SACRIFICE

Prototype of "The Majestic Tumult Era"

 腕にかかる体の重みを、こんなに愛おしいと思ったことはない。
 あの時もそうだった。
 深い海を思わせたあの美しい碧の瞳は、もう二度と俺を見ない。もう、二度と。
 俺は、愛するものさえ救えない。
 見事な金髪まで赤く染め、床に溜まるほどの血溜まりに彼女は横たわっている。抱きかかえ、自らの血で汚れてしまった華奢な手を握り、冷えゆく温もりに命の儚さを知る。
 ほの白くなった彼女の頬に、ぽつりと涙が落ちた。
「お前の見てきた人間は、お前の敵でしかなかっただろう?」
 同情のこもった低い声が言う。嫌味のない深い悲しみが伝わってくる。
 彼の所為ではない。それは分かっている。
「力が強い。外見が違う。大多数からあふれた者は許されぬものなのだろうか。なぜ迫害され、追われ、殺されねばならない?」
 広い空間に聞こえるのは、俺が今まで憎んでいた者の声。
 噂はやはり噂でしかなく、憎むべきものはいったい何だったのか。
「お前の悲しみ、怒り、そして絶望を、われは理解できる」
 絶望は果てまで尽きず、浄罪を受けたくともままならぬ。
「理解できるだと……?」
 彼女を抱く力が強くなる。怒りが込み上げた。
 一歩、また一歩と闇赤の王が近づいてくる。その姿は、異形。人とは相容れなく、だが自分とは相似している。
「人々の裏切り、愛する者の死……」
 彼から感じるのは、純粋な魔。先のない闇。
「われらが関わる先には、混乱と不幸しか残らない……」
 俺と同じ髪と瞳。同じ、闇。
 俺の目前で膝を折り、彼女の顔についた血を拭う。そして瞳を伏せ、短い祈りを口にした。演技には、見えない。
 闇が、魔が、ここまで清らかになれるものなのか。俺よりよほど、彼の方が濁りがない。
「あんたは……、何を望むんだ」
 微かな問いさえ聞き漏らさず、その魔王ははっきりと応える。
「われは命を奪いたいのではない。求めるものは永遠の安息」
 初めて、この時初めて彼の瞳を直視した。『紅蓮の魔人』と畏れられた、闇赤の瞳に住むものは、深淵の絶望。
「人の世に、私たちの居場所は無い」
 ゆっくりとした動作で手を差し出す。
「われと共に来い、セイクリフィス」

 俺にとって、ここで何かが終わり、そして……。

 

 

 
セイクリフィス

 

