Liwyathan the Jet 2 RISE - 12 - Lei-Rianima

Liwyathan the Jet 2 RISE

 真円を画く月が、水面に柔らかな光を落としている。乱反射する波が幻想的にラーハスの島影をうっすらと浮き出してさながら絵画のようだ。そんな折り、扉を乱暴に叩く音が船長室に響いた。
「入るぞ、魅朧」
 声はパヴォネだった。気配で解っていた魅朧は、許可も無いのに立ち入ってくる男を一瞥し、顎で食卓を示す。だが彼は着席を断った。
「あえて一日待ったんだが、十分楽しんだみてぇだな」
 宝飾品をじゃらじゃらといわせて腕を組み、金髪が揺れる。その視線は魅朧を通り過ぎて食器を片付けるカラスの背中に注がれていた。
 風呂も済んでゆったりとした衣服に身を包んだカラスは、怠い身体を庇いながら動いている。武器も装備していない姿は、寛いでいると言うより無防備な印象。情事後特有の色香が漂っているものの、思考は全く感じ取れなかった。
 パヴォネは内心舌打ちする。今の今まで、カラスの感情を読み取ることが出来ない。それはカラスの意思なのか、魅朧の指示なのか。
「てめぇに待っててもらう義理なんざねぇが」
「なんだよ。お前らが絡み合ってる真っ最中に乱入してもよかったのか」
「お前が俺を待ってたわけじゃなく、俺がお前を待たせてやったんだ。俺の船ででかい面してんじゃねぇぞ」
「…おーこわ」
 肩を竦めたパヴォネは、にやけ面を突然に消した。
「魅朧」
 食卓に緩く腰掛けた魅朧は、金色の瞳に感情を表さずパヴォネを射抜く。
「カナリーナが生き返った」
 その言葉に我関せずを決め込んでいたカラスが振り向いた。
「俺には、解る。俺はカナリーナと繋がっている」
 月明かりの所為だろうか、パヴォネの瞳が輝き揺れて見えた。魅朧は瞳を閉じ、天を仰いだ。呆れているのか祈っているのか判断は出来ないが、神経を研ぎ澄ましている事を感じたカラスは、触れようとした手を引っ込めた。
「…俺の命令を覚えているな、孔雀」
「………ああ」
「ならいい。ただし流幽の元へ行くのは船が着いてからにしろ」
「…」
「愚痴も、後悔も、落胆も、嘆きも、吐くな。お前が消えるその時まで金糸雀を放さず、虜のように己へ監禁しろ。禁忌を犯した責任は、それで贖え」
「…言われ、なくとも」
 睨み付けるように挑戦的なパヴォネの視線を受け、魅朧は唇の端を吊り上げた。

