L'unico - 7 -

- Quarta -

 常闇の森で生息する野生動物たちですら息を潜める満月がやって来た。魔物は人間を狩りに、人間は魔物への防御と攻撃に忙しくなる。魔物の国ニュクスと、人間の世界ヘレメが唯一交わる三日間。
  茶や緑の肌、または体毛に覆われ様々な身体を持ち、大きさも見た目も異なっている数種属の魔物達が獲物を求めて境界の門を潜っていく。単独であったり、群れを成していたり、第一陣とも言える魔物達が出発してから暫くして、満月が中天に差し掛かろうと言う時にワルツは人知れず動き始めた。
  どれだけ体力と魔力が削がれていようと消えることのないプライドで、その姿が見られぬようこっそりと門を抜ける。二つの世界は、たった一つの石門で隔てられていた。踏み入れた先で一番最初に目にするものは、幹まで闇色の鬱蒼とした樹木だった。広大で奥深い森。
「…ああ」
  思わず漏れた声色は弱々しかった。
  ああ、甘い匂いがする。血の、命の香りだ。理性の薄れかけた今、本能へ強烈な訴えで誘う。それが何処から漂ってくるのか、迷うことは無かった。逸る気持ちもそのままに歩く。
  いつもの都市では無い。その気配は随分と近く、まるで森の中を彷徨っているような距離だった。普通退魔ギルドのハンターでさえ、滅多に立ち入らない森の中で一体何をしているのだ。邪魔は入らないだろうけれど、畏れ知らずにも程がある。
  くつりと喉の奥で笑ったワルツは、結局どれだけ悩もうと拒絶を見せようと、あの人間の元へ行ってしまう自分をどうしようもなく思った。本能に逆らえないというのならば、人ではなくて獣だろう。
  不死の永遠を持つ吸血鬼をして運命と名付けられた、唯一の血。ただそれだけに翻弄されてしまうとは、強者だからこその煩い事なのだろうか。
  微風に木の葉が音を立てる。足音も気配も隠さず、目当ての場所へ。きっと、相手も気付いているだろう。何者がやって来るのかを。
  案の定、ディルクルムはひっそりと佇んでいた。木陰に居ても、アッシュブロンドの毛先が僅かな月光を浴びて輝いている。
「よう、ワルツ」
  小首を傾げ、いつものように巫山戯た態度で声をかけた。擦れた声色と、その格好にワルツは瞠目する。
  ディルクルムは過去出遭った全て、小綺麗な格好をしていた。貴族のように洗練されているわけではないが、品の良い仕立てと香水を纏い、粗野さをアクセントにして彼が見た目だけの軽薄な男ではないと印象づけていた。それが今、どこか草臥れている。
  男にしては甘い香水や商売女や酒の匂いではなく、真水を浴びただけのような飾り付けがない故に何処か清らかな香り。この人間そのものが持つものだろうか。
「やっぱり来たな」
「貴様はこんな所で何をしている。人の巣は此処ではないだろう」
  淡々と告げれば、肩を竦められた。この人間がよく見せる行動だと思い、それに気付くほどに彼を見ていたのかと気まずくなる。
「アンタのお陰で、野宿生活に慣れちまったぜ」
  不本意だと隠しもせず言い放つ。
  本当に必要になった物を仕入れに都市へ戻る以外、ディルクルムはずっと森の中を彷徨っていた。野宿生活で精神は荒んだが、ハンターと魔物達の行動だけは嫌と言うほど学んだ。お陰で生き延びた。
  人工的な香水などの匂いは消して、盗みに入る時のようなひっそりとした気配で木陰に潜む。魔物が活発になる夜は警戒のため起きて、太陽が姿を見せている間に睡眠と休養を取れば、身の危険を感じることはさほど無かった。
