Liwyathan the Jet 2 RISE - 11 -

Liwyathan the Jet 2 RISE

 海龍はもともとあまり空を飛ぶ事が得意ではない。海中ならば他に類を見ない速度で駆けることが出来るのだが。しかし、鳥よりは小回りが劣るものの、それでも飛行ができないわけではない。流石に天竜には及ばないが、四枚の翼からなる飛行速度は他のどんな動物よりも早い。
 今、カーマ王国の上空を一匹の黒い龍が飛んで居た。闇色の空に紛れているから、姿は殆どわからない。けれどそろそろ夜明けが近い。漆黒の身体は明かりの下ではよく目立つ。
 目的の気配は間違えることがないから、龍は弾丸のように駆け抜けた。目的の森を見つけて急停止し、そのまま下降する。木々のすれすれで龍は姿を消して、小さな黒い塊になった。枝の間を抜けて器用に降りてくる姿は人間の女性と同じ。
 小さな足音と共に地に立った女は、金色の巻き毛をなびかせて、目的の二人が居る場所へと二本の足で駆け抜けた。
「ノクラフ!?」
「事情説明は全部後にしな。取り合えずコレを飲ませてやって」
 差し出されたものは、カラスが魅朧に渡された龍角とよく似たものだった。飲ませるといっても、魅朧はカラスに倒れ込んだままだ。意識の無いというわけではないが、動かない人間に何かを飲ませる方法など、カラスは知らない。どうしたらいいものかと戸惑っていれば、ノクラフが腕を組んで偉そうに言い放った。
「口移し」
「…は?」
「舌で押し込んでやれば反射で飲み込むから、早くしなよ」
 一瞬、どう反応していいのか解らず、カラスは硬直する。出来るかどうか以前の問題だった。そうしなければならない状況であることは、ノクラフの催促する表情でわかるのだが。
「別に今更照れる間柄でもないだろ?もっと凄い事までやってるくせに」
「……」
 否定は出来ない。反論したいような気分になったカラスだが、長引かせるより早く終わらせてしまうのが一番の近道だと判断した。何より魅朧が心配だ。
 光沢ある黒い粒を自分の口に含み、魅朧の身体を起こして口付ける。微かに瞼が開いたように見えたが、気にしてはいられない。薄く開いた唇をこじ開けて、口内の薬を押し込んだ。舌先で何とか奥まで持って行き、嚥下する音が聞こえた時はようやく安堵した。カラスは自分が目を瞑っていたことに気が付いて、今更ながら情けなくなる。
 唇を離してから少し、カラスの胸に倒れこんでいた魅朧が、突然咳き込んだ。寒さで吐息が白くなるのとは逆の、黒い霧のようなものが数度吐き出されてあたりに散って行く。
「大丈夫か?」
 本当に心配で、背中をさすってやれば、擦れた声で応えが返って来た。片手を上げてカラスの肩を叩く。
「あー…くそッ。内側から焼かれるとは思わなかったぜ…。海に浸かりてぇ」
「深海で除去しといで。あたしがカラスを船までつれてくから」
「悪ィな。途中で俺を海に落としてくれると更に助かるんだが」
 肩で息をする魅朧に、ノクラフは腕を組んだまま漸く笑った。尖った気配が消え去って、カラスも漸く安心する。
「もう大丈夫なんだな?」
 顔を覗き込んで聞けば、魅朧がいつもの笑みを浮かべて応えた。
「ああ、心配かけたな。あれの生成過程で織られた魔を無理やり消化してやろうと思ったら、どうやら逆効果だったらしい。外側から打ち消すことは出来るが、取り込む事は出来ねぇみたいだな」
「…さっきの黒い霧みたいなのって」
「純魔。あの程度の量なら大気に溶け込んで消える。しかもここはカーマだ。魔を放つ土壌としてはもってこいだしな」
 立ち上がった魅朧は、カラスに手を差し伸べた。引き上げて起こし、そのまま腕に抱きこんだ。
「…魅朧」
「いやいやいや。必死になってるお前が可愛くて可愛くて」
 力いっぱいぎゅうぎゅう抱きしめて、肩に顔を埋めたまま猫のように額を擦り付ける。魅朧らしい周りを省みないスキンシップに、カラスは呆れ顔をしてされるがままになっていた。こういう時の魅朧は何を言ってもきかない。せめてもの慰めにノクラフに助けを求めてみたけれど、彼女は石でも投げそうな表情をしていた。
「一応義務だから現況報告しとく。船はカーマ近海の無人島の影で待機。いつでも出発できる。小型艇でオベロアンに入港後、情報屋のピピがこれまでの報告書を置いてったわ。ドサクサ紛れで買出しも終わってる。
 パヴォネは暫く海底にいたらしいけど、アタシが出てくる時には船に戻ってたわ。なんかやたらはしゃいでて気持ち悪かった」