 神聖ミネディエンス、首都ミネディアから北へ馬車で十日の所に、タリアンという村がある。その村の一番高いところに、神官も兼ねる村長アグリオの家がある。彼はそこへ、妻と共に帰る途中だった。
 冬の名残を惜しむかのように、白い花弁をちらつかせた肌寒い夜。気温の割に穏やかな風にのって声が聞こえた。最初は馬車のきしみかと思ったのだが、眉を顰めて耳をそばだてればそれは確かに聞き取れる。
 アグリオは馬車を止めた。
「赤子の声?」
 眠りこける妻を置いて、彼は馬車を降りた。凍える夜風にマントを巻き付け、その泣き声の元を探した。そして程なくそれを見付けることになる。麻の布に巻かれた赤子が、まるで火がついたように泣いていた。
「なんてことを……!」
 赤子を抱きかかえながら辺りを見回す。カンテラの細い光の先に、倒れ込む人影を見付けた。急いで駆け寄れば、羊飼いの服を纏った女であった。アグリオは女を助け起こそうとし、触れる直前に慌てて手を引いた。
 カーマ人だ。闇夜だから間違えたわけではない。フードからはみ出した髪は黒色をしていた。カーマは神聖ミネディエンスと敵対する国。普段ならば気にも留めないだろう。そもそもミネディエンス領にどうして女が一人居るのだろうか。
 アグリオの迷いは、カンテラを女に近づける事で表れた。そして息を止めた。厚布で作られたスカートが色黒く染まっていた。よくよく見れば、その背をばっさりと一太刀の元切られた事が解った。うっすらと積もった雪も女の周りだけ黒い。
「大丈夫か」
 聞いては見たが、生きていないことは触らずとも解った。けれど念のため血に汚れていない首に触れ、やはりそこに脈を感じ取れない事を確かめる。
 どうしたものかと考えた。埋めてやるべきか。
 アグリオが逡巡していれば、それを引き裂くような赤子の泣き声が響いてきた。この寒空の元、死者よりも生者を優先すべきだ。彼はそう思いこんだ。信教上の理由と道徳心がせめぎ合っていることには見ないふりをした。
 早く暖かい場所へつれていってやらねば。
 アグリオはカンテラを手首にひっかけ、赤子の元へ戻った。抱きかかえ、今見たことを忘れるように馬車へ戻る。
 自分たち夫婦にはなかなか子供ができない。できれば養子を取ろうかと思っていた。これは何かの巡り合わせだろうか。この場で凍死するよりも…、とにかくこの子は創主様の恵みに違いない。
「どうしたものか………」
 創主様の恵みには違いないのだろうが、これではまるで。
 馬車の戸を閉じて、アグリオは漸く人心地付いた気分になった。
「あなた、赤子の声が聞こえまする。どうなさったのです?」
 泣きやまぬ声を聞いたのだろう。妻のカリスが起きた。。
「まあ!なんてこと!!」
 カリスの顔に困惑が広がる。きっと私の顔も同じであろう。
「カーマ人の子だろうな。道の外れで、捨てられておった」
 私の腕の中の赤子は暗い朱の髪に、深紅の瞳、両頬には魔術紋様とおぼしき入れ墨がある。全身を探せば、まだあるかもしれない。両耳は若干尖っていた。赤を纏いしカーマ人。
