"Vernal of the Ebony" 1

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 カーマ王国には春と秋に祭りがある。開催日は州によって違うが、その最大のものは首都で開催される祝春祭だ。厳しい冬が終わり、白銀の雪と対比する比類なき黒を国色とするカーマ全土で春を祝い迎える祭り。通称、黒の祭。
 州都では数日間だが、王都では前夜祭も含めて一週の間。準備期間を含めると二週の間、街は祭り様式になる。国軍である黒天師団は自軍の色であることから、黒の祭りでは全面的にバックアップを行うので、費用の面でも人力の面でも国民にとって参加しやすい。物品の搬入や会場設営、民家の軒先にバザー用のテントを張ることでも、申請を行えば軍人が手伝ってくれる。独身男性の多い黒天師団の若者たちがこの機会にさまざまな出会いが出来るというオプションもあってか、殆どのものは喜んで街へ手伝いに出かけて行く。
 ちなみにまったくの余談ではあるのだが、秋の収穫祭は赤の祭りと呼ばれている。黒と同様に赤も国色であるので、赤天師団がバックアップを行っている。祝う主体は異なるが、その内情は殆ど同じだ。
 今、春の草花が咲きはじめたカーマでは、黒の祭りの準備で大忙しだった。人々の顔には喜びと期待が溢れ、数日に迫る大祭当日に向けて気が逸っていた。

 

Division House, Division the Red:F certain room / Valiente & Donna
師団寮、赤天師団女性仕官搭の一室 ヴァリアンテとドナ

「ねぇ、どれが一番イイと思う?」
 部屋中ところ狭しと散乱しているドレスの色は殆どが黒に近い。黒の祭りで着るためのものだ。姿見の前でドレスを合わせる彼女の雰囲気は、いつもの女王然とした姿と違って少女のようだった。
 もっとも、見せ付けるような肉感的な肢体と並べられたドレスの外観は少女と言うにはセクシーすぎるものではあるのだが。
「どれも似合うんだけどね」
「そんなことはわかってるわヨ。だから困ってるの!」
 ドナらしいといえばらしい台詞にヴァリアンテは苦笑を返した。
「クリストに聞けばいいのに」
「聞けないからアンタに聞いてんじゃない」
「ああ…なるほど」
「乙女心は複雑なのヨ」
 視線を逸らしてそっぽを向いたドナの耳が若干赤く染まっていて、ヴァリアンテは微笑を深める。
「クリストの好みに近いといえばカーシュとかのほうが相談するのはいいかもよ?」
「あー…、なによ、あの子ってムッツリ系なの?」
 下着姿のまま振り返ったドナは、その見事なくびれに拳を当ててニヤリと赤い唇を吊り上げた。
 『あの子』と呼ばれた当のカーシュラードは、現在黒天師団の師団長職にいる。国防の要、その中でも師団を統括する最重要職にいる人物を『あの子』と評することが出来る人物は少ない。ドナはその少ない中のひとりだった。思い返せばカーシュラードが学生時分の出会い頭でもそう呼んでいたが。
 後で呼びつけてやろうと算段しながら、ドナは顔を上げた。
 そういえば、と呟いて紫に塗られた爪を顎に寄せる。
「アンタは何を着ていくつもり?」
「俺は別に普通だよ。仕事中は親衛隊の最礼服。それ以外は私服。これは女性の祭典みたいなものだろう?男にはあまり関係ないよ、服装は。あまり派手すぎると女性が引き立たなくなる」
 結婚式でも季節祭でも、着飾るのは女性だ。このときばかりはどんな服装をしていても咎められることがない。それに、国中から人が集まってくるのだから、女性たちの気合の入り方は違う。
「つまんなぁい。アタシの貸してあげようか?」
「……余分なとこがはみ出て即赤天に補導されるよ」
「それ、いいわね。取調べはアタシが担当してあげてよ?」
「……ヤダよそんな羞恥プレイ」
 しぼむような長嘆でヴァリアンテはうなだれた。
 祭まで、後数日。

 

Karma cap., Castleback street, Cafe'CISMONDA / Karsularda & Raja
首都カーマ、王城裏通り、カフェ・ジスモンデ カーシュラードとラージャ

