"Vernal of the Ebony" 2

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day 3 / on the afternoon of "Vernal of the Ebony" / in Malmaros Circle
祝春祭『黒の祭』三日目の昼、マルマロス広場

 前夜際の陽気を引きずったまま、翌日の昼に女王自ら開催の言葉を述べて大々的に式典が開催された。その日から七日間、首都は眠らない。特に大通りや歓楽街の周辺では、明かりが消えることが無かった。そこかしこの地区で市民主体によるイベントが開かれ、通りには外国人や旅行者が溢れかえる。露天の数も格段と増え、通行が困難な場所すらあった。
 この時期にあわせて結婚式が開かれたり、子供たちの遊戯発表、楽団の演奏、踊り子の群舞など、プログラムが満載だ。諸学校は休校し、この週は普段見ることの出来ない区画が開放されたり、飽きる事がない。王城の一般入場時間も長くなっているし、一日に一度は女王が謁見広間に座って、外交以外の一般人と目通りすることが出来た。
 もちろん、警備体制が若干変わっているため、国内警護を主とする赤天師団のみならず黒天師団ですら警護兵として散らばっていた。だが、兵士が祭りに参加出来ないことがないよう、そのローテーションには幅があり、満遍なく休暇が行き通るように考慮されている。
 役職者達は子供たちのヒーローであったりする場合があるので、女王ほどではないにしろ一般人と謁見できるような時間を設けてあった。皆正装で帯剣している姿は、その気迫も相まって羨望を集めている。女王の謁見と違い、子供連れの親子や学生の姿が殆どだ。
 そして三日目といえば、女王近衛親衛隊の演舞が行われる。午前と昼過ぎの二回。女王も観覧するその舞闘は人気の高いイベントのひとつだ。
 親衛隊の殆どは差こそあれ剣位を持った者たち。ギュスタロッサの剣を掲げ、楽団の音色にあわせて闘いの舞を見せる。盛装の美しさ、技の優雅さに観客たちは歓声を上げ、手を叩いて喜んだ。広場に設けられた観客用の場所が全て埋まり、人々の視線は舞台に注がれる。
 しかし二回目の演舞でちょっとしたハプニングがあった。雲ひとつなかった快晴の空に、微かな雲が混じり始めていた。演舞の終盤、太陽が出ているにもかかわらず雨粒が落ちてきたのだ。広場は野外だ。そのため雨天時は延期になる。しかし披露最中に雨が降ってきた場合、そのまま続けるしか術はない。
 女王の貴賓席と楽団には幌があるからいいのだが、観客はそうではない。。雨脚にもよるけれど、全員がその場に残るという事はなく、他者を押しのけて避難しようとする者だって居る。
 最初の一滴が会場に落ちたとき、女王の横で護衛の任についていたカーシュラードは空を見上げた。会場に視線を戻せば、落胆の表情がちらほら見つけられる。
 これは警備兵が苦労するだろうな、という思いがよぎった矢先。
「クセルクス将軍、補助を許可するわ」
 優雅に微笑む女王が、脈絡もなく告げた。
 意味を問う前に、カーシュラードは舞台中央にいるヴァリアンテを見つめる。舞と剣技が若干違う。器用に魔力を織りあげ、魔術を発動するモーションを仕込んでいる。瞬時に意図を読んだカーシュラードは、呆れを押しとどめて刀を抜いた。
 意味の分からない来賓たちは驚きを表したが、女王が身振りで制するので黙って様子を伺うことにしたらしい。
 胸の中ほどまでに掲げた刀を握りこみ、動作ひとつなく魔力を発する。淡い光を放つ黒刀に、周りの視線が集まった。
魔刀を掲げたのには意味がある。魔力補佐は近距離でなければ効果がない。距離を補うには相応の魔具が必要なのだ。
 ヴァリアンテは、織り込んだ魔力の半分を易々と補い、それ以上の魔力消耗を止めた相手に一瞬視線を向け、微笑を口元に浮かべる。意図も目的も、その一瞬だけで把握した。
 一緒に演舞を行っている隊員達に小声で指示を出す。
 観客たちが空を見上げ、水滴を視認したその瞬間。
 親衛隊長が天へ向け、片手を挙げて剣を掲げた。
「おお…!」
 観衆の感嘆は同時だった。
