1.仄昏き常闇の国で

Starved+Mortal

思えば、俺の人生は幸運に縁がなかった
今までは

 

 

 古ぼけた石細工の門の向こうは、単なる薄闇だと思った。
 三つ子の満月(トリニティムーン)も薄れかけ、空に朱が混じったことで安心していたのかもしれない。
 戸も無い、石柱を組み合わせただけのただの門の向こうが、おとぎ話に出てくる『常闇の国』だなんて、誰が思った?

 馬を繰って、四半時になろうとしていた。そろそろ朝になる。
 月明かりと明けの夜空が一瞬の闇を作り出す、ハンター泣かせのこの時間を馬で全力疾走ってのはいささか骨が折れる。
 しかも、辺り一面森だと、自分の馬術よりも馬が木の根に足を絡ませないかが心配だ。数十メートル先を行く魔物は、馬でもなく自前の足で森を駆けていた。もしこれがただの駄馬なら追いつけもしないだろうが、自分が操る馬は汗血馬だ。魔物の足に勝るとも劣らない。
 逃げる魔物は吸血鬼。書いて字のごとく、彼らは人の生き血を食料とする闇の生き物である。食われたからといって、同じ吸血鬼になるって事はないが、だからといって人間から見れば立派な魔物だ。
 だが、退魔ギルドの一員として依頼が来たから狩り殺すが、「俺に害がなきゃいい」が本心である。いや、そりゃ大好きな生き物ではないが。
 今それを追っているのも依頼があってだが、まさかここまで追わなきゃならないとは大きなミスだった。
 魔物は確かに痛手を負っている。『陽光の矢』をその胸に命中させたのだ。下級の吸血鬼ならおだぶつのハズだった。生きて走っているということは、中級以上の魔物ということになる。
「俺をここまで連れ込んでるんだ……覚悟しとけ!!」
 馬上で怒りながら呟くと、遠くに白っぽい物体が見えてきた。


***


 ―――三日前。

「5000じゃハナシになんねぇな。倍出しな」
 投げかけられた言葉に、白髪の役人は眉を寄せた。
「どこからその自信が出てくるのかね?ベルフォリスト殿」
「自信だと?俺はそんな抽象的なハナシしに来たんじゃねぇよ、依頼内容の交渉をし来たたんだぜ」
 役人は沈黙した。
 ここは学都アグライアの高級住宅地の一角。領主の関係者だというこの男の依頼は、いささかあやふやだった。
「アンタのとこの娘を狙う吸血鬼を狩れってのはわかるがな、具体的にどんな奴かもわかんねぇ魔物を狩り出すのに、5000ってのは安すぎる。まぁ、娘さんを守れってだけならそれでもいいが」
 言って役人の後ろを流し見た。添えられた花のように、その少女は青い瞳を好奇心で輝かせている様に見えた。くるくると巻いた見事な金髪が華奢な肩にかかっていて、白い肌に良く映えていた。目が合うと反らされてしまったが、あと少しすれば立派は美女になるだろう。 
「わかりました。貴殿の実力はこの学都でも有名です。あなたがおっしゃるのならそうなんでしょうな。前金に4000、成功報酬に6000で手を打ちましょう」
 狸親父め、胸中で呟きながらにっこり笑って契約書にサインをした。
「依頼料の10パーセントはギルドの方に支払っておきます。それでは吉報を待っておりますぞ」
