SERPENT - 2 -

sep krimo [ TheEnvy ]

 ジェインがキッチンで昼食の支度をしている。長い金髪が揺れることをじっと見つめていた。
「ねえラハブ、新しい司祭様、随分綺麗なひとだと思わない?」
  私びっくりしちゃった。ジェインは綺麗に微笑みながら振り返った。
  野菜がたくさん入ったスープと堅いパンをテーブルに並べて、彼女は食卓についた。ラハブは暫し何て答えようか迷ってから、ああ、とだけ呟いた。
「……私のこと、嫌いになったの?」
  食事も中盤に差し掛かろうかというとき、ぽつりとジェインが尋ねた。ラハブは弾かれたように頭を上げて、苦い物を噛み潰すように歯を食いしばって唸るように口を開いた。
「お前は、本気でそう言うのか」
「ラハブ……」
「お前は…俺が今までどういう気持ちでお前を想っていたのか解らないとでもいうのか!」
  初めて会った小さな時から、俺はジェインを見続けていた。ジェインがあいつに惹かれていくのを止めることさえ出来ず。
「でも、一度だって…」
  好きだと言わなかった。言えるはずはなかった。もし言ったら、三人の関係など崩れ去ると知っていた。
  実際は、ラハブの中では初めから崩れ去って居たが。
「卑怯だよ…、アロールが死んでからそんな事言うの」
  卑怯者はどっちだと。
  ジェインは気付いていたはずだ。ラハブとアロール、二人の幼なじみから好かれていることを知っていた筈だ。
  二人から、選んだにすぎない。
「お前は、俺達三人の関係が崩れることを恐れていた。俺ではなくあいつを選んだ理由を言ってやろうか」
「……やめて」
「俺とアロールでは、強さが違うからな。もしお前が俺を選んでいたら、間違いなくアロールはこの村を出ていただろう」
「お願い……、やめてよ」
  俯いて、両手で顔を覆ってしまったジェインを暫く見つめていたが、俺は沈黙を振り切るようにその場を後にした。


 不思議と、向かった先は教会だった。
  半分開け放たれた扉をくぐると、そこは昼だというのに少し暗かった。蝋燭の明かりが幾つか灯り、ステンドグラスから差し込んだ淡い光と相まって、祭壇が浮かび上がって見えていた。
  ベールを被った神像が、静かに見下ろす祭壇まで歩んでラハブは息をついた。
  傷付ける気はなかった。そんなことは言えない。彼女の態度と、それを知らぬ幼なじみの顔を思い出すと吐き気がする。
  すぐに思い出すことができるアロールの葬式。この教会で行われたそれ。ラハブはずっとジェインの傍にいた。あの涙もろい彼女が、涙すら枯れた表情で泣いていた。
  慈悲をたたえたような創主の神像を一瞥し、ラハブは一番前の椅子に倒れ込むように座った。
  誰もが羨む蜂蜜色の髪をかきむしる。
  こんな想い、いい加減にしたい。