「しかも、『紅蓮の魔神』の血が相当濃い。これだけの者はカーマ中を探してもいないだろう」
「だからと言って、捨てるわけにもいきませぬ」
「私が『姿変え』の術を施そう。そうすればただのカーマ人として見てもらえようもの」
 短い呪文の詠唱ののち、赤子の髪は黒くなり、頬の入れ墨も消えていく。つぶらな瞳はミネディエンス人らしい青だ。これならどこから見ても、ミネディエンス人とカーマ人のハーフというぐらいにしか見られない。
 カリスが赤子を抱く。慈悲深い瞳をたたえながら。

 激しく降りだした雪がやむころ、赤子の名は決まった。
 セイクリフィス―――シーク、と。

 

***

 

「遙か彼方遠い昔、世界には創主様と魔神がいました。この二神の力は平等で、お互いに信頼し合っていたということです。我らが創主様は、人々に様々な恵みを与え、人間が健やかに過ごせることを約束なさいましたね。
 では、魔神はどういうことをしていたのでしょう?」
 しんと静まりかえった教室を見回す。生徒達は皆、退屈顔でこちらを見ている。退屈なのも無理はない。この古い伝承は、小さな子供の時から聞かされているような話だ。
「シーク、あなたの半分はカーマの血。カーマ人の祖先は魔神です。魔神がどのような役割を持っていたかご存じですね?」
 シークと呼ばれた少年は、少しムッとした。無理もない。彼はそのことにコンプレックスを抱いている。教師は半ばそれを知っていて聞いた。
 彼は黒い髪の間から覗く、燃えるような青い目でこちらを見た。顔立ちは割と整っている。少年っぽさが抜ければ、人目を引くような青年になることだろう。
「魔神は全ての災い――天災等を従え、人々の魔の心を支配していました」
「そうですね。これも非常に大事なことです。全てにおいて平穏では、人は生きてゆけません。平和というのは時に破壊をもたらします。でも、人々の魔の部分……闇の部分を支配していたということはとても厳しいことだったでしょう。自らが魔を支配しつつ、それでも魔に染まることはできなかったのですから。だから、カーマの人々はいまでもその血に負けぬようにがんばっているのです」
「先生質問でーす!」
 シークの隣の席、頭上で一本に結んだ長い金髪、緑の瞳という典型的ミネディエンス人の少女が、元気よく手を上げる。
「なんですか?ハギア=ソフィア」
「カーマの人達は、魔神の血が流れていることを誇りに思ってないんですか?」
「ええ。誇りに思っている人たちもいるかも知れません。でも、大半の人々は畏れ、疎んじているそうです。気を病んでしまった創主様の二の舞になるのではないか、と。魔神が狂気に落ちれば、きっと創主様の比ではないでしょうから…」
 言い終えた頃、授業終了の鐘が鳴った。
「じゃあ、今日はこれで終わりましょう。明日は聖光に四元素を組み込んだ補助の魔法を教えます。皆さん、気をつけてお帰りなさい」