 迷いも無く、黒衣のカーシュラードはオープンカフェの椅子に座った。
「忙しいとこ、悪ィな」
「いや、そうでもない。お前の方がこの時期は忙しいだろう?」
 熱いコーヒーが届く前から話を切り出したのは、赤茶色の髪をした男だ。ラージャ・タンジェリン。カーシュラードと同じく士官学校で学んだ男だが、彼は軍人ではなく商人を生業にしていた。
「仕事中じゃなかったのか?」
「お互い様だろう。それに今は昔ほど時間に束縛されない。デスクワークばかりで肩がこるな」
「贅沢な悩みだ」
 カーシュラードは笑って答えた。実際はそれほど暇なわけではないが、彼がいつ休憩を取ろうと、咎める事が出来る役職のものは居なかった。一応副官には言付けておいてあるし、昼休み時間をずらしたので問題はない。
「師団長って事務屋みてぇだな」
「訓練よりも書類と格闘するほうが多い点ではそう言える」
 カーシュラードは国軍の主である黒天師団の師団長である。軍のトップの彼が護衛も付けずに城外に出ていられるのは、帯剣が許された金剛位の剣士だからだ。事実上この国で彼より強いと呼ばれるものは、誰一人いない。
 城や寮の周りの飲食店は軍人が軍服のままで飲み食いが出来る貴重な場所だ。だがカーシュラードは軍の上着を脱いで私物のコートを着ていた。最年少で師団長に上り詰め、その整った容姿と強さに、軍ならず有名人の部類に入るので正規の軍服姿であれば人目に当たるのだ。
 成人男性が食べる量より少し多いくらいのランチとコーヒーが届いてから、ラージャはテーブルに乗り出してきた。その目は何かをたくらんでいるような輝きを見せている。
「お前さ、三日目の夕方からって暇か?」
「祭りの三日目か?親衛隊の舞闘があるな」
「……あー」
 ラージャはじとっとした半眼で視線を逸らした。彼は知っているのだ。目の前の師団長と親衛隊長がいい仲である事を。
「あからさまに何だ」
「いや、長ェよなーと思って」
「当たり前だ。うらやましいか?」
「言ってろボケ。俺のハニーなんてお前らより長いんだからな」
 踏ん反り返ったラージャは、誇らしげだった。学生時代から付き合っていた彼女と結婚して、なかなかに幸せな家庭を築いていた。一方的にべた惚れして強引に付き合った感が否めないのだが、ラージャは未だに恋人同士であるようなそぶりで妻を愛している。
「そういえば子供達は元気か?幾つになった」
「ジンジャーが十三でラルフが九つだ。まだ小っちぇ時しか会ってねぇよな。支店行ってたり、戻ったら寮だったりタイミング悪かったから」
「首都に戻ってるのなら、いつでも会えるだろう。そのうち見せてくれ」
「そのうちと言わず、三日目に来いよ」
 話が戻った。カーシュラードはランチを頬張りながら先を促す。
「祭りの三日目に、同窓会みたいなもんを開こうと思ってな。ついでに言うとジンジャーの誕生日も近いから、それも兼ねている。
 タンザナイトを貸し切って、夕方からだ。士官学校同期に声かけしてある。家族でも恋人でも友達でも誰を連れて来てもいい。祭りだし、派手にやろうと思うんだ」
「結構な数になりそうだな」
「おうよ。だから貸切よ」
 ここまで話が出れば、いくらカーシュラードだとて目的はわかる。ひとつふたつ他にも企んでいそうではあるが。
「何か無い限り、参加できそうだが。それで?」
 コーヒーカップのむこうから冷たい目をむけてやれば、ラージャはばつの悪そうな表情をした。
「意地悪ィのは変わってねぇなホント。ジンジャーとラルフがな、俺の血継いでんだから当たり前なんだが、軍隊マニアでな。チビん時に会ったつってんのに、忘れちまってるらしい。俺とお前が友達だっつーのが信じられないみたいでよ」
「ほう、友達だったのか僕たちは」
「……泣くぞ。本気で泣くぞ?」
「冗談だ。お前に似て可愛げのないガキに育ってなければいいが。それで?その同窓会に来るとでも言い張ったか」
「おうよ。来ないわけが無い、とまで言い切ったぜ俺は」
 威張れる事ではないのだが。その程度の見栄ならば、カーシュラードは何とも思わない。身分も地位も気にしない友人というのは、貴族にとって得がたいものだ。打算も駆け引きも無い友情だとわかっているから、自分の持っているものを頼られるのは嬉しくすらある。
「まあ、そうだな。軍服で行ったほうがいいか?」
「いやいや、その刀持ってるだけで十分じゃないですかね。いやいやいや」
 否定はしているがその瞳は正直だった。服一枚で友人を喜ばせられるのなら、安いものだ。同期とはいえ軍人になった者とそうでない者がいる。軍人になった者はその地位がさまざまだろう。だから、師団長服を着ていくというのは無礼講に反する可能性もあるが、用が済んだら脱げばいい。
 そこまで考えて、カーシュラードはふと思い至った。ラージャは剣豪マニアだ。その娘息子もまた然り。
「ヴァリアンテも誘っておくか」
「待ってました!その言葉!!もうお前ホント大好きここの飯おごっちゃう!」
 小躍りしそうないい大人の男の反応に、カーシュラードは苦笑を漏らした。ラージャを横目で見ながら、店員を手で呼ぶ。
「ジスモンデスペシャルランチセットと本日のケーキをワンホール、テイクアウトで」
 途端に上がった友人の罵声は聞き流した。 


