血脈を守る者 2

The Majestic Tumult Era "Stand by BLOOD"

 ヴァマカーラ様!と、口々に叫び声を上げる中、当の本人は怯えることもなく毅然と立ち上がった。身の世話をする女御や近衛兵達を片手で制止し、豊かな髪をふわりと揺らして一歩前へ出る。
「ヴァマカーラ姫に相違ないな?」
 低く穏やかな男の声だった。
「いかにも、わたくしの名はヴァマカーラ。継承第一位王太子、王女ヴァマカーラ・エルヴェス・ヘラ・マルシュヴァリーリ=カルマヴィア」
 カーマ王国で二番目に権力を持っている彼女は、身分を名乗り、優雅に一礼した。その姿を見た家臣達は狼狽え、混乱にざわめく。
「お初にお目にかかる。私はレグナヴィーダ。正式名称は省こう。この国で私の存在を知っている者などいないだろうから」
 紅と漆黒を混ぜ合わせたような、深い臙脂色の髪と瞳を持ち、カーマ人特有の尖りを持った耳の上から伸びる異形の角。そして、彼がそこにいるだけで身体が歓喜し震えるような畏怖すら覚える、その魔力。
 この場ではヴァマカーラ以外の全ての者が、魅入られ、動きを止めていた。
「存じております。もっとも、わたくしが教えられていたのは、貴方のお身体がとてもお弱くてらっしゃることくらいでしたわ」
 琥珀色の瞳でレグナヴィーダを検分した彼女は、にこりと微笑んでみせた。
「そのご様子では、わたくしは嘘を教えられていたようです」
 レグナヴィーダは初めて微笑んだ。
 その時、部屋の外がにわかにざわついた。蹴破るような勢いで扉が開かれ、カーマ最高と名高い剣士が抜刀せぬまま転がり込んできた。
「ヴァマカーラ様、ご無事かッ…!」
 初老に差し掛かる金剛位の剣士は、その場に対峙する二人の王族をみとめて動きを止めた。愛剣の柄に手を掛けたまま、相手の力量を一瞬で見極めて静止する。何か在れば差し違えてでも姫を護るのが剣豪の義務である。
 魔剣はその全てが、カーマの血を護る為に力を発揮する。
「流石剣聖と言うところか、イラーブルブ殿」
 レグナヴィーダはちらりと剣士を流し見て、ヴァマカーラへ近付いていった。
「そう身構えずとも、姫に危害を加えるつもりはない」
「わかっておりますよ、レグナヴィーダ様。イラーも皆もお下がりなさい。彼に害意があるのならば、我々などとうに死んでいますもの」
「本来ならば我が血を分けしカーマの民に危害を加えるつもりは、毛頭なかったのだが。魔剣を持ちし者が抑えこんでくれなければ、あの場は死者の山だったかもしれぬ」
 眉を寄せ、赤闇の瞳を翳らせる。
 この場にいる者達は、レグナヴィーダが突然現れた事しか知らず、彼がどのようにこの場へやってきたのかその経緯を確認する術さえ無かった。だから、彼がぽつりと呟いた言葉の意味を図ることは出来なかった。
 ただわかるのは、決して彼には勝てないであろうということのみ。
「さあ、レグナヴィーダ様。貴方はわたくしに何をさせたいのでしょう」
 背筋を伸ばしたヴァマカーラは、王家に相応しい威厳で問うた。
「私と共に来ぬか」
 レグナヴィーダの口調は提案ではなく強制だった。それにも怯まずカーマの姫は返す。
「それは虜という事かしら?」
「いいや、姫御身ずから私と共に来るという決断をしてもらおう」
 ヴァマカーラは暫し、対峙する男の瞳を見つめたまま黙った。小作りな唇を開いたときには、その決意は決まっていた。
「…貴方は、わたくしに魔術を教えてくれるかしら?」
「姫の魔力ならば、魔導でさえ扱えるであろう?下界を知らぬ私より、貴女のほうがよほど魔導に精通していると思ったが」
「ええ、そうですね。それほどの魔力を持っていながら、わたくしは魔法ひとつ扱えない。この城の者達は、私の魔力を怖れてその力を行使されぬように、私に覚えることを禁じた。実の兄でさえ、私の瞳を一度は焼こうとさえしたのです」
「……愚かな」
「わたくしの血の濃さは、護られるものではなく民を護る為に使われるべきもの。わたくしは貴方と共にまいりましょう」
 レグナヴィーダの手を取ったカーマの王女は家臣を振り返ることなくきっぱりと言い放った。 
「姫…!」
「ヴァマカーラ様!!」
 侍女達が悲鳴をあげる。見ず知らずの男と共に城を出るなど、国家の一大事だ。
 駆け寄ろうとする者達を、ヴァマカーラは一喝した。
「皆の者聞くがいい!わたくしが魔神と共に行こう事、ゆめゆめ違えてはならぬ!そなた等は証人であり、正統王家とは如何かを改めよ」

