BRUIN - 2 -

sep krimo [ TheSloth ]

 急に濃度が増した瘴気に、中層区で戦っていた天使達は動きを止めた。宙に浮かんでいることが精一杯だった。耐えられ得る数人がゲネシュに続くが、深部へ行くたびにひとり、またひとりと脱落していった。
  唯一ゲネシュだけが、瘴気を気にもせずにアルヴィティエルを追ってくる。
  中層区の底に近い部分、暗い色をした地面が見えた。アルヴィティエルが立ち上がって待ちかまえている。その側に、黒い影のように佇む姿をもう一つ視認する。
  闇色の髪と瞳、すっきりとしたシルエットを見せる立ち居姿。居るだけで十分に威圧的である所は一介の魔族と同じなのだが、不思議なことにその気配を感じ取ることが出来なかった。
  剱を構えたままで、ゲネシュは二人の魔族を見下ろした。
「ようこそ、我が世界へ」
  声は、艶のある低音だった。ノイズフェラーは口角を上げて微笑んだ。その笑みは優越の色をしている。ゲネシュは訝しげに片目を細めた。
  黒衣の男はすぐ側にいるアルヴィティエルの髪を一房掬い取り、恭しく口付ける。親しげに触れるその仕草に、ゲネシュはかっとなった。我らが最も愛せし天使に触れるなどなんたる無礼な行いか、と叫びを上げそうになってとどまる。
  辛うじて絞り出した言葉を向ける。
「…我らが戦いに、横やりを入れないでもらおうか」
「御免だな。生憎と、俺もそろそろ我慢の限界だ」
「貴様には無関係だろう。魔族が仲間を大事にするなど、聞いたことがない」
  ゲネシュは冷酷な瞳に篝火の如き侮蔑を浮かべた。
  ノイズフェラーはその言葉にすぐには答えず、ゆっくりとした動作でアルヴィティエルを引き寄せて見せた。背後から抱きしめ、されるがままになっている堕天使の耳へと口付ける。
「これは俺の物だからな。傷を付けられると困る」
  くつくつと喉の奥で笑いながら、見せつけるように唇を落としてゆく。首筋をぺろりと舐めきつく吸い上げれば、アルヴィティエルは甘いと息を漏らした。
「ッ…!ネブラ!何故逃げようとしないッ!」
  ゲネシュはギリと奥歯を噛んで聖剣を握り尚した。
「逃げる?その必要はどこに?」
「…な、……なんだと」
「私が望んでしていることですよ。判らないんですか?」
  ノイズフェラーの与える小さな愛撫が心地よいとでも言うように、アルヴィティエルはうっとりとした表情をしていた。
「お前はッ、騙されているだけだ!その魔族に欺かれているだけだ!」
  炎の聖神は信じられないと叫んだ。
「アルヴィティエルは自ら望んで俺に抱かれたのだ。安穏としたアイテールを棄て、我が元へ下った」
  魔王はこれ見よがしに真名を呼んで見せた。戯れは止めぬまま、その姿だけが随分と邪悪な印象を与える。
「……」
  ぞくりと、ゲネシュの背に震えが走った。唐突に目の前の魔族が魔の気配を色濃くした。生命を凍りつかせ、萎れさせるような圧倒的な魔の気配。どんな魔物にさえ恐怖を感じたことがない天使が今初めて畏怖を感じた。
