PIG - 1 -

sep krimo [ TheGluttony ]

やっと、二人。まだ、足りない。

 


「……は…っ…」
  ミストは息を殺しながらシーツを握りしめた。自然と漏れそうになる艶めいた喘ぎをなんとか抑えることにはもう慣れた。
  触れられた指と肌が酷く熱い。
  一体何処で手に入れたのか、粘質の液体が身体に触れる感覚が堪らなく不快だった。腰を抱えられ、背後からもう随分と指で攻められている。
  一言口で願えば、欲しい物は与えられるだろうが、ミストにはそれが出来なかったししたくはなかった。血の臭いがしないただの性交で、正体を失うほど堕ちてはいない。そう、思いたかった。
  必ず拒絶していた。彼が自分を抱くのは、子供が気に入った玩具を手放そうとしないことと同じだから。そんなことに易々とこの身を捧げられようか。
「いい加減限界だろう、アルヴィティエル」
  どこか楽しそうな声色。
  彼の言うとおり身体はとうに限界だった。足りない、と疼いている。しかし、彼に盲目的に従順になることが、彼の興味を失うことだと知っている。
  理性のあるうちは、絶対に屈服しない。彼の気まぐれが赦す範囲で、ずっと抵抗を試みる。
  悔しいのか快楽からか、涙が零れた。押しつけていたシーツに吸い込まれ、小さな染みを作る。
  くちゅ、と濡れた音が聞こえた。指がいきなり引き抜かれて、ミストは余韻に震えた。上がる呼吸に、唇を開いた瞬間を狙って、強引な早さでもって貫かれた。
「――――――…!!」
  小さな悲鳴は、痛みからではなかった。

 

***

 

 この子に、栄養のある物を食べさせなきゃ。
  牛や豚は高すぎて買えない。ウサギを捕る技術もない。鳥を捕まえるなんて論外。もっと簡単に捕まえられる生き物はないかしら…。
  ああ、この子に早く食べさせなきゃ……。

 

***

 

「よぉ、そういやぁあの子どうした?」
「あれか。お前が買ってたサリエラか。そう言えば最近見ねぇな」
  歌う声、怒号、罵る言葉が飛び交う室内で、カウンターの男がバーテンダーに尋ねた。
「この店の娼婦達から場所代取ってたのお前だろうが、サリエラの居場所くらいわかんねぇのか?」
「それが解れば連れ戻して俺が一晩頼みてぇよ」
  お互いに、溜息を付いた。
  サリエラは美人だった。気が強いし酒も強いが、胸は大きいしなによりあのブロンドの髪が、男達を惹き付けて止まなかった。
  悪態を付いた男の客が、煙管を噴かす垂れ目の女を手招いた。
「よう、レダ。お前、サリエラの行方をしらねぇか?」
  レダと呼ばれた女はふうっと煙を吐き出して、しらないねぇ、と首を横に振った。
「もしかしたらアレじゃない?最近行方不明が多いでしょう。巻き込まれちゃったんじゃないの?」
  皮肉げに笑いながら、レダは煙管に口をつけた。此処で働く女達は、全てが敵でライバルだ。むしろ、商売敵が居なくなって清々している程。
「その話、もう少し詳しく聞かせろ」
  唐突に割り込んできた声に、客とバーテンダーと女は振り向いた。
「エラドゥーラはあるか?」
「んな高級テキーラうちにあると思うな兄チャンよ。せいぜいクエルヴォだぜ。この店で呑むならバカルディにしておきな」
「ラム酒で我慢しろと?」
  くく、と笑ったが、彼は文句を言わずに出された酒をひとくちで飲んだ。
  レダが口笛を吹く。
「よぉ兄さん、んな小綺麗な恰好で何の用だ」
「行方不明と聞こえたんだが、俺の聞き間違いじゃねえだろう?」
  二杯目を注文し、同じ物を二人に振る舞う。バーテンダーにはチップを多めに握らすと、三人は示し合わせたようにニヤリと笑った。
  この手の人間は、酒と金でよく歌う。
「最近、この界隈で行方不明になってるやつが3人いる。もっとも、ここで飲んだくれてる奴等は、世間の行方不明みたいなもんだがよ。肩寄せ合って汚ぇ仕事してんだ、バラされたりすりゃ噂になるし、しょっ引かれたらそれこそみんなの笑い物だしな」
  グラスを磨きながらバーテンダー。男の客はそれに頷いて、奢って貰ったラム酒に口をつけた。
「クソの掃き溜めみてえな街なんだよ此処は。軍隊も警察も騎士団もいねぇ。あるのはてめぇの命と力と金だけだ。お前さんも、何かやらかした口だろ?じゃなきゃそんな肝の据わった目はしてねぇ」
  客の指摘に、その男はにやりと笑った。
「ねぇ、名前くらい教えておくれよ、色男」
  胸を押しつけながら、レダが男に擦り寄った。
  懐から細い葉巻を取りだして、ジッポーで火をつける。サイファー、煙を吐き出す呼吸にのせて、男は低く呟いた。
「ルイス・サイファー」

