FOX - 2 -

sep krimo [ TheCovetousness ]

 翌朝俺は、良い気分で事務所を出た。
  金の心配が要らないってだけで、こんなに気持ちが晴れるとは思わなかった。金持ちはみんな良い気分で毎日を過ごしているのかと思ったが、俺が知っている金持ちってのは大概ケチで細かくて屑ばかりだったから、金があるだけで気分が良いのなんてきっと一瞬のまやかしなんだろう。
  だが、とりあえず今までの生活を送る分には、これ以上ない。やる気もいつも以上。だから俺は朝のニュース番組が終わる前には事務所を出て、この町に唯一であるハイスクールへ向かった。
  この町で生まれた奴等は、とりあえずハイスクールを卒業するまで、この町に住んでいるのが普通だ。最近の若い奴らはハイスクールを出てすぐに大学に行くか働きに行くか、まあどちらにせよ都会へ流れていく。
  家の家業を継ぐとか、よっぽどこの町に思い入れがある奴以外は出て行ってしまうから、この町には十代後半から三十路手前までの若者が極端に少なかった。
  そして俺のように三十路も半ばまできちまった奴がこの町に戻ってきた場合は、大体が都会で夢に破れたか食えなくなったか逃げてきた、所謂負け犬にあたる。
  ちなみに俺はこの町の生まれじゃあ、ない。
  十年住んだって未だに余所者扱いされている。田舎の古くさい体制ってのは好きになれないが、それは仕方ない。
  どうせ故郷には親兄弟も居ないし、うっかり戻れば『クロフォード家のロバートは、都会の水が合わなかったんだ』なんて哀れみの目で見られた後に、『だからこの町で働いていればよかったのに』なんて呟かれる始末。
  要するに田舎に戻るってことは、何処に行ったって同じだということだ。ならせめて、勝手知ったる故郷の隣人より、好奇心旺盛な違う田舎の隣人のほうがマシだった。
  根掘り葉掘り過去を聞き出す輩には、さも真実に似せたホラでも吹いておけばいい。どうせ俺を訪ねてくる女も男も居やしない。
  在る意味俺は故郷を棄てた事になるのかも知れないが、故郷のほうだって俺に未練はないだろう。帰る場所さえ、俺には無い。
「こんな朝っぱらから高校に何の用だ、ロバート」
  学校の受付で図書館利用申請書を書いていた俺の背後から、野太い男の声をかけられた。
  この小さな町では、他人の粗を探したい奴ほど住民の名前を覚える。俺に声を掛けた男もそんないけ好かない野郎だった―――俺にとっては、だが。綺麗に禿げ上がった頭部と突き出た腹。人が良さそうに見えるが、他人の行動に異常なまでの興味を覚える面倒な性格をしている。
  声の質を耳に入れた途端、俺はそれがあからさまな嫌味だと再確認した。探偵みたいな自由業が午前十時過ぎに彷徨いてて悪いか。
「おはよう、校長。この町の歴史を知りたいなら、この学校の図書館以外にないだろう?」
  俺は嫌味を取り合わず、適当に相槌を打っておいた。
「町の歴史か。探偵の仕事は小学生の宿題も依頼されるのかね?」
「ガキなら、俺に金を払うより遊ぶ為に使うだろう」
  申請書を事務に提出し、俺は図書館に足を踏み入れた。目的は卒業アルバムだ。
  薄いカーテンで日光を遮られた室内にある椅子には、老人が数人居るだけだ。学生は授業中だろうから、打って付けだった。
「町の歴史をなら、こっちの棚だ」
  どうやら校長は俺が図書館で調べ物をすることが気に入らないらしい。
「町の歴史は人の歴史、ってな」
「お前さんみたいな家業のもんには役所から煙たがられるんだろう。目当ては卒業アルバムか?」
「まさか図書閲覧に職業は関係ねぇだろう?あんたにケチつけられる覚えは無いんだがね」
  コートのポケットに手をつっこんだまま俺が呟けば、校長は憤慨したように鼻で息を吐き出した。この親父の欠点のひとつは、好奇心が旺盛過ぎることも上げられるだろうな。
「私はこの高校で校長になってそろそろ30年だ。アルバムよりも詳しいことを知っているぞ」
「学校関係者が簡単に生徒の情報をばらすのはどうかと思うぜ?」
  この町に探偵は俺ひとりだ。保安官の仕事じゃない雑用が食い扶持。人の粗を探すのが趣味みたいなこの校長と、依頼されて人の粗を探っている俺。飯が食えるかどうかの違いしか無いのかもしれないと思いついて、俺はゲンナリした。
  振り払うほうが騒ぎになりそうな気がして、俺は校長の好きにさせておいた。
  過去数十冊と詰め込まれている卒業アルバムのなか、今より20〜10年前の十冊を抜き取って近くのテーブルに積み上げる。
  後ろのページから卒業者名簿のFを辿り、サイモン・フォックスの名前を探す。興味津々に覗き込んでいる校長の視線が邪魔くさかったが、気にしないことに限る。
  それに、きっとこの校長は勝手に喋り出すだろう。そんな予想をしていた。
  過去から探して四冊目。16年前の卒業アルバムに名前を見付けた。

