反らし、ギラーメイアは二人の息子達を順に見つめた。
片手で顔を覆ったカーシュラードは、がっくりと肩を落とした。恥ずかしいとか後ろめたいとか本来思うべきなのに、冷めてしまった身体の熱の方が勿体ないと感じてしまう。
「カラケルサスとカレンが待っている。せっかくのカーシュの誕生日だ。母に礼の気持ちを払うべく、家族五人で晩餐といこうじゃないか」
この母に、逆らう術があるわけもなく。二人の息子は苦笑を漏らしながら立ち上がった。
初めて開かれる、家族の晩餐へ。
と、いうことで。終わりになります。長々のお付き合い有難うございました。感謝。
きれいにオチてなくて、私的にはいささか不満なのですが、手早く手を切りたい事情があったので、こんなエンドマークになりました。まあ、可も不可もない。
「別離方異域」ですが、「ここで別れてしまえば、互いに異なる世界の人間だ」というかんじ。
<送秘書晁監還日本国> 王維、より抜粋。この詩大好き。
2004/1/7