「……んの野郎」
 ノクラフの最後の言葉に、魅朧はどすを聞かせた悪態を付いた。
「ノクラフ、乗せてけ。戻るぞ」
 言うが早いか、魅朧は変体できる場所へと足早に進んだ。カラスとノクラフはお互いの顔を見合わせて微かに笑ってから付いていく。
「カラスならまだしも、雄を運ぶのって重くて嫌なのよね」
 ぶつぶつ言いながらのノクラフは、いつもの海賊風のゆったりとした衣服ではなくて、身体をぴたりと覆う素肌の露出が多いボンテージのような姿をしている。形の良い尻が殆ど晒されていて、一緒に歩くカラスは目のやり場に困った。
 パヴォネと初めて会った錬金術師の家へ迎えに来たときも同じ格好だったのだが、あの時は今ほど余裕はなかった。改めて見ると、なんて卑猥な姿だろう。
 龍が変体する時は身体のラインに沿った衣装に着替えている事が殆どで、魅朧などもよくツナギのような格好をしているが、雄が露出の少ない衣服であるのに対し雌は随分と過激だ。変体する時身に着けている衣類は龍本体の鱗と同じ意味を持っているので、その形は個人の好みなのかもしれないが。
 やがて樹木が開いた場所が見つかり、ノクラフは優雅な仕種で龍本体へと戻った。丸めて乗りやすいように気を使ってくれた手の平に収まって、魅朧とカラスはカーマを抜けた。

 

***

 陸地が遠ざかり、小島の陰に黒い海賊船が停泊している。既に夜が明けたのか、太陽が海面から顔を出していた。ここまで来れば誰かに龍の飛行を見られる事はない。
 すぐに船へ向かうのではなく、ノクラフは少し沖合いまで飛んだ。途中で海に降りる魅朧のためだ。指の隙間から海へ降りるのかと思ったカラスだが、ノクラフが魅朧を片手で水面へと放り投げた光景を見たときには絶句した。魅朧が何か叫んでいるような声が聞こえたが、確かめるには既にノクラフは旋回を終えて船へと飛行している最中だった。
 カラスを投げ落とした時もそうだが、ノクラフはそういう所がガサツなのかもしれない。単に面白がっているだけかもしれないが。族長である男を投げ飛ばすなんて、きっとノクラフにしか出来ないことだろう。
『あたしが子供の頃とか、よくああやって遊んでもらったもんよ』
 不意に思っていたことに返答を返されて、カラスはこれ以上ない程驚いた。
『なんかさっきまで解り難かったけど、今は読めるようになってきたわ。龍角飲んでたんだっけ』
「ああ、効果が切れたのか」
『龍血持ってれば長く効くけど、人間ならそのくらいじゃないの?さっき魅朧も飲んでたし、ついでだから角削って補充しちゃえばいいのに』
 ああ、ではやはり、魅朧に飲ませた黒い粒は角だったのだとカラスは納得する。
『いくら龍っていっても、中身は柔らかいからね。魔の侵食を止めるには内側から一気にプロテクトかけちゃうのが一番。長時間黙ってても分離出来るけど、本体じゃないと厳しいし。さっきのアレで全部の魔は排除したと思うけど、細かい体調を整える為に深海をひと泳ぎしてから、戻ってくるよ』
 気になっていた疑問を答えてくれたノクラフは、先にカラスを船の甲板へ降ろしてから人間の姿に戻った。軽い足取りで船橋へ向かう。カラスもそれに従った。
「ただいま、エルギー。魅朧とカラスを無事回収。カーマを離れていいって」
「進路は?」
「多分西。そのうち魅朧も戻ってくるだろうから、そしたら聞いてちょうだい」
 頷いたエルギーは船員達へ短い指示を出した。碇は下ろしていなかったのか、少ししてから船が滑り出す。
 さて船長室へ戻るかこのままここに居るかどうしたものかと思案していたカラスに、エルギーが声をかけた。
「上手くいきました?」
「ああ、概ね。…カーマは変な国だな」
 率直な感想と共に、カラスは大まかに全てを話した。ただ、パヴォネとそっくりの男がどういう態度であったか等は読心で読まれない様に厳重に心の奥へ閉まっておいた。
 話し終えてから、自分にかけている不老の術を思い出した。忘れていたなんて、迂闊すぎる、とカラスは歯噛みする。龍角の効果は切れているとは言え、自分にかけた魔術まで元に戻っているかどうか確かめる術は知らない。ならば魅朧が居ない今のうちにかけなおしておくに限る。
 昔はこんなことを思わなかったのに、今では追い詰められたような気分になる。気にしなくていい、なんて慰めは意味を為さない。結果と現実が全てだ。
 着替えると言い残して船橋を出たカラスは、船長室へ向かいながら自分にかけた術を一度消して、もう一度かけなおした。安堵。