 錬金術師の家の扉の前に立った魅朧とカラスとパヴォネの三人は、リディジェスターに迎えられて室内に入った。パヴォネはすぐにでも地下室へ行きたがる。窓の向こうから柔らかい日差しが差し込み、小鳥が鳴いている。そんな長閑さとは無縁の海賊が三人。
「もう少し、大人しく待っていてくれないか?」
 二匹の龍を前にして、一定の距離を置くリディジェスターにカラスは苦笑を零した。初対面の時からそうだったのだが、どうやらリディジェスターは龍族が苦手なようだ。
 お茶の用意という雰囲気でもなく、ただ無言で立ち尽くす。やはり耐えられなかったのはパヴォネだった、イライラと宝飾品を弄り地下室への扉を睨み付けている。
「孔雀」
 暴れ出しそうな雰囲気を窘めた魅朧は、それ以上何か言う前に黄金の瞳を細めた。縦長の瞳孔が扉の向こうを見透かす。
「家を破壊していないようで何より」
 半開きの扉から深緑色の頭が覗き、錆びた笑い声で呟く。錬金術師、セツだ。
「カナリーナは」
「そう急くな。今培養液を抜き終わった所だ」
「流幽。最後に、俺の質問に答えろ」
 半身しか見せぬ錬金術師に、魅朧は低く唸った。
「条件付けは『パヴォネの死に付随する寿命』だけだな?」
「そうだ」
「そのカナリーナは仔を孕めるか?」
「…何故それを聞く?」
「手前ぇからの質問は受け付けない」
 怒りと殺気に似たものが床を這っているようで、カラスは身震いを押さえる為に己の腕を押さえ込んだ。
 セツは方眉を上げて喉で笑った後、ただ一言「是」と、答えた。
 この錬金術師は、世界規模で最高の技術を持っている。人には敵わない、魔を取り込んでいるからこその完成度を誇った彼は、中途半端な妥協は一切しない。
 魅朧は舌打ちした後に眉間の皺を深めた。良いことなのか悪いことなのか、判断の出来ないカラスは魅朧を宥めるように広い背に手をあてる。撫でる背は、固かった。
「孔雀、条件をひとつ追加する」
「…安心しろ、もとより俺は望んでねぇよ」
「それでも、だ。無節操に繁殖期まで励まれちゃかなわんからな。絶対に、仔を残すな。残すなら他の雌にしろ。カナリーナに仔を孕ませる事を厳禁とする。相手がお前じゃなくとも」
 カラスは不意に思い出した。
『この世界で最強であるという事は、異界の影響は一切排除しなきゃいけないと同義だ。異界の要素が一滴も混ざっていないからこそ、ヒエラルキーの頂点に君臨していられる』
 魅朧がパヴォネを締め上げた後に船長室で語った言葉。
 パヴォネとカナリーナが仔を成せば、その仔は既に龍ではない。龍族に魔素が混じるという事だ。
 龍族の長としては、なんとしてもそれだけは回避しなくてはいけない重要な事項だった。魅朧は子供が好きだ。子孫が一族を担っていくから愛おしい。
「解った。誓う」
 瞼を閉じたパヴォネは比較的大人しく許諾した。面白そうにそれを見ていたセツは、注意を向けさせるべく扉をノックする。
「纏まったのなら、パヴォネ、お前だけ来い。刷り込みを行えば、あれはお前を認識する」
「ああ」
 パヴォネは頷いた。ゆっくりと扉へ向かうその指が、微かに震えている。二人の姿が消え、扉が閉まってから漸くカラスは息をついた。殆ど長嘆のそれに、魅朧が灰色の髪を撫で梳く。
「…これで、上位龍族の血を次ぐ仔が確実に二匹生まれない」
 無意識に呟いたような魅朧に、カラスは顔を上げた。一匹はパヴォネの仔、もう一匹は。疑問に思うまでもなく、カラスは理解した。もう一匹は、魅朧の仔だ。
 カラスは男だ。どれだけ頑張ったとしても、望んだとしても、子を成す事は出来ない。もし女だったとしても、人間であるだけで龍の仔では、ない。
「魅朧…、ごめん」
 彼が己の子を望んでいるなどと、今まで一度も聞いたことは無かった。だからカラスも気が付かなかった。気が付かない振りをしていた。自分には魅朧の子を作れない。けれど他人が魅朧の子を産むというのも、嫌だった。
 一瞬で燃えた嫉妬と罪悪感、それに混ざる絶望。
「カラス?」
 パヴォネが居る所為で、心情を読ませないようにしていたカラスを見下ろした魅朧は、俯くカラスに直感的な異変を感じた。自分は何を言った、それをカラスがどう受け取ったのかを、殆ど本能で勘付き、己の失態に胸中で悪態を付く。
「カラス。その考えを、止めろ。お前を傷付ける気は、なかった」
「…魅朧」
 それでも頭を上げないカラスを腕に捕らえる。力強く、掻き抱く。
「俺とパヴォネは、それほど己の仔に期待をしていない。むしろ、…いいか、ちゃんと聞いてろよ。俺と伴侶であるお前の間に、それが仔であろうとも割り込ませる気は無い」
 力を緩め、視線の高さを合わせれば、カラスの眉が下がり瞳の色がくすんでいた。愛する者を傷付けるなど、龍にとっては耐えられない。
「…俺がお前と会う前の事はあまりバラしたくねぇけど、確率的に言えば俺の血を継いでいる仔がいるかもしれない。俺はそれが嬉しいわけでもねぇし、興味もねぇ。さっきの言葉は、後悔でも落胆でもなく、ただの感想だ」
「……そう」
 小さな呟きに、魅朧は心底困惑した顔で唸る。
「くそ、障壁が邪魔くせぇなマジで。俺がお前にそんな顔をさせてるのか。その方が一大事なんだよ…。どうしたら俺を信じられる?」
 長く一緒に居たけれど、これほど魅朧が狼狽える姿を初めて見た。カラスは恥も外聞もなく慌てる魅朧の姿に、呆れ混じりの笑顔を浮かべた。
「俺の仔なんて例外なくお前に手ぇ出してきそうで、たまったもんじゃねぇんだよ俺としては。龍族の雄はな、雌ほど仔を大事にしねぇし、好きでもねぇ。子供は可愛いが、それとは別だ。同じ雄ならライバルに成るし、雌なら伴侶の対象外になる程度なもんなんだぜ」
「わかった。わかったから」
「……」
 捲し立てる台詞の数々に、今度はどう対処して良いかわからなくなる。自分の子供というものを想像しても実感できないが、魅朧の子を産めるとしたらそれは欲しいと思ってし自分も確かにいる。本人に告げる気はないけれど。
「本当だろうな。後で奥まで読むぞ、俺は」
「ああ、いいよ」
 珍しく素直な答えを返したカラスに、一瞬動きを止めた魅朧はありったけの愛情を込めて口付けを贈った。