 Fox . Simon R

 間違いない。これだろう。やはりフォックスはこの学校を卒業している。にやりと口角があがるのを止めずに、俺は卒業アルバムを表に返して年号を確かめた。
  どうも、このアルバムだけ、他の物よりくたびれている。手垢の跡も随分多い。
「サイモン・フォックスの事を知りたいのか?」
  うんざりと呆れたような声だった。
「詳しいのか?」
  俺が振り返って校長に聞き返せば、彼は掛け声を駆けながら椅子に腰掛けた。
  慣れた手つきでページを捲ると、そこには金髪の好青年が甘い笑顔を浮かべていた。

『将来の夢は、俳優になること―――サイモン』

 どうやら、依頼されたサイモン・フォックスは、限りなく映画スターのサイモン・フォックスと類似している。まだ断定して判断できないのは、この町に同姓同名の人物が居るかどうかを確認していないからだ。
「詳しいも何も、この町でサイモンを知らない者は居ないだろう。なんたってアイツは映画スターになったんだ」
「同姓同名で顔まで似てた他人って事はないのか?」
「ある訳がない。アイツはフォックス家の異端者だったからな。それに私は演劇部の顧問をしていたんだ。その当時はパッとしないと思っていたが、都会でアイツは開花したんじゃあないだろうか。アイツが売れた御陰で当時のこの町にはファンが押し寄せてな。観光名所のひとつになっちまってた」
  今じゃ見る影もないが。と、校長は呟いた。
  懐かしい物を見る視線では、なかった。頭部に髪は無いのに眉毛だけは黒々と潤沢な校長は、眉間に皺を寄せてサイモンの写真を睨み付けている。
「フォックス家の異端者?」
  妙な引っかかりを覚えて、俺は聞き返した。
  途端に校長は唇を引き結んだ。不味いことを話してしまったと、顔に出ている。こういう所だけは、好きになれそうだと俺はほくそ笑んだ。
「そこまで言っておいて黙りは無いだろう?なぁ、スコット。探偵が唯一誉められるところは口が硬いところだって、知ってるだろう?」
「…まぁ、そうだが」
「それにアンタの博識さは恐れ入る。俺が十年かかったって解らないこの町のことを、アンタは何でも知っている。…うらやましいもんだぜ」
  誉めて持ち上げれば、一発だ。
「…ベルザ派の家に生まれながら、アイツはレフィク派に改宗したんだよ。ちょうど高校を卒業する前くらいだったか。相当揉めてな。だからアイツは死亡通知が届いてもフォックス家で葬式は出せない。
  ―――もっとも、大分昔に山火事に巻き込まれてフォックス家自体が無くなってしまったがな」
「ああ…、なるほど」
  この町には、二つの宗派がある。俺みたいな後からこの町にやってきたような余所者には関係ないが、この町で生まれて死んで行く奴等にはそれは大事なことらしい。
  もとより神も悪魔も俺には理解できないから、勧誘されても困るだけだが。
  季節の変わり目なんかになると、レフィク派は森の中でサバトでも開いてとかなんとか、そういう噂はよく耳にした。ベルザ派は大抵家の中で祈りだか呪文だかを捧げているという。その程度の知識しか俺にはないが、それで十分だった。
「思えばあのロビン坊やは、ベルザの祈りを捧げていても落ち着きが無かった」
  鼻息荒く吐き捨てた校長は、どうやらベルザ派の教徒だろう。こそこそ嗅ぎまわるところが、そういう雰囲気だった。
  待て。今、校長はなんて言った?
「ロビン坊や?」
「ああ?…ああ。ここじゃ、ロビンの方が通る。サイモン・ロバート・フォックス。そういえばお前さんもロバートだな。お前は子供の頃なんて呼ばれていた?」
  名簿にあった名前の末尾。Rはロバートの頭文字か。ふむ、と俺は髭を剃ったばかりの顎に指を当てた。後で忘れないようにメモしておこう。
  俺の子供の頃か。殆ど覚えていない。
  親の記憶、友達の記憶、住んだ家、学校の風景。
  俺には、何一つ覚えがない
「ロバート?」
「え…?ああ、俺はロブだったな」
  ボブでもロビィでも、ロバートの愛称なら何でも良かった。フォックスの愛称と同じじゃなければ、話題にもならないだろう。
「ロブか。まあ、生まれが違えば変わるんだろうな」
「だろうな」
  適当にでっち上げた愛称に、適当に答えて、俺は他のアルバムを棚に戻した。その足で目当てのアルバムを抱えてコピー機の前に陣取る。フォックスに関するページのコピーを取って、三つ折りにまとめてコートの内ポケットに突っ込んだ。
「ありがとう、スコット。アンタの御陰で仕事がうまくいきそうだ。今度ビールでもおごるよ」
「二束三文のお前さんのことだ。アルコールの入ってないビールなんてのは御免だからな」
  最期まで悪態を忘れない校長に苦笑を返して、俺は図書館を後にする。
  酒はおごってもいいが、一緒に呑むのは勘弁願いたいと思った。