 この不安が消えるというのなら、錬金術師の言を飲もうか。迷っているのではない。きっと自分は決断している。悩んだふりをしているのは、確かな証が欲しいからだ。
 カーマでの誘いは、論外だった。カラスの気を引く単語をいくつも並べ立てていたが、あの国に留まる気はさらさら無い。魅朧から離れることなど、今の自分には出来ないとカラスは知っている。それに、結局魔術を使うのなら、使い続けなくてはならない。それでは今となんら変わらない。
 ただ唯一気にかかるとすれば、今の自分を保っていけるのかという懐疑。錬金術師は何も変わらないと言っていたけれど、人形みたいなあの生態を見てしまえば恐怖が浮かぶ。保障なんて何一つ無い。信用も信頼も無い。あるのは、確かな相手の実力だけだ。
 身体を全て作り直すわけではない。スイッチを切り替えるだけだ。体内に魔を飼うわけじゃない。
 この海賊船にいる限り、いつ何時魔力が使えなくなるかわからない。反動が怖い。老いて後悔するくらいなら、全ての魔力を失ったとしても俺は錬金術師の力を借りたい。
 決意は固まった。自己納得という問答を繰り返していたとき、船長室の蝶番が軋んだ音を立てた。魅朧が帰って来たのだろう。カラスは思考を切り替えてソファから立ち上がる。
「おかえり」
「ああ。ただいま」
「案外早かったな。もう大丈夫なのか」
「余分な物も払い落としたから、全快だ」
 そう言って魅朧は懐から手の平大の黒真珠のようなものを取り出した。
「それは?」
「アレに使われてた孔雀の力を結晶化させたもんだ」
 さっきまでカラスが座っていたソファに無造作に放り投げた魅朧は、いつもより数段控えめな仕草でカラスを引き寄せた。
「ひとつ、お前に聞きたいことがある」
「…え?」
 動揺は必死に隠しきった。筈だ。
 魅朧にだけは知られてはいけないと、必死に隠してきた。不老の事を言っているのではないかもしれないが、思わず最初にそれを思いついてしまうのは、罪悪感だろうか。
「俺に隠していることは無いか?」
「隠していること?」
 無いよ、とすぐに嘘を付けなかった。隠し続ける事は覚悟できても、魅朧に嘘をつこうとは思っていない。非道になりきれない自分の性格に舌打をしたとカラスは思った。
「孔雀の一件からこっち、お前に理解できて俺には解らない問いかけをよく耳にする。俺は勘ぐりすぎか?」
 カラスは黙った。咄嗟に言い訳が思いつかない。
「きっかけが今回の事件ってだけで、大分前から何か隠していただろう?流石に俺だってな、お前の全てを曝け出せとは言わんさ。お前が俺の不利益になるようなことをする筈はねぇし、規模がでかいことならとっくに発露してるだろう。
 言いたくないなら言わなくていい。きっと俺は二度と聞かない。忘れてやるよ」
 問い詰めるような口調だったのなら、カラスは意地になったかもしれない。けれど魅朧の語る声は優しく穏やかだった。カラスが魅朧の側に居ついた当初は、魅朧にも余裕がなかったからなのか、感情を締め出そうとするたびに魅朧を怒らせていた。けれど月日が落ち着きを取り戻させたのか、カラスが対応に慣れてきたのか、ひとつふたつの隠し事に魅朧は何も言わなくなった。無関心とは違う。それを許す度量が広くなったのだろう。それが嬉しくもあり、寂しくもある。
 だからカラスは、今のように魅朧から本心を告げられると弱かった。嘘だけは許さない魅朧の黄金色の瞳を直視できなくて、カラスは俯いた。小さな溜息を付かれる。
 呆れられたのかと思って直ぐに顔を上げれば、魅朧は変わらず笑っていた。
「…あの、さ」
「無理すんなよ。強いたいわけじゃない。お前は俺に我侭を言ってくれないからな…。もっと駄々こねてくれてもいいんだぜ?」
 子供をあやすみたいに、二、三度頭を撫でられて、カラスは悔しくなった。
「アンタは、ずるい」
「そうか?」
「俺に逃げ道を残すくせに、逃げる気を削ぐ」
 抱きしめられる腕が、厚い胸板が、広い背中が、羨ましい。こういうときにどうして自分は人間なのだろうと悔しくなる。
 悔しくて、恥ずかしいから、カラスは魅朧の胸に顔をおしつけて表情を読み取られないように逃げた。
「これから言うことは、アンタに何を言われようとも止めない。アンタからの意見は聞かない。他に何をしても、されても、どうなってもいい。一生に一度の俺の我侭なんだ」
「カラス?」
「聞けよ。…聞いてよ、多分一回しか言わないから」