in the evening, the 3rd exercise room / Karsularda, Valiente & Palaceguard

夕刻、第三演習場 カーシュラードとヴァリアンテ

 部下から上がってくる報告書の数々に目を通した黒天師団長は、一時の休憩を副官へ告げた。ちなみにボリューム満点のスペシャルランチセットは、部下たちの胃に収まっている。コーヒーはカーシュラード本人が飲み干して、本日のケーキは包装したまま、今、片手に持っていた。
 第三演習場は小さな屋内練習場だ。少人数の訓練などに使われている。この時間は親衛隊の貸切になっていることを知っているので、カーシュラードは目的の人物に会うべく演習場の扉を開いた。
 親衛隊には剣位持ちが多い。女王の側に常に控え、女王を護ることこそを使命とする彼らはひとりひとりが強大な力を持っている。その演舞は華麗で感嘆に尽きる。
 静かに扉を閉めたカーシュラードは、邪魔にならないように気配を消して壁に背を預けた。
「黒天師団長殿、何か御用でしょうか?」
 すかさず近寄ってきた女性隊員に顔を向ければ、頭ひとつ分下にみえる美しい顔が汗を拭きながら微笑んでいた。
「私用なのですが、邪魔になりますか?」
「そんなことはございません。師団長殿がいらっしゃると、皆気が引き締まりますよ。それに、隊長の演舞もそろそろ終了するはずです」
 私用の内容を読まれていて、カーシュラードは顔に出さないまま胸中で毒づいた。地位が下の者に対しても口調が丁寧なのは、彼の本来の話し方だからだ。ただラージャや同級にだけ、乱雑になる。
「ああ、終わります」
 隊員の視線を追えば、中央で剣を振るう数人の中に、二刀流の剣士を見つけた。ヴァリアンテだ。
 礼をしてから何か指示をだしているのか、ヴァリアンテの周りに一度集まり、その後散会する。気配でわかっているのだろう、視線を向けた華奢な人物にカーシュラードは片手を挙げて答えた。
「では、私はこれで―――」
「ああ、そうだ。これを皆さんでどうぞ」
「よろしいんですか?」
 片手に持っていたケーキの箱を差し出せば、嬉しそうな顔を隠しもせずに箱の隙間を覗き込む。
「嫌いじゃなければ」
「嫌いなわけありませんよ!ご馳走様です。皆でいただかせてもらいます」
 きちっと敬礼を返した女性隊員は、近寄ってきた親衛隊長に箱を見せて二三言交わしてから、声を張り上げた。
「みんなー!黒天師団長殿からジスモンデのガトーショコラの差し入れよ!」
 途端に上がるのは女性の歓声だ。口々に「ありがとうございます」とか「ご馳走様です」とか、子供のように喜んでいるのが遠目にもわかる。剣位持ち達にここまで喜んでもらえて、ラージャも本望だろうと笑った。
「豪勢だね。ガトーショコラがあの店で一番高くて美味しいんだってさ」
「偶然ですよ。ラージャに感謝ですね」
 耳慣れない言葉に、ヴァリアンテは首をかしげた。何処かで聞いた事があるけれど、そう頻繁でもなかったような。
「ラージャ・タンジェリン。士官学校同期で僕の悪友です。覚えてません?」
「ああ、あの子か。軍人にならずに商人になった」
「そう。しばらく州の支店を回っていたんですが、冬前に戻って来ましてね。今は実家の本店に居るんです」
 ヴァリアンテは汗ひとつかいていないのか、涼しげな顔で部下たちを眺めている。何か言及される事は無いが、時折向けられる視線が何処か痛い。
