LION 2

sep krimo [ ThePride ]

 ラジオはオフにしたまま、犀川は車を走らせた。大通りを抜けて、路地に入る。車が一台張り付いてきていた。ウィンカーをあげて、薄暗い路地へと入り込む。一気にアクセルを噴かして姿を消すと、追尾車が焦って付いてきた。
  この道は行き止まりである。
  突き当たりに犀川のスポーツカーが止まっていた。その中に人影はない。
  追尾車は数メートル手前で止まり、暫く様子を窺っていた。ターゲットが見あたらない。運転手が車を降りるかバックして戻るか考えた一瞬の隙で、黒い影が視界を遮った。
  ドン、と凄い音がして、ボンネットがへこんだ。
「な……!」
  運転手は驚愕に目を見開いて、ボンネットをへこませている原因を見つめる。革靴から上に辿っていけば、薄く笑みをはいた犀川が立っていた。谷間の風にコートがはためいて、必要以上に危険に見える。
  ギアをバックに入れて、アクセルを踏み込もうとした瞬間。パスッ、という軽い音が二度。
「便利な世の中になったもんだな」
  薬莢が二つ、へこんだボンネットに当たって地面に落ちた。
  サイレンサーの付いたハンドガンを片手に、犀川は葉巻を銜える。
「中年男の肉は硬い。前菜にもなりゃしねぇ」
  音も立てずに地面に降りたって、ジッポーで火を付けた。
「アンドロマリウス、ハウレス、ガープ。車ごと消してしまえ」
  犀川の影が揺らめいて、6本の手が伸びた。
  忽然と、追尾車が消えた。

「おかけになった電話は、電波の届かない場所におられるか、電源が入っていないため――」
  セリカは途中で電話を切った。
  おかしいわね。
  もう三度目になる電話も、やはり通じることはなかった。犀川の身辺調査を任せていた運転手に連絡がつかない。
  午前中に一度、犀川類に関する資料がメールで送られてきた。
  犀川トレーディング代表取締役。小会社だが、年収は高い。顧客の影はないから、自分で稼いでいるのだろう。大小いくつもの株を保有し、未だ記憶に残るコンピューターウィルス拡大による新貨幣切り替え混乱事件で、莫大な利益を上げたらしい。
  会社の社長。肩書きだけなら立派だが、ちょっと物騒な金回り。
  だが秘書が一人だけであれだけの利益を上げるのなら、私の側においてみたい人材ではある。
  報告書をもう一度呼んでいると、卓上の内線が鳴った。受話器を手に取る。
「社長、犀川様という方がお待ちですが、如何致しましょう?」
  もう、そんな時間なの…。
「待たせて置いてちょうだい、今からそっちへ行くわ」
  パソコンの電源を落として、ハンドバッグとコートを手に取る。食事はこのままで大丈夫。イブニングドレスではないけれど、品のいいスーツだ。色はグレイのウィンドウペーンで三ボタンのテーラード。スカートの丈は膝から少し上。シャツは無地だけれど、ネックレスはダイア。
  働く女としては申し分なく完璧なシルエット。
  勝負をしに行く面持ちで、セリカは社長室の扉を開けた。秘書達がいっせいに立ち上がり、セリカに礼をする。
「お疲れさまです」
「ご苦労様。後はあなた達にまかせるわ」
  ああ、専属の秘書がいれば、私がドアを開ける必要もないのに。

 

***



 冷たいシャワーを浴びたミストは、タオルを被ったままでパソコンの前に坐った。電源を入れて、溜息を付く。犀川に邪魔される前のデータは、綺麗さっぱり消えていた。
 高梨玲梨花は双子だった。弟がいるが、それは年下だ。彼女が双子の姉なのか妹なのか、せっかく調べた出生データを、よくも消してくれたものだ。
 再度調べている時間など、あまりない。
 これから、犀川流の晩餐が始まる。
 ブラインドをあければ、丁度日が沈む所だった。雑多な世界に、灯がともる。
「食い意地だけは、汚いからな…」
 本人の前では決して言えない文句をひとつ。
 ミストは部屋の四隅に、懐から取りだした白い羽を挿していった。
 元々あった家具が姿を消し、焦げ茶のフローリングが奈落のような黒に変わった。ひたひたと裸足で歩くミストは、冷えた感触に身を固くする。
 否応なしに覚えさせられた結界だ。窓の下に広がる夜景を眺めながら、地に這いずる生き物は所詮家畜と変わらないのかと考えた。
 もう少しで犀川がやってくる。彼ならば、もっと楽な方法で補食できるだろうに。いちいち接点を築いては壊してしまうのは、まるで子供のようだった。