  満月が近くなるにつれ野良の魔物は姿を消していく。それはハンター達が忠実に仕事をこなしているということで、同時に討伐の対象が魔物から人間相手へ移行するやっかいな時期でもあった。
  だから最後のひと月近くは都市に近寄る事は出来ず、どの都市よりも遠い森の中で生活していた。柔らかなベッドも女も遠く、若いディルクルムにとってはそれまでの放埒な生活が仇になり、若干持て余し気味にストレスばかり溜まってしまう。
  それら様々な我慢と苦痛は、満月が訪れれば全て払拭されると解っていたから、悪態を付きながらも耐えることが出来た。
  目の前に姿を見せたワルツは、ディルクルムにとって今までとこれからを変える重要な獲物だ。ただでは済まさないし、逃がす気もない。考えて決意する時間だけは、嫌と言うほどあったのだから。
「いつもの威勢はどうした。随分弱ってるじゃないか」
「戯け者が。愚かな人間がどれ程惨めな生活をしているか、嘲笑いに来てやったのだ」
「そんな無防備な態度見せといて、よく言うぜ」
「貴様こそ随分と余裕がないようだが」
「…まあ、違いない」
  挑発の応酬を、ディルクルムはあっさりと締めた。相変わらず美しいと表現できる吸血鬼の顔は不機嫌一色だが、口の割に殺気すら薄い。
「アンタと出遭って九ヶ月、漸く俺たちが求める物が合致しているんだ」
  気付いているか、と低く問いかけて、ディルクルムは一歩近寄った。柳眉を寄せたワルツは弱みを見せるような後退る態度は取らなかったけれど、やはり覇気は薄い。
「……貴様、何を考えている」
「さあ、なんだと思う?」
  ディルクルムには、絶対的な捕食者へ対する恐怖は無かった。自分が対魔物のプロであるハンターじゃなくとも、ワルツの衰弱具合は見て取れる。原因に確信は持てないが、そんな物はどうでもよかった。
「当ててみるか?」
  尊大なディルクルムに、ワルツは危機感を覚えた。本来有り得ないこと。飄々とした軽薄さの裏に、この男は獣を飼っていたのか。けれど同時に、人工的な匂いを完全に排除している男の香りをより濃厚に感じる。薄い皮膚一枚、その下に流れるもの。急に空腹を意識した。眼前の獲物は今すぐに食らいついても大丈夫だと、理由もないのに確信した。
  二人の距離が狭まる。ほんの少ししか違わない身長のお陰で、互いの顔が視界一杯に広がった。
「俺が欲しいだろう?」
  疑問ばかりをワルツに投げかけるディルクルムは偽悪的な笑いを唇に乗せる。最初から答えを期待して問いかけている訳ではない。逃げ出さない事こそ、雄弁な答えだと思っている。
「俺にしておけよ」
「…何?」
「俺を選びな」
  命令のような強さで宣言して、ディルクルムはワルツの腕を取った。軽い力で身体を反転させ、すぐそばの太い幹へ押しつけた。枝の先から木の葉が無情に舞い落ちた。
「貴様、気でも狂ったか!?」
  口先だけは威勢のいい、けれど殆ど大した力も籠もっていない抵抗を易々と塞いだディルクルムは、黒衣の吸血鬼を押さえ込むように抱きしめる。握りしめた腕の細さに、感情が高揚した。
「かもしれんな」
  首だけで振り返ろうとしたワルツは、その首筋に顔を埋められて呻く。シャツの隙間に潜り込まれ、乾いた唇が擦り寄せられた。確かめるような丁寧さで舐られ、不本意だがぞくりと背筋が痺れる。
「アンタが噛んだ場所だ」
「…それがどうした」
  精一杯不機嫌な声を出すことに成功したのは、ワルツの持つ矜持の高さに因るものだ。振り解けばいいものを、そうできない非力さに頭痛すら感じる。これ以上許すわけにはいかない。このままどうなるのか委ねてみたい。二律背反が鬩ぎ合う。