 広場全体を遮る結界術。雨をよける幌程度の結界だが、いかんせんその規模が大きすぎる。太陽に照らされ、結界にはじかれた雨がきらきらと輝いていた。魔力に疎い者たちはそれをイベントの一部だと思い手を叩き、結界の発生源を察知した者たちは大規模結界をこの短い時間で発動させた事に歓声を上げた。
「Thank you, Your majesty.お心使いに感謝致します、陛下」
「それはわたくしの言葉よ。ヴァリアンテにも感謝を伝えておいてちょうだいな」
「御意に」
 刀を鞘へ納めたカーシュラードは実兄の行動を腹に据えながらも、短く応えた。判断が遅れていれば、彼は一人で広域結界を張るつもりだったのか。ヴァリアンテの魔力保有量から言えばその程度で異常をきたす事はないが、大幅に魔力を削られることには違いない。
 それを、女王はいち早く察知していた。彼女の瞳が見せたのか、それとも類まれな察知能力が親衛隊長の変化を報せたのか。
 通り雨も過ぎ去り、ハプニングを喜び観衆を満足させて演舞は終わりを告げた。カーシュラード一人の心を曇らせたまま。


the sameday in the evening / Dining & Bar "Tanjell A Night"
同日夕刻、タンザナイト

「まさか正装で来るとは思わなかったよ」
 演舞を終え、引き継ぎや打ち合わせを済ませ、私服に着替えたヴァリアンテは、待ち合わせの場所で驚きに動きを止めた。
「脱ぐのが面倒だったんです」
 女王護衛の任を後任へ引き継いだカーシュラードは、薄手のマントを羽織っていた。流石に正式なマントでは移動の邪魔になるし、目立ちすぎるのでそれは外している。とは言っても師団長の制服であるから、そのまま出歩けば人目をひくことは確実だ。自前のマントは一応の分別を含んでいた。
「…と言うのは冗談で。この期間、師団は軍服での外出を許可されています。さすがにいかがわしい目的では許可できませんが、この場合は範疇内です。まあ、軍服を着ているという事イコール模範でなければならないわけなので、恰好付けるだけ付けたら上着を脱ぐのが普通ですけどね」
「一般兵と君じゃあ、格が違うだろうに…」
 ヴァリアンテの言葉は正しい。
「ええ。ですから今回は例外です。親友の愛娘の誕生日くらい、一役買ってあげても罰にはならないでしょう。それに咎められたとしても僕だけなので」
 目的地へはそう遠くない。歩いて数分の距離だ。前を歩くカーシュラードはマントを引っ掛けないで器用に人の群れを避けて行く。
「君を咎められるひとなんて居ないじゃないか」
「貴方なら、咎められますよ?」
 顔だけ振り返り流し目を使うカーシュラードの確信犯的な瞳に、ヴァリアンテは苦笑を返して首を振った。
「汚しても知らないからな」
「用が済んだら脱ぎますって。――ああ、ちょっと良いですか」
「?」
 ふいにカーシュラードが道を逸れた。ぽつんと取り残されたような路地に入る。人気は無く、通りのざわめきすら隔絶したような家と家の隙間。理由は分からないまでも大人しく従っていたヴァリアンテは、人ひとり通れる程度の路地の途中でいきなり抱き込まれてしまった。文句は口に出来なかった。
 肘を壁に付いたカーシュラードはマントで器用に姿を覆っていた。もし、万が一誰かが覗いても姿を見られないように。
「…んぅ」
 ヴァリアンテの甘い吐息が漏れた。カーシュラードの体と壁に挟まれて身動きが取れないまま、許可してもいないのに唇を奪われ、さらに深く貪られる。突然の出来事で、ヴァリアンテの思考が追い付かない。軍服を掴んで耐えるのが精一杯だ。
「…、っ…」
 舌を絡め取られ、飲みきれない唾液は顎に伝う前に掬われる。仕方なく腹を括ったヴァリアンテは、気が済むまでやらせることにした。方法はどうであれ、意図が漸く理解できた。
 互いの唇が離れた時には、軽く息が上がっていた。
「女王陛下が、感謝を述べていましたよ」
 見下ろすカーシュラードは、弱く睨んでくる兄のこめかみにキスを落とす。魔力の交換を行うには、触れ合うのが一番効率が良く手間がかからない。
「陛下の魔力をこんな方法で渡さなくてもいいじゃなか」