***

 

 地下室から出てきた錬金術師は、自宅の居間で抱き合う二人を見て今すぐ追い出してしまいたい衝動に駆られた。リディジェスターは寝室に隠れているらしく、しかしそれは正解だと思う。
 彼は雰囲気など無視して、カラスに声をかけた。
「この間の答えを、聞こうか」
 ぴくり、と肩が揺れる。抱き合う姿を見られた羞恥というわけではなく、セツの言葉の意味を理解しての緊張か。何より魅朧に知られることを恐れていたカラスだ。内容は言っていないが、疑惑の一欠片でも与えたくはないだろう。けれどセツにとっては、二人の間で何を遣り取りしようと関係ない。
 魅朧の胸を押して身体を離したカラスは、迷い無く振り返り、錬金術師の黒い瞳を見据える。
「提案を、受け入れる」
 強い意志。不安が無いわけではないが、カラスに迷いは感じられない。セツは何も言わない魅朧を見た。普通であれば、何の取り決めをしたのかと刺さり込んで来る筈だ。それが無いということは、提案の内容を知っているのだろう。
 知っていて無言であるというのも、それはそれで怖いものだが。
「後から異議申し立てなんぞされても取り合わないからな」
「…しねぇよ。失敗したら、殺すかもしれんが」
「それこそ、有り得ない。俺を何だと思っている」
 錬金術師としてのプライドに爪を立てられたが、セツはそれほど怒りを表に出さなかった。結果を見て驚けばいい。
「では、さっさと終わらせてしまおう」
「…すぐ出来るようなものなのか?」
 身体を離しても魅朧の側からは離れないカラスが、セツに問う。
「お前にかけられている全ての術を解除してくれたら、すぐにでも。肉体を形成し直すわけでもないし、殆ど一瞬で施術できる。読み取りに若干時間を割くだろうが、気にする程でもない。後は、そうだな。髪を一房に、採血でもさせてもらえれば、それを代金として受け取ろう」
「情報だけじゃねぇのか」
 髪の毛一本でも渡したくない魅朧が茶々を入れる。
「それくらい安いもんだよ」
「カラス、しかしな――」
「ごめん、魅朧。でもあんたは、これに関しては俺に一任すると言っただろう?」
 確かにそう言った。己の言動を鑑みて、魅朧は唸った。
「セツは研究内容を外部に漏らしたりしない筈だ。今のところ魅朧と対立する理由もないから、それが不利に働いたりしない。後は、あんたに妥協してもらうしか、ないんだ、魅朧」
 カラスが魅朧を宥めている間、セツは施術の準備をしていた。テーブルの上に必要な器具を並べ、大量の紙束積む。
 ややあってカラスがセツの側へ来た。術の解除は呪文一つで事足りる。
「始めて良いか?」
「ああ」
 小さく頷き返したセツは、肘まで覆う革手袋を外した。
「上半身裸になってくれると――わかった魅朧、そう睨むな。ここまで見せてくれればいい」
 胸の下あたりを指して、セツは手袋を置く。一度手を握りしめ、手のひらを見つめて感触を確かめる。錬金術師にとって、手というのは最大の感覚器官だった。目で見るのではない、その手で全ての構造を識る。
「痛みはない。緊張する必要もない。リラックスしてくれるほうが、やりやすい」
「…善処する」
 とは言うものの、緊張は簡単にほぐれない。カラスはとりあえず深呼吸して瞼を閉じた。
「始めるぞ」
 錆び付いた錬金術師の声。
「怖いか?」
「怖くはない。少し不安なだけで…」
 鳩尾に冷たい手を当てられた。触られていると感じる前に、もう片方の手が額を覆う。
「…っ」
 ぴり、とした刺激と、髪が風で微かに揺れるような感触。それは一呼吸のうちに離れて言った。
 もう終わりなのかと目を開けたカラスは、紙束に両手を突くセツの手がわずかに発光している事に気が付いた。漆黒の瞳が閉じられ、ぐ、と両手に力を入れる。
 カラスは目を見張った。
 ジジジ、と耳障りな音と共に、白紙に文字が浮かび上がってくる。色取り取りの光を点滅させ、緩やかに増えていく文字が次第に速度を増してくる。瞬きを忘れて凝視していれば、紙端が戦慄き、束の下までいって止まった。
「…容量が多いな。紙が足りて何よりだ」
 今はすっかり黒い文字に変わった紙面を捲りながら確かめたセツは、満足げに微笑んでから椅子を引き寄せた。顎で指図されてカラスが対面に座る。
 大した痛みもなく注射器から血液を抜かれ、小瓶に密閉された。渡された鋏で灰色の髪を一房切って渡せば、それで終わりだった。
 自分の躯が変化しているとは、全く感じない。
