L'unico - 8 -

- L'unico sangue -

 この異常な感情は、たった短い出会いと会話に対して、嫌と言うほど与えられた思考の時間が勝手に育んだものだろうか。直ぐ傍に身の危険が寄り添い、勘違いを訂正する猶予と判断は与えられなかった。良く言えば激情、悪く言えば気の迷い。
  魔が差したと表現するには、満足感が勝る。
「大丈夫か、アンタ」
「……黙れ、人間」
  身支度を整えて甘くもあり辛くもある微妙な雰囲気のまま声をかければ、無視するかと思われたワルツから返答が来た。擦れた声は未だ余韻を引きずっている。腰に響く声だと、義賊は苦笑を浮かべた。
  果たして孤高の財宝を手に入れることが出来たのか。手の届く場所に在ると感じるけれど。
「ディルクルムだ。ディーでもいいが」
「知ったことか」
  木の根元に蹲って頭を抱えるワルツは、とりつく島もない口調に戻っていたが、ディルクルムにとってそれはただ照れているようにしか感じなかった。つれない態度は嫌いじゃない。落とし甲斐がある。
  身を清めたい所だが、深い森の中だ。暫く歩けば川が在ると知っていても行く気にはなれなかった。性交後特有の倦怠感と失血による目眩。今襲われたら抵抗するのも面倒なくらいで、ディルクルムは吸血鬼の横に座った。本心は、離れがたいという感傷的なものだ。噛まれた首筋が疼く。
「寄るな」
「…そうかい」
  軽口で相槌。
  今まで会話らしい会話なんてしていなかったし、それは現在を見てもそうなのだが、質が違う。拒絶と言うには甘い。その手の商売の相手をしたって、一度身体を重ねれば情くらい湧く。それは人間も吸血鬼も同じらしい。しかも割り切った関係ではなく、互いに求め合った結果ならば尚更。ディルクルムの一方的な感想だが。
「立てそうにないなら背負ってやろうか?」
「…貴様、口を閉じろ」
「どうせ帰る場所は同じなんだ。休むならさっさとアンタの世界に行ったほうが安全だろう?こんな所までハンター共は来ないと思うけどな」
  さらりと告げられた言葉に、内容が素通りしかけたワルツは顔を上げる。戯れ言が聞こえた。正気に戻れば憤死したい程の羞恥を感じていたのだが、聞き捨てならない台詞に理性が戻った。
「…待て。何を言っている」
  帰る場所が同じである筈がない。ワルツは魔物の国ニュクスへ戻るのだし、ディルクルムは人間の世界であるヘメレのどこかへ帰るのが異種族の通りだ。気に入った人間を連れ帰って囲う吸血鬼の生態はこの際捨て置く。
「アンタのお陰で俺も追われる身なんだよ。責任くらい取れって」
「巫山戯るな。貴様など知ったことか」
「そう言うなよ。どうせ腹減ったら俺んとこ来るんだろう?だったら連れて行け」
「勝手に決めるな!」
「照れるなよ。さっきまで俺達が何してたと思うんだ」
  激昂に声を荒げ、鋭い視線で射抜くワルツ。身体が動くならば、一撃でもいいから殴りつけたいとさえ思う。これ以上情けない思いをさせられて堪るものか。
  ディルクルムは正面を向いたまま視線だけ流してその怒りをかわした。木陰に差し込む月の光が低くなっている。夜が明ける前に移動しなくてはならない。結構な時間を共に過ごしたものだと、感慨さえ湧いてきた。長かったな、色々と。
「なぁ、…アンタ、俺じゃなきゃ駄目なんだろう?」
  それは行為の最中にも聞いた台詞だった。
  ワルツは黙る。何を思ってそんな結論を導き出したのだろう。軽薄な男の頭の中を覗いてみたいが、目下の所どういう否定をすれば反論を塞げるのか。頭が痛い。ディルクルムが相手でなければ得られないだろう満腹感を知ってしまっただけに。
  唯一の血。その言葉が重くのし掛かってくる。
「俺にしとけ」
「…図に乗るな」
  館に帰れば、親愛なる老侯爵は何て言うだろう。滅ばずに済んだようで何より。それだけなら文句はないが。考えただけでも気が滅入る。怒鳴り散らす気力も無くなったワルツは地面を見下ろす。人の気配のない森は静かで、けれど魔物達が遠く無数に蠢いている事を、取り戻した感覚が察知していた。
