血脈を守る者 10 (完)

The Majestic Tumult Era "Stand by BLOOD"

 カーシュラード率いる特別部隊の全員が王都へ戻る間に、ひとつの死体が川から引き上げられた。泥酔による転落事故での水死、という記事が新聞に小さく載ったが、それが今回の事件と結びつける要因は何一つ人々の脳裏に浮かばないまま、歴史の闇に消えた。

 

***

 

『元気にしていますか?また、無理をしているんじゃなくて?
 先日、例の部隊が無事帰還したことをダークエルフから聞きました。怪我も無いとのこと、嬉しく思います。よく頑張ってくれました。わたくしが感謝していたと伝えてくだされば嬉しいわ。一日も早く、皆の望むカーマになりますように。
 そうね。わたくしの事を伝えるわね。
 わたくしは毎日、魔法から魔導に至る全てを学んでいます。レグノ様はとても良い教師だけれど、とても厳しい方だわ。
 今はわたくしの『千里眼』を使いこなせるように訓練しています。この眼は全ての魔を見通す魔眼とのことです。魔力の強弱を見抜くのは得意だったけれど、あのとき国境沿いに展開していたミネディエンス兵の魔を捕らえたよううに、いいえ、それ以上の事が出来るとレグノ様が仰っています。
 王女の責務を果たさずに言うべき言葉ではないのですけれど、わたくし、とても楽しいと感じるのです。
 この力をしっかりと身に付ければ、わたくしは、わたくしの力で民を護れるようになるわ。きっと。
 それに、魔術だけではなくて、政も学んでいます。貴方のお母様も教えてくれているの。ダークエルフは驚くほどカーマに詳しいのね。自分の国のことなのに、わたくしは自分の無知さ加減が恥ずかしく思えたわ。応用は追々、今は詰め込めるだけの知識を詰め込みます。
 親衛隊が護るに足る王族になるわ。待っていて。
 そう言えば、M3と呼ばれていた男が来たわ。双方向の転送門は無いはずなのに、ラインを割り込んでこの城の前に現れたの。レグノ様は何も言わなかったから承知していることなんでしょうけれど、わたくしは心底驚きました。
 あんな王族、はじめてです。どう対処したらいいのか、わたくしには解らない。彼は大量の本を同時に持ってきて、それを置いたらあっさり帰っていったけれど…。
 私の勉強用としてとても役だっているのが不思議。教材に相応しい物を選別して来たのかしら。彼にも貴方にも、わたくしが何から学んでいるのか伝えていないのに。
 ちゃんとお礼を言ったほうが良いことは解っているのですけれど、あの方の顔をみると、礼儀についてお説教してあげたくなる。だからまだ感謝を伝えられていないわ。それがとても気になっています。
 けれどきっと、もしあのひとが城に来たら、わたくしはまたお説教をしてしまう気がするわ。』