「帰りなさい、ナタニエラゲネシュ。私はあなた方の天使ではなく、唯ひとり、この方のための御使いなのだから」
「この場で俺がこいつを抱く所を、じっくり見学していくか?アルヴィティエルは拒否しないぜ?」
  魔王は声を立てて笑った。堕天使は苦笑を浮かべたが、否定することはなかった。
  ゲネシュはついに項垂れた。そして、再度剱の柄を固く握りしめた。光を放つ聖剣を振り上げ、魔王と堕天使に切っ先を向ける。
「我はアイテールの聖神。我が主に代わり、お前を滅ぼそう!」
「…小鳥が。そのさえずり、後悔しても知らぬぞ。我を誰だと思っている」
  正面切って宣戦布告を下された魔王は、好戦的な瞳を輝かせた。辺り一面の瘴気が膨れ上がり、全てを飲み込む深淵が顔を覗かせた。
  魔王は世界その物である。滅ぼそうと思えば片目を瞑るだけで終わってしまう。彼がこれ程までに天使と会話を繰り返したのは、この天使を絶望させてやろうという遊びだった。
  ノイズフェラーの足下から、魔がにじみ出して大地を侵蝕する。
「彼を殺さないでくださいよ。他は何をしてもいいですから」
  腰を抱かれたままの堕天使は、呆れ気味に呟いた。
「ゲネシュ、貴方も落ち着いてさっさと帰りなさい。魔王を相手に勝てる訳でもないし、やろうと思えば彼は貴方を今すぐにでも消滅させることが出来るのですから」
「黙れ、裏切り者が」
「嫌です。貴方が死んだら、高位の聖神が二人も欠けることになる。拮抗が崩れますよ?ロスアリエンは指揮官の器ではないし、貴方は天界に戻って私を忘れてしまうべきです」
  アルヴィティエルの言葉は、魔王の脅しより遙かに効いた。
「それとも、本当に私が魔王に抱かれる姿を見たいのですか?」
  突き付けた聖剣の先端が小刻みに震えていた。憤怒か、絶望か、恐怖か。
「アルヴィティエル、本当に無傷で返すつもりなのか?」
「ええ。私の一太刀では大した傷でもないでしょうが、それでもう気は済みました。貴方の気が済まないので有れば、どうぞ彼以外はお好きに」
「…約束しよう」
  かつて天界一美しいと謳われた微笑が浮かべられた。それはゲネシュの瞳を奪い、魔王を鎮めた。
  ノイズフェラーは、自らが寵愛する堕天使の言葉を守る。侵蝕した魔はゲネシュを避けて一気に膨れ上がった。
「お前は唯独り天へ還るがいい」
  鼓膜に直接語りかけられた邪悪な言葉に、ゲネシュは勢いよく天を見た。そして、声も出ぬまま仲間達の元へ疾走した。
  魔界に散らばる瘴気が、全てを蝕む漆黒の口を開く。黒い顎がまるで波のように天使達を襲い、空中の至る所から恐怖に喚く悲痛な叫びが木霊した。力を圧倒するための数は、強大すぎる力の前には塵に等しい。
  純白の羽がまるで雨のように舞った。
  その光景を下方より見つめていたアルヴィティエルは、ほんの少しだけ悲しい瞳をして見せた。黙祷を捧げるようにきつく瞳を瞑り、次に開いた時には全てを払拭していた。
  するりと身体を反転させ、両腕を魔王の首へ絡ませる。神々しいまでの魔を放出する姿に知らず震え、黒い天使は魔王の唇に自らのそれを押しつけた。