「祭りの三日目の夕方から、ラージャの娘の誕生日会という名目で同窓会を開くそうです。タンザナイトを貸切って」
「そりゃあ、凄そうだ」
「凄いですよ。体育会系の宴会ですからね……」
 目に見える酔っ払いの惨状にどこかウンザリしているカーシュラードに、ヴァリアンテは苦笑を返して見上げた。ダークエルフの血が濃いヴァリアンテは、長身のカーマ男性に比べるとやや背が低い。気にしているわけではないが、二人いる弟に見下ろされるのはくすぐったいものだった。
「その話を私にするってことは、お誘いなのかな?」
「そうなんです。一緒に行ってくれませんか?」
「裏がありそうだね?」
「無いとはいいません。親衛隊服で来ていただけると非常に喜ばれるとは思いますが、僕たち軍人と違って無理そうですよね」
 親衛隊は軍人ではない。彼らは例外なく女王直属の部下だ。女王の盾であり剣であり僕。時に軍人より地位が上になる場合さえある。誇り高い彼らは、女王の命令以外ではその証である隊服での行動を規律している。
「なんとなく読めてきたけど、きっとその理由は無理だと思うよ。いくら私でも許可できないかなぁ。服じゃなくて私を求めているなら喜んで伺うけれど?」
「なんか厭らしいですね、その言い方」
「カーシュ」
「はいはい。服の中身が欲しいので、ご一緒していただけませんか?」
 そういえば親衛隊の隊長服を脱がせたことは無いな、と不埒な想像をしたカーシュラードは、その目線に目敏く気付いたヴァリアンテに小突かれた。
 その時、
「隊長ぉ〜!」
 何時の間に用意したのか、簡易机の上にはコーヒーが煎れられていた。切り分けたケーキを取り囲む隊員たちは一様にヴァリアンテを見つめている。
「食べていいって言ったんだけどなぁ…」
「愛されてますね」
 カーシュラードの揶揄るような口調に、肩を竦めて見せる。
「可愛がってるからねぇ」
 お預けをくらった犬のように従順に隊長を待つ隊員達を眺め、黒天師団長は面白くなかった。自分の部下たちもこれだけ従順ならいいのにと思うのと同時に、暗い感情が顔を出す。
「君も一緒にどう?」
 無邪気に尋ねる小奇麗な顔を見つめ、表面上は申し分ないほどの愛想で許諾を答えた。用件は告げ終わっている。休憩時間もまだ終わっていない。実兄がどのように慕われているのか観察していくのも悪くないだろう。
 カーシュラードはお茶を飲むだけの行為に、いろいろと説明付けて納得させようとしている自分に気が付かなかった。
 渡されたカップは支給品だが、中身はなかなか上等の豆を使われている。匂いと深みを味わう。
「どうぞ」
 差し出されたケーキは丁寧に断った。甘いものを食べたい気分ではない。
 何度か話を振られるカーシュラードは無難に答えながらも、大人しく隊員達を観察していた。公私の切り替えがうまいのか、訓練や護衛の時の高尚さや厳しさが一掃されてアットホームな雰囲気だ。男も女も仲がいいのだが、その中心には常に親衛隊長が居た。
 ダークエルフの血を継いでいるので老化は無い。だから隊員たちは隊長と一回り以上年が離れていたりするのだが、スキンシップも多い関係。親に構って欲しくてじゃれる子供のようだ。
 じっと見つめていたカーシュラードと視線が合った。小首を傾げているのが、カーシュラードにとっては愛らしい仕種に思えるのは恋愛感情か親類愛の欲目だろうか。