 学校の帰り道は、一日の中で割と好きな時間だ。学校から家までは距離があるので、裏山の森を抜けて行く。一緒に歩く少女はの名はハギア=ソフィア。彼女は孤児院で暮らしていて、幼なじみだ。年も同じ、15歳。
 それと、義妹のイレーネ。ふわふわとした金の髪に澄んだブルーの瞳が印象的だ。年は12歳。俺は養子だから、イレーネとは血は繋がっていない。イレーネは俺が二歳の時にできた。子供ができないと言われていた義母は大層喜んだ。
「マリアン先生って美人だけど、たまに意地悪よね」
 長い金髪を揺らしながら俺の横を歩くソフィアが、突然呟いた。
「なにかあったの、ソフィア?」
「授業時間が余ったから、まぁたいつもの昔話になったんだけどね、魔神の質問は絶対シークに向けて言ったと思うのよ。カーマ人が自分たちに流れる『紅蓮の魔神』の血のせいで、狂気に落ちると思ってる、そう言ったのよ。すっごいイヤミだわ、ソレ」
「カーマ人がその血を疎んじていることは事実だ」
 ソフィアがキッと睨む。
「誰がきめたのよ、そんなこと!大人が言ってるだけだわ。だから、シークもそんな風に考えちゃだめ。あたしがゆるさないわ!!」
「そうよ、シーク兄様。私たちに創主の血は流れていないけど、兄様には神様の血が流れているのよ」
「………」
「だーいたいねぇ、気を病んだのは創主なの。魔神はそれに見かねて創主を倒したんじゃない。いい奴なのよ」
 昼を過ぎた日差しは心地よく、若葉の茂る木々達の間から暖かく降り注ぐ。
「間違っても、村の大人達の前でそれを言うなよ」
 この村では、『紅蓮の魔神』の話はタブー視されている。タリアン以外ではこんなことはないらしいと聞いたが、行ったことは無いので真実は解らない。
「ねえ、シーク兄様。どうして村の大人達は『紅蓮の魔神』を毛嫌いするの?」
「さあ。俺もよく知らない」
「………あたし知ってるわ、原因」
 ソフィアが立ち止まり、古ぼけた切り株へ座った。イレーネもあとを追うように近くの切り株へ座る。他に切り株はないので、俺はいつものように若草の上へ座った。
 ここは『泉の森』と呼ばれる場所。俺達三人の一番気に入っている場所だ。高い樹木に囲まれた隙間に、ぽっかりと泉が広がっている。泉はどこへ流れるわけでもなく、冬でも凍ることはない。透き通った湖面からは、水の湧き出でる箇所がいくつか見える。
「何十年も昔のことよ。村長がまだ、あたし達よりも10歳も子供だったとき、このタリアンは野盗に襲われたらしいの。当時の村の男達や、勇敢な女達……みんな殺されたんだって」
「それと『紅蓮の魔神』に、何の関係があったの?」
「関係があったのは野盗よ」
「……カーマ人だったのか」
 民族史で習う以上に、カーマ人というのは好戦的らしいな。
「うん、そう。とびっきりのカーマ人。真っ赤な髪に、真っ赤な瞳。耳も尖っていたらしいから、相当血統が濃かったのね……」
 沈黙が降りる。次に口を開いたのはイレーネだった。
「じゃあ、この村のみんなはその時のことを今でも恨んでいるのね…。だから…、…兄様にも辛くあたるんだわ」
「俺は気にしていない」
「シークが気にしていなくても、あたし達は気になるわよ。当時のひとには同情するけど、シークには何の関係もないじゃない」
「母様も……、そのせいで兄様に?」
 それもあるだろう。義母上はきっと、他人の子など欲しくなかったのだ。イレーネができてからというもの、俺のことなど見向きもしない。俺はどうでもいいが、それでイレーネが辛い思いをするのは耐えられない。
「イレーネは気にしなくていい。義母上にも、きっと辛いことがあったのだろう」
「……でも」
「お前は俺をそんな目で見ないだろう?それでいいんだ」
「誰がなんと言おうとも、私の兄様はシーク兄様だけよ!」
「……ああ。俺も妹はお前だけだ」
 必死になって俺に詰め寄るイレーネをなだめると、ソフィアがなんとも言えぬ表情を浮かべていた。
「あたしも妹がほしーいわ…」
 現在この村の孤児院(本当は孤児院なんてものはなく、賢女の家に住んでいる)にはソフィアしかいない。だいたいこんな小さな村には孤児などでないのだが、ソフィアの両親は身よりもなく病で死んだというらしい。
「ソフィアは私の姉様みたいなものよ!もしかしたら本当の姉様になるかもしれないじゃない!」
「な!何言い出すのよっ!!」
 ソフィアが真っ赤になって立ち上がる。一体どうしたのだろう。
「あ、あたし、帰ったら賢女から制御魔法教わるのよ!!先帰るわねっ!!」
 それだけ言うと、一目散に山を駈け上がっていった。この時間はまだ日が高いから獣が出る心配はないが、賢女に魔法を習うなら本当に早く帰らなければ怒られるだろう。
「なあ、イレーネ。ソフィアはどうしたんだ?」
 小さくなる金髪を見守りながら、イレーネはくすくすと笑った。
「兄様は、きっとこの村で一番の朴念仁かもしれないわね」
「?」
 静かになった「泉の森」に、鳥のさえずりと少女の笑い声が響いた。