 優しく腰を抱いてくれる腕に安堵する。話が終わって振り払われたら、きっと絶望するだろう。与えられる愛情は麻薬よりも強くて抜け出せない。
「俺の身体は魔力で老化をぎりぎりに止めている。本当ならもっと老けてる筈なんだ。それが怖くて、俺はずっと魔術を自分にかけ続けてた」
「…なんで、んなこと」
「俺の…!俺の、エゴだ。まさかこんな女々しいことで悩むとは思わなかったんだけどな。俺自身が老いていくことに耐えられなかった」
 朝起きて自分が魅朧より年を取っていたなんて、悪夢を何度見ただろう。
「魔術は万能じゃない。魔力が使えなくなる事を何度か体験して心底感じた。これ以上怖いことは、無い。人間を止めた寿命が欲しいわけじゃない。ただ、そこに手段があるのなら、アンタが嫌いな魔でも錬金術でも、俺は利用する」
「何言って」
「俺は、あの錬金術師に老化を止める施術をしてもらうつもりだ」
 一番重要な事を言ってしまえば、一気に力が抜けるようだった。だがカラスは警戒心に似た気配を纏ったまま魅朧を伺う。幸い腕はまだ離れていかない。
「…流幽に何か吹き込まれたのか?」
 声は非常に堅かった。魅朧も考えている。そして何て答えていいのか、考えあぐねている。
「対価は俺の遺伝子情報。今まで混血すぎて差別されることはあっても、混血に価値を見出したのはきっとあいつくらいなもんだろうな」
 魅朧は混血云々など最初から気にしてすらいないから論外だ。
「老化を止めるだけで寿命はいじらない。だから魔を埋められるわけじゃない。ただ回路を変えるだけ」
 良い訳じみてしまうのは、自分が正しくないと微かでも思っているのだろうか。語りながらカラスは自問した。この命は魅朧のものだけれど、自分にだって譲れないものがある。
 意思の強さは魅朧に伝わっていた。触れ合っているから確かだ。カラスが老けていようと歩けなくなったとしても、手放す気は無い。そんな軟弱な気持ちでつがいにしたわけではない。魅朧は、自分の他に人間のつがいを得た龍の話を何度か聞いたことがある。それを思い出した。
 龍がどんなに愛していても、時間が経過するほど精神を病む人間のほうが多い、と。それは女に多いと言うけれど。外見の美醜よりも感情の美醜を選ぶ龍にとって、精神が弱っていくのを見る事がが何より辛い。
 種族の齟齬というものは、決して交わる事がない。知ることは出来ても理解は及ばない。龍の人間型の外見年齢は、幼い時は年齢と外見が比例するが、力を制御出来るようになってくると好きに変えることが出来る。精神年齢をそのまま外見に出す者も居るし、魅朧やエルギーのように青年の姿を保持する者もいる。パヴォネなどは、若い時から自分の好きな外装を研究していたという。
 その都度外見年齢が違えども、龍族同士ならばその気配で個を判断できるから問題ない。だからなのか、龍は人間が肉体と共に老化していくという事を忘れがちだった。カラスが人より老いないという事実に気が付きもしなかったのは、船のメンバーが全員何も変わらなかったからだろう。
 今更気が付いて、舌打ちしたくなる。
 魅朧は確かに魔を嫌悪している。それは龍という種族の頂点に君臨しているからこそだし、そうでなくては龍種最強と呼べない。
 けれど、愛する者が魔力を持っていることは確かだし、彼が術を使うことを許可している。カラスにしか許していないことは、贔屓もいいところだが、利己主義の龍であれば珍しくもない。
 どんな我侭でも叶えてやりたいと思う気持ちと、遺恨ある錬金術師にカラスの遺伝子を知られることが憎いと思う気持ちが、せめぎあっている。
「もし、そのままのお前でなければ愛せない、と俺が言ったらどうする気だ」
 過程の時点で過程以上の何物でもない、現実に起こりえない話ではあるが、魅朧は聞かずにはいられなかった。
「アンタに捨てられたら、俺は野たれ死ぬしかないだろうな」
 カラスの返答は早かった。反射のように。
「お前なら他に幾らでも生きていく道があるだろう」
「無いよ。有るわけ無い。アンタの側に居られないなら、俺は自分なんかいらない」
 魅朧の胸に顔を押し付け、服のすそを握る仕種は、縋り付いているよう。けれどカラスは同情を求めているわけではない。
「なら、流幽の力を借りることを止めるのは」
「それも嫌だ。遠くない未来に、俺はアンタに見られることが、きっと耐えられなくなる。アンタの為じゃない。俺は、自分のためにそうしたいんだ」