「やっぱり食べたいの?一口あげようか?」
 その一言に、言葉が詰まった。
「やだもー、隊長。そういうのは隊だけにしてくださいよー」
 笑いながら肩を叩こうとする隊員の一人に、さらに言葉が継げなくなる。
 実際は一口もらおうが口移しだろうが、互いの体を舐めあう程の関係なのだが、それを言って憚るべきなのは分かっているし、そんなことで対抗するものではない。
 カーシュラードが何と答えようか思案していれば、
「ほら、師団長殿が困ってらっしゃいますよ。いくら仲がお宜しいにしても!」
「ああ、そっか。普通はやらないか」
「そうですよ隊長」
 さらりとかわしたヴァリアンテは、こういうときに上手だ。悔しいと思うと同時に、カーシュラードは全て暴露してやりたい衝動に駆られた。どうも隊員達は隊長と仲良く接する事に優越感を持っているように思える。それを自慢しているように感じるのは、嫉妬だろうか。
 普通はやらない、だって?じゃあお前達は普通の関係ではないとでも言うのか、僕を差し置いて。
 口に出さなかっただけ、マシだけれど、カーシュラードの暗色の瞳は冷たく細められていた。
「カーシュ?」
 何も言わないのがいつもと違うと感じたのか、ヴァリアンテの目が若干心配そうな色をしていた。二人だから分かるような変化だが、それで十分だ。
「貴方から頂けるものならどんなものでも口に含んでみせますが、今回はご辞退いたします。訓練が無いので体が糖分を求めていない。残念です」
 とりあえず、隊員達を絶句させることが出来たのでカーシュラードは満足だった。
 だが言外に含められている内容にヴァリアンテは瞳を細めた。戦闘でよく見る視線だ。挑発の色。
「なまってるなら手合わせしてやろうか?」
「それは願っても無いんですが。休憩時間はそれほど―――」
「見たいです!!」
 やんわりと挑発をかわしたカーシュラードの声に被さるようにして、若い男の声が響いた。途端しんと静まる場に、まだ少年を抜けていないような青年が顔を真っ赤にしていた。先輩だろうか他の隊員にどつかれている。
「ヘッシュこの馬鹿」
「も、申し訳ございません!黒天師団長殿!」
「いえいえ」
 そう言えば見たことの無い顔だった。
「名前は?」
 黒天師団長に尋ねられ、青年は直立不動で敬礼を返した。その顔が何処か青ざめているのが新入らしくて、カーシュラードには微笑ましい物だった。
「ヘッシュ・ヘルファストです!今期入隊予定です!」
 ということは祭で演舞を披露することは無いのだろう。入隊は祭の後が通例だ。親衛隊の場合は入隊しても見習いとして数年様々な研修を行う。それまで軍人であったり指南役であったりした場合はまた別ではあるのだが。童顔なのか。
 それにカーシュラードは、ヘルファストが第二十王家の家名であることに気が付いていた。軍では実力至上主義を貫いているので、貴族だろうが関係は無いのだが。家名を継がない貴族は案外軍関係や王城には少なくない。
「では、そうですね。ウォーミングアップくらいなら、付き合っていただきましょうか。親衛隊長殿」
 若者の期待をすげなく断るには、鬱憤が溜まっていたカーシュラードは、カップを置いて立ち上がった。
「デスクワークの肩こりくらいは治してやるよ、黒天師団長」
 受けたヴァリアンテの微笑に隊員達は目を奪われる。
 赤闇の瞳が妖しく光っていた。訓練や演習では決して見ることのない、蠱惑的な彼の瞳が。


