血脈を守る者 1

The Majestic Tumult Era "Stand by BLOOD"

人を殺したことがありますか。
 ―――…ある。
 その問いに、彼は静かに頷いた。
 では、人を救ったことは。
 この問いには、答えるまでに間があった。
 ―――…まだ、無いね。

***

 その日のカーマ王都は、騒がしかった。
 主力軍隊である黒天師団と魔導師を抱えた魔天師団の殆どが、王都の外れにある広場に集まっていた。民家から離れたこの場所は、この国が建国当初断首刑を行っていた忌まわしき場所である。
 類い希な厳戒警備の中、一台の馬車が騎兵に警護されながら追われるように広場へ向かっていた。騎兵は皆黒衣を纏っていた。黒天師団部隊長以上が纏うことの出来る軍服。
 罪人ならばこれ程の警護はしなかったであろう。
 この馬車の中に居るのは、カーマ正当王家、カルマヴィアの名を冠する王子。現国王の甥に当たる者。王維継承権二位、レグナヴィーダ・オヴェディタ・カイレーク・ルクレヴァウス=カルマヴィア。
 レグナヴィーダ王子はその存在が今まで外部に出ることがない、忌み子の扱いを受けていた。まるで獄人の如く地下に幽閉され、その姿を見る者は、存在を知る者は皆無に近かった。
 だが、護衛に付いたカーシュラードは震えが来るほど、その存在を認めていた。馬車の壁越しにはっきりと判る、希有な魔力。今この国で一番血が濃いと言わしめた、継承第一王女ヴァマカーラより遙か上回る魔神の気配。
 馬車に乗り込む姿を見たとき、その場の誰もが息を飲み、悦びをともなった畏怖を感じた。
 日に当たることの無かった青白い肌。赤闇の髪に、瞳。指先にまで宿る霊印。言い伝えられた魔神そのままに、尖った耳の上部から伸びる異形の―――双角。
 彼こそ、カーマが信仰するに値する王に成るだろうと。魔神信仰を忘れることのない、カーマの血か騒がずにいられない存在に。
 そして、それほどまでの人物が何故これ程表だって来なかったのか。何故、今になって彼を処刑しようなどと愚を犯そうとするのか、護衛に回された黒天師団の上士官は思わずにいられない。
継承第二位レグナヴィーダ王子処刑命令。罪状は殺人。だが法廷は開かれていない。
 このあまりに不可解な命令は、王子の実父が出したものだった。第一分家ネディエール公ニーガス。現カーマ国王の親友にして内務大臣。国王実妹故サヴィトリーニ王女の夫である。血統の御陰で魔力は高いが、魔術や剣術を拾得するよりも財界と政界に進出することを得意とした男だ。今でこそ評判の悪い男なのだが、サヴィトリーニが生きていた頃は優しさと慈悲を兼ねていた。
 サヴィトリーニはレグナヴィーダを出産して死んだと言われている。そう、その時からニーガス公は変わってしまった。ニーガスは息子を恨んだ。巨大な魔力を宿したが故に、母胎を苦しめる事になった息子を恨み抜いた。内親王であるヴァマカーラが生まれ、彼女が継承第一位に台頭してから、輪をかけてレグナヴィーダを幽閉した。
 王宮地下深く閉じこめて、伸びきった糸が脆く切れてしまう様に、ニーガスはついに息子を殺す決意をする。レグナヴィーダが25歳の春だった。
 家庭教師と乳母を殺害した、という理由らしい。それが真実か否か、確かめる術は何処にも無かった。ニーガスの地位は堅固であるし。権力、財力どれを取っても太刀打ちできず、彼の後ろには国王という一番大きな後ろ盾がある。
 それまでレグナヴィーダの存在すら知らなかった軍隊員達は、降って湧いたような王族を処刑するために招集され、有無を言わさずに箝口令が敷かれた。ニーガスは息子の死を非公式ではなく公式にする気でいた。気がふれて、魔に染まった王子だと、口汚く罵って王子の名を貶めていた。
 ニーガスは王族専用の馬車に乗り、遙か先頭にいるだろう。この処刑が正しいか否か見極め切れないカーシュラードは気が進まなかった。王族専用馬車の側には、指南役であるヴァリアンテが、役職より『金剛位』の剣士として護衛を任されていた。職権濫用と言えばそうなのだが、内務大臣の命令を簡単に退けるようなことはできない。
 軍を動かすに当たって、元帥の地位にいるイラーブルブは最初頑なに否定をしていた。だがしかし、国王からそれとなくニーガスの命令を聞くように言われてしまえば、嫌でも従わざるを得ない。
(本当に、彼を処刑してしまっていいのだろうか…)
 もう何度目か判らない自問。
 おそらくヴァリアンテも同じ事を思って居るだろう。
 ダークエルフは『紅蓮の魔神』の僕だ。魔神の血を引くカーマ人を助ける事ならば、自らの命すら投げ出すだろう。それも全て、遠い未来にでも復活するだろう、魔神の為。普段意識はしていないヴァリアンテとカーシュラードの兄弟は、自分たちよりも強くカーマの血を持った人物に対して忠誠に似た本能を揺さぶられていた。
 レグナヴィーダは、本来守るべきカーマ純血の人物だ。
 漆黒の軍衣に身を包みながら、カーシュは悩み続けた。