 図書館の次に向かった場所は、先日銀行帰りに寄ったインターネットカフェだった。情報を仕入れるには、此処しかない。俺の事務所にはパソコンなんて無いし、回線の代金を毎月払う金もない。…なかった。今ならすぐに払えるだろうな。
  俺はサイモン・フォックスについて、片っ端から調べだした。ゴシップ記事、ファンサイト。本当はフォックス家に行けばいいんだろうが、10年前の山火事事件の記事に一家全員焼死という凄惨な内容を見付けて諦めた。
  フォックスは、ビーリアルシティで小さな劇団に入る。その劇団で端役をやりながら、アルバイトに明け暮れる生活を送っていた。しかし、なんの転機か。オーディションで落ち続けた彼は、まるで化けた。周囲から何の期待すらされていなかった彼が、生まれ変わったようにベテランも舌を巻く演技とオーラで、そのオーディションを勝ち上がっていった。
  この程度ならば、誰でも調べられる。俺は足取りを調べて、死体でも生身でもいいから、このサイモン・フォックスを見つけ出さなければならない。
  大スター失踪に、警察すら投げ出して後は死亡認定を待つばかりの人物を、こんな片田舎の探偵がどうやって見つけ出せと言うのか。今更ながら俺は頭を抱えたくなった。
  だから、金に欲を掻くと後悔するんだ。
  背もたれに体重を預けて反り返れば、カウンターの中で雑誌を捲っている店員と目があった。金髪とも茶髪ともとれるくすんだ髪の女。歳は俺と同じくらいだったはずだ。ベスと呼ばれているが、本名は知らなかった。大方エリザベスなんとかだろう。
「ちょっと、ロバート、椅子壊さないでよね」
「まだ壊していない」
「いいわよね。昼間っから遊んでられるなんて」
「これでも仕事中だ」
  天地が逆になったままだらしなく会話を続ければ、ベスは雑誌をカウンターに置いて近寄ってきた。鼻歌交じりにディスプレイを覗いて、「あら」、と声を上げた。
「ロビンのこと調べてるの?」
「依頼内容は守秘義務のため―――」
「はいはい。それにしても懐かしいわね」
「フォックスを知っているのか?」
「知ってるもなにも、クラスメイトだったもの。この町じゃちょっとした美形だったし、女の子はみんなロビンに夢中になった」
  ベスにとって、フォックスは好印象を残したらしい。
「彼は高校を卒業してビーリアルシティに?」
  尋ねれば、彼女は小首をかしげる。何か必死で思い出すように呻いて、頷いた。
「レフィクル祭で見かけたのが最期で、その後にビーリアルに行っちゃって…何回か電話したわね。彼が売れる前に。売れてからは誰のところにも連絡は来てなかったと思うけど」
  レフィクル祭は、レフィク派の集会だ。彼女は改宗したあとのフォックスを知っているということだ。だが、改宗してからすぐ後にこの町を出ているのだから、たかが知れているだろう。
「電話の内容、覚えてるか?」
「何年前だと思ってんのよ。軽く十五年以上たってんのよ?」
  そりゃあ、そうだ。俺だったら覚えていないだろうな。
  俺が落胆を現すと、ベスは声を立てて笑った。
「でもね、電話の相手はロビンだもの。父親だったら忘れてるところだけど、最期にかけた電話だけは覚えてるわ」
「へぇ。たいした記憶力だ。聞かせてくれないか?ベス」
  ここでも俺は、そつなく誉めた。
  ベスは勿体ぶって俺を見下ろした後、唇を弓形に吊り上げて目尻を下げて微笑んだ。
「劇団では長いセリフのある役は貰えないけど、親友と彼女が出来たって。集会でセックスだってしたのに、堂々と言ってのけたの。まあ、別に付き合ってたわけじゃあないんだけどね。恋に恋して若かった私には衝撃の事実を突き付けられたわ。
  怒りにまかせて受話器を叩き付けてからは、それっきりよ」
  レフィクル祭、レフィクの集会、俺は視たことがないが、どうも生々しい噂だけは耳にしていた。深く追求すると怪我をするから、好奇心は押さえ付ける。大体、宗教は関係ない。今は。
「フォックスの彼女か…。同じ劇団員だったのかな」
「そこまで覚えてないわ。でも、多分そうだったんじゃないかしら」
  今はもう笑い話よね。あのサイモン・フォックスと寝た事があるって当時暴露してやれば、幾らか金になったかもしれないわ。
  ベスは笑いながら冗談を言った。彼女にとっては、過去のこととして思い出の欠片に過ぎないようだった。
  劇団ブレーメン。それが、サイモン・フォックスの門出。
  インターネットで検索をかければ、その住所が容易に出てきた。昔のことだから潰れているかとおもったが、どうやら健在らしい。
  次の目的地は、ビーリアルシティだ。