 レグナヴィーダ王子の処刑が敢行されようとしたその日、王城から王女が消えた。

 死亡者12名。
 うち内務大臣、第一分家ネディエール家ニーガス公を含む。
 負傷者211名。
 軽傷者は含まない。
処刑場広場、壊滅。

 損害の規模にも関わらず、この事件の死傷者数は怖ろしく少ないものだった。

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 その瞬間、体中に電流が走ったかと思った。
 カーシュラードは転寝をしていた自分を恥じ、あたりを見回した。あれから丸三日たっている。中天には月が輝いていた。
 己の休息もそこそこに、部隊の負傷者を把握し黒天師団を立て直す為にカーシュラードは奔走していた。真っ当な人間だったら倒れていたことだろう。魔力の回復もそこそこに、肉体を維持する細胞をフルに働かせて彼はこの場を乗り切っていた。
 自室で仮眠をとるより、兄の側に居ることを望んだ。
 集中治療室に詰め込まれて、漸く落ち着いた実兄の横顔は穏やかだった。幾分血の気は無いが、死ぬことは無いだろう。
 短く嘆息し、眠るヴァリアンテの額に手のひらを乗せた。少し熱があるのは、永久代謝細胞が活発に治癒を行っているからだろう。この程度ならなんともないな、と手のひらを戻した時、その眸がうっすらと開いた。
「…ヴァル?」
 目が覚めたというわけでは無く、なにか反射で瞼が開いたようだ。様子を見ようと顔を近づけた時、それを止める者がいた。
 やんわりとした力で肩に触れる手。微塵も感じない気配に、カーシュラードはすばやく刀を手にした。いくら自分も弱っているからといえ、これほどまでの接近を許すとは。
誰何する、という余裕が、ない。これほど気が立っているのは、疲れのせいか、それとも先程感じた『何か』の所為か…。
「落ち着け、息子よ」
「……か、母さん?」
 背後に立っていたのは、カーシュラードとヴァリアンテの実母だった。ギラーメイア。人間とは異なる種族、精霊とも魔物とも分類できない、希少なひと。
 甘栗色の髪と褐色の肌を持ち合わせた闇のエルフ。
「私はお前達の存在をこれほど悦ばしいと思ったっことはないな」
「…はい?」
「我ら種族が魂を捧げる魔神が復活した。お前はその身に、ダークエルフと魔神の血を流している。それが嬉しい」
 深い赤毛をしているカーシュラードの髪を撫でながら、
「レグナヴィーダ様の事ですか?」
「そう。今は王家の墓所より奥、『囁きの谷(ウィスパタール)』にいらっしゃる」
 ギラーメイアは一度言葉を切り、ヴァリアンテを撫でた。幼子にするように。するりと頬を撫で、目許にてのひらをかざして瞼を閉じさせる。
「今はまだ眠るがいい」
 この手で剣を振るうなど信じられない程の、繊細で優美な指がヴァリアンテの額に押し宛てられた。ぽう、と指先から光が溢れて消える。
「消耗が酷いな。この子は、どれほどの魔力を使ったんだ?」
「レグナヴィーダ様の魔法から兵士を護るために防御結界を布きました。広場の全範囲に及ぶほどの物を。生き残れるぎりぎりの濃度で大多数を護った」
「それは誇らしい。この子はお前より我々に近いからな。カーマ人を護る事は宿命かもしれん」
「……では、僕は貴女からみれば失格かもしれません」
 自分が行った事に後悔はない。あの一瞬、カーシュラードは目の前の敵を殲滅するための最良手段を模索し実行した。
「僕は、一矢報いることの出来る者を選んで結界を張った。確実に生き残れる者を選択し、希望の薄い者は範囲にすら入れなかった」
「ふむ」
 カーシュラードの告白に、ギラーメイアは腕を組んで唸った。