 

***

 

 その夜のこと。
 そう広くもない机の上には、数冊の魔導書と、ミネディエンス地方の魔法学校では共通の教科書が置かれている。
 はっきり言って、俺は聖魔法が苦手だ。殆ど使えた試しはない。相性は最悪だ。四元素と闇の無属性魔法なら、誰にも負ける気はしないが。
 ミネディエンス人は闇属性魔法が苦手だ。好んで使う者もいない。いや、むしろ闇魔法は完全に排除しようとさえしている。主に回復や補助、光の攻撃魔法が一般だ。カーマ地方の人々は闇属性魔法を得意とするらしい。海を越えた異国では空間や、聖霊たちから力を借りた魔法も使うと聞く。
「火蜥蜴の王と光球を掛け合わせるより、シルフを呼んで力を借りた方が効率的に炎を出せるのに」
 それとも、闇元素を元に、……できるわけないか。
「聖魔が苦手な分、どこで補おうか………」
 幸い魔法を学ぶことは楽しい。しかし、好みと才能は比例することがないのが現実だ。
「火竜の根元と、光竜なら……………っく!?」
 突然、全身に激痛が走る。いや、痛いわけではない。
「………血が!!」
 皮膚の下を流れる血液が、逆流したかのようにざわざわと全身を駆け巡る。
 苦しい、息ができない。身体が。
「…あつッ…」
 最初は、魔法の暴発だと思った。しかし、次の瞬間には身体が否定する。何かの気配が側で感じられる。力の強い―――俺と同じ力の。
「っ……、…ぐ……」
 この感じを、俺は知っている!どこかはわからないが、誰か、俺と同じ者が力をふるっている。
「『紅蓮……の、…魔神』!?」
 意識すると同時に椅子から落ちた。床へ倒れ込んでも身動きはできず、呼吸が荒い。吐き気がする。目線の先にある鏡に見慣れない人影が映っている。あれは―――カーマ人か。
 ランプの薄暗い明かりでもよくわかるぐらいの朱の髪に、まるで燃えるような深紅の瞳。頬には魔術紋様とおぼしき入れ墨が描かれている。カーマ人に一度も会ったことのない俺でもわかる。あれは『紅蓮の魔神』の血統。
「なぜ、ここにいる」
 鏡の中のカーマ人が口を開いた。俺の声で。
「………」
 これは、だれだ。顔は俺に似ているような気がする………入れ墨で印象が違うが。しかし、俺は黒髪に青の瞳だ。こんな、赤を纏ってなどいない!!
 急に身体が楽になった。鏡の中の人物が立ち上がる。
「俺……なのか?」
 何が原因でこんな容姿にならなきゃならない?
「シーク兄様………?」
 ノックと共にイレーネのか細い声が聞こえる。この姿を見せるわけにはいかない。
「兄様?お倒れになったの?具合が悪いの?」
「入ってくるな!!」
「兄様?」
 初めてイレーネを怒鳴りつけた。だが今はそんなことにかまえる余裕など微塵もない。混乱でどうして良いのかさえ、判断できなそうだ。
 洋服の引き出しから、フードの付いた丈の長いマントを引っ張り出す。
「イレーネ、義父上はどこにいらっしゃる?」
「お父様は書斎にいらっしゃるわ。それより、兄様……」
「俺は大丈夫だ。何の心配もない。大丈夫だ……」
 まだ、平気だ。義父上に事情を問いつめるまでは平気でいなければ。義父上なら、原因を知っているはずだ。
「イレーネ、お願いだから部屋に戻っていてくれないか?」
「どうして?お父様なら私が呼んでくるわ。だから部屋に入れて……」
「だめだ!!」
 扉の向こうで義妹が竦む気配がする。
「お願いだ、部屋に戻ってくれ……」
 短い沈黙の後、小さな声で返事がした。
「……わかったわ」
 そのまま足跡が聞こえなくなるまで耳を澄ませる。部屋の周りには人の気配はない。行くのなら今だ。
 フードを深くかぶり、顔と髪を隠す。それでも足りずにフードの端を手で押さえながら慎重に部屋を出た。よく見えない前方の代わりに、足下だけの視界でできるだけ早く走る。
 義父上の書斎までの距離はそう遠くない。誰にも会わずにたどり着けばいいが。
「うわっ!」
 目の前で声がする。この声は近所のトマスだ。何故こんなところに!
「シークかい?どうしたんだ冬用のマントなんかして……」
 返答している暇などない。そのまま駈け抜けようとすると、トマスは俺のマントをひっつかんだ。
「こら、夜の挨拶くらいしなさ……!?」
 弾みでフードが脱げる。しまった!!
「なっ!?何の悪ふざけだ!!!」
 トマスに隙ができた。その間にマントを引き離して義父上の書斎に駆け込む。そのまま鍵をかけた。
「シークか?入るときはノックをしろと………!!」
 木製の広い机の上から顔を上げた義父上が、驚愕して言葉を失った。
「義父上………これは」
 しばし俺を凝視していた視線が、急に外された。
「なんということだ……」
 その表情には苦いものが広がり、大きなため息のせいで机の上の数枚の紙が揺れる。