***

 呼び出し音が続いた。何時でも出ると言ってはいたが、どうもマズイ時間に掛けたかもしれない。時計を確認すれば、丁度夕飯時だったのだが。
『…はい』
  受話器を下ろそうとしたぎりぎりのタイミングで、微かな声が漸く聞こえた。
「俺だ。アンタ方が依頼した探偵のクロフォードだ」
『わかって…ッ、ますよ』
「……」
  どうも、声の調子がおかしい。俺は耳をそばだてた。
『用件は、なんです…か?』
  必死で平静を保とうとしているが、所々途切れて発音される声の合間に、呼吸音が紛れている。
「アンタ、何をしているんだ?」
  俺は声がにやけないように押さえ込みながら、尋ねた。
  これは、間違いない。確信すると楽しくて仕方が無くなった。ビーリアルに着いたら、まず女を買おう。
『…仕事、ですよ―――…んぅ、ッ!』
  すすり上げる様な水音と、鼻にかかる呻き声。
「随分大変そうな仕事中悪いが、伝えておこうと思ってな」
  勿体ぶってしまうのは、仕方ないだろう。俺は周りの音を拾う事に意識を集中する。軋む音、打ち付ける音、粘着音、押し殺した喘ぎ声。
  アダルトビデオより、上等のショーだ。電話の向こうで、こいつはセックスに耽っているらしい。情事の最中に電話に出るのは、こいつか相手かどっちの趣味なんだろうな。
  いつか礼でも言ってやろう。
『用件…っ、を…!』
  声に焦りが見えた。
  俺は喉の奥でから笑い声が漏れるのに任せた。
「ふしだらな秘書さんだな。しっかり『仕事』に集中しないと駄目なんじゃないのか?」
  思わずそんなことを呟けば、受話器の向こうから低い笑い声が聞こえた気がした。脳にこびり付くような蔑んだ笑い声だった。
  一瞬で、俺は我に返る。一体今の感触はなんだったんだろう。受話器を握る手に、興奮ではない汗が滲んでいた。
  この笑い声に、俺は嫌悪を覚えた。
「…明日から俺はビーリアルで調査を開始する。ホテルについたら電話番号を伝えるから、次にかけるときはその『仕事』はおわらせておいてくれ」
  早口でそれだけ告げると、向こうが切る前に俺は受話器を下ろした。
  心臓が、煩かった。
  いきなり落とし穴に落とされたような、驚きよりももっと生々しい感情の波について行けない。一体なんだというんだ。まさか、あの小綺麗な秘書の相手が女じゃなかった事に、嫉妬でも覚えたわけじゃあ、ないだろうし。
  ぶるり、と体が震えた。

「ああ…」
  そうだ。この感情は、

 

 恐怖だ。

  

ミストのミの字もでてきません…声はでてきましたが…
2007/01/22

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