「食事の前に、少しドライブしないか?」
  高級外車に背を預けながら、犀川はセリカに微笑んだ。その出立ちがあまりに絵になっていて、暫し言葉を返すことすら忘れていた。
「何処に連れて行ってくれるのかしら?」
  週末の夜に、いい男といい車。完璧だわ。この私の横においておくのに、やはり女の秘書よりも男の方がよく映える。
  犀川は助手席のドアをあけて、セリカが車に乗るのを待った。
「夜景の見える、地獄へ」
  セリカには聞こえていないだろう。鼻歌を歌いながら、犀川は運転席に滑り込んだ。キーを回してエンジンをかけ、ギアをドライブに入れる。
  操作自体は乱暴だが、怖ろしいまでに快適な走りだった。オーディオは聞き慣れないクラシック。まるで子守歌のようなハミングがまじる。
  代わり映えのしない街の夜景に、セリカはウトウトし始めた。まるで催眠術みたい。眠る前の浮遊感に似ている。
  それが、ブレーキと共に破られた。
「…疲れてるようだな?」
「……いいえ、そんなことはないのだけれど。不思議ね、あなたの運転は心地よすぎて。着いたの?」
  セリカは頭を軽く振った。いやだわ、こんなにふらふらしているのは私らしくない。
「ああ」
  ドアを開けてもらって、車から降りる。ああやはり、私は利用する側の人間なのだ。
  降りた場所は地下駐車場だった。どこかのホテルだろうか。犀川について、エレベーターに乗り込んだ。ガラス張りのエレベーター、最上階からは夜景が見えるだろう。
「何を御馳走してくれるのかしら?」
  笑顔を見せて、犀川に尋ねた。
  こういうセレクトにも、センスが出る。私の見た目と趣味にあった場所へ連れていってくれるなら、合格だわ。
  すると犀川は、意味ありげに笑顔を見せた。なんて傲慢な男かしら。
  チン、と到着の音が聞こえた。エレベーターから降りた其処は、廊下だった。ホテルの廊下ではない。マンションの廊下。
「どういう店?」
  自宅の一室を店にしている料理屋も無いではないが、それにしては雰囲気が普通過ぎた。
「夜景は、綺麗だ」
  犀川はセリカの腕を取った。このフロアに部屋は一つだけ。表札には何も書かれていなかった。ドアを開けると、電気すらつけられていない。
「ちょっと、何を考えているの、犀川さん!」
  掴まれた腕を力強く引いたが、びくともしなかった。今になってようやく、セリカの心に恐怖心が芽生えた。
  靴は履いたまま、犀川は愉快そうにリビングへ向かった。
「何よ…っ!」
  まるで、穴蔵のようだった。リビングの床が、抜けたように黒い。
「お帰りなさい」
  切り取って張ったような出窓に、ミストが坐っていた。
「食後に、ワインを出しておけ」
  セリカをリビングに突き飛ばした犀川は、見下しながら笑った。



***



  闇の中では物音さえ吸収してしまう。悲鳴さえ、漆黒の闇が喰ってしまう。
「怖いか?」
  犀川は問うた。
  状況が未だに把握できていないセリカは、大きな瞳を見開いたまま頷くことすらできなかった。
  闇に映える犀川の指が、セリカの額に触れた。
「遺言を残させ、養い親ごと葬るとは究極の我が儘だな。『私の方が経営能力に優れている。私の方が集団の先頭に立つべきである。私の方が美しい。私こそが敬れるべき人間である』わかりやすくて、実に美味だ」
  手触りの良い髪を掬い上げた。
「お前は私に似ているな。傲り高い。だが、器ではない。所詮、私の餌にしか過ぎんのだよ」
  長い指が、胸に突き刺さった。水の中に手を入れるような滑らかさで、犀川はセリカの内部を掻き乱し、血だらけの腕で未だ脈打つ臓物を引き抜いた。
  不思議なことに、セリカに外傷は無かった。
  鮮血を滴らせて脈打つそれは、毛利セリカの心臓だ。それは魂の象徴でもある。
「あ………?」
  セリカは自分の胸を押さえた。痛みがないことが不思議で仕方がない。これは、きっと悪い夢だわ。
「現実だ」
  喉の奥で笑いながら、犀川は果物を搾るように、手の平におさまった心臓をゆっくりと握りしめた。
「ヒッ…!」
  途端に挿すような激痛がセリカを苦しめる。
  胸をかきむしってのたうち回る姿を見ながら、犀川は滴る鮮血に口を付けた。最期の一滴まで飲み干すと、血だらけの手の平を強く握りしめる。じゅ、と焦げた音がして、黒い灰がぱらぱらと床に吸い込まれていった。
「これがお前の味か、毛利セリカ」
  血に濡れた唇で、犀川は笑った。セリカの乱れた髪を一房手にとって、根本近くで切り取る。
「アルヴィティエル、毛利セリカの一部だ」
  不快そうに眉を寄せながら、ミストがその髪を受け取った。白い封筒をとりだして、それを中にいれる。
  その光景を、セリカは喘ぎながら見つめていた。そして唐突に、風船が弾けるみたいな感覚と共に意識が闇に呑まれてしまった。
  元通りになったリビングには、夜景を背に犀川とミストの二人だけが立っていた。