「冷たいねぇ。傷一つで俺を悩ませてくれたくせに」
「知ったことか」
「…アンタも悩めよ」
  短く告げて、ディルクルムは吸血鬼の白い肌に吸い付いた。歯は立てず、愛撫と言うには強引な力で。吐息を詰めた音を心地よく聞いて唇を離せば、夜目にも解るほど鮮やかな跡が残った。どうやら、人間とそう変わりはないらしい。
  ワルツは持てる力で必死に足掻いた。タイを緩められ隙間の増えた首元にじゃれついてくる人間をどうにかしたいのだが、悔しいことにどうにも出来ない。人間の力で押さえ込まれ、屈辱で泣きたくなる。フロックコートのボタンを外され、器用な指先はベストにまでおよんでいる。不覚にも膝が震えていた。
  吸血鬼の食事方法は、何も血を摂取するだけに限らない。認めたくないが。
  口伝だけで教えられていたそれが真実であることを嫌でも突き付けられる。ワルツは今、駆け引きにも成らなかった会話の終着点で、行為自体が味を持っていることを体感していた。血と同じ甘さ。命の香り。
「やめろ、人間」
  硬い口調で咎めても、悪足掻きにしかならないだろう。けれど無抵抗のまま甘受することはどうしても出来ない。
  畏まった衣服を乱し直に肌を探ろうとしているディルクルムは、簡単に落ちてこないワルツの態度を喉奥で嗤った。
「…ッ」
  シャツの隙間から差し込んだ指先が胸に届き、指に引っかかる突起に触れれば、直ぐ傍で息を呑む微かな音を捉える。弾かれた肩の震えが行為を増長させた。女に比べて薄い胸は、やはり確かに男のものだ。嫌悪は無い。男に対して感じないと思っていた欲情はいとも簡単に燻られる。
  ディルクルムは暫し、押さえ付けた吸血鬼の肌を堪能した。滑らかな手触り。華奢だろうという想像そのままの、薄い肉付き。敏感な箇所をなぞる度に揺れる身体。
「貴様ッ…、いい加減に――」
「ディルクルムだ」
  この期に及んで色気のない呼びかけはいただけない。咄嗟に遮って名乗った。もっとも、素直に呼んでくれる訳もないだろう。その通り、ワルツは眉を顰めるだけだ。それで構わない。
  ワルツが文句を言おうとするタイミングを読んで、器用な愛撫が施される。その度に舌打ちをするけれど、抵抗しようという手のひらは役割を全うせず、虚しく木の幹に爪を立てるだけだった。飲み込まれてしまいそうだ。忌々しい相手なのに、空腹という欲求の前では、プライドすら紙切れに成り下がる。
  臍の窪みを指で探り、微かな反応でも掬い取る。義賊と自分を表する通り、どんな錠前でも器用に開けてしまうディルクルムの指が、ズボンのベルトを外す。途切れ途切れつむぐ罵詈雑言の制止は聞かず、下着の中に手を突っ込んで下肢をまさぐった。反応を見せる雄芯に、ワルツも欲望を感じているのだと、まさに手に取るように解った。それが余計に男を興奮させる。
「手を、放せ…ッ!」
「嫌だね」
  抵抗に捩る身体を肩で押さえ付け、予めズボンのポケットに仕込んでいた軟膏の容器を片手で器用に取り出す。応急処置としての傷薬だが、何も使わないよりいいだろう。中身の殆どを掬って、後孔に塗りつけた。
「おい…、貴様」
  自分がどうされようとしているのかリアルに把握したワルツが、怯えの滲んだ困惑を見せる。咎めの声は、随分と弱い。身動きの出来ない身体を何とか捻って、必死に逃げようとした。他人に触られた事など一度も無い場所に触れられ、募る羞恥に死にそうだ。
  グルーミングのような子供だましで終わるとは思っていなかったが、具体的に自分が受け入れる立場というものは想像すらしていなかった。己がどれだけ無防備で愚鈍だったのか、後悔しても遅い。