***

 アルヴィティエルは天上を見つめ続けた。光点のようだった天使達が見えなくなり、最大の光を放つゲネシュの気配は絶望に翳り、やがて天界へと消えていった。一度に天使達が消滅してしまって、戦闘を楽しんでいたベルテアクスが文句を言っている姿が思い浮かぶようだった。
「なにやってるんですか…」
  法衣をはだけさせ、肌に唇を落としながらノイズフェラーはくつくつと笑っていた。膝立ちのアルヴィティエルを、地面に座ったノイズフェラーが下から覗き込んでいた。
「邪魔者は消えただろう?」
  素直なお前も見れた事だし、と。
  堕天使は微かに声を立てて笑い、魔王の頬を両手で包み込んだ。
「今まで認めたくありませんでしたが。と言うより、ようやく今になって気が付いたのですが」
「ん?」
「貴方は悪魔の割に優しいですよね」
  その告白に、ノイズフェラーは一瞬真顔に戻った。まさかそんなことを言われるとは微塵も思っていなかった。
「参ったな。お前以外に優しくした覚えはないんだが」
「…だから、私にだけ。理由を聞いてもいいのか迷いますがね」
「お前の想像にまかせる」
  大人しくされるがままになっていたノイズフェラーは、悪戯をしかけた子供のような上目使いでアルヴィティエルを見つめ、
「今までお前が俺に甘えて来なかったのは、何故だ?」
  そう、確信を突いた。
  今更隠すことも馬鹿らしく思える。この一件が終わったら、素直に甘えてみようと決意したのだから。
「私は貴方にとって、幾千の奴隷と同じだと思っていましたから」
  自ら望んで堕ちた身だけれども。
「どれだけ望んでも、本来私の要求など貴方にとってはただの遊びでしかないのだと。どうせ最初から私が従順であれば、貴方はすぐに飽きてしまったんじゃないですか?」
  アルヴィティエルは悪魔と対局の立場に居たからこそ、悪魔の性を十分に知ってた。彼らは慈しむような愛はない。ただ、欲しければがむしゃらに奪うような激しさと強引さがあるだけだ。
  あながち嘘ではない指摘をされて、ノイズフェラーは肩を竦める。
「ですが、もういいんです」
  騙され、棄てられた時を考えていた。彼は何時でも、今すぐにでも自分を棄てることができると怯えていた。
「諦めるのか?」
「いいえ、まさか。―――…答えは、後で教えてさしあげます」
  啄むような口付けを落として。
「ギャラリーに見せつける趣味はありませんから、城にもどりましょう」
「お預けは辛いもんだ」
  欲望を隠しもせずに見上げる魔王へ、堕天使は極上の笑みを向けた。
  残された岩場の影で、魔界五位の死神が舌打ちをしていたことは、きっと誰の目にもとまっていないはず。

