FOX - 1 -

sep krimo [ TheCovetousness ]

 俺の名前はロバート・クロフォード。探偵だ。
  いや、探偵と言っても、しがない便利屋みたいなもんだ。
  アパートの管理人の婆さんの部屋でいつもふんぞり返っている使い古したブラシみたいな猫を探したり、いつも不倫ばかり繰り返す若い妻の素行調査に駆り出されたり。
  この片田舎の探偵なんて、そんな仕事しか無い。
  だが、まあ、銀行員みたいに一日机の上で金勘定してるエリートよりは、よっぽど自由な暮らしをしてると言って良い。なんたって、好きな時間に仕事を始めて、好きな時間に終わらせられるんだから。
  俺ですらよく解らなくなった書類と、いつも飲みかけのコーヒーが注がれてるマグカップ、綿が出てきても修理に出す金もないソファとボロ机だけの事務所の中じゃあ、俺は王様でいられる。それで満足。食うには困るが、なんとかやっていける。
  強いて言うなら、スリルが少しばかり足りないが。
  だからといって大都市に出たってたかが知れてる。俺みたいにコネもないし、半端に度胸が無い男じゃ、きっと三日で泣いて帰るに違いない。
  だから、俺はこの町で満足だ。
  その日も俺は、旦那の帰宅が遅いと勘ぐった奥さんが依頼してきた、いつもの素行調査を終えて事務所に帰ってきた。
  報告書をタイプで纏めれば、一件落着。後金を貰って呑みに行こうって考えてた。それなのに、俺が事務所に戻れば、鍵を掛けたはずのその部屋には先客がいた。
「盗む物なら、白黒でたまに機嫌が悪くなるそのオンボロテレビくらいだぞ」
  立て付けの悪い扉を締めて、俺はとりあえずそいつらにそう言った。
「依頼に来たのですが、留守でしたので勝手に上がらせていただきました」
  強盗には見えないその男は、丁寧な口調で返した。
  体当たりでも食らわせれば鍵なんてすぐに壊れそうなもんだから、俺は鍵のことについては何も言わなかった。
  依頼に来たと、そいつは言った。本気なら正気じゃない。俺に頼むのは筋違いってもんじゃないかと思った。
  俺に話しかけた男は、かろうじて男だと思ったのは、声で検討をつけただけだが、女みたいに綺麗な顔をしていた。
  売れば高値が付きそうなプラチナブロンド。宝石みたいな紫色の目。おおよそ労働なんかしたことがないだろう華奢な身体付き。服装だって一級品だ。札を数えるなんて飽きて人まかせなんじゃないかってくらい、洗練されていると一目で分かった。
  これでレンタル衣装だったら、そうとうな役者じゃないかぎり自然に振る舞えないだろう。俺はこれでも人を見ることには自信がある。これは、本物の大金持ちっていう部類の人種だろう。
  立ったままのその男の後ろ、俺のデスクの影にある椅子には、もうひとり男が座っていた。椅子だけはちょっと金を出した。リサイクル屋で見付けたもんだが、その年季と品の良さに俺は借金して買った物だ。
「依頼人はソファに座ってくれ。そこは俺の席だ」
「では貴方が所長のクロフォード様ですか」
「社員もいないから所長ってわけじゃねえが、事務所の主って意味ならそうなるな。それに、様はいらない。それは俺が客につけるもんだ」
  生まれてこのかた様付けなんてされたのは初めてだ。うなじが痒くなる。
「…お客さん、悪いがさっさと席を空けてくれんかな」
  退いてくれない男は、俺をじっと見たままだった。観察したって何もでないぞ。張り込みで髭も伸びてるし、風呂も入ってねぇ。コートもスーツもよれよれだ。どう見てもあんた方みたいな金持ちの紳士と話すなんてお門違いもいいとこだ。
「一度探偵の椅子というものに座って見たかったんでな」