 魅朧は長い長い溜息をつきながら、カラスを力いっぱい抱きしめた。怨み混じりの抱擁にカラスが呻く。それでも止めない。
「我侭言ってくれていいっつったけど、お前が俺のつがいになって最初の我侭がこんなに悩むもんだとはな」
「…くるし、魅朧…ッ」
「俺はお前が爺になってもボケても変わらず愛してやれるんだが」
「そんなのは、俺が嫌だ!!」
 ここまでくると、魅朧は苦笑するしかなかった。
「オーケー。わかった。判断はお前に任せる。お前のほんの一部だろうと、俺以外の野郎が知ってるっつーことが腹立たしいが、そのへんは飲んでやろう」
「別に全身検査されるわけでもないから、妬くなよ」
「俺の独占欲甘く見んなよ?お前の髪一本だって誰にも触らせたくねぇのに。俺以外の力でお前が満足するのが、正直辛い」
「…だから、言いたくなかったんだ」
「後から言われるよりマシだ。俺はな、お前が本気で望むなら、叶えてやりてぇんだよ」
 それは確かな本心だった。龍というのは、そういう種だ。相手を自分のものにするかわりに、愛情を注ぐことに余念が無い。
 力いっぱいの抱擁を解いた魅朧は、話の間中怯えをちらつかせていたカラスの心情を余すところ無く読んでいた。怖がられることに弱い。助けてやりたくなるのだ。どうせなら、泣き顔よりも笑顔が見たい。
 カラスが断言していた通り、魅朧の意見に用は無い。許すも許さないも無い。従うことしか残されていないから、魅朧は頷いてやることが最良の選択なのだ。
「ただし、それ以外であの錬金術師に係る事は認めねぇからな」
「…ああ」
 俺はパヴォネとは違う。そう言おうとして、言えなかった。何処に違いがあると言うのか。
 自分のために寿命をねじ伏せて愛する者を造る行為と、愛する者の側に居る自分に満足を得る為自分を作り変える行為と。どちらも自分本位で利己的だ。
 パヴォネ相手には怒り狂ったのに、カラスのためならば己すら曲げてみせる魅朧に、龍という種が愛おしくて仕方ない。
「…泣くなよ、カラス。大したことじゃ、ないだろう?」
 涙は零れていないけれど。今はもう、一切の障壁を取り払ったカラスの感情を深くまで読んだ魅朧は、そう言わずにはいられなかった。
「アンタが優しすぎて、…困る」
 自分の我侭が少なからず魅朧を傷つけることは解っていた。だから絶対に知られたくなかったし、教えたくなかった。
「本当に、言う気なんてなかったのにな…」
 微かな囁きは震えが混じっていた。
 魅朧はカラスが願うどんな事でも叶えてやりたいと思っている。実質的な問題は勿論の事で、精神的にも。しかしどれだけ偉大な龍王でも、カラスの願いを叶える事は難しい。
 手段があるのなら利用する、と言っていた。ならば自分は黙って認めてやろう。それがカラスの願いなら、選択肢はひとつだ。
「いいか。これだけは勘違いするなよ。俺はお前が若かったから惚れたわけでもないし、これからもお前が若いから愛してるわけじゃない」
「魅朧」
「俺に対して負い目を感じる必要も、罪悪感を覚える必要もない。自分が望んだのなら自信を持て。…ただひとつ言わせて貰うのなら、そうだな、あまり人には教えるな」
「言えないよ、人としてずるい行為だと解っているから」
「不死を実行するわけじゃねぇから外道とは言わんさ。…流幽を困らせるために、いっそバラしてやりてぇと思わなくもないけどな」
 へっ、と鼻で笑った魅朧は、有無を言わさずカラスを抱き上げた。そのままベッドまで運んで行き、優しく降ろして押し倒す。
「…どういう流れでこうなるんだよ」
 呆れ混じりのカラスの呟きは、口付けで啄ばんで黙らせる。
「前にしてから時間経ってるだろ?バタバタしてたしな。進路はラーハスだ。大洋横断ルートだから、時間がある。有意義に使わなきゃ勿体無ぇ」
 これは本当に魅朧に知られたくないことだが、今までカラスとしては短くない時間を魅朧と過ごして来た。同衾する機会は毎日という訳ではないが多い。きっと今後も同じように続いていくだろう。だから、自分が年老いてしまっても求められるのかと思うと、ぞっとするのだ。出来れば出会った当時のままで居たかった。
 身体能力を保持していたいのと、抱かれても許せる身体でいたいのと、不老を求める理由は半々。
 本当に、随分と利己的になったものだ。
「カラス?」
 心の奥底に留めている理由を思い苦笑を浮かべたカラスを、魅朧が呼ぶ。
「…なんでもない。アンタのことが好きだな、と思って」