 天使が去った魔界では、いつもと代わらぬ静寂が戻っていた。迷路のような城の最上部には、零世界の支配者が堕天使と共に戻っている。
  部屋に戻った途端にベッドへ押しつけられ、乱暴に法衣を剥ぎ取ろうとする様子を、アルヴィティエルは微笑みながら見つめていた。
「抵抗しないのか?」
「貴方が望むなら」
  紫玉の瞳を細めて囁くその言葉は、どこか試しているようだった。ノイズフェラーは鼻を鳴らすと、お互いを反転させた。
「さて…。『甘え』て貰おうか、存分に」
  同じ高さになった視線で、アルヴィティエルはきょとんと魔王を見返した。瞬きの間に
滑り込んできた指が、肌の感触を楽しむようにゆっくりと這っている。背中を辿り、肩胛骨を爪で撫でられた。
「…ぁッ…」
  途端に膝の力が抜けた。そのまま何度も翼の根本にあたる部分へじれったい愛撫を施され、アルヴィティエルは震える手でノイズフェラーにしがみついた。密着した身体が、時折ひくりと跳ねる。喘ぎで荒くなった呼吸を直接耳元で聞かされて、魔王は楽しそうに瞳を細めた。
  天使が最も弱い部分を執拗に触られて、抵抗も出来ずにひたすら快楽をやり過ごそうと努力する。へたり込んでノイズフェラーの腰の上に座る形になっているアルヴィティエルは、尻に硬い物が当たる事に気が付いた。自分の媚態が興奮させる要因になっていると知った堕天使は、魔王の首へ舌を這わせてきつく吸い上げた。
「喰われそうだな」
「美味しそうですから、貴方は」
  魔王の力は、何物よりも代え難い。その力の片鱗を舐めるだけで、どれだけこちらの力が増すかわからない。だからといってアルヴィティエルは、許しも無いのに喰べてしまおうとは思わなかったが。
「どうせ喰うなら、こっちをお願いしたいもんだな」
  ぺろりと唇を舐めて、ノイズフェラーは主張するように腰をすり付けた。品のない誘いには慣れている。いつもならば無表情で一瞥し、結果酷い扱いをされることもあるのだが。
「噛み千切るかも、しれませんよ…?」
  くすくすと笑いながら、アルヴィティエルはゆっくりと身体を下へとずらしていった。焦らすような緩慢さで衣服をくつろがせ、硬くなりかけている先端をちらりと舐めた。やんわりと指を添え、時折ちゅ、と音を立てながら幹に舌を這わせる。さらりと音を立てた長い銀髪を邪魔にならないようにかき上げて深く銜え込んだ。唇と舌で丹念に奉仕していれば、ノイズフェラーは唐突に突き上げてきた。
「ッん…、はっ………ふ…」
  吐き出しそうになるのを堪え、アルヴィティエルは怒張を銜えたまま上目使いで睨み付けた。そういう視線がなおさら虐めてしまいたくなるのだが、魔王は楽しそうに瞳を細めるだけに留めた。
「本当に喰い千切られそうな眼だな」
  くつくつと喉の奥で笑ってやれば、アルヴィティエルは憮然とした態度で唇を離した。何をするのかと眺めていれば、挑発的に赤い舌をちらりと差し出して、その先端だけ執拗に舐め上げる。最も敏感な箇所への刺激に、ノイズフェラーは心地よい呻きを漏らした。それは呼吸に乗せた笑い声の様だったが、喜んでいるのだとアルヴィティエルにはしっかり感じられた。
  暫く奉仕を続けて居たが、つ、と髪を引かれて、アルヴィティエルはゆっくりと顔を上げた。先走りと唾液に濡れた唇に、どこか恍惚とした表情が淫猥だった。
「……いいんですか?」
  少しばかり掠れた声で問われ、何がだと判らない振りをして聞き返せば、堕天使は指で唇を拭いながら首を横に振った。
「…そうだな。飲み込むのは、こっちで」
  ぐい、と体を引き上げて最初のように馬乗りにさせてやり、太股を撫で上げて双丘の間へ指を這わせる。そのままつぷりと挿入すれば、アルヴィティエルは小さく息を呑んで体を強張らせた。
  最初から最後まで動かぬ気でいるのかと思えば、魔王は堕天使の好みを十分に熟知していた。乃ち、乱暴でもいいから触れてやること。
  覚えに新しい彼は、何処まで行っても受け入れることを拒否していた。接吻を、愛撫を、そして内に注がれることを。絶対に焼き切れることのない理性でもって、自分は望んで屈しているのではない、ただ魔王の命に従っているだけなのだと暗に語っていた。だが今回に限って、アルヴィティエルは偽り無い本心でもって魔王に身体を差し出した。