『楽に、してあげましょうか?』

 ごちゃごちゃになった頭に響いた、澄んだ声色。
  ラハブは驚きに肩を揺らして頭を上げた。背後には誰もいない。左を見ても人影もなかった。右の壁にある古い木の扉に、声の主を確認した。
「……あんた」
  それは新任だと紹介された司祭だった。
  影に挿すわずかな明かりに、その髪が輝いている。ふとジェインを思い浮かべて、その思いを頭を振って忘れようとした。
「貴方の想いが破裂しそうでしたので」
  裏も表も無さそうな、だが何処か神がかった笑みを浮かべながら。
「神に誓って、貴方の告白を受け入れましょう。……話してみませんか?」
  神なんて、もうすでに失っている。アロールは馬鹿みたいに信じていたが、俺はそんな物を信じることが出来なくなっていた。小さい頃の気持ちなど、とっくに忘れてしまっていた。
「楽にして、さしあげますよ?」
  穏やかなその笑みが、なぜかジェインと被った。
  釣られるようにして、ラハブはミストの後を追った。木製の扉を抜けて、小さな小部屋に二人きりになる。
  今日初めて会ったような司祭に、一体何が判るのだろう。嘲りに似た思いを抱きながら、ラハブは指示された椅子に腰掛けた。ここも、蝋燭とステンドグラスから射し込む光で薄暗かった。
「貴方の胸の内に、秘めるには激しすぎる想いがあります」
  綺麗に切りそろえられた指で、左の胸を押された。
「形を変え、鬱屈し、酷く濁ってはいるけれど、純粋でとても無垢な想いですね」
「…そんな大層なものじゃない」
  こんな、誰一人として幸せに出来ないような暗い想いだ。
「原因は、そう…………ジェイン、ですか?」
「俺はそんなに露骨か……?」
  質問に質問で答え。今日初めて会ったような奴にばれてしまうほど、露骨だっただろうかと考えて、ああそうだろうと納得した。あいつが死んでから、俺は抑えを忘れてしまった。
「わかりますよ、貴方がジェインを愛していることくらい」
  まさか、ここで司祭に対して恋愛相談でもしろというのだろうか。
「ジェインを通して、誰の面影を追っているのか…」
「………」
  長い指がゆっくりと組まれるのを、ラハブは凝視した。指先から視線を上げて、秀麗な顔に行き着く。
  澄んだ、透き通った穢れない微笑。
  それはほんの一瞬だったけれど。確かにミストはそんな笑みを浮かべた。まるで毒気を抜かれたようにラハブは唇を開いて、ぽつりぽつりと吐き出すように喋り出した。
「……あいつは、ジェインの心を奪ったまま死んでしまった」
  取り立てて顔が良かったわけでもない。身長だってジェインと同じくらいだ。
「俺はあいつに勝てるように、必死に努力を重ねてきた。ジェインを取られることが、そのころから怖かったんだと、思う」
  何時だって俺達二人に笑いかけていたジェイン。
「勉強も、剣術も、何もかも、だ。ジェインが喜ぶことは、何でも頑張った。小さい頃から、ジェインと結婚することが夢だった……」
「貴方なら、できるでしょうに」
「それが、とんだお笑いぐさだ」
  自嘲を含んだ険しい笑みを浮かべ。
「あいつは、アロールは、俺が知らない間にジェインに縋り付いて、彼女の愛を奪っていった。俺がジェインに結婚を申し込もうとしていたことを知っていたくせに、あいつは俺の裏をかいて、まんまとジェインを縛っていった。確かにジェインはあいつに何かを感じていたが、決定打はまだ何もなかったはずなのに」
  俺はあいつの何処に劣るのだ。あいつの何処に負ける要素があるのだ。何よりも彼女のことを考えていた。何よりも彼女を優先にしてきた。
  いっそアロールを殺してしまおうかとも考えた。それほど彼女を奪っていったあいつが憎かった。
「殺して、しまおうと?」
「ああ。そういう激情に流されそうになった事もある。俺は彼女に何度も聞いていた。あいつではなく、俺を選べないのかと」
  だが、彼女は俺に決定的な言葉を告げた。
「死ぬより辛いと思ったな。ジェインは俺に言った。『アロールを愛している』」
  俺ではなく、あいつを愛している。そう断言した。それを聞いてしまった後は、もう何一つ口出しは出来なくなっていた。ジェインによる、無言の牽制。この関係を崩したくはないと言う卑怯な願いを、守ってやることが俺に出来る唯一のことだった。
「ジェインが、憎いですか?」
「いや。不思議だな。未だに彼女を愛している。今この瞬間も」
「アロールは、もう居ないのでしょう?」
「……いいや」
  即答とはいかないまでも、俺は断言した。あいつは、少なくともジェインの中では。今更、俺が愛を囁こうと、彼女の心には届かない。
「あいつは彼女の心に錨を降ろした。彼女は永遠にあいつを忘れないだろうな」
「…何故?」
「二人の恋愛など、俺の知るところではないが、死ぬ間際のアロールは彼女の瞳を見つめて、永遠の愛を誓った」
  彼女の手を握って、最期の命の灯火を込めて、アロールは彼女への愛を語り彼女への想いをぶつけていった。
  一字一句思い出せるが、口に出すことも思い出すこともしたくはなかった。俺から永遠に彼女を奪い去った言葉は、永久に彼女を縛り続けるだろう。
「嫉妬、してます?」
「そんな言葉じゃ足りないな…。俺は彼女が永久に手に入らず、あいつに嫉妬したまま生きていくんだろう」
  ミストは、微かな声を立てて笑った。
「嫉妬、憎しみ、奢り……それを知る貴方は、まだマシな方でしょう」
「何?」
「美徳だけを知る人間は不完全です。暗部は、知って居てこそのものだと私は思いますよ」
「俺を、正当化しようというのか」
  ラハブは面食らった。まさかこの感情を肯定されるとは思わなかったから。
「私が正当化する必要など有りません。殺しても飽き足らないほどの激しい嫉妬を知る貴方は、何処も間違っていませんし、邪悪でもありません。その想いは純粋なんです」
「……司祭がそんなことを言っていいのか?あんたは創主に仕えているんだろう?」
  思い出したように、ラハブはミストを見つめ返した。薄く紅を惹いたような唇がつり上がる。
「創主……ですか?」
  何が面白かったのか、ミストはまるで吐き捨てるように。
「私より格下の聖神に仕えた覚えはありませんけれど」
  椅子に座ったまま、ふわりと大気が柔らかく動いた。ただならぬ気配を感じて、ラハブはミストを凝視する。
  その背後、人間にあるまじき物が生えていた。有翼人にすら有り得ない、六枚の翼。
「私はね、慈愛と慈悲で物事を計る彼らと意見を異にするんですよ。彼らが罪と見なす感情こそ、生々しいほど生を実感できる」
「………まさか、天使だとでも」
  そんな生き物は神話の中にしか存在しないのではないか。
「有る意味で、天使でしょうね。存在しているものは、全てに置いてその本質を変えることはできない」
  銀色の長い髪に優美な姿。天使と言われても納得できる容姿だが、その翼はまるで染められたかのように黒かった。
「黒い翼の天使など、いるものか」
  しかし闇に染まっているのなら、彼はこの教会に近付くことはおろか法衣を着て聖なる祈りを口にすることも出来ないはずだった。
「いませんよ。翼の黒い天使など、いるはずがない。そう言う意味では、私は天使ではありません。ですが悪魔であるわけではない。私は二度と天界に戻れない身体ですが、私という本質は何ら変わってはいないからです」
  それは色水を吸わせた純白の花と同じだ。どんな色に染まり、もしくは花弁を塗り替えられようと、それが花であることに変わりはない。
「貴方の想いも、憎悪と嫉妬に染められただけの愛でしょう?彼女への愛、その矛先にあるだけ…」
  ミストは立ち上がり、ラハブの両肩に手を乗せた。
「私を従わせる者が、唯一持ち合わせていない感情。そこから生まれた嫉妬心を奪うのは私にしか出来ない」
「何の…」
  話をしている。異常な状況にパニックを起こしかけているラハブは、それでも気丈にミストの瞳を見つめた。吸い込まれるような夕焼けの藍。暁色の瞳。
「……いただきます」