「回路の切り替えくらいなものだからな。それ自体にかかる時間など一瞬だと言っただろう」
「そう、だけど」
「違和感を感じたり、変調を来すようなヤブと一緒にしないでもらおう」
 高慢な態度で言い放った錬金術師は、紙束を箱の中に納めた。あの中に自分の情報が入っているのかと思えば、カラスは目を離すことが出来なかった。
「終わりか?」
「ああ。後は好きに研究させてもら――」
 セツの言葉を遮るように、魅朧がカラスを引き寄せた。
「…」
 首筋に頭を埋め、どこか変わり無いか直に確かめている。感情を読むと言ったそれを大幅に範囲を広げて実際行う魅朧に、カラスは苦笑するしか無かった。魅朧なりに随分心配してくれていたのだから、無碍に扱う事も出来ない。
「ぅ…ひゃ!」
 濡れた感触を覚え、カラスが素っ頓狂な声を上げる。魅朧を押しのけて、首筋を押さえたまま後ずさった。
「魅朧、この…!」
「味見じゃねぇかよ」
 船内ならまだしも、人前で仕掛けられることが極端に恥ずかしいカラスは、毛を逆立てた猫みたいに威嚇する。魅朧は確かめた結果に安心したのか、両手を挙げて降伏のポーズをとりながらも、穏やかに笑っていた。
「もういいか?そろそろあっちも落ち着いただろうからな。俺の家でナニでも始められたら敵わん。連れ帰ってくれ」
 地下室への扉を顎で示したセツは、革手袋をはめ直してつまらなそうに言った。研究対象を手に入れてしまえば、他のものに興味はない。そんな態度だ。
 先に動いた魅朧が扉を開け、カラスが後に続く。開けっ放しの扉からは暖かい光が漏れていて、部屋に入ればパヴォネの背中が見えた。その腕の中に、女を抱いている。
 幼子が母を求めるようにしがみつき、パヴォネの肩は震えていた。肩越しに覗く女は、黄金の瞳で空を見ていた。癖のない金髪。小さな身体。
「言葉や、仕草、運がよければ徐々に思い出してくるだろう。今はただ入れ物に過ぎない」
 入り口の戸にもたれ、セツが誰にともなく呟く。
「肉体の生成は出来るが、魂は俺の領分じゃない。賭けに負けてそれをどうするかまでの責任はとらんからな」
 魅朧は錬金術師を一瞥し、パヴォネに視線を戻す。彼女は生前と全く変わらない姿でそこにいた。心情を読んでみようと精神を集中させたが、パヴォネの感情が邪魔をするのか上手く読み取れない。生まれて間もない赤子でも、まだ要求がはっきりしているだろうに。
「孔雀」
「…解っている。カナリーナ、俺はお前を…っ…」
 パヴォネの声は擦れ、低い。カラスはこの男が泣いていると、漸く気が付いた。大凡そんな感情とはほど遠いと思っていた。凶悪な海賊の見本のような男だと言われていたし、そう感じていた。その男が、たったひとりの女に縋り付いて泣いている。
「また、俺のために…、愛を歌ってくれ」
 返事がないと解っていながら、懇願せずにはいられない。パヴォネは自分の想いを、愛情を、感情全てを彼女にぶつけていた。
 落ち着くまでもう少し時間をくれと頼もうとしたカラスは、途中で自分の耳を疑った。

「いつでも、歌うわ」

 小鳥の囀り。
 春を喜ぶ美しい響き。
「え…?」
 カラスはカナリーナを凝視した。魅朧も、セツでさえ。
「カナリーナ…?」
 顔を上げたパヴォネが、愛する女の顔を覗き込んだ。聞き間違いでは、ない。これはカナリーナの声だ。自分が間違う筈が、ない。
「カナリーナ」
 しかし返事は戻らず、彼女は人形のように空を見続けていた。
 魅朧とカラスはお互いの顔を見合わせる。
 錬金術師は、肩を竦めて部屋を後にした。
 パヴォネは暫くカナリーナを凝視していたが、小さく笑った。艶やかな髪を掻き分け、彼女の額に口付けを落とす。

 小鳥が、遠くで囀っていた。


cerco intensamente di capire ma so che non ritornera l'amore, no
cerco intensamente di reagire ma so che non ritornerai indietro, no

わかっている、愛が戻ってこないことを
いいえ、そんなはずはない
でもわかっている、決して過去には戻れないことを

  

完結です。長々とおつきあい、どうもありがとうございました!
魅朧とカラスのコンビが脇役っぽいですね…。
2008.3.3

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