  今まで隠してきた物を全てかなぐり捨てた行為。彼は口で言うほど性交が嫌いではないし、ノイズフェラー自体を嫌悪してもいない。むしろその逆で、狂おしいほどの愛情と情熱を秘めていた。闇に堕とされるごとに、溺れていくようで怖かった。魔王は確かに、反抗する者を屈する事を好む。そう知っているからこそ、感情ごと差し出す事ができなかった。堕天使は大した役者であったと言える。例えそれが全て、ノイズフェラーに知られていても。そのことすら薄々勘付いていたアルヴィティエルは、それでも演じ続けていた。
  ノイズフェラーは両手で腰を支えながら、指の一本ずつを体内に埋め込んでいた。左右バラバラの動きで、内壁を擦り上げながら微苦笑を漏らす。
  他にやり方など幾らでもあるだろうに。
  最初に抱かれ、堕ちた後で真名を呼び捨ててみせた剛胆さで、傲慢な態度で魔王を縛り付けて我が儘に振る舞った方が、アルヴィティエルにとっては楽だっただろう。
  だが、彼は怠惰にも自分を押さえつけることに奮進するばかり。自分を追いつめ、縋り付くことすら許さなかった。抑圧された想いは、危うい賭けでもしなければ弾けることが出来なかったのか。我の強さは、恐らく魔王並。
  我慢を続けて自分の心を押しつぶすなど、ただの怠けでしかない。悪魔ならば存分に我を通すべきである。
  何て面倒くさくて、不器用な生き物だろう。
「ァ……何、…笑ってる…ですか…ッ」
  私が居るのに、よそ見などしないで下さい。濡れて紺色に見える瞳が、そう語っていた。
「俺はとんでも無い者を引きずり堕としてしまったのか?」
  揶揄たっぷりに囁いて、ノイズフェラーはくちゅくちゅと淫靡な粘着音を繰り替えず秘部から指を引き抜いた。
「覚悟、…してください…。…んッ…わたしは、…欲張り……です、から」
  張った先端をゆっくり飲み込まされ、ずぶずぶと熱が埋まる質量に息継ぎさえ喘ぎながら。ぐい、と顎を引き寄せて、アルヴィティエルは恐れもなくむしろ自信たっぷりに言い放った。
  全てをその身に埋めてしまい、歓喜と表現できる感嘆を零して、アルヴィティエルは満足げに瞳を揺らした。
「腹の探り合いは、止めますよ、いい加減」
「へぇ…。これからは欲望に忠実に?」
「…よく、おわかりで……ッあ…!」
  下から突き上げてやれば、肩を揺らしてしがみつく。殆ど強がりで跨っているとはいえ、太い楔を穿たれたままで会話をするのは些か辛かった。深く繋がったまま身体を揺すりながら、ノイズフェラーは楽しくて仕方がなかった。本当にこの堕天使は飽きない。
「自分で動け。悦い所は知ってるだろう?」
「ひぁ……ッ…、や…ンっ」
  震える足になんとか力を入れて身体を引き上げ、恐る恐るゆっくりと沈めてゆく。自分が一番弱いだろう箇所に熱を擦り付け、その度に痙攣するように身体が跳ねて、飲み込んだ高ぶりを締め付けた。
  いつもで有れば絶対に行わないような媚態。
「…そうだ。やれば出来る。――…だが、覚悟するのはお前の方だと判っているか?」
「なっ…、――――……ぁあッ!!」
  くつりと笑って、ノイズフェラーは一気に身体を反転させた。抉られるようにして穿たれ、脳天まで犯されそうに錯覚して、アルヴィティエルはただきつく瞼を閉じることしかできなかった。熱い幹は柔らかい肉を存分に抉り、挿入に擦れては淫らな音を漏らす。
「お前は俺の赦しがあるからこそ、俺を我が者に扱えるのだと、その身に刻んで置くんだな」
  辛辣な科白に比べて穏やかな表情をしながら、ノイズフェラーは激しい律動で揺さぶった。身体の密着を深めて、すぐ近くで淫蕩に喘ぎを上げるアルヴィティエルを覗き込んでやれば、それすらも悦びであるような表情で微笑んだ。
  知ってますよ、と。彼は挑発的に囁く。
「私はこの魂から髪一本に至るまで、貴方の虜です」
  はっきりとした宣告。だがすぐに甘い吐息に代えられて。
最奥へ叩き付けたかと思えば、次の瞬間にはぎりぎりまで引き抜かれる。敏感な部分を押し上げられて自失しそうになる快楽と、熱量が去っていくときに感じる失望感が寄せて帰る波に似ていた。注挿の合間に何事かを囁き、甘く噛み付いて、、激しくはあるがそれは何処か猛獣がじゃれている様に見えた。
  気怠げな腕が首にまわり、痙攣するように揺れる両足が絡み付いてくる頃にはお互いにもう無駄なことを喋るのは止めていた。
「…大概正気じゃねぇよな」
「狂ってますよ。貴方も…――私も、ね」
  最期にぽつりと交わした会話は、穏やかとは言えぬ内容で。
  後はただ、どちらかが根を上げるまでお互いを貪り続けるだけだった。