 香を焚いた上質な紙に綴られる美しい文字を目で追うヴァリアンテは、困った笑みを浮かべた。
「蹴り帰してやりゃあいいんですよ、あんな奴は」
 文を指で弾いて続きを黙読し、元通りに折りたたんで懐へしまった。
 纏う衣は指南役のままだが、胸の勲章が増えていた。親衛隊員に贈られる、主である王族の紋章。マルシュヴァリーリ公のそれは、ヴァマカーラに仕えているという証だ。何より評議会でヴァマカーラに付き従い姿を現したのだ。姫直属の部下であると宣言したも同じだった。
 主不在のまま、ヴァリアンテはヴァマカーラ姫の親衛隊所属を正式に認められた。だが護るべき主の側には魔神とダークエルフが居る。この程度の距離で信頼が揺るぐでもないことと、姫を護るために必要な親衛隊員を増やすため、公には指南役のままヘッドハンティングに暗躍するだろう。
 今までもいくつか職を掛け持っていたのだから、今後も同じだ。早く一つの職に落ち着きたいが、人生と同じで波瀾万丈だ。だがきっとそう遠くない未来に実現するだろうから、焦る必要はない。
 姫がどのような形にせよこの王都へ帰還する時に、民を護ると言う彼女の盾と剣になれるよう努力するだけだ。
 この国は、カーマは、十年もしないうちに様々な事が変わるだろう。その変化を、何より近くで見ていられる事は幸運だ。
 そうと決まればやることは決まっている。ヴァリアンテは密やかな笑みを浮かべた。
「なぁによぅ。思い出し笑い?ヤぁラしぃんだかラ」
「酷いな、ドナ。アルダ内務大臣をどうやっておとそうか考えてるだけだよ」
「…もっとタチ悪いわネ。アタシは嫌よ、コネになんてなってあげなーい」
 両手を挙げて降参のポーズを決め込む。
「ホステスまがいのこと、させられたの?」
「………してないわヨ。何処でそんなカマかけの要素掴んでくるのかしらね」
 ドナは赤天師団の部隊長だが、その役職以上の重要位置にいる。赤天師団は軍のいち師団だが、内務大臣の発言は無視できない。国の中枢と深く関わっている。だからこそ、仲良くなっておいて損のない部署だ。
「知人は多いに越したことはないよ」
「…体だけは売るんじゃないわよ、アタシ『も』泣くから」
 見せるだけなら大盤振る舞いだが、決して他人には許さない肢体を美しく伸ばしたドナは、両手を腰に当てたまま呆れた。ドナ以外の誰かも泣くかもしれないと言外に伝えれば、ヴァリアンテは苦笑を返した。
「大丈夫。今のところ将来の黒天師団長くらいにしか、その手を使う気はないからね。強制猥褻の疑いがある人物は、大人しくマグノリア機関に密告しておくから」
「…アンタのそういうトコ、好きよ」
「ありがとう。私もドナが好きだよ。信頼してる」
「ハイハイ」
 ドナはしたたかな親友の腕を組んだ。度さえ越えなきゃ、人生は刺激的な方がいい、なんて思いながら。

 

***

 

 処刑場広場での事件からひと月半が過ぎた。
 件の広場はその後国立公園に姿を変える事になり、現在諸々のデザインを検討中だ。あとひと月も過ぎれば工事が始まるだろう。
 今まで名を知る事もなかった高位の王族の王位返還の衝撃と同時に国民が事件の概要を知ったが、魔神復活の事実が希望に繋がるような文面のお陰で、国民からの反感はさほど大っぴらに出ることはなかった。
 ミネディエンスからの攻撃はあれ以降起こらず、けれど黒天師団の警戒だけは暫く緩む事はないだろう。
 その黒天師団、中枢にある上士官用の一室で、カーシュラードとその副官サムハインが書類に齧り付いていた。ノックの音に、二人が顔を上げる。
「よう、連隊長」
 サムハインが扉を開けるより先に、黒髪の青年が勢いよく侵入してきた。無礼以外の何物でもないが、生憎咎めようとする命知らずはこの場に居なかった。
「魔天師団のお偉いさんが、王都縦断してまで黒天に何の用ですか」
 左顔面の霊印、M3だった。
「何だよ愛想悪いな坊主。俺が魔導師賃貸代金ロハにしてやったの忘れたのか?」
 勝手にソファに座って踏ん反り返る姿を見れば、誰がこの部屋の主だか解らない。
「どうせ魔天の予算引き上げ案に今回のことを持ち出すんでしょうが」
「当たり前だ。学者ばかりじゃないということは、お前さんのお陰で証明されたも同然だからな」
 杖でテーブルを打って茶の催促をするM3に、カーシュラードは溜め息を吐き出し、サムハインは苦笑しながら給湯室へ消えた。
「五年だ」
「…は?」
 急に質を変えた声色に、カーシュラードが書類から顔を上げた。
「その間に軍を掌握しろ。地方末端まで。俺は俺が予想する未来のために、お前に投資したんだ。見返りはくれてやるさ」
「後が怖いので遠慮しておきますよ」
「吠えるな。天才だって一人じゃ立てねぇんだよ」
 M3の言いたいことがうっすらと読めるカーシュラードは、だが敢えて口に出すことはしなかった。何より言葉にすれば、現実の重みを意識しなければならない。
「あまりうちの隊長を虐めないでくださいね」
 香り立つ珈琲を置いたサムハインは、その足で仕事に戻った。自分に気後れしないという相手が珍しかったM3は暫く様子を見ながら、カップに口を付ける。眉間に皺を寄せてカーシュラードを呼んだ。
「おい、そいつを俺んとこの副官にくれないか」
 またその台詞か。同じような内容を、ヴァリアンテも言っていた事を思い出す。
 M3の目は割と本気だった。彼は無類のコーヒー党だが、自分で好みの味を煎れる事は出来ない。仕事が出来て上手いコーヒーを煎れることが出来る部下ならば、給料の倍くらい平気で出してやりたいと思っていた。
「…あげません」
 殆ど無機質に吐き捨てたカーシュラードに、M3は舌打ちした。