 流れ込んできた魔力はヴァマカーラ女王の気配を薄く残していた。護るべき君主を穢されたような気分になる。
「嫌なら無茶しないでください」
「………」
 カーシュラードは怒っていた。昼に行われた演舞での広域結界の張り方に。もしヴァリアンテが行わなくても、女王の周りにいた者達や警備兵達でも時間がかかるだろうが同じ様な事ができたはずだ。時間がかかりすぎて間に合わない可能性も否定できないが。
 ただ心配だっただけだが、外聞が邪魔をして大っぴらに駆け寄れなくて、歯痒い思いをしたのだ。
「ごめんって」
「…何度目ですか。どうせ貴方は僕の事なんて聞かないでしょう」
 珍しい事もある。他人が居れば決して崩すことのない大人の男が、拗ねている。もうキスする気は無いのか若干体を離し、半眼でふてくされる姿に、ヴァリアンテはどうしようもない庇護欲を掻き立てられる。
「君のそういうところが好きだよ、カーシュ。ありがとう」
 親愛の口付けを返し、微笑んで見せたヴァリアンテは、実弟が驚き赤面する姿を間近で拝んで声を上げて笑った。
 カーシュラードはバツ悪く舌打ちして、照れ隠しに大股で通りへ戻った。

「パパの馬鹿!もし師団長様が来なかったら、明日絶対謁見につれていってよね!じゃないと店の手伝いなんてしないんだから!」
 城からそう遠くない立地に位置するダイニングバー・タンザナイト。この店はラージャの副業的飲食店だ。タンジェリン商会がオーナーとして経営している。親子連れでも入れるが、軍人が好んで使っている。ラージャが士官学校出ということもあり、何かと融通を利かせてくれるのだ。
 今日のタンザナイトの扉には『貸切』の看板が掲げてある。リボンや花で飾られて。
 カーシュラードとヴァリアンテが店の扉を開けようとした時に、幼さの残る少女がそんな叫び声を上げていた。扉の前で二人は互いの顔を見合わせる。カーシュラードが取りだした懐中時計の時刻は、約束のそれより少しばかり過ぎていた。
「来るって、絶対来るから!パパを信じ――ちょ、何処行くジンジャー!」
 ラージャの叫びに続いて店内から爆笑が聞こえてくる。どうやら、もう盛り上がっているらしい。
「入りましょうか」
「そうだね。待たせたみたいだよ」
 苦笑を漏らしてドアノブを引けば、喧騒が一気に溢れ出した。
「いらっしゃいませー!」
 入り口のすぐ側に居た店員らしい女性が、すぐに声を掛けてきた。招待客だと知るとすかさず会費を請求してくるあたり、ラージャの店員教育はしっかりしている。
「ジンジャーお嬢様のお誕生日も兼ねているので、金額はお任せいたします〜」
 また金額の決めにくい事を言う。
 財布を取り出そうとしたヴァリアンテを制して、カーシュラードは数枚の紙幣を差し出した。覗き込んでいたヴァリアンテが口笛を吹く。
「みんなにビールくらいはおごれますかね」
「いあ、あの、ちょっと待ってください、オーナー呼んできます…!」
 にっこりと営業スマイルで受け取って、改めて数えた金額に凍り付いて目を剥いた店員は、紙幣を握ったまま店の奥に消えた。
「ビール樽何個奢るつもり?」
「こういう時にしか使い道が無いんですよ、僕の給料なんて…」
「私は有り難く奢られとくけどね」
「それは勿論。彼氏の甲斐性ってやつですよ」
「……それ、兄としては聞き捨てならないんだけど」
 同性の恋人として奢られることも、兄として弟に奢られることも、理由をつけられると釈然としなくなる。
 ヴァリアンテが微妙な顔をしていれば、店の奥からラージャが走ってきた。走ると言っても客を掻き分けているので速度は徒歩並だが。
「オ、オーナー、あの方です」
「お」
 眉間に皺を寄せた顔を正面に向ければ、片手を上げて挨拶を返すカーシュラードと目が合った。
「おおおおおおおお…」
「遅れて悪いな」
「……遅ぇえええええ!!」
 ラージャの叫び声に、店内の視線が一気に集まった。
 音楽さえも消え、人口に反する不自然な沈黙が降りる。
 見覚えのある顔は他人のそら似かなとか、まさか来るわけないよなとか、客の考えは似たり寄ったりだった。軍服姿がちらほら混ざっている。それでも、カーシュラードがマントを脱ぐまで誰一人信じている者は居なかった。