***

 魔力値の高い者を極刑に処するさい、その魔力を一度封じ込めてから首を落とす。
 魔力値の高い者は総じて外界からの刺激に強くできている。普通人ならば致命傷になる傷でも、重傷で済むことも多い。高等魔術を唱え具現化させるには、それに耐えうる肉体というものを最初から持っているのだ。よって、その魔力を一時封印してから首を落とすのだ。万が一、皮膚に当たった刃が、死刑囚の皮膚に反発して折れぬように。
 刑場レグナヴィーダは何一つ話さず顔色さえ変えず膝を突いていた。魔天師団最高峰に位置する封印師達が11人掛かりで術をかけ終わった所だった。
 処刑場には、王都内黒天師団の殆どが円周上に並べられていた。その中でも部隊長以上の地位にいる者は、刑の執行を見守れる位置に整然と並んでいる。誰しもが、この処刑をおかしく思っていた。だが誰ひとりとしてそれを中止できる権を持った人物は居なかった。
「カーシュ…」
 指南役の正装に喪章を付けたヴァリアンテが、カーシュラードの側へ寄ってきた。滅多に抜くことがない魔剣の柄へしきりに手をやっているところを見ると、彼に珍しく相当警戒しているらしい。最も、それはカーシュラード以外の者も同じであったが。
「……大丈夫ですか」
「あ、ああ…。パイモンがしきりに啼くんだ。何か悪い予感がする」
「…そう、ですね」
 あえて口に出して言うのならば。
「怖い、ね…」
「そう。……ですね」
 ピリピリと肌に刺すような空気の中、馬車の中で冷酷な瞳を向けていたニーガスが刑場へ歩みを向けた。その強大な魔力を封印され、殆ど力無き者と見受けたのか、ニーガスは息子に近寄って数歩手前で足を止める。冷徹な瞳で見下ろし、言葉をかけているらしい。
 刑場の上には二人だけで、他の誰ひとりとその会話の内容を聞ける近さにいる者は居なかった。
「何だ……?」
 その様子をじっと見つめていたヴァリアンテが身構えた。
 ニーガスは笑みを、残忍な笑みを浮かべている。それが遠くからでもはっきり判った。顔を上げることもなく、虚空を見つめていたレグナヴィーダが、その時初めて面を上げた。
 ざわり、その長い髪が波打った。
 横顔しか見えないが、レグナヴィーダは初めてその口を開いて実父に何か話しているようだ。取り囲む軍人達は固唾を呑んで見守っている。
 パキン。
 薄いガラスが割れる様な音が、立て続けに聞こえてくる。
「カーシュ、刀を―――――…ッ!!」
 ヴァリアンテの言葉は途中で途切れた。反射的に刀を抜いて銘を呼ぶ。どうやらヴァリアンテも魔剣を構えているらしい、その気配で悟った。
「ッ!!!」
 爆音は音として感知されなかった。
 光が膨れ上がるのが見えた。次の瞬間にはそれが弾け、爆風が一気に駆け抜けて行く。円を描いて行くように、地面をわずかばかりえぐり取って。それは雲すら蹴散らして爆発した。
 カーシュラードが感知できたのはそこまでだった。黒刀は唸りを上げ、主が放った防御魔法の範囲を広げようと啼きに啼いた。確実に生き残れる者を対象とし、持てる魔力の殆どを一瞬でつぎ込んだ。自分が立って、的に一撃を返すくらいのほんの少しの魔力、それだけを残して。後は全て、莫大な直径規模の防御を張った。
 その防御は、効率的だが容赦ない。立ち上がって戦えない兵士は必要がない。彼は確実に生き残る範囲を助ける選択をした。
 砂煙が、晴れた。
 呻き声と、悲鳴。刑場の姿は跡形もなく、恐らく爆心地であるそこはまだ煙の中で。はっきり言って、このままぶっ倒れてしまいたい。そんな心境だった。自分の呼吸が嫌に煩くて、すぐ側にいたはずの気配すら確かめずにいた。
「…カーシュ、状況を。見える範囲で良い」
 細い、声だった。ヴァリアンテは生きている。その事だけに安堵して、カーシュラードは振り返ることをしなかった。瞳は一点、この惨劇を生んだ場所を睨み付けている。