the same / warming up : Karsularda vs Valiente

 カーシュラードとヴァリアンテの手合わせの回数は意外と多い。魔術使用可能の試合形式で行う事は無理だが、剣術のみの訓練は数日置きに行っていた。軍人、警邏、親衛隊、近衛兵、及び剣位を持って王都で職務を行っている者には、一定の剣術訓練と定期的な指南役との手合わせが義務付けられている。大抵は職場内で業務として組まれているが、上位の剣位者は個人的にそれをこなしている場合もある。
 カーシュラードとヴァリアンテの二人はお互いの地位や諸々の理由で、あまり外部に手合わせを見せる事はない。親しい者などはその場に居たり参加したりすることはあるが、それも稀だ。
 だから親衛隊員と言えども、隊長が同程度の剣士と手合わせを行っている場など、見る機会が少ない。それは下位の者を羨望と後学に馳せ、感動と畏怖を感じさせる。
 見習いであるヘッシュが望んだ事は、口には出さないまでもその場に居た親衛隊員たち全員の希望だった。
「私、初めて見るわ。ヘッシュのお陰かしら、感謝しなくちゃね」
「い、いえ。不相応な事言っちゃったって、焦りました。名前聞かれた時なんて心臓止まりそうになりましたよ…。僕、赤天出なのでクセルクス将軍を近くで拝見する事も無かったし…」
「俺の先輩が前言ってたんだけどさ。将軍が士官学校卒業するとき、入軍試験で隊長と試合したらしいんだけど、開始直後から四重詠唱で凄かったって。魔天師団の結界にヒビが入ったとかなんとか」
 コップを一カ所にまとめ、テーブルの周りに固まった隊員達は、演習場の中心に居る二人を見ながら口々に語り出す。
 上着を脱いでアンダーウェアとズボンという動きやすい軽装とお互いの剣のみで、カーシュラードとヴァリアンテは何か話をしているようだった。手振りのあと、ヴァリアンテが片手で短い動作を行う。そのまま、二人は一定の距離を取った。
「結界だ。動作付きの二重詠唱。演習場と、私たちに?」
「戦闘じゃないから、無駄な魔力は使う気が無いんじゃないか。それにしても二重詠唱をあんなに簡単な動作でやっちゃう隊長って、やっぱスゲェよ。発動までのタイムラグが無い」
「ギュスタロッサを使うんだわ。どうしよう。興奮しない?」
「――…先輩、始まります」
 隊員達は、口を噤んだ。五感全てで記憶しようと、注視する。
 ヴァリアンテがコインを投げた。
 昇り、落ちる。コインが奏でる、開始の合図。
 交差した腕は、二本の細剣を抜いた。ヴァリアンテの魔剣、『パイモン』。右手にアバリム、左手にラバル。
「隊長、早い…っ!」
 ゼロスピードから筋力だけの加速で、トップスピードに乗せてて薙ぎ払う。カーシュラードはまだ刀を抜かない。長刀の鞘を生かし、パイモンを受けた。柄と鞘の中間を持ち、斬激の隙を読む。
 普通の鞘であれば、ギュスタロッサの鋼で斬りつけられれば一溜まりも無い。だが、同じ刀匠が作った鞘ならば、防御に使う事も出来る。それに、カーシュラードの武器である刀は抜刀術で一番の威力を発する。そのためにも、鞘はより頑丈に出来ている。
「一体、体の重心は何処にあるの…?二刀流ってあんなに変化のある攻撃が出来るなんて」
「足技を掛けられても避けるか受け流せるんだ。あの細い体の何処に、軽業師みたいな筋力が有るっていうんだよ」
「…それにしても、将軍はなかなか抜かない」
 手合わせに型は無い。何をするか事前に決め、それをなぞる場合も有るが、基本的にどちらかが武器を手放すか、止めの合図に至るまで行われる。