 魅朧に出会う前までは、未来のことなんて考えさえしなかった。それなのに今は目の前の男のことしか考えられなくなっている。革命的な変化だ。
 城へ出向くために着せていた豪奢な衣服を脱がせていた魅朧は、カラスの言葉を噛み締めるように動きを止め、それが事実であることを触れ合った感情から確かめる。
 にやりと口角を上げ、いつものニヒルな笑みを浮かべて、魅朧は身体を倒した。脇腹に指を這わせながら、カラスの耳の縁を舌先で舐め上げた。
「…俺も同じだ」

***

 隠していた事を暴露したからか、随分心が軽くなったように感じる。カラスはそんな微かな変化に、自分は現金な性格だと自嘲した。
 うつ伏せで腰だけ上げられた格好で背後から責められ、漸く解放に至った。荒い呼吸が落ち着き、痺れるような倦怠感が全身を支配している。カーテンを締め切ってあったので気が付かなかったが、布の隙間から朝日よりは光度の増した明かりがさし込んでいて、今が日中だと意識した。
 徹夜ではないが、深夜から気を張る出来事が多かった為身体が疲労している。それなのに精神が妙に昂揚していて、落ち着かない。
 自分でも嫌になるくらい甘い吐息を零したカラスは、覆い被さっていた魅朧が起き上がり、爪先で背筋をなぞられてびくりと身体が強張った。
「ちょっ…、待て…ッ」
 この状態で不埒な行動を取られると、敏感に反応してしまう。
「明るいと全部見えていいよな」
「は!?」
 背中をあちこち探っていた魅朧の指が、腰にあるカラスの古傷を辿っている。刺し傷だろうか、裂傷だろうか、痕が残る程だから、結構な傷だ。
「それ、アンタに、会う前の…、ん…ぅ」
 どうせなら俺が付けた痕ならいいのに、と傷を負わせる事が出来ないのに思ってしまうのは、魅朧の独占欲に他ならない。
「羨ましい」
 本心は隠して呟けば、カラスが不審に思ったのか首を廻らせる。
「なんで」
「龍は外傷に強くてなぁ。お前に付けられた傷も結局治っちまっただろ。せっかくの記念なのに、永久代謝細胞ってのもやっかいだ」
 魅朧とカラスの出会いは、お互いに忘れることが出来ない。カラスは、人間なら掠っただけでも致死量である毒を仕込んだナイフで、魅朧の頬を切り付けた。
 瀕死になることもせず、その後カラスを捕獲した魅朧の頬には毒の所為で暫く野性的な裂傷痕が残ったが、月日が経つに連れて消えてしまった。勿体無いと、思っていた。
「永久…なに?」
「永久代謝細胞。切断されたら流石に問題あるが、ただの傷なら一日かからず治癒しちまう。そういえば、カーマの将軍。赤毛の野郎も持ってんじゃねぇかな。半分魔物だったろう、あれは」
「…んッ、く…ぅ」
 話しながら身を引いた魅朧は、絡みつく柔肉を楽しみながら剛直を抜いた。古傷に唇を寄せ、吸い上げて赤く痕を上書きしてから、カラスを反転させる。正面を向いた身体を凝視した。
「見ん、なよ…」
「見せろよ」
 視線に耐えられず、カラスは目元を赤く染めて身を捩った。残念に思いながらすかさず覆い被さった魅朧は、好き勝手に皮膚に吸い付き、甘噛みする。
「…っ…、半分魔物って、なんでそんなの」
「他の男の話は終わり」
「アンタが振ったんだろう…」
 舐められ、齧られ、それでも食い下がらないカラスに、魅朧は喉の奥で笑う。胸の突起を舌で押しつぶし、反対側を指で摘んでやれば、必死で抑えた喘ぎを漏らして背を反らせた。
 連続で性急に求めるのは可哀想だからと、魅朧は一端唇を離す。濡れた突起を指の腹で弄りながら、会話に戻った。
「純粋な人間じゃねぇのは臭いでわかるが、最後にごちゃごちゃ言ってただろう。それではっきりしたんだけどな。赤毛の将軍はダークエルフの血を継いでる。ダークエルフは魔物だ。永久代謝細胞は基より、魔物に老化は無い。寿命はあるが。あの外見の有に倍は歳食ってるはずだぜ?」
「ああ…。ぅ…ンっ、それで、あんなこと」
 魔天師団長と名乗った男が、不老とダークエルフの事を口走っていた。今更気が付いても仕方の無いことだが。結論はやはり変わらない。カラスは研究がしたいわけではないのだから。
「他に質問は?」
 カラスの胸元から上目で射抜いた魅朧の瞳は獰猛な肉食動物と同じだった。次を食らわせろと要求している。
「ない」
 もし有ったとしても、言える雰囲気ではない。
「いい返事だ。後は俺の事だけ感じてな」
 挨拶のように唇へキスを贈って、魅朧はカラスの両足に手をかける。膝の裏側に手を入れて左右に開けば、広がる光景に目眩を感じる程興奮する。