  男の声は、ひやりとした冷たさを持っていた。声優でもやらせれば若い女どもがキャーキャー言うんじゃないか、っていうくらいには、イカした低音だ。
  まあ、見てくれも凄まじく美形だったが。髪も目も真っ黒な癖に、肌は白い。日に当たる仕事はしてないんだろう。東洋系なのか検討が付けにくいが、表情の読めないアルカイックスマイルってやつは好きになれないと思った。
  服装はそれこそどんな仕事をしてればそんな服が買えるんだと呆れるくらいに値の張る物だ。どうも歳は若そうに見えるが、一体何をやってやがるんだか。
「私はサイファー」
  男は椅子から立ち上がって名前を言った」
「ルイス・サイファーだ。お前に依頼を持ってきた」
「俺に頼むより、アンタならもっと腕の良い探偵を雇えるんじゃないかね」
  ついつい皮肉を言ってしまう。
  しかしまったく気にならないのか、男は音もなく移動してソファに腰を移した。銀髪の男はそのまま立っている。
「あまり大事にはしたくないものでな」
「殺し、薬、シンジケート、そういう危ない仕事なら、受ける気はないぜ。命が惜しい」
  どんなに金を掴まされても、自分の命が危険になるような物は願い下げだ。スリルは欲しいがスリルに殺されたくはない。
「なに、いつもお前がやっている仕事とそうそう変わりはせんよ。人捜しだ」
「俺は受けるとは言ってない」
  受ける前からくわしい情報を聞かされたら、受けざるを得なくなる。そういうのは困る。
「昔俺と約束をした男が居てな。そいつが約束したまま逃げた。お前はその男を捜してくれればいい、それから先は、俺の仕事だ」
  ふむ。
「手始めに200万でどうでしょう」
  銀髪の男が内ポケットから小切手の束を取りだして言った。
「…は?」
  空耳かと思った。
「足りませんか?では、300万では?」
「ちょ、ちょっと待て!そんなヤバい仕事は、やらないと言った筈だ」
  300万もあれば、俺なら三年は遊んで暮らせる。そんな金で依頼をするなんて、一体どんな仕事なんだ。やはり怪しすぎる。この客は帰した方が良い。
「ただ、男を捜してくれというだけさ。そいつは殺し屋でもマフィアでも無い。ただ、俺に返すべきものを返してないから、行方が知りたいだけだ。
  あまり大っぴらにしたくはないから、わざわざお前に依頼をしている。依頼内容については口が硬いんだろう?」
  硬くなきゃやってられん仕事ではある。賄賂は受け取らない。どういう情報で俺を捜し出したかしらないが、客が言っている事に間違いはない。
  俺は揺らいだ。目の前に呈示されたその金は、あまりに魅力的だ。
「300万は前金で。男を捜し出していただけたら、後金にもう100万お支払いします」
  なんてことだ。人捜しで400万だと?富豪の財布ってのは一体どうなってやがる。それとも俺を罠に嵌めようっていう、裏の事情でもあるのだろうか。
「貴方に受けていただけないと、困るのですが」
  銀髪は本当に困惑した声で言った。
「…やっぱり、ヤバい仕事か」
「いえ…。この後飛行機で本国へ帰らなければいけません。次にこの街へ来れるのは早くて半月。一月後になるかもしれない」
  俺は黙った。さて、どうしたものだろうか。
  すると、ソファに座ったサイファーと名乗った男が口を開いた。
「ミスト、もう100万くらい上乗せしてやれ」
  神よ。俺は思わず祈りの文句を唱えた。断じて値段交渉で焦れているわけじゃあない。金持ちの腹は探るもんだなんて、思ってもいない。
「では、ミスタ・クロフォード。後金で200万お支払い致します」
  にこりと微笑んだ銀髪の男が、小切手を切った。