「それは軍人の考え方だな。非難しておるわけではないぞ。お前は生き残らなければならんだろう、そういう育てられ方をしておる。最小限の犠牲で最大限の利益を得るためには、切り捨てることに躊躇ってはいけない。だから、お前は間違ってはおらんよ。ただ単に性格の問題だ。それはそれで誇らしいものだろう」
「……ええ」
 ですが、僕は兄のように自分を犠牲にしてなお全てを護ろうとはできませんでした。
 言葉には出さないが、胸中で吐き出した。
 それを感じ取ったのか、ギラーメイアはにやりと口角をあげて、その腕に息子を掻き抱いた。
「お前がもし倒れていたら、私の子を誰が護るんだ?誰がお前を非難すると言うんだ?お前はヴァリアンテと違って動くことができる。ならば魔神の君に仕え、何故彼がカーマの民を巻き添えにまでしたか、それを解明する義務がある」
「僕は―――」
「お前はレグノ様に忠誠を誓っただろう」
「……ええ」
 よくよく考えれば、自分たちを攻撃した者がいくら王家とはいえ、あの場で剣を捧げることは有り得ない。今はまだ混乱の最中にいるが、すぐに上層部が動いて釈明を聞くだろう。罪人に忠誠を誓うとは何事かと。
「ダークエルフの本能が残っていて安心したぞ」
「…は…?」
「我々はこの国の建国前より魔神に忠誠を誓っている。その昔魔界よりこの世界に降り立った一族だ。魔神に従僕することが定めであり、彼の血を持つ者達を護ることは既に本能と言ってもいいかもしれん。
 なによりも、我らはレグナヴィーダ様の剣であり盾だ。お前が忠誠を誓うのは当たり前の事なんだ。あの御方の前にいて、身を捧げずにはおれんだろ」
 ダークエルフは滅多に人の前に姿を見せない。この大陸に生息している事は確かだが、森や谷の深くに住まい、カーマ人に限って時たま手助けをするようだが、あまり干渉はしてこない未知の種族だった。だからこそ、実父がダークエルフを後妻に迎えたときにはひと騒動あったのだ。
「体面を気にする者など捨ておけばいい。お前は何があったのかを探れ。そしてそれを公表しろ」
「そのつもりです」
「よろしい。幸いにもお前も王家の一員だ。カラケルサスの名前を使えばよかろう。あやつは私にメロメロだからな。ついでにこれも渡して置く」
 ギラーメイアは胸元から書状を取りだした。
「我がダークエルフ全氏族の長ギルデメレクの子であるギラーメイアが、ヴァマカーラ様のお世話を一手に引き受けておる。彼女の書状だ。王へ渡してくれ」
 最も、彼女は私の手を借りずに何でも一人でこなしてしまうがな。と、どこか誇らしげに。
「母さんが…?氏族長の子?」
「お前達の階級で言えば私は王女だぞ。遜色あるまいて」
 王女、と呟いてカーシュラードは実母をまじまじと見つめた。謎めいてはいると思っていたが、これは叩けばいくらでも秘密が飛び出してきそうな母だ。
 ニヤリと笑った彼女は、だが次の瞬間には真剣な表情に戻っていた。
「カーシュラード」
「はい」
「これからこの国は荒れる。魔神の復活と継承第一位の不在で、内外から圧力がかかるだろう」
「…はい」
「万事収めようとは考えるな。今の王家をうち崩し、ヴァマカーラ様に継がせることを考えよ。魔神の脅威などは有り得ないのだ。彼は決してこの国を、民を、防衛以外では傷付けない。あの方はこの国の守護者で創世者であるが、統治者には成らぬ。
 我が氏族の末席に連なるお前達へ、これが私の教えられることだ。随意に動け、我が愛息子よ」
 ギラーメイアは息子の肩に手を添え、力を分けるかのようにぐっと握り込んだ。
「……御意の通りに」
 兄の手を握りしめたまま、彼はただ一言頷いた。

  

ヴァリアンテはまだ意識不明。しばらく目を覚ましません。
2006/2/8

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