  早急な動きで指を差し込まれ、ワルツは身を竦めた。痛みは無いが違和感が酷い。魔物の身体はより悦い方を求め勝手に受け入れやすい体勢を取った。
「う…、く…ぅ」
  呻き声を漏らせば、首筋にじゃれついたままのディルクルムが微かに笑った。吐息が肌を擽る。長い黒髪を掻き分け、耳の後ろに吸い付かれた。
「出来るだけ優しくしてやるさ」
  直接鼓膜に囁かれて、肌が粟立った。それが快楽所以であると認めたくない。身体の反応を見せないようにワルツは必死だ。
  吸血鬼は快楽を受け入れる体質を持っている。それも食事の一環であるから、本能が望んだ。逆に快楽を与えることにも長けている。血だけを求めてしまえば人間はすぐに死んでしまうから、性交で得られる快楽や精自体を糧として変換できるよう、獲物に対して気遣いとも言える捕食方法を作り出していた。だからこそ人間に比べて自制は弱い。
  ワルツはその気位の高さで同族との行為すら否定していたのだが、正気を失いかけている今、心を裏切って身体は貪欲に受け入れる。初めての行為を円滑に進めようと自ら力を抜いてしまい、その事実が絶望を伴ってワルツを困惑させた。
「悪いな。こっちは三ヶ月以上女っ気無しで過ごしてんだ。アンタも食事が出来るなら、文句はないだろう?」
「…ないわけ、あるかッ!」
  体内を探られ途切れがちな吐息で何とか怒鳴り返したワルツは、素肌に当たる男の昂ぶりを感じて最後の抵抗に暴れた。フロックコートを乱したままの背中。衣服を捲り上げただけの姿が艶めかしい。ディルクルムは剥き出しの細腰を引き寄せ、期待に昂ぶった自身を宛がった。慣らしは浅いが、こちらも余裕が無い。
  生娘にしては反応が良いから、確信は無いけれどきっと大丈夫だろうと無責任に同情を投げ捨てた。
「んん…っ」
  鼻を抜ける甘い吐息。ゆっくりと楔を打ち込まれて、ワルツは身震いする。小刻みに揺すり上げ熱い欲望が徐々に飲み込まれていく。下生えと硬い肌があたり、全て収められた事を知った。体内に他人が居座っている。唇が戦慄いた。
「いい子だ。そのまま大人しくしてな」
  まるで子供に言い聞かせるように、ディルクルムは熱く濡れた吐息を吐き出す。楽しみはこれからだというのに、苦行の末得られる達成感に似た心地よさが身を包む。絶対的な力を誇示する吸血鬼を、今自分が支配しているのだと嗜虐心に似た暗い欲さえ沸き上がる。乱暴にするつもりはないけれど。
  宥めるように耳や首に口付け、律動を始める。直に感じる快楽は、今まで体験したどの性交よりも強かった。絡みつくきつさに目眩さえ感じる。
「く…ッ、う…んッ!」
  揺すられる度に零れる押し殺した喘ぎに、最後の抵抗を見る。素直にならない姿勢がワルツらしくて、侵略者を余計に煽った。
「余裕が無くて、悪いな」
  溶けた軟膏だけとは説明足りない濡れた音が律動と一緒に響いて、ワルツは居たたまれ無さに目を閉じた。縋り付いた幹が鋭い爪に抉られて、ぱらぱらと地に落ちる。
  既にディルクルムの言葉は聞こえてなかった。音を感知するだけで、内容は素通り。与えられる欲望は快楽に変換され、飢えがより多くを望む。牙の一撃で放出される陶酔感に似た快絶がこの身を支配する。
  性交なのか食事なのか、境目が曖昧でわからない。けれどこれほど心地よい体験は未だかつて無かった。枯渇した力が、徐々に満ちてくる。それがあまりにもリアルで。
「…ん、…ぁ…ッ」
「一度終わらせるぞ」