「義父上は、知っていらっしゃるんですね?」
 俺はマントを脱ぎ、ゆっくりと義父に近づいた。
「ここへ来るまでに、誰かに見られたりしたのか?」
「トマスさんに……」
「まずいな。……シーク、『姿変え』の術をおしえる。お前は早くこの村を出た方がいいだろう」
 沈痛な声でそう述べ、義父は本棚から一冊の魔導書を取り出した。
「『姿変え』は聖魔法ではない。これならお前にも容易に扱えよう。この術は術者か本人が死に至ることがあれば効果をなくす。何故…そなたの術がまた切れたのか」
 魔導書の1ページを破り、俺に渡す。ページには魔術語と特定の動作が記されている。
「義父上…そんなことより、俺は何故この姿なのかを知りたい」
「それよりも、早く『姿変え』を……」
「義父上!!」
 義父に向けて怒鳴ったのも、今日が初めてだ。
「シーク……」
「教えてください、義父上。俺が村を出なければいけない原因を。すぐに旅立たばならぬならなおさらです」
 書斎に沈黙が降りる。十五年間生きてきた中で、こんなに辛いと感じた沈黙はなかっただろう。元々俺は父に叱られる回数など大して多いものではないが、それでも今の間は怖いぐらいだ。
「十五年前、お前は国境沿いに捨て置かれておった。何度か話したから、お前も知っておろう。当時のわしとカリスには子供が恵まれなんだ。この小さな村では養子をとるわけにもいかぬ。そしてわしらはお前を養子として育てた。
 だが、お前の外見はこの村では迫害の元になる。村長の養子だからといって例外はないのだ。もう何十年も前の記憶だが、この村を襲ったカーマ人の記憶は薄れることがない。わしは迷わずお前に『姿変え』の術を施した」
「何故そんな子を育てようとしたのですか……?」
「カリスが哀れだった。お前を拾った時の…いや、わしのエゴかもしれん。…しかし、どんな因果か、その二年後にカリスが身ごもってしまった。それがイレーネだ。カリスがお前に辛くあたりだしたのはそれからだ。あいつの両親と姉もカーマ人の野盗に殺されたのだ」
「………」
 義母上が俺に辛くあたろうと、本当はどうでもよかった。原因がわかっていても、俺がカーマ人だということにはかわりない。 
「あなたっ!!」
 突然義母の声と、扉を強くたたく音が室内に響いた。
「シーク、術を!」
 俺は急いで手渡された魔導書の切れ端に目を移す。空に印を切り、術文を全て読み終わる前に義母は書斎に入ってきた。
「セイクリフィス!!この……悪魔の血統!!」
「カリス!?」
 暴言が終わる頃には、俺の姿は元の――『姿変え』の術で変わった外見を元と言えるかは疑問だが――姿になっていた。 
「何のためにセイクリフィスなんて名を付けたと思っておる!」
「カリス、やめんか」
「お前の名は……生け贄という意味なのだ!!」
「義父上……」
「否定はせん。古語だ。犠牲という意味もある」
 何の犠牲なのかはわかる。この外見のおかげで村人の犠牲にならねばならないのだろう。
「それなのに……イレーネが……イレーネが……!!」
「イレーネになにかあったのか!?」
 義父が義母に詰め寄る。義母は大粒の涙をこぼしながら床に崩れ落ちた。
「トマスに連れて行かれなんだ……。あの子にも『姿変え』がかけられてると…戯言を。私には…止められませなんだ!!必死に守ろうと………、私が産んだ子なのに!!」
「なんという、ことを…」
 この外見のせいか。『紅蓮の魔神』の血のせいか。過去の恨みのために、俺の妹に手を出そうというのか。
「義母上……イレーネはどこに連れて行かれましたか」
「創主の祠じゃ。お前の、………お前のせいじゃ!!お前などあの時殺してしまえばよかった!!」
「カリス!止すんだ!!」
 今更何を言われても構わない。彼らの矛盾を正すつもりも無い。
 憎しみの対象を最初から殺しておけば良かったのに。その方が残酷ではないのに。そうまでして子が欲しかったのか。己の手を汚せないのか。
 魔神の血を引いていなくとも、彼らだって立派な人でなしだ。
「ここまで育ててくれた感謝はしません。そのかわり、あなた方を恨むこともしません」
「罰当たりな…!」
「生贄は人形じゃない。死ぬまでは人間だ…!」
 最後に述べると、俺は勝手口へ走った。
 創主の祠へ。イレーネ、どうか無事でいてくれ。
 今は村人達の良心に賭けるしかない『姿変え』の術は術者か本人が死ねば解ける。最悪な事態にならなければいいが。

  

10年前のデータを持ってた私が気持ち悪い(笑)多少変なとこなおしましたが、ほぼそのままです。三点リーダー多いなぁ。あああもう、なんだこれ突っ込みたすぎる。ぎゃあああ。
2008/10/16

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