 カーシュラードが刀を抜かないのは、理由がある。抜く時が転機だ。見極めるまでは、鞘で格闘する。時折刃を覗かせて相手の鋼を打ち返す時もあるが、そのスタイルは棒術に近いものがあった。
「流石と言うか…、指揮官としての鬼策さは噂高いけれど、一対一で戦っても凄いんだな」
「そりゃ金剛だもの。でも、弱点とか欠点とか無いのかしら。優雅、だわ」
「ノブレス・オブリージュを貫く方ですよね」
 隊員達の呟きも気にせず、独楽のようなヴァリアンテの切っ先から身をかわし、受け、鞘ごと突き返す。やられっぱなしの様に見えるが、決定打は与えられていない。もし魔術を使用できるならば、もっと違った戦い方が繰り広げられるだろうが、剣術のみの手合わせでは、カーシュラードはなかなか刀を抜かなかった。
 逆にヴァリアンテはカーシュラードを抜刀させないように、その動きを封じる。隙を突く為の攻防が暫く続く。
 そしてついに、カーシュラードが鞘を払った。
 ヴァリアンテが取った、足払いの回避行動。その瞬間。
 一瞬、たった一瞬の間で十分だった。カーシュラードの足の踏み込みは既に抜刀の幅に合わせられている。
 右手の柄と、左手の鞘が滑らかな動きで分離した。それは妙にゆっくりとした動きに感じたが、実際には止められる程ゆっくりではない。そう感じてしまうのは既にカーシュラードの術中に嵌り込んでいる。気が付いた時には初激で昏倒させられた後だ。
 ヴァリアンテは寸でで身をかわした。髪一本を犠牲に、抜刀の衝撃が波動となって駆け抜ける。
 その衝撃波は、演習場を覆う結界にぶち当たった。
 音は吸収されている筈なのに、呼吸を忘れるほど凝視していた隊員達を覚醒させるには十分な威力を発揮した。すぐ側に直撃したのだ。
「…結界が」
 ヴァリアンテが紡いだ結界は二重になっている。その一層目に裂け目が出来ていた。
「あっ!」
 隊員の声は殆ど無意識だった。演習場の中央に視線を戻した途端、カーシュラードの二の太刀が容赦なくヴァリアンテを襲う。初撃は片手で払うので些通常より軽いが、その反動を利用した二撃目は両手での攻撃だ。重い。
 漆黒の太刀が、空間を裂く。光さえ吸い込みそうな、これがカーシュラードが扱うカーマ唯一、ギュスタロッサの刀。『號仭』。
 振り下ろし、払い、突く。その太刀筋は予測が出来ない。繰り出されてしまえば回避と防御を行う事だけで精一杯だ。見切れず、撃破される。
 隊員達は息を飲む。聡い者は気付いているだろう。ヴァリアンテが衝撃波の先を確認した事を。隊員達の側へ当たると気付いて意識がそちらに逸れたこと、を。
 その瞬間に、勝敗は決まっていた。他者を護って戦うには、カーシュラードの容赦はなさ過ぎた。
 それから片手で余る程度の斬撃を交差させ、カーシュラードふいに力を抜いた。ヴァリアンテのパイモンを円を描くように腕を回して絡め取り、一歩引く。片手で繰り出す切っ先は最初の勢いより劣る。空いた左手で剣帯を外して乱雑に放り投げた。
「…終わった、の?」
 攻守が順番で代わる打ち合い。練習と呼ぶには高度で洗練されているものの、最初の勢いは無い。勝負と言うものがあるとすれば、ヴァリアンテが気を逸らした時点で終わってしまった。
 ヴァリアンテはカーシュラードの力具合をよく知っている。あの程度の結界なら、もう少し力を強めるだけで易々貫通し、親衛隊を襲っただろう。一瞬、純血のカーマ人を護ろうという意識が働いた。彼らの身に流れる半分の血が、そうさせてしまう。所謂本能なのでどうしようもない。カーシュラードもその点では同じな筈だが、彼は時折本能すら殺す暴挙を簡単に行う。何に苛立っているのだろうか。
「と、鳥肌立った…」
 隊員の呟きが消える前に、鋼は鞘に収まった。