  まるで押し売りだ。ワルツはもやもやと複雑な心境を持て余す。自分には求められる価値があるのだろうか、結局裏切られるだけで、必要とされず捨てられるのがおちなのではないか。人間であったときに形成された臆病で自虐的な性格が、ワルツの人嫌いに拍車をかけていた。だから正直、ディルクルムのように自分を売り込んで来る相手には弱かった。
  ふいに影が差し、今度は何だと顔を上げた瞬間。制止する間も無く、唇を塞がれた。濡れた音ひとつ、それが随分と甘くて、なんて場違いだろう。鼻腔を擽るのは、どれだけ高価な香水だろうと敵わない、甘美な命の香り。手放すことを考え、それが耐え難いことに気付かされる。本当に忌々しい。
  厚めの下唇を名残惜しげに甘噛みして、ディルクルムは微笑んだ。茶と緑が混ざった瞳が、柔らかい。吸血鬼の葛藤も解らなくはない。今までどんな生き方で、正直さと素直さを排除しているのかは知らないが、淋しそうな奴だとは解る。そんな相手は益々意固地になるだろう。ならば、こちらが引っ張って行けばいい。有無を言わせず、悩む間も与えずに。
  この世界に未練はない。好き勝手生きて来て、考えられる大凡の欲求は満たされている。新世界を求める怖い物知らずの度胸は、若さ故か、それとも彼特有のものか。
「行こうぜ、ワルツ。夜が明ける」
  呆れて呆然とする吸血鬼に向け、すっきりとした決意と共に立ち上がったディルクルムが手を差し伸べた。
「熱いシャワーと清潔なベッド。それから、もう一度アンタが欲しい」
  一言が余計だ。
  憮然としたワルツはその手をはたき落とした。震える膝で何とか立ち上がり、矜持の高さで体面を繕って、月光に背を向ける。魔物の国へ、歩いて行けない距離ではない。姿を闇に溶かして移動しないのは、傍にいる人間の為ではない。ただ力を使うのが怠いからだと己に言い聞かせた。
  これからどうなるかなど、考えるだけ無駄だ。散々悩まされた挙げ句、もう一つ悩みが増えた所で何になるだろう。未だ人間は嫌いだ。けれど、ディルクルムを嫌えないことも事実。隠しきれない愛着は、今はまだ獲物に対するものだが、本能と感情の境目なんて幾ら探っても掴むことは出来ない。
  彼を信じられるのか。引っかかっている所は、それだろう。裏切られるのは、未だに怖い。だが同時に、気に入らなくなったら喰い殺せばいいと、吸血鬼の本能が囁く。それは確かに正しい。葛藤の勝敗はどちらに傾くだろう。簡単に解りそうにないが。
「…勝手にしろ」
  前を行くワルツの小さな応えを耳聡く聞いて、ディルクルムは肩を竦めた。
  それは無関心を装ってはいるけれど、拒絶を含んではいなかった。苛立ちも嫌悪も無い。あるとすれば、羞恥だろう。喜んでいるとは、逆立ちしたって思えないけれど、拒まなかったという事実が重要。堪えようとしても我慢できない笑いが漏れた。
  愛や恋など二の次だ。そんな生温い言葉で括るには、まだ早い。
「気でも狂ったか」
  ぴたりと付いてくるディルクルムを、蔑むように横目で見たワルツは、やはりこの人間を理解できそうにないとそれだけは確実に思う。
「アンタに狂わされたのさ」
  気障ったらしい台詞に開いた口が塞がらない。いっそ捨て置いて行こうか。ワルツは付き合っていられないと視線を森の奥へ戻した。
  人間と吸血鬼、馴れ合うはずの無い異種族が歩む姿を、三つの満月だけが柔らかく見下ろしていた。

  

携帯小説配信サイト「BL乱舞♂乙女の箱庭」様で掲載させていただきました。

おしまい!
なにげにワルツはディーの名前を一度も呼んでいないという。ディーに「アンタに狂わされたのさ」という鳥肌たってどん引きしそうな気障ったらしい痒い台詞をいわせたかっただけかもしれません。二十代前半なのにな…。おしかけ夫。
ニュクスに戻ったら爺さんの開いた口がふさがらなくなるんだと思います。よもや愛孫がこんな軽い男をひっかけてくるなんてどこで育て間違えた的な。
2009/12/31

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