 気が付けば、俺は自分のデスクの上に乗せられた300万の小切手を凝視していた。

***

 ルイス・サイファーと名乗った男が探している人物の名前は、サイモン・フォックス。
  俺は小汚い洗面台で髭を剃りながら、昨日の出来事を思い出していた。
  何度も夢なんじゃないかと思った。アパートに帰る事も忘れて、俺は事務所で一晩を明かしてしまった。
  だが、やはりデスクの上には小切手が乗せられていて、騙されたと思って朝一で銀行に持って行けば、その日の昼には俺の手元に300万の札束が転がり込んでいた。
  神よ。
  俺は何度目になるか解らない祈りを捧げた。信じられん。
  銀行の帰りに行った事は、インターネットカフェに寄る事だった。
  ルイス・サイファーの名前を検索すれば、ビジネス情報でヒットする。大企業の投資者名にその名がちらほら乗っていた。どうやら本当に富豪らしい。国籍がこの国ではないというくらいで、その他に詳しい情報は得られなかった。
  次に検索をかけたのは、サイモン・フォックスという名前だ。
  ずらりと出てくる。人名ってのは、それこそ無数に出てくるから、その中から探すのは困難だろうと思えたが、検索情報を読んでいけば、どうやらフォックスは芸能関係の男らしかった。
  サイモン・フォックス。
  舞台俳優を経て映画デビュー。デビュー作であるアクション映画が記録的大ヒットを打ち出すも、その後フォックスは次回作の話題が出る前に失踪。当時のマスメディアがこぞって騒ぎ立てたが、結局居場所を突き止めることが出来ないまま、彼の名は行方不明人のリストで今も判定を待っている。
  当時24歳。十年前の出来事だった。
  そこまで調べた俺は、それが捜索人の特徴と幾つか一致しているような気がして、表示された内容をプリントアウトして事務所に帰ってきた。
  現金で300万も持っていることが不安だったし、まだ頭が混乱していたからだ。身支度を調えて下準備をしてから、もう一度来ればいい。
  そして俺は髭を剃っている。
  剃り残しが無いか鏡で確認して、最期に顔を洗った。タオルで顔を拭いて、適当に後始末をしてからタオルを干した。
  洗ってあるが皺の取れていない新しいシャツに腕を通して、俺はデスクの上をぐるりと眺める。昨日舞い込んだ依頼の、詳しい内容をメモした紙が数枚解りやすいところに置いてあった。その横には写真とネガと汚れたメモ用紙。
「しまった…!」
  忘れていた。直前まで張り込みしてたんだった。
  フォックスを探す前に、俺は素行調査の報告書作成に一日を費やすことになってしまった。札束が気になり、やたらと気がそぞろになったのは、仕方ないと言えるだろうか。
  報告書をまとめ上げた俺は、依頼人に電話をかけてその旨を教えた。すぐに来ると告げたその30分後には俺の報告書を持って、依頼人の女は旦那の元へ帰っていった。神よ、あの夫婦が離婚しても俺の所為ではありません。
  日が沈んだ事務所で一息ついた俺は、道路の向こうにある軽食屋からホットドックとポテトとブラウニーを買ってきた。トッピングがいつもより豪勢だ。
  少し時間をかけてコーヒーを入れ、俺は夕食に齧り付きながらデスクの目立つところに置いておいたメモ用紙を手に取った。
  依頼人、ルイス・サイファー。
  その代理人件依頼者への連絡等、秘書のアルヴィト・ミスト。
  俺は依頼人のすぐ横に、投資家とメモした。
  依頼内容、人物捜索。捜索対象、男、年齢は三十代前半、金髪碧眼。名前はサイモン・フォックス。生まれはこの町だが、それ以降の生死は不明。今何処にいるかも解らない。
  ……。
  ちょっと、待て。
  今何処にいるか、解らないだと?
  それは、もしかしたらそいつの痕跡を延々と追って、世界を回る可能性だって無くはないという事か。
「やられた…」
  俺はコーヒーが半分に減ったマグを投げつけたい衝動に駆られた。