 その夜、日付も変わる頃に寮の個室へ戻ったカーシュラードは、窓辺に愛する兄を見付けた。鍵を渡していたわけではないのだが、ヴァリアンテなら侵入することは容易いだろうと、根拠のないことを考える。
「お帰り」
「アンタが僕の部屋に来るなんて珍しい事もありますね」
「おや。…機嫌が悪いんだ」
「軍の立て直しに奔走しているというのに、晩餐会と懇親会の誘いばかり舞い込んでくるんですよ。屋敷からジョーゼフを派遣してほしいくらいです」
 昇進したカーシュラードは、部隊を統括する連隊長の一人になった。最年少とはいえ、実力は確かだ。部隊長より軍内の権力があり、師団長より動きやすい。的確なポジションだった。
 連隊長になれば副官とは別に専属の補佐官を付ける事ができる。軍務に付随する雑務を処理してくれる文官で、執事に似て居なくもない。だが、現状ではサムハインが分業していた。信用できる補佐官を捜している時間は、いまだ取れない。
「ネオミ夫人が嘆いてたよ。噂の武人の姿を見たい、って」
「何処の手先だかわかったもんじゃありませんね、アンタは」
「夫人の伝言を伝えに来たわけじゃないから安心してよ。片っ端から王族外交を欠席じゃあ、私の誘いにも、答えはノーかな?」
「…まさか。喜んでお受けいたします」
「そう?酒しかないけどそれでよければ」
「煙草と快楽も、ですよ」
「それはどうだろうね」
 言葉遊びのように気兼ねなく、二人の間に漂う空気は柔らかい。カーシュラードの殺気は随分薄くなったとヴァリアンテは確かめた。忘れた訳でも捨てたわけでもない、敵対者に対する生存本能のようなそれは今もまだ彼の中にあるだろうが、味方に意識させるまで表面化してはいない。もう少し上手く制御できるようになればいいと思わなくもないが、戦場で無反応に隠しきる上官というのも士気を損なわせそうだ。
「触れてもいいですか」
「この部屋の主は君だよ」
 だから何をしてもよいという訳では決してないが、素直に我が儘を言えばいいのにとヴァリアンテは思った。
 ヴァリアンテを抱き込むように腕を伸ばしたカーシュラードは、しかしそうはせずに、カーテンを閉めた。外界を遮蔽して安心したのか、甘栗色の柔らかい髪に口付けた。手首を掴んで誘導し、一人用のソファ座ったカーシュラードは、背後から抱き込むようにしてヴァリアンテを閉じこめた。
「子供が離したがらない人形になったみたいだ」
「人形に失礼ですよ」
「…口が減らないなぁ」
 首筋にかかる吐息が、擦れた笑みを含んでいる。くすぐったかったヴァリアンテは首を竦めた。
 自分からカーシュラードを率先して甘やかす事など、そうそう無い。けれど今回ばかりは別だった。特別部隊での戦闘がそれほど心配だったのか、それとも水面下で取りざたされるカーシュラードの事が気になって仕方がないのか。
 いくつも考えられるが、行動原理は薄々心当たりがあった。彼を取り巻く者への嫉妬だ。カーシュラードはヴァリアンテの実弟である。それ以上の関係も持ってしまっている。情が深くなるのは当たり前だ。自分の手の届く範囲に置いておきたいとは思わないけれど、他者が手を出そうというのは気に入らなかった。
 そんなヴァリアンテの独占欲には全く気付かず、カーシュラード本人には兄の姿しか見えていないのだが。抱きしめられて身動きは取れないが、それが執着のようで安心した。
「ありがとうございます、ヴァリアンテ」
 細い腰に腕を回して拘束するカーシュラードは、力を緩めず唐突に呟いた。
「私のしたい事と君が望むことが一致していただけだよ」
「それでも僕は救われました」
「君も有る意味被害者だ。魔神が国と民の意識を変えた。政の色々な外部要因が絡み合って、君の自由を阻害した。それを解いて自由にしてあげたいと思うのは当然だろう?愛してるんだから」
 全てが終わったとは言えない。もしかしたら始まったのかもしれない。けれど自覚するには十分な出来事だった。伝説ではなく、カーマには魔神が復活した。今までと全く同じ訳にはいかないだろう。
 自分が何を護るべきか。何のために剣を振るうのか。誰を殺すのか。誰を生かすのか。
 レグナヴィーダの求めた真実を、ありのまま公開することは出来なかった。譲歩を知らねばならなかった。彼の魔神から不満も失望も告げられてはいないから、きっとこれが国という枠の限界だと解っていたのだろう。
 カーシュラード自身は、全てを公に出来ない事に苛立ちを感じ、一度は上層部を蔑んだ。けれどヴァリアンテが、戦場からカーシュラードが戻る間に数限りない根回しを行っていた。ヴァリアンテの野望は語られることが無いけれど、彼なりに未来を見据えている。そのお陰で、カーシュラードが王都へ戻ってみれば、出立前に蔓延していた偏見の視線が大幅に払拭されていたのだ。王城然り、軍然り。
 力と血統だけではどうにもならないことがある。歪んだ限定主義を、その主義なりに正しく導くことは難しい。それを知った。
 ヴァリアンテの匂いを吸い込んだカーシュラードは、眠り込みそうになるほど安心していた。抱いた体が温かい。肌の味を思い出して、同じ熱を分け与えられる幸運を思う。
 彼は漸く、戦場から戻って暫く立っているというのに漸く、自分は帰ってきたのだと自覚した。