「お前も、腹が減ってるんだろう?」
  残酷そうに見下しながら、犀川はミストに聞いた。出窓に置かれたワインのコルクを歯で抜いて、そのまま口を付ける。
  ジャケットは脱いで、ソファに放った。
「不味そうなので、結構です」
「今更、血に穢れる訳でもないだろう」
  声を上げて犀川が笑う。
「来い」
  目許は笑っているものの、それは確固たる命令だった。ミストは歯を食いしばってそれに従い、犀川の側に寄る。
  ワインに口を付けながら、まだ血の乾ききっていない手の平を、ミストの唇に近づけた。
  ミストは汚い物でも見る目つきでその血まみれの手から視線を外したが、ゆっくりと唇を撫でられてその指を口に含んだ。
「……ん…」
  甘い。
  罪深さに溺れることは、甘美なことだと教えられた。傲り高かったのは他でもない、自分自身だとミストは知っている。
  もう数えることも出来ないような昔、見下しに行ったその世界の王に、引きずり下ろされた。
  身体の芯が痺れるような感覚を感じながら、ミストは犀川の口元に残る血液を見つけた。小指を舐め上げて、犀川の口元に唇を寄せた。
  犀川はミストの後頭部に指を滑らせ、銀糸の髪を握って仰向け、唇を奪った。ワインボトルは零さないように端に置いた。
「ンッ…ん……!」
  強引に舌を吸われて、ミストは眉根を寄せた。犀川のシャツを握りまるで縋り付くようにして耐える。
「堕ちてみなきゃ、見えない世界ってものがあるだろう?」
「…ノイズフェラー…?」
  それは、ミストにだけ呼ぶことを赦した名前だった。
  人ではない彼らを縛る名前。
「欲しいなら口で言え」
  くつくつと喉で笑う。
「毎回毎回食事の度に拒否するが、餌を調達してきているのは、紛れもなくお前だ」
  窓ガラスを背にしながら、犀川はミストのズボンに手をかけた。流れるような手つきで脱がせて、自分の上に乗せる。太股を撫で上げて、足を開かせた。
  潤す物などないから、手近なところでワインボトルを手にした。指を濡らして秘部に差し入れると、ミストが肩を揺らした。
  震える指でシャツを握りしめたまま、犀川の肩に顔を埋める。
「…っ…ぅ、…んッ…」
  強引な指使いは、やはり怖い。どれだけ長い年月を共に過ごそうとも、もともとの性質である神聖さを穢されることに身体が慣れはしなかった。心はとっくに砕かれて服従しているというのに。
  敏感な箇所を全て覚えている犀川は、そこを執拗に攻め立てて解してゆく。残酷にも、慣れない身体を掻き乱す犀川は、動きを止めるどころかいっそう激しく突き上げた。
  ワインのアルコールは微量だけれど、内部からじわりと熱を呼び覚ます。
「ゃっ…ぁ…、…っ……」
  泣きそうになりながらも、必死で声を抑えた。抵抗する権利さえ易々と奪ってしまう相手に、許されたのは爪を立てる位だろうか。
  増やされた指が引き抜かれ、変わりに宛われた物は、指よりも熱く太い。
「っ…ん――――……!!」
  何かを確かめるように先端を何度か擦り付け、犀川はミストの腰を掴んでゆっくりとした動きで引き落とした。
「ちょ…待っ…、…ぁ……ぁっ…!」
  制止も聞き入れてもらえず、浅く深く揺さぶられる。
  ちゃんと慣れていない身体は、痛みの方が多い。苦痛に耐えるようなミストを見つめながら、犀川は笑みを深くした。
  魂の味を分けるのに、身体を繋げる必要はない。毛利セリカから生命を取りだしたように、埋め込んでやればいいのだ。ミストは自分で餌を喰らうことはできないが、食事をすること自体は可能なのだから。
「自分でも動けるだろう、アルヴィティエル」
  この行為は、欲望を満たす事と、主従関係の強調にしかならない。筈である。犀川にとって、執着と欲望は現実のことだが、愛情などは区別の付かない曖昧なものだった。
「…っ……ぅ、…あ…ッ…はっ…」
  真下から貫かれて、ミストはただ荒く息をつくばかり。実際余裕のある犀川は、ミストが反応する箇所を執拗に突き上げている。
  体内を燃えるような熱は既に焦げ付いている程で、快楽に眉根を寄せても身体は楽にならない。
「ノイズっ…ぁ……っ…!」
  必死に縋り付いて喘ぐ姿が、人間に比べると随分艶っぽい。新雪に足跡を付けるような、聖なるものを汚すような耐え難い優越。そういう感情に、愛着を感じないわけでもないのだが。
  お互いの体液で立てる淫らな音がより響いて、緩急をつけた動きがいっそう激しくなる。
「あ、っ――――――……!」
  ぱちんと弾けるみたいに頭の中が白くなって、ミストは快楽を手放した。
「っ…、ん…ぁ…」
  きつく収縮を繰り返すそこをそのままの早さで擦りあげられて、余韻で喘ぎを漏らすミストの内部に、犀川は容赦なく精を注ぎ込んだ。
  濡れて紺色に見える瞳が、まだどことなく満足し切れていない。干涸らびた身体に、たった一杯の水では足りないような感覚。
  吸い込まれそうな漆黒の瞳を見つめて、ミストは唇を薄く開けた。言葉を発しようとして、その無意味さを知る。変わりに犀川の唇を舐め取り、そのまま深く合わせた。
  強い者に惹かれるのは仕方のないことだ、だが何もこの男に惹かれなくても良かったのに。
  今更どうしようもないことを考えた。