「こ…、黒天師団長!!」
「ええええええっ」
 黒の軍服。その正装を纏える者はこの国で彼しか存在しない。いち早く気が付いたのは軍人だった。続いて一般人の悲鳴が重なる。店員は思わず後ずさって客の一人にぶつかっていた。
「久しぶり。無礼講らしいから、そのつもりでよろしく。ああ、帯剣だけは見逃してくれ」
 マントを預ければ、その薬指に輝く金剛石を見付け、店員が緊張に震えている。
 そんな諸々の反応を背後で見ていたヴァリアンテは、申し訳ないと思いながらも耐えきれずに吹き出した。
「ヴァル…」
「や、ごめん。これがやりたかったのか、君は。気持ちはわかるよ、私も隊服脱いできた事を今更後悔した」
 本気で爆笑しないよう顔を背けて震えているヴァリアンテを、カーシュラードは小突く。
「あああ、先生!うわ、今晩は、ようこそいらっしゃいました!」
 急に畏まったラージャは、カーシュラードを押し退けてヴァリアンテに挨拶をした。なんだなんだと野次馬になる客達は、カーシュラードを見た時と同じ様な反応で後ずさる。
「親衛隊長!!」
「いやぁ、久しぶり。みんな元気そうで何より。私も帯剣を大目に見てくれると嬉しいなぁ」
 ヴァリアンテはカーシュラード達が学生だった時、剣技の教官を行っていた。親衛隊に入隊してから教鞭を執ることは少なくなったので、彼らに『先生』と呼ばれるのは懐かしいし少しくすぐったい。
 カーシュラードの時は若干怖れも混じっていた歓声だが、ヴァリアンテに対しては殆どアイドルに対するそれと同じだ。それを面白くないと思いながらも、仕方なく妥協したカーシュラードは実兄を好きにさせる事にした。早速ビールジョッキを渡されて、輪の中に馴染んでしまう。そしてカーシュラードはラージャに向き合った。席を探す前にやることがある。
「あの、オーナー、これ…」
 緊張で上手く話せない店員は、紙幣を握ったままその場を動けないで居た。
「カーシュの奢りだからな、有り難く会計につけといていい」
「は、はい」
 入り口に戻る店員の後ろ姿をすぐに視界からおいやったラージャは、カーシュラードの正装を見て拳を握った。
「よし、よくやった。これでジンジャーの機嫌が直る」
「外まで聞こえていたぞ。…それとな、今回限りだ。そう何度も出来ることじゃない」
「いやいや、それくらい解ってるって。感謝してんだよホント。俺の眼に狂いはないって事だよな」
 ラージャは自他共に認める剣豪フリークだ。若い頃に遊び歩いていた御陰でカーシュラードと出会ったのだが、一発で大物になると見抜いて親友の座をもぎ取った。そういう正直な所が、カーシュラードにとっては好ましく楽なのだ。
 懐からいつもの煙草を取りだしたカーシュラードは、一本銜えて魔力で火を灯す。昼食からこっち、ようやく一息付けたと感じる。
「師団長の軍服着ててそれだもんな、どこのガラ悪い不良だお前」
「黙れラージャ。唯一の楽しみを奪うな」
 ちなみに師団内ではカーシュラードの喫煙は周知の事実だ。確かに堂に入った吸い方そするのでともすればチンピラに見られ兼ねないが、その粗野さに憧れる兵士達は少なくない。体力が続かなくなって常用する者は殆ど居ないが。
「しかし、早いところこれを脱がないと、アイツらは落ち着かんだろう。ジンジャーは何処だ?」
 いくら無礼講とは言え、ただの上司ではなく組織の頂点にいる男だ。そう簡単に無礼講ができるほど軍人は器用ではない。
「お前が遅ぇから隠れちま―――」
「きゃああああああああ!!」
 ラージャの声に被って、高い女の叫び声。階段の途中で固まる焦げ茶色の髪の少女は、指をさしたポーズのまま悲鳴を上げた。
「やだ!凄い!ホントだ!ホントに来たぁああ!!」
 ふわふわと広がる黒いスカートをはためかせて少女が駆け下りてくる。反応はラージャとそっくりだった。この少女がラージャの愛娘、十三歳になるジンジャー。
「ほらな!パパの言った通りだろ!?」
 走る少女に、客達は笑って道を譲った。途中から、ラージャにそっくりな男の子がジンジャーの背後に付く。弟のラルフだ。
「五年近くの間に随分大きくなったな」