 

***

 

 この時代のカーマ王国は、後世、もっとも歴史書の中で書き加えることが多い時代になった。魔神の復活に比例するように現れた異能の者達は、全てが血と誇りによって国に仕え、カーマは未曾有の繁栄を遂げる。
 生涯ヴァマカーラに仕え、彼女の子供達の指南役としても名を残したヴァリアンテ。彼は王家の盾となり、武力のみならず様々な計略からも彼らを護った。
 反対無しで承認され、歴代在位が一番長い黒天師団長となったカーシュラードは、剣聖を継いだ後にはカーマ王国軍元帥として、他国からの一切の侵略をはね除けた。
 表沙汰体調不良という理由で隠居を決めた国王クーヴェルトは、王妃と共に自領へ落ち着いたのだが、その後も御意見番として権力の片鱗を時折垣間見せた。
 魔神の元で魔導と政を学んだヴァマカーラは、城に戻った後は精力的に国政に参加し、M3が予言した月日通りに女王となった。紆余曲折を経てM3を婿として受け入れ、その統治をさらに堅固にし、カーマは世界有数の賢国として名を馳せた。
 魔神は、彼は全く表舞台に出ることは無く、文献も殆ど残ることは無いだろう。
 カーマ王国守護の為の戦いで、時折力の片鱗を垣間見せる事があるらしいが、確かめた者は誰もいない。彼の望みを叶えた者も、誰一人として知ることは無い。
 しかし、彼は、誰に忘れようともこの血脈の民を見捨てることはしないだろう。
 己が血を分けた、民を。
 己の業を背負いし一滴が、消えるまで。

  

魔神復活事件終了です。お付き合い有り難うございました!いろいろ破綻していないかと冷や冷やします。連載期間が長すぎです…。
2008/08/20

copyright(C)2003-2008 3a.m.AtomicBird/KISAICHI All Rights Reserved.