 屋敷を好きに使っていいとのことなので、問題の魔物が来るまでに虱潰しに屋敷を見回った。御令嬢を守るだけなら簡単だが、狩り出すとなるとそうもいかない。
 魔物は森からやってくると言う。
 三つの都市が三角形を形作る真ん中にその森はある。森は深く、その深奥には『常闇の国』という魔物の国があると伝えられている。そんなお伽話信じちゃいないが。
 魔物は三つ子の満月――満ち欠けがバラバラの月が、三ヶ月に一度三日間だけ満月になる――の間、各都市に出没する。
 魔物達は太陽を嫌い、その行動範囲は日没後に限られているにもかかわらず、三月に一度の出現率がかなり高い。それは三つ子の満月の期間だけ、『常闇の国』の門が開くからだという。
 まあ、誰一人その国へ行ったことがないし、行けたとしても帰ってきた奴なんぞみたこともねぇけどな。
 窓から見える遙か遠い山には、そろそろ帳がおり始めている。
 『三』という数字はこの地方では吉事の現れだ。
 森を取り巻く都市はそれぞれ学都アグライア、戦都タレイア、和都エウプロシュネ。それぞれの都市には退魔ギルドがあり、アグライアには『運命の三魔女(ウィアードシスターズ)』、タレイアには『三人の女王(トリトニス)』、エウプロシュネには『天の星の輪の女神(ヴェルトゥムナ)』と呼ばれている。三つの都市に、三をイメージした名前を持ったギルド。何故かは謎だが、始まって以来のしきたりの様なものだった。
 退魔ギルドの役割は、その名前に関係なく、人に害なす魔物の退治である。だが、他のギルドと同じように、依頼があり報酬がなければ成り立ちはしないし、ハンターもそこそこ名が売れなければ仕事が来ない。
「そろそろやって来そうだな…」
 ガラスにろうそくの明かりが反射して、自分の姿が映っていた。彼は退魔ギルド『運命の三魔女』の一員である。
「……俺が女だったら、相当いい線いってるんだけどなー」
 外の風景に重なりながら、自分の容姿を見ての一言。橙色の長髪を緩く三つ編みし、黒曜石の瞳は、一目見ると忘れられない配色だ。背もそこそこ高く、スタイルもいい。仕事柄夜型なので、日に焼けてはいないが、その容貌は並以上に美しかった。
 俺は自分の容姿に自信を持っていたし、たいそう好んでもいた。
「来たな…」
 月明かりに蠢く影を見つけて、彼は行動を開始した。だが、その日は気配だけ残して現れはしなかった。
 次の夜もやってきたが素早く逃げた。
 満月の最終日、とうとうそれは令嬢の元へやってきた。わざと警護を薄くしたのだ。お嬢には悪いが、仕留めるためには囮になってもらわねば。
 気配を殺し、隠れた位置から退魔の矢を射った。見事に心臓に命中したが、吸血鬼は生きていた。太陽光で鍛えた矢、『陽光の矢』は吸血鬼を倒す唯一のものもだった。実際今までの吸血鬼はそれで灰になったが、今回はそうはいかなかったらしい。
 吸血鬼は枯れた絶叫を放ち、窓を破って月闇に逃げた。一瞬見れた特徴は、漆黒の髪に紅玉の瞳。
 口笛で愛馬を呼んで、自らも窓から飛び降り、吸血鬼を追った。