「可愛いだろ。母親似だから将来美人だぞ。ほら、ジンジャー、お前が会いたいって駄々こねてたカーシュだ」
 肩を組んで友人を主張するラージャの腕を、ジンジャーが目一杯引っ張る。
「師団長様に馴れ馴れしくしちゃだめ!」
「おいおい、おっかないな」
 押し退けられたラージャは満足げに笑いながら娘を見守ることにする。興味津々にくっついてきたラルフの頭を撫でてやれば、幼い瞳を輝かせてカーシュラードを見つめていた。
「誕生日おめでとう、ジンジャー」
「あ、あ、ありがとう、ございますっ!」
「これは僕からのプレゼント」
 装飾品の多い正装軍服から器用に細長い箱を取りだしたカーシュラードは、蓋を開けて中身を取りだした。銀色のチェーンとジルコンのアミュレット。
「ダイヤの方が嬉しいだろうけど、これで我慢してくれますか?僕の刀の銘を由来にする君へ、鍔の文様と同じデザインの物を作らせました。オプションでそこにいる親衛隊長が魔力を込めてくれたから、本当にアミュレットとして使えますよ」
 ダイヤは金剛位の剣位を持つ者と王族にしか所有を許可されていないので、迂闊に手にすることは出来ない。替わりに人気があるのはジルコンだった。プラチナのチェーンを外してジンジャーの首にかけてやる。
 少女は緊張と喜びにそばかすの残る頬を赤く染めていた。
「わ、わたしの名前って、そうなの?」
 父親に確認をとれば、ラージャは偉そうに唇を吊り上げて笑う。
 カーシュラードは剣帯から刀を外して、そのこじりを床に付けた。鞘尻から頭の長さはジンジャーの肩くらいになる。
「儀卿傲鋒妃、『號仭』。彼女のような我が儘に育っては困るからひと文字だけ。君の名前は僕が付けたんですよ」
 それは嘘ではなく本当の話だ。初めて生まれた子供の名前はカーシュラードが決めてくれと、結婚する前から頼んでいたのだ。
「ジンジャー・タンジェリン、君に魔神の加護がありますように」
 少女の額に口付けを一度。カーシュラードが行えば気障ったらしくはあるが、彼本人は純粋に親友の愛娘を気遣っての行為だった。親が子に施す感情と同じ。
 ヴァリアンテが胸の内でカーシュラードのタラシぶりを罵っていたが、それが聞こえる訳もなく。しかし少女の微笑ましい反応に、悪態すら霧散した。
「わたし、もうおでこあらえない…」
 蚊の鳴くような少女の言葉に、客たちは手を叩いて喜んだ。集団から抜けて近寄ってきたヴァリアンテも一緒に笑っている。ただ一人ラージャだけが仏頂面だった。
「カーシュお前ぇええ…、もしジンジャーがお前に嫁に行くとか言い出したらどうすんだこのスケコマシ!」
「ロリコンで済むか犯罪者になるかギリギリのとこだな」
 カーシュラードが冷静につっこんでやれば、外野から野次が飛ぶ。黒天師団長の制服は着ているが、学生時分のカーシュラードを知っている者たちは無礼講にいち早く馴染んだようだった。黒天師団に所属しているものはそう簡単に切り替えられずに青ざめる者も居たが。
「お姉ちゃんだけずるい…」
 ラージャの後ろに隠れていたラルフがポツリと漏らした。
「お姉ちゃんは誕生日だから特別なの!」
 ジンジャーが勝ち誇ったように胸をそらす。
 苦笑を浮かべるヴァリアンテは、コートを脱ぐついでにポケットから小さなバッチを取り出した。
「そう言うだろうと思って、君にはこれをあげる。お店じゃ売ってないんだよ」
 方膝をついて目線をあわせ、小さな手のひらに四つのバッチを載せてやった。一緒になって覗き込んだラージャが、「おおおっ」と声を上げる。
「黒天、赤天、魔天、親衛隊の紋章だ!」
「レプリカだけどね」
「おおおお、俺が欲しいです先生!」
 それは軍に憧れを抱くものなら当然の反応かもしれないが、子供と張り合うのはなんて大人気ない。ラージャに呼応するように、遠巻きにしていた他の男達も口々に同じような事を叫んでいる。少年のような姿を見て、ヴァリアンテは笑って答えた。
「大きい子供は自分で集めるように」
「そうよ!おじさんたちは我慢してよ!」