 

in the night, Division House, Division the Red:F certain room / Valiente, Donna & Karsularda
師団寮、赤天師団女性仕官搭の一室 ヴァリアンテとドナとカーシュラード

「敢えて露出を控えては?」
「ズボンはいてシャツのボタンきちっと留めろとでも言うの?胸が収まらないわヨ」
 下着姿ではないが、それに近い恰好でドナは昼と同じような問答を繰り返していた。相手はカーシュラードに替わってはいるが。
「体のラインを強調したドレスで、ロングスカート。出来ればタイトで。スリット程度なら許容範囲ですね」
「あー、タンスの奥に有ったかもしれないわそんなのが。ある程度治せば着れるかしらネ」
「隠れていて見えないのに、ラインが顕わになっていると逆に強調されて視線がそっちに行きますよ。かつ、品が良い。体で勝負するならお奨めしておきます」
「ふむふむ。参考になるワ。やっぱり助平に聞くほうが参考になるもんねェ」
「基本的に男はみんな助平ですが」
 その割にカーシュラードは目の前にいる露出度の高い美女をじっくり見たりはしなかった。視界に入ってはいるが、少なくとも性的対象として見てはいない。
「…最近からかっても詰まンないわね。可愛くなーい」
「照れる必要も否定する必要も感じませんからね。僕が助平かどうかなんて、ドナに僕を薦めた本人が厭ってほど知ってるでしょうし」
 しれっと言い放ったカーシュラードの後頭部目掛けて、ヴァリアンテは近くにあった黒ウサギの人形を投げつけた。見事に命中しているがそれに文句を言う訳でもなく、落下するウサギを器用に後ろ手で捕まえて、棚の隙間に置いておく。最初から解っていたような余裕ある姿勢が腹立たしいが、絡むと泥沼なのでヴァリアンテは話題を変える事にした。
「セクハラまがいの事はしょっちゅうしてるくせに、どうしてクリストは気付かないかなぁ」
「女王でも勘付いてるのに、赤天師団長の鈍さは哀れさを感じますね…」
 何を、と言及しなくても、この場に居る者達には解っていた。
「押し倒して子供でも作って責任とらせたほうが早いかしら」
 ぶつぶつと呟きながら、ドナは続き部屋に消えていった。カーシュラードに指摘されたドレスを探しに行ったのだろう。
 昼に寄った時から何も変わっていない、並べ置かれたドレスを手に取ったヴァリアンテは、せめてソファの上にでも纏めて置こうとした。ドレスの合間にドナの剣が無造作に置いてある。装飾が豪華なレイピア。彼女の剣もギュスタロッサだ。ギュスタロッサの剣には個性がある。カーシュラードやヴァリアンテのそれは主から離れたがらないが、ドナの剱は特殊だった。何せ彼女が露出を控えると切れ味が幾分鈍る。
 ギュスタロッサも、剣位も持っているのに、彼女は上のポストに就くことはない。気儘が性に合っているらしい。推薦されても突っぱねている。
 参考人として連れてこられたカーシュラードは、椅子の背もたれを前にして座っていた。女性の部屋というのはなかなか入る機会がないので、物珍しい。
「夕方の、…」
 ぽつりとヴァリアンテが呟いた。ドレスを集める手は止めぬまま。
「衝撃波は、わざと狙っただろ」
「ええ、勿論。丁度良かったので使わせていただきました」
 夕方に親衛隊員の前で手合わせを行ったとき、抜刀を行ったカーシュラードの斬撃が波となって放たれた。隊員達に当たっても二重の結界が吸収してくれる程度の威力調整をしているものの、それはヴァリアンテの気を逸らせるのに十分だった。
「貴方はそういう所が甘いですよね。それが美点でもあるんですが…。僕は部下が倒されても刀を止めない」
 それは過去に経験していることだ。戦時中ではないが、小競り合いが無いわけではない。カーシュラードは戦場では、必要犠牲を惜しんで歩みを止めるより、その犠牲をいかに少なくするかを求めて自ら前線で敵を屠る。少しでも多くのカーマ人を護るために。
「そんな事を軽く言うもんじゃないよ」
 いつのまに振り返ったのか、ヴァリアンテは溜息混じりにカーシュラードを見つめていた。近寄り、暗い赤毛を掻き混ぜる。七歳年下の弟は、自分のことになると自虐か卑屈かどちらとも付かない事を漏らすことがある。
「アンタくらいですよね、いつまで経っても僕のことを子供扱いするのは。今年で幾つに成ったか解ってます?」
「散々濃厚な誕生日プレゼントをこの間もぎ取ったばかりだろう。忘れられるものか」
 大人しく撫でられていたカーシュラードは、ここぞとばかりに甘えた仕草で擦り寄る。
「思い出すとムラムラしますね。あんまり煽らないでください。祭前で忙しくて溜まってんですから、襲いますよ?」
「そういう所が子供なんだよ、カーシュ。これが黒天師団長だって言うんだから、君の部下達に見せてやりたい」
 ヴァリアンテの呆れと溜息は、しかし相手に通じる事はなかった。
「それ、いいですね。全力で引かれそうな所が、一度やってみたいもんです」
 黒天師団長という肩書きを持って軍に君臨している時は、彼はあまり饒舌ではない。話を振られれば乗るが、自分から猥談を吹っ掛けることなど間違っても有り得ない。
 それは、彼の外見が三十手前で止まってしまった事にも起因している。瞳の老獪さを見れば若者とは思えないが、それを見抜けない者はしばしばカーシュラードを舐めてかかる。そんな輩は容赦なく完膚無きまでに叩きのめしているのだが。
 ちなみに同じ事はヴァリアンテにも言えるが、こちらは不思議とそんなことはなかった。
「ひとり身の前でイチャついてんだったら、出てってもいいわよ」
 開け放たれた扉の向こうから聞こえる、殺気立ったドナの声を聞いた二人は、お互いを見合わせた後にこっそり笑った。

  

つづいてます
2007/05/28 贈呈

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