***


 白っぽいものは、近づくにしたがって輪郭がはっきり見えてくる。
「…門?」
 崩れ果てた石柱の残骸に見えるが、確かに形は門だ。
 この時、依頼を諦めて都に帰っていれば俺の人生は変わっていただろう。この門はある意味で運命を分けた。気付くのはずっと後だが。
 その門は奇妙だった。
 石柱を組み合わせただけの門なのに、内側は闇が渦巻いていた。吸血鬼は進路を変えることなく一直線に走り、門の内側に吸い込まれていった。
 門の直前で止まり、しばらく凝視する。吸血鬼は確かにこの中だが、門の向こうは見渡せない。
 地下道にでもなっているのか、とも考えたが、黙って見ていて解決するわけでもない。次第に夜が明け始め、あたりにギギギと耳障りな音が響いた。戸が閉まる音だ。だが、門には扉など無いし、このあたりに他の音源は無い。 
「報酬……」
 前金4000では安すぎる。しかもこのまま帰ったら俺の経歴に傷が付く。
 なかば諦め半分で、俺は馬を走らせた。
「!!」
 門を通り抜けた瞬間、電流のようなものが全身を駆けめぐった。生理的に目を閉じたが、耳に重い音が聞こえてあわてて振り返る。
「………マジかよ」
 門が消えていた。跡形もなく消えていた。
 森の中なのは変わりないが、門だけが忽然と消失している。そしてここはどこか異質だった。
 太陽が昇らない。朝になっていない。門をくぐる直前、確かに背後で朝日が昇ろうとしていた。だが、今はまさに夜中である。
 落ち着け自分。三つの月の一つが欠けている。ってことは時間の流れは正常だ。
 平静を取り戻そうと思考の海に沈んでいたが、ここに来た目的を思い出して気分が浮上した。が、次の瞬間一気にへこんだ。
 囲まれている。
 人間以外のものに囲まれている。
 さすがの俺でもこの数が相手ではやばい。絶望的にやばい。
 だが抵抗しないのも癪なので、剣の柄に手を掛けた。
 その刹那、四方から飛び出した異形の魔物達がいっせいに襲いかかってきた。正面で応戦するも、後ろから髪を引っ張られて落馬する。衝撃で唇をかんだ。首を折らないように受け身をとるも、この数では死んでおいた方が賢明だったかもしれない。生きたまま喰われるよりは。魔物の木の幹の様な腕が振り上げられた。
 殺られる……!!
 身構えて覚悟を決めたが、予想した暫撃は無く、かわりに縛り上げられた。
「生のまま捌いた方が旨い。馬も連れて行こう」
 話す言葉は人のそれだが、内容は聞き捨てならない。くってかかろうと立ち上がった途中で方々から小突き回された。
 オークと思われる魔物に担ぎ上げられて、どこかへ運ばれる。担がれているおかげであたりは見えないが、どことなく活気ある笑い声を聞いて寒気がした。どう聞いても人の笑い声じゃないものが混じっている。上下する揺れに酔いそうになったときにやっと地面に降ろされた。
 見上げるとそこは酒場だった。何の変哲もないただの酒場に見える。だが、『人間その他調理します』の立て看板を見て認識を改めた。一寸先はどこだろう…。情けねー幕引きだな俺の25年間。
 店内に入れられるとと客は八分入りってとこだった。ざっと見渡すだけで、オーク、オーグル、ライカンスロープにワーウルフ、ちらほらと吸血鬼、その他魔物図鑑のような有様だ。
 カウンターの手前で突き飛ばされた。膝立ちになるが見上げる勇気はない。
「おや、めずらしいね。人間が迷い込むなんて」
 ひしゃがれた女の声がした。
「新鮮だから活け作りにでもするかい?」
 やめてくれ!!それだけは激しく反対だ!生はやめてくれ!!
 盛大に抗議したいが、口の中は切れてるし内臓も痛くて呻くだけだ。
「待て」
 良く通る低めの声が遮った。
 俺の顎をつかみ上向かせる。白い肌にとがった耳、微かに見える鋭い犬歯。まごうことなき吸血鬼だ。
 そいつは俺の切れた口から血をすくって舐めると薄く微笑んだ。
 顔は自分より若い。どこか退廃的で驚異的な美貌に思わず状況を忘れて見惚れてしまったが、漆黒の長髪と真紅の瞳を見てそいつを睨み付けた。俺が追ってきた奴と特徴が一致している。
 笑みを消した吸血鬼は俺の三つ編みを引いて上向かせると、唐突に口唇を重ねてきた。
「!!」
 一瞬状況が判断できず硬直したが、自然と開いた口唇に舌を入れられて、必然的にディープキスになる。両手が自由なら叩き切ってやるとこだ。何が悲しくて死の間際に男の吸血鬼にキスされなきゃならんのだ。
 だがキスの意図(?)は別の所にあった。こいつは俺があまりに綺麗だったからキスをしたのではなく、口の中に残る血液を『喰って』いるだけらしい。
 にしても、どこで覚えるんだこんなキスを!社交界なら大評判だがこんな魔物動物園でキスが上手くても自慢になんねーぞ!!ええ、おいッ!いい加減離しやがれこの変態!どうせなら美女の吸血鬼の方が倍嬉しいわ!!
 俺の心中をいざ知らず、独自で満足した変態吸血鬼はやっと口唇を離し、とんでもないことをほざいた。
「こいつは私が買おう」
 おーまいが……。
「旦那ぁ。そりゃないわよ」
 俺も同感だよ……。
「何か問題があるか?」
 問いかけは威圧に等しかった。今までの喧噪が嘘のようにあたりは静まった。それはこいつがこの場の誰よりも各上だということを示している。
「……馬は置いていってくださいましね」
「ああ」
「やっ……、っげほ!」
 やめろ、と言いたいのに途中で咳き込んでしまった。ああ、俺のブラマンディル(馬の名前)!汗血馬は貴重種なのに!!
「自分が助かっただけでも有り難く思うんだな」
 魔物は静かに言う。
「お前、名はなんという」
 誰が名乗るか!
 せめてもの抵抗にガンをつけるが、動じもせずに俺を脅した。
「オークの餌になりたいか?」
 舌打ちしながら渋々答える。
「……………………カグリエルマ・ベルフォリスト」
「カグラ、か。希な名だな。……私はメリアドラス」  
 その言葉を最後に聞いて、俺は痛みに意識を失った。
 俺の未来はどっちだろう…。

  

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