 

***

 

 教会から、火の手が上がった。

 ジェインは走った。悪い胸騒ぎがする。友人のままと決めた幼なじみは、思い詰めると教会に行く癖があることを知っていた。神様なんて信じていないのに、彼は祭壇の前で祈る振りをする。
  息を切らしてジェインが教会に着く頃には、炎は建物全てを覆っていた。水聖霊の魔法を使える者達が必死に消火をしていたが、その炎は衰えることを知らないようだった。呆然と教会を見つめている村人達の中に、ラハブの姿は見あたらない。
  ジェインは早足で人々の掻き分けた。行くら探しても目当ての人物は見つからず、教会の裏手まで足を運んでみても駄目だった。
  どうしたらいいのか、判らない。ラハブを知らないかと尋ねても、皆首を横に振るばかり。
  危ないから下がっていろと男達に言われ、ジェインは後退した。
  ふと、見知った気配を覚えて振り返る。ラハブがいるのかと思ったからだ。瞳をこらすと、木々の間に法衣がちらついていた。
「……司祭…様?」
  そんなところで何をしているのかと、彼女は林を分け入った。
  村人達は誰一人として気を留める者はいない。
  炎が建物を破壊していく音を聞きながら、ジェインは漸くその人物が見える所まで移動した。そこには、赴任してきたばかりだという美しい司祭と、漆黒を纏った男が静かに立っていた。司祭の知り合いかもしれないが、あまりに不自然だ。足が竦みそうな邪悪な気配を感じる。
  男に見覚えが有るような気がしたが、そんなはずはない。漆黒の髪と漆黒の瞳。昼食の前に見た少年は、ミストの背丈の半分に満たなかった筈だ。
「お前の幼なじみという奴は、もういない」
  男はただ一言、冷淡に告げた。
「どういう――――」
  最期まで言い終える前に、ジェインは言葉を止めてしまった。
  濃い闇を纏った男が、ミストの唇を奪った。唐突のことにびくりと身体を揺らしたミストの腰を抱き、男はジェインに視線を合わせたまま唇を貪ることを止めない。
  本来肉の汚れを嫌う筈の司祭が、抵抗も見せずに甘受している。何か異様な物を見る目つきで、ジェインは男を見つめ続けた。ラハブの気配が確かにあるのに、それすらも消えていくようで不安だった。
  どれくらいそうしていたのか、漸く解放されたミストが濡れた唇のままジェインへ振り返った。
「あの劫火に燃え尽きていなければ、死体くらいは残っているかもしれません」
  誰の、とは言わないが。もう感じることの出来ないラハブの気配に、ジェインは言い知れぬ絶望を感じた。
  無意識に溢れた涙を拭うことも出来ず、長い銀髪をひるがえして未だ炎の上がる教会へと一目散に駆けだしていく。
  その後ろ姿を見ながら、サイファーは舌なめずりをした。
「珍しいな、アルヴィティエル」
  腰を抱いたまま、葡萄色の瞳を覗き込んだ。魂を奪って火を放つのはミストにしては派手だったし、なによりそれをジェインに悟らせた。
「嫌いなんです。あの娘が」
  即答に、サイファーは声を上げて笑う。
「人間に妬くこともあるんだな」
「自惚れないでください、ノイズフェラー」
  反論には悔しさと悲しみが混ざっていたが、サイファーは気付くことがなかった。
  劫火を背に、二人の姿が忽然と消え失せた。

  

あれ〜…。こんな話じゃなかったような……(笑)。ラハブとアロールとジェインの三角関係がぐちゃぐちゃと書きたかった筈だったんですが、主人公2人が出てこない事が判明。それは困った、結果がこれか…。サイファーの目立たない回。
2004/5/7

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