 ジンジャーの叫びに、一同は一斉に静まった。『おじさん』という固有名詞を胸のうちで反芻して打ちひしがれる。魔力の強さで老化の幅は出ると言え、人それぞれだ。十三歳の少女から見れば立派におじさんなのだが、独身者も少なくないので複雑な男心だった。
「おじさん、ですか。なかなか淫靡な響きですね」
 初めて言われたに近い単語を、吟味する。方向性は問題だが。
「私なんて君たちより大分上なわけだから、立派におじさんだねぇ。新鮮だなぁ」
 カーシュラードの呟きをさらりと黙殺したヴァリアンテは、固まるラルフをなでながらしみじみ呟く。それを聞いていたジンジャーが引きつったような表情をして弟と同じように固まった。
「いや、おい…親衛隊長はなぁ?」
「…ああ、うん」
「先生は…、なんつーか…」
「俺らより年上、なのか…やっぱ」
 ビールジョッキを片手に持った男達は、自分と周り、微笑むヴァリアンテを交互に見つめて眉根を寄せている。外見だけで言えば、彼らが生徒だった頃と今のヴァリアンテに差違は無い。ダークエルフの血の御陰で、不老の体だ。
「お姉さんじゃないの?」
 ぽつりと、ラルフがヴァリアンテを見上げて言った。
 カーシュラードが多少の礼儀か横を向いて吹き出している。そのまま腹を抱え、壁に懐いて笑っているが、同じように爆笑出来る者はこの場に居なかった。見た目で嘗めてかかり、剣技訓練で地獄を見た者が何人もいるのだ。
「少年には夢を持たせてあげようね」
 微笑まれて嬉しかったのか、ラルフはヴァリアンテに無邪気な笑みを返した。
「バッチをありがとうございました、親衛隊長さん!ぼく、大きくなったら絶対に親衛隊にはいって、隊長さんをおよめさんにします!」
「…楽しみにしとくよ」
 カーシュの笑い声が途中で途切れた。漆黒の瞳が細められる。
「よ、よかったな!ラルフ!お前はもう寝ろ!アレグラ、ラルフを連れてってくれ」
「やだよ!ぼくまだ眠くない!」
 これ以上ややこしくなっては困る、とラージャは妻を呼ぶ。カーシュラードの一番近くにいた彼は、年端もいかない子供に対して冷静に嫉妬する姿を直視してしまった。これはまずい。大人げないどころではない。おっとりと妻が寄ってくれば、それにほっとした雰囲気が漂った。手を振って見送るヴァリアンテは、立ち上がって微かな声で呟く。
「きっと、君が親衛隊に来ても私は変わらず其処に居るだろうから」
 その意味が理解出来たのも、声が届いたのも、すぐ側に居たカーシュラードにだけだった。
「『私たち』は、ですよ」
 刀を立てかけ、彼は上着を脱いだ。目の前の兄を抱きしめられないのが、これ程辛いとは思わなかった。


Furthermore, it is the midnight
さらに深夜

「おや、ヴァリアンテの気配がする」
「…アナタってヴァルに目敏いわよネ」
 長身のクリストローゼの腕に手を添えて共に歩いていたドナは、鼻を鳴らして腕を振り払った。若干大またで先に進むと、タイトなスカートの隙間がちらちらと見える。
「厳しいね…」
 赤天師団を束ねるクリストローゼは、いつもの赤い軍服ではなく祭用の黒い揃えを着ていた。剣帯にまで装飾が施されており、端々に洒落たアクセントを忘れていない。その目線はさりげなくいつもドナの体の何処かを見つめていた。
 ドナはカーシュラードの助言を聞いて、限りなくそれに近いドレスを纏っていた。アップにまとめた真紅の髪は巻き毛が優雅に肩へかかり、尖った耳からは大粒の真珠。首まで詰まった襟は宝石のボタンでとまり、ちょうど胸元は扇型に開いて豊満な胸の谷間が見えた。むき出しの肩と二の腕まで覆う手袋。ぴったりと身体に纏わり付く生地の、片方の腰から大胆に開いたスリットからは霊印に彩られた脚線が覗く。
「…あら、カーシュ坊やも一緒なの。仲が良くて羨ましいワ」
 ピンヒールのサンダルで器用なほど小奇麗なステップを踏んで、ドナは明かりと喧騒が漏れる店に近づいた。扉にかけられた小さな札を爪で弾く。
「タンザナイトが貸切だわね」
「うちの軍と、黒天もいる。何だろう、同窓会かな」
「楽しそうじゃない」
 赤紫色のルージュをひいた唇を弓形に引き上げ、ドナはノブに手をかけた。
「…貸切って書いてあるだろうに」
 クリストローゼの呟きは殆ど聞き流された。