  苛立ち混じりの声が落とされ、注挿が激しくなる。獣のような荒い吐息が極まって、濡れた音と動きが一際高くなる。そしてそれは、唐突に止んだ。
「あ…っ、は…あ」
  じわりと、体内で膨れ上がった熱が弾けて滲む。その熱さは表現しようのない甘さを持っていた。快感を通り抜けて真っ白く染まった思考に、ワルツが喘ぐ。前後不覚にさえ陥る。一体どんな魔術を使ったのだろう。酒の酩酊に似ているが、陶酔感は比ではない。自分が精を放ってしまったことにすら、気付けなかった。
「…凄いな、何だ、これは」
  剛直を柔肉に収めたまま、その最奥で欲望を解放させたディルクルムが呻く。いっそ苦痛すら感じるほどの強烈な快感だ。
  何だこれは。
  確か二度目の出遭い、首筋を噛まれ血を吸われた時に感じた快絶に、同じ事を思った。吸血鬼の食事というやつは、なんて危険で蠱惑的なのだろう。肌寒いとさえ感じていた外気が、汗ばんだ身体に心地良い。こんな思いを感じているのは自分だけかと、整わない呼吸でワルツを覗き込めば、小刻みに身を震わせ喘ぐ姿を直視して安心した。どうやら同じ。
「…堪らねぇな」
  一度身を離したディルクルムは、身動ぎすらしないワルツの肩を掴んで正面を向けた。ジャケットが邪魔だ。素早く上着を脱いで、いつの間にか放り投げていた防寒用のマントを広げて、吸血鬼をその上に転がす。ここが野外であることに、今更気恥ずかしさを感じた。もっとも、人間も魔物も、野生動物の気配すらないけれど。
「なに、を…」
  まったく力の入らない身体に、再度男がのし掛かってくる。先程までの激流に身をバラバラにされたような行為は、終わったのではないのかと安堵すら感じていたのに。今度は一体何をするつもりなのか。すでに押し退けようという抵抗すら出来ない。
「…アンタ、俺じゃなきゃ駄目なんだろう?」
  ワルツの呟きには答えず、ディルクルムは問いで返す。自分より年上に見える吸血鬼があどけなく幼い表情を浮かべている。ふわふわと惚けた視線。その顔の横に両手を付いて、真正面から見つめた。この吸血鬼に、自分を刻みつけたい。
「だったら、俺にしとけよ」
  にやりと口角を上げ、告げられた言葉を理解しているのかどうか解らないワルツに笑いかけた。
「俺に決めな」
  低く囁いて、薄く開いた唇を奪った。
「ん…ぅ」
  啄むような口付けを、顔をずらして段々と深いものへ変えていく。食らい付くような強引さは、何かに追い詰められた焦りすら滲ませていた。
  どう応えていいのかわからないワルツの舌を引き出して絡め、この唇は悪くないと貪る。そのまま両足を押し開き、萎えずに立ち上がった欲望を、先程まで埋めていたそこへもう一度宛がう。入り込んだ瞬間、震えて身を捩って逃げようとするワルツを押さえ付けた。二度目の挿入は最初よりスムーズだ。溶けた軟膏と体液が混ざり合い、ディルクルムは易々と身体を繋げた。
「吸血鬼がセックスでも腹を満たすってのは、眉唾じゃないらしいな」
  いつだかハンターから仕入れた知識は、その通りだった。飢餓感に苛まれていっそ可哀想なくらいだったワルツが、瑞々しさすら感じるほど身悶えている。まだ正常に遠くとも、その変化は如実だ。
  与えたのが自分だと、それがディルクルムをより昂ぶらせる。吸血鬼に望んで首元を差し出す人間の気持ちが今、嫌というほどわかった。こんな美しい生き物に求められ、信じられないような快楽を与えられては、拒絶なんて出来ないだろう。
「は…ッ…、あ…ぁ…!」