***

 『炎の聖神』は独り絶望の中で天界へ戻った。下兵天使の全てを滅ぼされ、彼の中での大義名分だったネブラを奪還することさえ失敗していた。むしろそれより酷い。魔に堕ちたと言い放った彼から三行半を突き付けられた。裏切られたと感じるより虚しさが勝った。
  天使が陰口を叩くようなことはない。ただ心配そうにゲネシュを見守る中、ロスアリエンだけが近付いてきた。
「ネブラは、駄目だったのか」
  死んでいるのか、もしくは、堕ちてしまったのか。
  何せ証人はひとりしかいないのだ。ロスアリエンは静かに答えを待った。
「彼奴は…、自ら魔に堕ちた」
「そうか」
「改心も懺悔もしないだろう。あれはもう―――…狂っている」
「狂ってる、か…。ネブラは我々の中で一番気性が激しかった、位にしておかないか?」
  ゲネシュは頑なに信じようとしないだろう。だが、ロスアリエンは凝り固まった思考など持っていなかったため、少なくとも魔に堕ちてしまった天使が何を思って居たのかくらいは考えついた。
  彼は、救いも、信仰も要らなかった。ただ、首輪を嵌められて奴隷に成り下がりたかっただけなのだ。
「我らを、怠惰だと罵った。…あの汚らわしい躯で」
  天の光を浴びて輝く髪や肌が、例えようもないほど美しかった。しかしゲネシュは、魔界で見つめたネブラが変わらぬ美しさを保っていることを認めたく無かった。恐らくあの身体は情欲を知っている。それでも尚美しくいられるのは何故なのか。
「上下も贔屓もない、何一つ争うことがない我らを怠惰と罵る、結構じゃないか。所詮悪魔と僕等は相容れない」
  ロスアリエンにとって堕天した者は既に敵だ。幻想だと思いたいゲネシュより、よほど切り替えが早かった。
「君が祈ろうが、絶望しようが現実は変わらないんだ」
  良い機会だと思うけどね、と。笑ってさえ見せた。いつもなら反論するゲネシュは、その気力さえなかった。ロスアリエンは子供をあやすように、各上の天使を抱きしめる。金糸の髪を梳いてやり、安心を与えてやる為に何度もそれを繰り返す。
「忘れろ、ゲネシュ。愛など、薄めてしまえばいい」
  その言葉は悪魔よりよほど、狂気じみていた。

「お前天使が嫌いだろう?」
「大嫌いです」
  二人とも裸のままシーツにくるまっただけの恰好で。ノイズフェラーはぐったりと横たわるアルヴィティエルに尋ねてみた。帰ってきた言葉は逡巡さえない即答だった。
  だらけている内にどれほどの時がたったのだろうか。常ならば常時の名残が不快だと、すぐにでも洗い流そうとしてしまうアルヴィティエルは、ただ熱を求めるように側を離れなかった。完全に腰が抜けていて、立ち上がれない所為で仕方なくかもしれないが。そうやって照れる位には、情交の余韻が後を引きずっていた。
「天使共を騙くらかすなんてな、大した役者だ。きっかけがなけりゃ、ずっと仮面をかぶったままで居るつもりだったのか」
「騙したつもりはないんですけどね。ただ、彼らは私を知らなかっただけ」
  そもそも自分は天使としては不完全なのだろうと納得している。アイテールの主が一番始めに創った天使。末端のそれと違って、プロトタイプには欠陥が多かったのだろう。
「今はもう、素なのか?」
「所詮は惚れた方が負けですから」
  とってつけたような理由に、だがノイズフェラーは鼻を鳴らしただけだった。彼は全て、堕天使の思惑さえ全てにおいて知っていた。それを突き付けたり、無理矢理告げてやることはなく、言われることを待ってはいたが。知っていて、付き合っていた。
「お前は俺の心が欲しいと言ったな。頭が高いと、首をはねられるとは思わないのか」
  漆黒の瞳の底に邪悪さを秘め、魔王はゆっくりとした動作で堕天使の首に手をかけた。これがもし、アルヴィティエル以外が言った言葉であったら、その者に未来は存在しない。それだけでも明白なのだが。
  今すぐにでも殺されておかしくない状況で、アルヴィティエルは恐れもせずに美しく微笑んでいる。彼は魔王の恐ろしさを芯から知っていた。高慢でもなんでもなく、逆らえない存在であると理解しているのに。
  引き付けられて、止まない。
「いいえ、まさか。―――…貴方が私を棄てる事は永遠にない。ちがいますか?」
  一点の疑いなく告げられた言葉に、今度こそ魔王は声を上げて笑った。
「それが、答えです」
  収まらぬ笑いの中で首を絞めかけた手の平をどけてやり、変わりに口付けを落とす。
「良いだろう。お前に俺をくれてやる」

 ――打算的な堕天使は、最期に笑う。

  

えーと。ミストが甘いというか、我が儘というか、性格悪いというか、面倒くさいというか。いつもの掛け合いのほうが面白いと。 大告白大会…。
2005/04/21

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