 

***

 

「ねぇ、アンタ羽振りいいんだね」
  レダはサイファーの腕にくっつきながら、その顔を窺った。
  三十代にはまだ少したりなそうな歳だが、度胸と態度は若造に見えなかった。漆黒の髪と瞳。黒いコートにズボン。肌の白さを強調するような、黒ずくめのその姿。
  だが貧弱には全く見えない。長身で、厚い胸板。ぱっとみれば武器すら持たなく見えるが、どうしてか彼自身が凶器みたいな印象を生む。
「アタシを買うのにこんなに金を出した人は初めてだ」
「お前はもう少し詳しいことを知っているんだろう。そのネタ代だと思え」
  二人は真夜中の路地を歩いて、寂れたビルに入った。人が住んでいることは住んでいる。しかも、この街で畏れられる悪党の親玉が住んでる類の、なかなかいい物件であることには違いない。
「野暮だね、代金分はサービスしてあげるわよ」
  笑いながら、レダはサイファーを見つめた。今夜の客は上玉だ。
  木の階段を軋ませて、三階昇ったところで廊下を進んだ。扉には鍵がかかってないのか、サイファーは我が物顔で扉を開ける。
  しんと静まった室内。レダは寝室へと足を向けた。全ての扉は開け放たれたままで、なんなく目当ての場所を探し当てると、足を踏み入れたままレダはぽかんと口をひらいた。
  この街にそぐわないような綺麗な寝室。大人二人が寝ても余裕の有りそうなベッド。そこには既に先客がいた。
  カーテンの引かれていない窓からは、月光が差し込んでいた。ベッドを照らすような光に、その人物が浮かび上がる。
  シーツから覗く肌は真珠を溶かしたようだった。寝乱れているが、まるで宝石みたいな銀糸の髪。うっすらと色づいた唇。
  熟睡しているのか、その呼吸は深かった。
「……天使?」
  無意識にレダは口走っていた。
「霧の天使だ。俺が引きずり下ろしてやった」
  冗談だか本気だかわからない口調で、サイファーがレダに向けて答えを返す。扉の枠にもたれながら、ゆっくりとベッドに近付く女を見据えた。
「なんだい、もうお楽しみ終わった後なのかい?」
  肌に残った情事の痕を目敏く見つけて、溜息を付いた。
「こんな高級娼婦、この街にいたっけ…」
「そいつは俺の連れだ、売り物じゃねぇよ」
  なんだ、もうお手つきなのか。レダは胸中で悪態を吐く。せっかくいい男を相手に仕事が出来ると思ったのに。
  それにしても、随分と綺麗な人間もいるものだ。賞賛混じりの視線を送っても、相手は起きる気配さえなかった。
「レダ、話を聞こう」
  サイファーは低く静かに促した。
  それでようやく彼女は寝室から抜け出して、リビングのソファに落ち着いた。サイファーはお構いなしに、葉巻を銜えて火を付ける。
「行方不明になってるのは、娼婦仲間のパルトー、情報屋のメイスン、それから使いパシリやってたガキなんだけど、名前は覚えてないわね。それに、もしかしたらって可能性を加えて、娼婦のサリエラ。もっとも、サリエラは二、三日客の所に入り浸るから、仕事じゃなかったなら、この中じゃ一番最初に消えたわね」
  商売をしないなら、せめて酒くらい出せばいいのに。ソファにふんぞり返りながら、レダは足を組み替えた。身体になら、自信がある。くすんだ茶色の髪は、あまり人気はないけれど、この身体は大事な商売道具。サリエラに負けずとも劣らない。
「でもアタシ、三日前にサリエラに会ったわ。真っ赤なイブニングドレスで、ふらふらとメインストリートを渡っていった。アタシは丁度客をとってたから、そっから何処に行ったのかは解らないけどね」
  ハンドバッグから煙草を一本。どうしてかしら、ここにいるとまるで自分の部屋にいるように落ち着いてしまう。
  いつの間にか横に来ていた色男に近づいて、葉巻から火を貰った。こうやって顔を近づけて見ると、やっぱりこんな街に似合わないようないい男。胸が破裂しそうに高鳴るのは、警戒心と恐怖だったりして。なんて、危険なオトコだろう。
「サリエラとは、仲がいいのか?」
「そうね。ライバルってトコかしら。あのコの秘密くらいは知ってる仲だわ」
  馴れ合うほどでは無かったけどね。そう付け足した。
「秘密?」
「あのコ、妊娠してたんじゃないかしら」
  確かな情報じゃないけれど、私だって経験がある。もっとも、子供なんて作っちゃったら商売どころじゃないから、さっさと水に流してしまった。
「一度聞いたわ。彼女、何でもないって言っていたけど、解っちゃうわよ経験者には」
  ふうっと煙をはいて、ああやっぱり煙管のほうが好きだわ。
「その女の特徴を知っているだけ話してもらおう」
「なぁによ。貴方、サリエラを探すの?もしかして、探偵とか刑事なわけ?それならとんだ食わせ物だわ。金なんか要らないからこの街から出て行きな」
「俺が刑事に見えるか?だとしたらお前の目は節穴だな」
  二人は互いに見つめ合った。そしてニヤリと笑う。
「あははははっ、そりゃそうだ。そんな物騒な目つきの刑事なんて居ないわね。アンタ、もう何人殺したか解らないような目をしてるもの」
  ただの娼婦かと思ったら、この女案外鋭いな。なんて、滅多に思わないことを。
「いいわ。そうね。サリエラがどうなろうと、本当はアタシに関係ある訳でもないし。どうせ、アンタには逆らえそうにもないもの。教えてあげるわ」
「利口な奴は好きだぜ?」
「それはどうも。アタシも好きよ、アンタみたいな危険なオトコ。そう、それで、サリエラの特徴を言えばいいのね。身長は私と同じくらい。胸は大きくて、腰は細いわ。ヒップは大きめだけど、プロポーションは抜群。髪は男が群がりそうなブロンドで、瞳は鮮やかなブルー」
  瞼を閉じて、思い浮かべてみた。そう、それで間違いないわ。
「ああ、そうそう、左目の下に泣きぼくろ。それから、外見から想像も付かないくらい、よく食べるコだわ、そういえば」
  此処まで話してみて、側の男に興味が行った。危険な雰囲気は十分承知だけれど、それでも藪に手を突っ込んでみたくなる。
「ねぇ、ついでにアタシを抱いてみない?もしかしたら他に何か思い出すかも」
  黒ずくめに擦り寄って、太股に手を這わせてみる。
「思い出してもらえるのは結構だが、それ以上の情報なんて持ってないんじゃねぇの?」
  なんて、見下したように笑って。サイファーは、葉巻を持っている方とは逆の手の平をレダの目の前まで持ってきた。
  ぱちん。
  と、指を鳴らした。 