「オジャマしまぁす!」
 扉を開けてドナを襲ったのは、熱気と遮られていた騒音。ジョッキを打ち鳴らす音、音程の外れた歌声。良くも悪くも見事に酔っぱらいばかりが集まっている。体育会系の宴会は限度がない。
 ドナの声に気が付いたのは半分程度だ。突然乱入した美女に歓声があがる。もつれる足でフラフラと近寄ってきた。
「随分楽しそうねェ」
「あれ、なんでドナ御姉様が居るんですか」
「今日も堪らんカッコでうろついちゃって、まったく」
「そうそう、この谷間が犯罪なんですよ。逮捕しますよその胸を」
 酔っぱらいの戯れ語を歯牙にもかけないドナは、近寄る男を爪で弾きながら、目当ての人物に呼びかけた。
「ハイ!ヴァリアンテ、カーシュラード!」
 グラスで琥珀色の酒を飲んでいたカーシュラードは、目線だけでドナを見た。熱気のためかシャツをまくっているので両腕の霊印が顕わになっている。
 意識してか無意識か隣に座るカーシュラードによしかかったヴァリアンテは、ドナの名を呼んで手を振った。
「やあ、今日も綺麗だね――」
 幾分酔いが回っていい気分なヴァリアンテは、騒音に負けじと声を張り上げる。だがその言葉は途中で途切れ、ドナを見つめたまま瞳を見開いた。
「あ…っ―――!」
 小さく叫んで立ち上がろうとするヴァリアンテを、冷静な瞳で全てを見ていたカーシュラードが腰を抱いて止めた。
「!」
 泥酔者にあるまじき素早い動きと、酔っているからこそ予測できない奇妙な動きで、ドナの豊満な胸を強調するドレスに厭らしく手が伸びていた。目的は明らかだ。
 しかし、その指は肌に触れることすら出来なかった。
「ぐっ!ぎゃあ!いてぇええ!」
 不埒な行為に及ぼうとした手首を捻り上げられ、本気で痛がる男の悲鳴。
 すべてが一瞬のうちに起きた。尋常ではない叫びに、それまで気が付かなかった者達も何事かと店の入り口へ視線を向ける。
 そしてそのまま、理解が出来ずに氷のように固まった。
 漆黒のドレスをタイトに着こなした美女の背後に長身の男がぴたりと寄り添っていた。クリストローゼだ。いつも穏やかそうに笑みを浮かべる彼が、見たこともない冷酷な表情で酔っぱらいを掴み上げていた。
「俺の女に気安く触れないでもらおうか」
 鋭利な刃物の様な声。
 痛みを堪えきれない男の呻き声だけが、しんと静まりかえった酒場に雰囲気に溶け込んでいた。
「クリスト、うちの兵士の不届きな行いをお詫びします。―――…折れるからその辺で勘弁してあげてください」
 丸い氷の入ったグラスを煽りながら、カーシュラードが静寂を破った。腰に回した片腕はどさくさに紛れてそのままの状態で。
 我に返ったクリストローゼはめったに見せない素を晒してしまったことに顰め面を浮かべた。陰で怪力と囁かれているに相応しい腕力で握っていた手首を解放する。
「あとそれ、意図はどうあれ立派なセクハラ」
 身動きが取れ無いながらもヴァリアンテが呆れ顔で続けた。
 ドナは体術も得意である。彼女はその肢体を見せびらかすが不本意な接触は断固として打ちのめしていた。実際ギュスタロッサの剱の事もあり、露骨な衣服は趣味と実益を兼ねていると言って良い。
 蹴り上げようとした足がスリットからはみ出ている。持ち上げた太ももの内側、いつのまに滑り込ませたのか、蹴りを止めるためにクリストローゼの手の平が這っていた。
 ただそれだけを見ると、なんて卑猥な光景か。
「き…、きゃあッ!」
 ヴァリアンテの視線で自分がぎりぎりの所を素手で掴まれていると気付いたドナが、少女のような悲鳴と共に飛びすさる。
「『きゃあ』って、君、そんな声も出るのか」
 ドナという人となりを知っているその場の者達全ての声を代弁したのは、当のクリストローゼだった。
「う、うっさいわヨ!このセクハラ上司!咄嗟にそんな際どいトコロに手を突っ込むなんて破廉恥極まりないワ!!」
「…君の蹴りは南瓜も砕くだろう?私が止めなきゃ危なかったのだから不可抗力だよ。それに咄嗟の判断じゃなければ、私はもっと違うところを触っていたと思う」
「そんなだからアンタ女にモテないのヨ」
 趣旨がずれてきている。