 その所為で、金属が地面に刺さる音を聞き逃した。
「……。レグナヴィーダ様のお姿はまだ見えず、負傷者の数は数えきれない」
 恐らく、死者も少なくは無い。
「そう…。君は平気?」
「満身創痍です。…ヴァル?」
 ごほ、と重たい咳を耳にした。弟を気遣ったヴァリアンテの様子がおかしいと、カーシュラードはこの時漸く察知した。
 指南役の臙脂色をした制服の所々が黒く染みている。彼の片手から、魔剣の一つが滑り落ちて地面に刺さり込んでいた。
「彼を恨んではいけない。王子を守るのは、この血の半分を流れる闇のエルフの本能…」
 ヴァリアンテの赤闇の瞳は開いていたが、何も映していなかった。小さな咳と共に朱が混じり、形良い唇の端から一筋の紅が滴った。
 ぐらりと揺れる、その身体。
「ヴァリアンテ…!!」
「……あとは…、任せ………」
 カーシュラードは叫んだ。倒れ込んできた身体を抱き留め、ゆっくりと膝を突く。全て話し終える前に四肢の自由を放棄したヴァリアンテの身体から、裂けるような傷と共に血液が流れ出している。その瞬間、心臓が凍り付いた。
 弱まり、殆ど感じ取れない脈。蒼白な顔。魔剣を握ることさえ叶わない指先に力はない。カーシュラードは自分に残っていた魔力を限界以上に引き出して治癒魔術を唱えた。魔力を残して置いた自分に感謝しつつ、それでも足りないと焦っていた。
「ヴァル…!ヴァリアンテ!!」
 名を呼べど、答えは返されない。救護に向いた者はこの場に居なかった。自分の身を守ることが精一杯か、既に命を落としたか。ここは戦場より酷い。
 ヴァリアンテは、恐らくカーシュラード以上の防御結界を敷いた。詳しくは調査をしなければ判らないだろうが、その身から全ての魔力が消えているのを見れば一目瞭然だ。万が一と言って、魔力の上限値を高める護符を幾つか付けていた、その魔力すら使いきっていた。そんな無茶をすれば、肉体が付いていかずに内部崩壊を起こす。今のヴァリアンテがそうだった。
「礼を言う」
 深い低音に、カーシュラードは頭を上げた。そのまま驚愕に瞳を剥く。
 刑場の上、手かせを嵌められていたレグナヴィーダが其処にいた。
「その者と、そなたの御陰で、私は最小限の命を奪うだけで済んだ」
 赤闇に縦長の瞳孔を持った瞳が、薄氷のような冷たさで見下ろしていた。
「私は、実父の行いを責めはせぬ。断罪はその身の上に下された。しかし私はそれでも非難しよう」
 淡々と語る口を、カーシュラードはただ追うことしかできず。
「私はそなた達を覚え置く。真実を白日へ晒すと信じる。ダークエルフの血を引きしそなた達を、易々死なせはせぬ」
 レグナヴィーダはしゃがみ込み、ヴァリアンテの胸に手をかざした。ぼんやりとした暖かな光が吸収されて行くに順って、ヴァリアンテの脈動は少しずつ戻ってきた。肉体を癒す治癒ではなく、それは魔力を分け与える術。
 彼はこの惨劇の元凶である。そう判断するしかないのだが、レグナヴィーダの瞳に曇りや欺瞞は一点もなく、カーシュラードは双角を持った王子を睨み付けた。
 半身とも呼べる黒刀を地面に突き刺し、静かに、吠える。
「―――我が兄と共に、この忠誠を剣に誓うでしょう」
 その宣言を聞いてレグナヴィーダが立ち上がった。ぐるりと当たりを見つめ、酷く悲しそうな視線を向けて。
 そのまま、姿を消した。

  

本当はこのハーフエルフ兄弟は、王家のお家騒動にまきこまれて
しにそうになったりオフィスラブに燃えたりするようなお話でした(笑)。
2005/8/23

copyright(C)2003-2008 3a.m.AtomicBird/KISAICHI All Rights Reserved.