***



  いつかの公園で。
  高梨玲梨花は、携帯電話を手にベンチに座っていた。呼び出された時間はもう少し。本当に、毛利セリカの一部なんて話信じて良いのかわからない。
  両端のお下げの先を見つめた。少し茶色く脱色してみた。
  コツ、と足音がして、玲梨花の前に影が二つさした。
「お待たせしましたか」
「……ミスト、さん」
「ご所望の品をどうぞ」
  微笑を返すミストの後ろには、細い葉巻を銜えた犀川が群を成す鳩を眺めていた。手渡された白い封筒。封はされていないそれを開けてみた。
「……綺麗な、髪」
  週に一度トリートメントに通っていた、美しい髪。自然と笑いが込み上げた。
「ふふ、美容室の予約も、私がやっていたのよ」
  玲梨花は封筒の中身を取りだして、強風に曝されるままに手を開く。少しずつ減っていくセリカの髪。陽光に光るそれは細すぎて、風に流れてしまえば所在など解らなくなってしまう。
「馬鹿な子だわ…。何も知らないくせに、傲慢な子」
  玲梨花は髪をほどいた。化粧の仕方も変えている。キャリアウーマンらしいスーツを身に纏った彼女は、一度大きく髪を掻き上げた。
  最期に眼鏡をとると。
「姉に勝てるわけないじゃない」
  毛利セリカそっくりの、その容姿。
「…双子」
  ぽつりと、ミストが呟いた。出生記録を見た。双子の片割れ。高梨玲梨花と毛利セリカ。
  その様子を、犀川が見つめていた。名前は魂を繋ぐ鎖だが、その魂を構成している物が同じならば、鎖を変えても支障はないのだろうか。
  魔族や神族ならば、そんなことはないのに。人間とは、面白いな。
「セリカ…?」
  面白そうに問えば。
「セリカ?さあ、そんな人知らないわ」
  ふふふ、と笑いながら、公園の出口へ足を進めた。そこには黒いベンツが止められていた。
「あの子には荷が重すぎたようだから、この私が代わりに毛利になろうかしら」
  セリカそっくりの微笑で振り返り、彼女はミストと犀川を見つめた。
「さよなら」
  それっきり、彼女はもう振り返ることはなかった。
  運転手が扉を開け、当然のように乗り込んで、オフィス街へと車は消えてゆく。
  興味なさそうにそれを見送った犀川は、同じ様な表情を浮かべるミストにひとつ提案した。
「………呑むか」
「付き合いますよ、今日くらいはね」

  鳩が、一斉に飛び立った。

  

犀川には色々名前があります。たまたま日本だったので犀川類ですが、他の国ではルイス・サイファーと名乗っていたり。
いろいろと、ツッコミどころ豊富だけど、生温く見てやってください(泣)。
2004/04/11

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