 いっそ痴話げんかに聞こえて来たヴァリアンテは、自分を拘束する腕に爪を立てて解放させ、手を叩いて酔っぱらい達の注目を変えた。
「よし!美女も乱入したことだし!二回目の乾杯いこうか!」
「おおおおおお!」
 乾杯の掛け声と共に皆手にしていた酒を掲げて呷った。そして何事もなかったようにまた酒宴が再開される。こういう時、酔っぱらいはとても便利だとヴァリアンテは胸をなで下ろした。願わくば、殆ど忘れていますように。
 一応幹事であるラージャは念のため酒量を減らしていたのだが、勝手に乱入してきた剣位持ち二人に、節制や理性を放り投げて輪に加わる事にした。赤天の名物二人を素面で眺めているだけなんてもったいなさ過ぎる。
 新しいグラスに手近にあったワインを注いだヴァリアンテは、耳を赤く染めたドナに近付いた。
「真っ赤」
「ウルサイわよ」
 素っ気なかったり怒鳴ったりするのは、照れの所為だ。いつも女王然としている彼女は、不意打ちに弱い。
「『俺の女』だって。心配しなくてもよかったんじゃないか。良かったね」
「………うん。ありがと。ヴァル」
 受け取ったグラスを一気に傾けて空にする。
「ン。決めた。クリストが居るからハメ外して飲んでやるワ!」
 言葉の内容を理解していない酔っぱらい達は、ドナの宣言にただ喜びの鬨の声を上げる。ドナとヴァリアンテ、美女と美男子を中心に客達は一気にヒートアップした。目の保養とはこのことだ。どうか酒に飲まれて忘れませんように、と祈りながら。

「ワザとですか?」
「何がだい」
 ウィスキーのロックを片手にクリストローゼに近付いたカーシュラードは、唇の端に微笑を浮かべていた。何か企んでいる顔に見える。
「俺の女宣言とセクハラ。蹴りを止めるなら何も内股に手を突っ込まなくてもいいでしょうに。貴方も好きモノですよね」
「こらこら。若造が何を言うかな。兄弟で乳繰り有ってる君に言われたくないよ?私が居ることを解っていてヴァルを止めただろう。腰まで抱いて。この性悪のムッツリめ」
「何とでも。幸せですから痛くもありません。ヴァリアンテは遺伝子までも僕の物だと言い張れますからね。どさくさ紛れに主張している貴方とは違いますよ?
 想いに気付いているんだか、いないんだか。そのうち子供出来た、なんて言われて慌てておしまいなさい」
 鼻で笑ったカーシュラードに、クリストローゼはグラスに口を付けて呟いた。
「憎たらしい餓鬼だなぁ」
 ズバズバと言い合っているが、彼らは決して仲が悪い訳ではない。手酌で酒を注いだクリストローゼは、愛らしく卑猥な女性の後ろ姿を見つめている。主に腰を。
「それに、少なくとも私は、彼女似の娘を仕込むつもりだ」
 カーシュラードはそれを聞いて吹き出した。喧騒の輪から外れていて良かった。

 幸いなことに、ドナとヴァリアンテは二人の会話を聞かないまま夜は更け、祭の中盤を思い出で飾ることが出来たのだった。

  

たま様へ捧げます!リクエストありがとうございました!!
ちょうど色々連載しているものがガッツリシリアスだったので、とても楽しかったです。やりたいことを全部カットせずに詰め込んだら、なんだか本編並に長くなってしまいました。
『仕事中とプライベートな時間のヴァルとカーシュ』『モテモテなヴァルにやきもちを焼くカーシュ』というリクエスト。どちらか棄てがたく両方チャレンジしてみましたが、私がカーシュ好きだからなのか、ヴァルのモテモテ加減があまりお伝えできていないものになってしまいました…。ドナとクリストの登場も!とのことだったのですが、予想外に他の人物も出張ってます。ラージャさんはカーシュとヴァルのなれそめ話のときに出てきました。
余談ですが、ドナとクリストは将来出来ちゃった結婚です。イヤラシイ夫婦!内股わしづかみをどうしてもやりたかったんです(笑)。
ラージャの息子はホントに親衛隊に入ったと思います。家はジンジャーが継ぎました。
カーシュ40、ヴァリアンテ50代とかそのくらいの時代だとおもいます。お…おっさ(言っちゃ駄目)!
2007/05/28 贈呈

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