 

***

 

 女の消えた室内で、ようやく眠り姫が目を覚ました。
  今は肩を越すような長めの銀髪を掻き上げて、気怠げに上半身を起こす。
「ノ…イズ………?」
  掠れた声で、辺りを見回す。自分をベッドに沈み込ませた張本人が居ないことなど、日常茶飯事ではあるけれど。それでも呼ばずにはいられない。
「おーおー、目付きがやべぇな、アルヴィト」
  面白い物でも見つけたような口調で、ブランデーグラスに濃厚そうな酒の匂いをさせながら、サイファーが寝室に足を踏み入れた。
「…誰の…所為だと」
「俺か?まあ、あれだけ俺の相手をしておいて、ここしばらくろくな『食事』もさせてなかったからな」
  確かに、自分は今、久しぶりに飢餓を感じている。こんな欲求、知ることなんか無いはずなのに。
  食欲も、性欲も、全部たたき込んだのは紛れもない。目の前でふんぞり返っているこの男だった。
「そんなんじゃ、お前の鼻も利かないだろ」
「人を犬みたいに…」
「似たようなものだ。俺が神聖さを嗅ぎ分けて嫌悪するように、お前は堕落を感じて惹き付けられる。悲しい性だな、『霧の神使』」
  惹き付けられている訳ではない。そう反論したかった。だが、まるきり嘘ではなかった。サイファーを見下ろしていた当時は、穢れた者をいち早く察知して忌避する器官が確かにあった。だが今は、サイファーが好むような堕ちた人間を嗅ぎ分ける能力となんら変わりない。
  それにしても。
「この街は瘴気が濃すぎます」
  下半身はシーツで巻きながら、ミストは片膝を立てて頭を乗せた。
  その気怠げな態度に、サイファーはブランデーを舐めながら、悪戯心が芽生えるのを実感した。
  グラスの中身を零さないように、ベッドに片手を付くとぎしりと軋んだ音を立てる。
「なん…」
  ですか。言おうとして、塞がれた。
  ゆっくりと、まるで高級な食事でもするように。それとも、ブランデーの芳醇な香りを味わうように。
「ぅ…、んっ…」
  理由は知らないが、この人はなんでこんなにキスが好きなんだろう。抵抗する気も失せていて、されるがままに唇を貪られながらミストはぼんやりと思った。
  あんまりに情熱的なそれに、力すら抜けてくる。犯かされているとき似た、何処か卑猥な粘着音が聞こえる。ベッドに倒れ込んで尚、唾液を送り込んでくる相手を薄ぼんやりと開いた瞳で見つめた。
  ああそうか、口付けには確か、相手を食べたいという意味があったような。
  上手く働かない頭で、そんなことを考えた時、閉じられていたはずの漆黒の瞳が開かれた。
  何かに気が付いた、そんな雰囲気。
「いい匂いだ」
  解放されて自由になったミストが、荒い呼吸を付いているのも気にせずに。サイファーはぽつりと漏らした。
「女が一人殺されたな。この街は、程良い死臭に満ちている」

  

ここは何処の国だろうとか、そういうのは気にしない方向で(笑)。
2004/04/17

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