  抑えようにも勝手に零れる嬌声を他人の物のように感じながら、ワルツは焦点の合わない目で必死にディルクルムを見つめた。飢えているのはこちらの筈なのに、律動を繰り返し、指で肌を探る男の方が余程貪っている。
  人間など、卑下の対象だったはずだ。醜い欲望にまみれ、裏切りと他人を陥れることしか考えていない虫螻も同じ。餌であることすら僭越な存在だと思っていたのに。
「ワルツ」
  擦れた声が直ぐ傍で聞こえる。
  その音はひどく甘い。ただひたすらその名を持つ者を求めて呼んでいる。愛情などと名付けてやるつもりはない、けれど溺れてしまいたいくらい心地良い。吸血鬼の本能には逆らえない。だから、自分が落ちたのではなく、この人間が例外的におかしいのだと無理矢理考えた。
「ん、んッ…ぅ、…や…」
  動きに添うような喘ぎは、どんな音楽にも勝る。ディルクルムは全て奪おうと、貪欲に求めた。いつの間にかしがみつかれたワルツの指先。翻弄されながら感じ入る不慣れな態度にそそられ、同時に可愛いとすら感じる。
  愛おしさが肥大すると相手を食べてしまいたいという表現は、まさしく正しい。吸血鬼の食欲というものは、もしかしたらそんな甘さも含まれているのかもしれない。馬鹿な考えが浮かぶ。自分は人間だが、目の前で悶える姿を見下ろしてしまえば、そう間違っていないだろうと苦笑するしかない。今彼に食らい付きたいと思うのだから。
  けれど立場は逆で。
「なあ、ワルツ」
  口付けるように近寄ったディルクルムが、激しい動きを緩めて呼びかけた。朱く染まった目尻に涙の雫を浮かべたワルツが、ゆっくりと瞼を震わせる。
「俺の血が欲しいんだろう」
「…っ…」
「喰わせて、やるよ」
  首筋をさらして、見せつけた。くつりと笑う音に、喉仏が誘うように上下する。
  身体を折り曲げられるような苦しい体勢でも、ワルツは不思議と苦痛に感じなかった。身体の奥を貫かれる快楽に正気を奪われ、その首筋に目を奪われる。理性などすでに微塵。薄く開いた唇から、鋭い牙が覗く。狙いを定めるように舐めて、男の広い背を抱いた。
「く…ッ」
  ぷつりと、肌を貫く小さな音。その瞬間呻いたディルクルムは、しかし苦痛が直ぐに消える事を知っていた。
  ワルツは口内に溢れた血の味で、ついに我を忘れた。殆ど無我夢中で唇を押し当てる。取り込んだそばから満ちていく力に陶酔し、期待が満たされその先を求めた。
  身体の奥から指先まで貫いた甘い痺れに、二人は翻弄された。余計なことなど考える余裕すら消え失せる。身体がバラバラに弾けそうだ。
  絶頂に似た快絶が本能を突き動かして、ディルクルムはがむしゃらに律動を再開した。耐えられない。満ちていると同時に飢え、足りないから奪いたい。呼吸すら邪魔だと、与えられる全てを貪る。もっとだ、と。
「畜生…ッ」
  自分を制御できずに悪態を付き、飲みきれず零れた血が汗と混ざって伝い落ちる感覚さえ快楽に変わる。
「あ、あ…ッ…ああ!」
  舌先で首筋を追うことすら出来なくなったワルツは、血の臭いに酔っていた。声を抑えることも、勝手に腰が動いてしまうことも止められず、与えられた信じられない悦楽に支配された。自我さえ危うい。ディルクルムを求める感情に偽りはない。確かに今、この男が欲しかった。
「ワルツ…」
  全てが焼き切れる瞬間、甘い囁きを聞いた気がした。

  

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四度目で喰われました。
2009/12/31

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