 キスマークの痕、一度目の解放で飛んだ精液、形を変えた性器、さらに奥ではすでに受け入れる事に慣れた秘部が厭らしく濡れていた。魅朧が中で放ったものが、染み出してきたのか、それとも先走りや律動で掻き回された名残か、両方か。
 降伏するように身を晒すカラスが、愛おしい。普段は爪を立てる野良猫であっても、従うべき相手を知っている。人間よりも独占欲と支配欲が強い魅朧には、カラスの絶対服従という行為がこれ以上ないほど満足させてくれる。
「…だから、見んなって」
 押さえつけられているお陰で身体を隠せないカラスは、ついに両腕を覆って顔を隠してしまった。今更恥ずかしがる仲ではないのだけれど、きっと一生慣れないのだろう。
 くつくつと喉で笑う魅朧は、それ以上焦らすような事はせず、両足の間に身体を割り込ませた。しっかり硬さを取り戻した雄の先端を、倒錯的に濡れてひくつくカラスの秘孔へ宛がい、数度擦り付ける。
「ン…、は」
 来る衝撃に身構えたカラスが力を抜いた隙を見計らって、魅朧は腰を突き入れた。どの程度飲み込まされているか解るように、あえてゆっくりと。
「ァ、あ、あ、あ…」
 途切れ途切れに聞こえる喘ぎは普段からは想像がつかない程甘く淫猥だ。
「これで、全部。…気持ちいい?」
 繋がったまま身体を倒して唇を啄ばめば、若干苦しそうに眉を寄せたカラスの目尻が赤く染まった。
「知るか…ッ」
 早口の悪態は完全に照れ隠しだ。
 特に追求する気は無かった魅朧は、身を低くしたまま律動を開始する。じれったい抽挿。どんな状態のものが動いているのかいちいち馴染ませるようにしてぎりぎりまで引き抜き、同じスピードで緩やかに埋め込む。
 体重を支えるためには必要ないもう一方の腕がカラスの身体をあちこち撫で、その舌は性感帯の上を這う。
「…やッ、…ぁ…んん、は…っ…」
 至る所からの与えられる刺激に、カラスの意思と関係無く、受け入れた個所がひくひくと蠢く。その度に体内を貫く物を確認してしまい、そのゆるやかな動きと伴って苛んだ。
 もっと早く。奥までちゃんと突いて欲しい。こんなもどかしい刺激じゃ拷問だ。乱暴でも、いいから。
 口に出しては言えないカラスは。快楽の涙を浮かべながら魅朧の腕に爪を立てた。
「…ッ」
 生の感情をぶつけられた魅朧は、咄嗟に息を詰めた。実際に声を出して求められるより、よっぽど効く。
「も、ほんとお前って最高」
 低く唸って、魅朧は身体を引いた。足を抱え上げ、先端から根元まで一気に捩じ込んだ。一際高く鳴いたカラスの声と、交合個所から響く淫靡な音に興奮する。動きの速さを表すような濡音と、肌を打ち付ける音。立ち上がったカラスの欲望が魅朧の腹に擦られる音。色々な音色が響いて、それがすべて快楽へ直結している。
「…あッ、は…っ…ン、んぅ…く…ッ!」
 この期に及んで見られたくは無いのか、枕に顔を押し付けたカラスは、それでも堪え切れない快絶に背を撓らせた。
 突き上げに連動する喘ぎを心地よく聞きながら、魅朧はカラスの手を掴んだ。指を絡めて、握ってしまう。
「凄ぇ音。…聞こえるだろ?」
 顔を耳元へ寄せ、顔や耳の縁を舐めながら囁く。
「なぁ…、カラス」
 魅朧は故意に音が響くような動きを繰り返している。そうやってカラスの羞恥を煽っている。返る反応が堪らなく好きだった。睨んだり、怒ったり、泣いたり、懇願したり、愛欲に咽いだり。
 すると、隠れるようにしていたカラスが涙目で魅朧を睨みつけ、そのままの表情で目の前の唇を奪った。
 黙れ。真剣にやれ。
 流れ込んで来たのはそんな感情。勿論魅朧に否やはなく、柔らかい舌を堪能すべく、口腔を犯した。
「ンッ、ん、…ん…ぅ!」
 くぐもった声は子犬か子猫のようで酷く危うい。限界が近いのだ。
 指も舌も絡め、腰の動きを追い上げる。技巧は関係無く、本能が求めるままに。言葉は要らない。必要なのは、欲望と愛情。
 爪を立てるカラスの指に力が入り、甲高い悲鳴が上がった。痙攣するような快楽の波に翻弄され、カラスは性を放つ。それに引きずられた魅朧は、一際奥に肉欲を食い込ませ、熱い飛沫を迸らせた。
 荒い呼吸が支配する船長室で、後に残ったのは、倦怠と疲労と、充分な満足感だった。

 そろそろ昼過ぎになる。相変わらず船長室のカーテンは閉められたままだった。
「一緒に老けるって手もあったんだけどな」
 ベッドの上で、腰にシーツを巻きつけた魅朧はぽつりともらした。