  通りで契約金が高いわけだ。経費込みだとは良くいったもんだ。それにしたって多めに貰ってはいるが、もしフォックスという野郎が密林の奥地にでも隠れてやがったらどうしてくれる。
  この後呑みに行ってやろうかと本気で考え始めたとき、旧式もいいとこの電話が鳴った。音のうるささでは目覚まし代わりになるいい品だと俺は思っている。
「……クロフォード探偵事務所だ。就業時間は終わってる。明日また掛け直してくれ」
  ワンブレスで言い切った。そのまま受話器を置こうとした俺の耳に、雑音の感じられない澄んだアルトの声が響いた。
『代理人のミストですが、言い残したことがございました』
「…ああ、あんたか」
  ふっと思い浮かんだ面影に、俺はニヤリと笑った。男は好みじゃないが、あれだけ別嬪なら咥えさせるくらいいいだろう。時間が経った御陰で冷静に思い起こすことが出来た俺は、金も入って下半身の要求も一丁前に戻ってきたらしい。
『必要経費の事をお伝えしていなかったので。お時間は取らせませんが、お話ししてよろしいでしょうか?』
「勿論だ」
『では。今回の報酬とは別に、依頼達成に必要だった経費などは全てこちらが負担いたします。領収書さえいただければ、後払いになりますがちゃんとお支払いしますよ。
  もし前金では足りない経費が出てしまった場合は、私に連絡いただければご用意いたします』
  声のイントネーションには、不快なところが全くなかった。ミストの金ではないから気にならないのかも知れないが、そもそもあまり金払いについて渋る素振りは感じない。金持ちはケチだから金持ちになるっていうのは、迷信だったのだろうか。
「それは、随分太っ腹だ。世界一周の捜索に出るときはあんたに連絡するよ」
『そうならないことを願います。取り敢えずの目途は一ヶ月と約束した通り、それまでに解ったことをしっかり報告していただきたいので、長期休暇などはお奨めいたしませんが』
「休息は取るが、俺だってコレが仕事なんだ。貰った分は働く。安心してくれとは言わんが、善処はする」
『その言葉を聞いて安心しました。ああ…もし、中間期限までに対象を発見することが出来た場合も、私へ連絡を入れてください』
「解っている」
『貴方にお教えした番号は、私の個人的なものですので、いつどんな時間でも必ず受けますよ』
  まるで恋人みたいじゃないかとは思ったが、口には出さなかった。彼は住む世界が違うし、なにより男だ。娼婦なら考えるが、あまり友人にしたいタイプでもない。
「それだけか?」
『はい』
  俺の方からは何か聞くことがあったかどうか頭を廻らせ、何もないと確信してから口を開いた。
「投資家の旦那に宜しく」
『…仕事の早いひとですね。主人に伝えておきます。それでは一月後』
  電話が切れた。

 携帯電話を閉じたミストは、思わず笑みが漏れた。正式に電話回線を使っての会話ではない。だから、あの男の考えていたことは手に取るようにわかる。
「何がおかしい?」
  背後から聞こえた声に、ミストは笑みを更に深くする。
「さあ、何だと思います?」
  質問で答えられ、影のように寄り添っていた男も笑った。
「人間は、面白いだろう?」
「そうですね。飽きない」
  ミストの背後にいる男は、彼の主だ。探偵事務所に依頼を出した、ルイス・サイファー。サイファーはミストを背後から抱きしめ、スーツのボタンをひとつひとつ外して行く。彼らは上司と部下以上の関係だった。
  贅を凝らした摩天楼の最上階の部屋で、明かりも灯さないその空間は退廃的だ。行われる行為も。
「今日は抵抗しないのか?アルヴィティエル」
「してほしいのなら、お望みのままに」
「いいや。たまには乗り気なお前を貪るのも悪くない」
「じゃあ、溺れさせてください」
  上着は脱がされ、シャツの隙間から滑り込む厭らしい指に身を任せながら、ミストは力を抜いた。

  

こんなかんじで、主人公カップルが脇役です。
2007/01/18

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