「俺だって結構な歳くってるしな。本体年齢にあわせた外見、見せてやろうか?」
「それは、見たいかもしれない」
「…歳の差考えて引くなよ?」
「引かないって。そんなの考えたことも無い」
 胡坐をかいた魅朧は、鬣のような髪をぐしゃりと掻き分け、そのまま俯いた。どういう変化をするのかと黙って凝視していたカラスは、ふいに魅朧の気配が変わったことに気が付いた。
 側面しか見えないけれど、具体的な変化はわからない。肌の艶がなくなっているとか、腹が出ているとか、髪が薄くなっているとか、酒場のオヤジ達の印象ばかりが残るカラスは、魅朧には悪いがわくわくと変化を待っていた。
「あー…」
 肩を回して髪をかきあげ、発した声はいつものそれより幾分低めだった。そう、龍本体に戻った時の深い音程と同じだとカラスは気がついた。
 体ごと正面を向いた魅朧はいつもと変わらぬ笑顔を見せた。
「……」
 肉体には衰えた所があまり見えない。今より少し体格がいいように思うが、肌の張りや筋肉はそのままだった。顔を見れば確かに、二十台の時よりは老けている。目尻に笑い皺ができている。鋭さと野性味が抑えられ、重厚な年輪を刻んだ落ち着きのようなものが感じられた。
 明らかに歳を重ねてはいるが、一概に老けていると表現してしまうのは勿体無い。カラスは言葉に詰まった。面と向かって「格好いい」など言ってやるのは癪だ。
「…ずるい」
「は?」
 それは魅朧がもともと美形だったからなのか、龍という種がそうであるのか定かではないが、人間であるカラスから見ればなんて羨ましい変化を持つのか。男であるカラスから見て、羨望と嫉妬に値する。
「美形って老けても美形には変わりないんだな。いいよな魅朧は」
「なんだよそれ。誉めてんのかひねてんのか分かんねぇな。つうか、お前もあんまり変わんねぇと思うんだが…」
 雰囲気や外見に年季が見えても、中身や口調はやはりいつもの魅朧だ。その違和感に笑いそうになる。
「俺と魅朧は違うよ。絶対。あーあ、ドラゴンってほんとずるいよな」
 方眉を歪めて苦笑する魅朧が様になっていて、それ以上見ていられない。心臓がいつもより早く脈打っているのは、きっと勘違いだと自分を騙した。伽の最中を思い起こさせる低く擦れた声色が、耳に悪い。
 背を向けて、表面上拗ねたポーズを取るカラスは、自分の感情が筒抜けになっている事を忘れていた。傍にいる事で過敏に感じ取れて、魅朧はくすぐったくて仕方ない。
 もともとの魔力値が高いカラスは、そこまで顕著な老け方はしないだろうと予測出来るし、整った造形はそのまま衰えないだろう事は想像に難くない。
 本人はまったく自分の美醜に無頓着だし、いくら顔も体も綺麗なんだと教えても信じようとしないからあまり言わない魅朧だが、自分が与える影響がカラスにとって害になっているとひとつだけ思うことがある。
 龍は魔を退ける。
 魅朧に抱かれるカラスの魔力値は、微々たる物だが減ってきている筈だ。日々の些細な変化であるからすぐに気が付くとは思えないが、そのことがきっとカラスの負担になるだろう。カラス自身にかけつづけていた術というのがどれほど魔力を消費するかわからないが、遠くとも将来に影響が出ることは確実だ。
 魔力に依存する生というものを魅朧には実感できないが、存在意義の中に高魔力値という自信を位置付けるカラスにとって、魔力が消えていくのは耐えられないだろう。きっとそれは海中で呼吸が出来ない事と同じように辛いのではないかと思う。
 恨まれるかもしれない。そう思うと迂闊に暴露出来ない。
 カラスの背に覆い被さり、こめかみへ優しくキスを施した魅朧は、いつか来る未来に怯える。龍は愛するものの前では強くもなるが弱くもなる。
 カラスの願いは渡りに船だ。だが、自分の宝を触られることに対する怒りも嘘ではない。葛藤に折り合いをつけることは楽ではないけれど、出来ないことではない。
「カラス」
 呼ぶ声は答えを求めているものではない。その声色がいつもの魅朧と違っていて、原因は自分だろうと分かっているカラスだが、何も言うことは出来なかった。謝罪するのはおかしい。感謝を述べることも違う気がする。

 その日二人は、お互いを決して離さないとでも言うように、寄り添って眠りについた。

  

長かった
2007.8.13

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